苦難の道:ノエル視点
『死返し』の精霊は優秀だった。
オレが育ったノバック伯爵家では無能とされていた精霊だけれど、魔物に死を返せるとなれば迷宮内で無敵だ。
親父さまの言い分も分からないではない。
貴族社会と迷宮では、そもそも求められる能力が違うからだ。
だけどオレを役立たずと決めつけるのは、絶対に間違っているだろう。
「むかっ腹が立つ」
あーっ、憎しみと怒りだ。
怒りの感情で正気を維持しないと、頭の中が恐怖で塗りつぶされる。
そうなれば、オレはオレでなくなってしまうだろう。
オレは何回死のうと、生き延びて迷宮から出る。
親父さまや兄貴たちを見返してやるまでは、人生を投げられない。
このまま闇森の迷宮で心折れたら、何のためにノバック伯爵家を捨てたのかも分からなくなってしまう。
それに、オレの背中を刺しやがったチンピラ小僧。
ラクロットに過ちを認めさせるまでは、岩にしがみついてでも生き残ってやる。
二度目の死から復活したオレは、起き上がる気力を取り戻すために、許しがたい連中の顔を脳裏に浮かべた。
柄にもなく、ふつふつと殺意が湧き上がってくる。
迷宮の洞窟内は、微かな明かりに照らされていた。
光源は、オレが落としてしまった魔光石である。
これを無くしてしまったら、お先真っ暗だ。
「よいせと……」
目の前には、意識が途切れる前にオレを襲ったキメラの死骸。
小山のようにでかい魔獣だ。
「こいつに襲われたんだな……?」
オレの中で、微かに肯定する気配があった。
「ペイバックか!?」
又もや肯定の気配。
どうやら精霊との念話が可能なようだ。
迷宮の底で一人は、どうしようもなく心細い。
まだまだ、目覚めたばかりで拙いところを感じさせる精霊だが、オレにとっては唯一の相棒だ。
一蓮托生と言う意味では、ラクロットなどより遥かに信用が置ける。
「これから、よろしくな」
肯定の気配。
不安で不安で何かしていないと発狂しそうだが、取り敢えずの仕事だけはある。
キメラの解体だ。
「丸ごと傷のないキメラだ! 夢みたいなお宝だけど、運べる重さには限りがある」
欲望もまた、こうした場面で正気を保つために役立つ。
あーしたいこーしたいは、生にしがみつくための原動力となる。
魔獣が死ねば、魔力による防御は消え失せ、剥ぎ取りナイフで解体が可能になる。
大剣で斬り付けても、武技を使用しなければ傷つけられない外皮に、普通のナイフが突き刺さる。
時間と手間さえ惜しまなければ、キメラから価値ある素材を剝ぎ取ることができるだろう。
だがしかし、ここに居てはいつ何時キメラと遭遇するか分からん。
「のんびりはしていられない。それに、たとえ素材を剝いだところで、沢山は持ち帰れない」
そうなると高価な部位だけを選んで、剥ぎ取ることになる。
無駄な労力は使いたくなかった。
優先順位のトップは、飽くまでも迷宮からの脱出だ。
「うむっ。魔石……。いや、魔核だな」
オレは入手すべき部位を決めると、キメラの腹を切り裂いた。
魔核は心臓の傍にある。
「うっ。脂肪と血で手が滑る」
作業をしている間も、神殿区画を徘徊するキメラが怖くて震える。
指先を上手く動かせず、数回ほどナイフを取り落とした。
キン! と響くナイフの落下音に、身体が硬直して動かなくなる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
オレは呼吸を荒げながら、周囲の気配に意識を向けた。
こんなに怯えたのは、初めてかも知れない。
どれだけ勇敢であろうと、死ぬ思いを経験すれば死が怖くなる。
人は手痛い経験から学ぶのだ。
「でかい。これがキメラの魔核か!?」
それでもオレは冒険者だ。
お宝を手に入れたなら、喜びで興奮する。
臆病風を追いやりたければ、一獲千金を夢想するのが一番だった。
「悪くない。まだやれそうだ」
オレは大きな背嚢にキメラの魔核を仕舞い、頷いた。
神殿区画は、闇森の迷宮の最深部と言われている。
このエリアはオレも探索を終えていないので、行きに使用したルートから外れると迷子になる。
詰まり、あれだ。
オレの進行方向にキメラが現れても、決して脇道に逸れてはいけない。
「立ち向かって死ねってことだよ」
理屈では分かっていても、受け入れがたい選択肢だった。
だけどそれが、オレにとって最も正しい対処法である。
オレの死は、取りも直さず敵の死だから……。
「腹が減ったな」
背嚢を探って、携帯食料と水を取り出した。
残り僅かである。
「どう考えても、足りん」
基本的に迷宮内の魔獣は食えない。
勿論、例外はあるけれど、生食なんて絶対にダメだ。
「クッソー! ラクロットが居ないから、火を熾せない」
効率を重視して荷物分けしたのは、明らかに間違いだった。
まあ、相棒に裏切られるとは思っていなかったので、仕方のないことではある。
だけど実際に裏切られた後となると、迂闊だったとしか思えなかった。
その時、苦悩するオレに、ペイバックが接触してきた。
〈アクジキ……〉
「なんだそれは……。何が言いたい?」
〈ヒートブレス、ライゲキ、ドクエキフンム、ヒショウ……。不可。アクジキ、可〉
焔の息吹、雷撃、毒液噴霧、飛翔と言えば、キメラの異能だ。
アクジキは、悪食だな。
〈キメラの異能。ノエル使えナイ。スカベンジャーの異能。使える〉
片言とイメージによる伝達だった。
オレの記憶から知識を拾っているのかも知れない。
だけどペイバックが伝えようとすることは、明確に理解できた。
「おまえは倒した相手から、異能を奪えるのか……?」
〈是〉
「キメラの異能も奪ったけれど、オレには使えないってことか?」
〈是〉
「悪食は使えると……?」
〈是〉
となれば、キメラから肉を剥ぎ取るしかあるまい。
『生肉は嫌だ!』とか、不平不満を言い立てる前に、先ずは食料の確保だ。
死肉あさりどもは、キメラの死骸を食っていたのだから……。
「悪食か……。ありがたく使わせてもらう」
愛用のブーツが裂けてしまったので、ついでに皮も頂いておこう。
這う這うの体で神殿区画を抜けたオレは、鬱蒼とした暗い森を進んだ。
ここには道と呼べるものがない。
目印は、オレが木の幹に突き立てた月光石の灯りである。
「おおっ!? ちょっと待て……」
ここまでくればキメラに襲われることもあるまいと高を括っていたのだが、そう甘くはなかった。
オレの行く手を遮るようにして音もなく舞い降りた巨体は、歴戦の強者感を漂わせる王者のようなキメラだった。
どうやら迷宮の底、十二階層全域がキメラの縄張りのようだ。
十一階層へ移動する転移門を使うまでは、まったく安心できないと言うことだ。
「ガルルルルルルルルルーッ!」
「くっ……。いいよ。死んでやるよ。さあ、殺せ!」
オレは大剣を抜き放ち、その恐ろし気な怪物に突進した。
◇◇
漸く十二階層から十一階層へと転移したが、不調だ。
力が出ない。
背嚢や大剣が重くて、辛い。
魔獣と向き合って大剣を抜き、ここぞというタイミングで斬り付けるのだが、一撃で倒せない。
「ちっ、振り遅れている」
身体能力の低下は、オレにとって大問題だった。
オレは自他ともに認める脳筋であり、これまで鍛え上げた自分の筋肉を誇りにしてきた。
身体のでかさと筋肉の厚みで、素行の悪い冒険者を黙らせた実績もある。
そのオレが愛剣の取り扱いに難儀するなんて、あってはならないことだった。
「クヨクヨしても仕方がない。今すべきは毒蜘蛛への対策だ」
ここから七階層くらいまでが、インヴィジブルアラクネーの生息域だ。
名前の通り、姿が見えず、気配も探れない。
気づいた時には捕食されている。
だがしかし、対処方法は簡単で、松明が一本あれば事足りる。
「その松明がないんだよ」
無ければ作るしかなかろうと頑張っているのだが、闇森の迷宮には乾燥地帯がなかった。
火を熾したくても、乾いた樹皮や枯れ草が見つからない。
湿気を含んだ木切れでは、幾ら擦り合わせても火を熾せなかった。
「諦めたらいかん。為せば成る」
オレは無我夢中で、木切れを持つ手に力を込めた。
ボトッ!
「はっ!?」
オレが手にした木切れに、粘っこい液が付着した。
頭上から、ぼたりと垂れてきたのだ。
「ふざけんな!」
腹を立て、視線を上に向けたオレは、そこに景色の歪みを見た。
樹木が微妙に歪んでいる。
その歪みの境界線を目で辿ると、巨大な蜘蛛のような形が浮き上がった。
「はわわわわわ……」
木切れを放り出し、逃げようとしたオレの足に、強靭な糸が絡まった。
「やめろぉぉぉぉぉぉーっ!」
オレはインヴィジブルアラクネーの毒牙を食らって動けなくなり、巣穴にお持ち帰りされた。




