翻弄される第二王子:アルベール視点
あの日、あの時、ノエルが勝鬨を上げた瞬間、私は過去の呪縛から解き放たれた。
あれ以来、白い髪を風に靡かせた可憐な戦乙女の姿が、その鮮烈な立ち姿が、私の脳裏から離れようとしない。
「冥府からの復活か……」
牙鬼王の討伐が予定されたカンダモ平原には、死の匂いが漂っていた。
発生源はノエルだった。
私の母や乳母、幼馴染の許婚が殺された日にも、同質の幻臭に悩まされた覚えがある。
これもまた、私が授かったスキルの一つだろうか……?
死の匂い。
それは瑞々しく甘い、花の香りだった。
葬儀で死者に手向けられる献花。
身近な者の弔いを連想させる、切ない香り。
ノエルは死ぬだろう。
私は漠然と、そのように受け取った。
避けようのない悲しい運命として、負け犬の立場に甘んじた。
心が竦んでいたのだ。
何と戦えばいいのかも分からず、只々敵を巨大に見積もり、まるで他人事のように振舞って来たのだ。
王位継承権争いや貴族の派閥間闘争と牙鬼王の討伐は、何も関係ないと子供でも分かるだろうに。
霞が掛かった私の頭は、過去の出来事を捏ね繰り回すばかりで、今この瞬間の現実と向き合っていなかった。
無為に過ぎ去った時間は、もう戻らない。
「曲がりなりにも王子なのに、なんて情けない話だ」
望んでもいないのに第二王子として生を受け、それ故に正妃クリスティーナさまから疎まれ、虐げられた。
王太子フィリップの王位継承にさいして、私が障害になることを懼れての行為だろう。
未だに、暗殺者から命を狙われることが多い。
私には大それた野心などない。
だとしても、私についてきてくれる部下や、私を支持してくれる派閥の者たちに報いてやれないのは、違うと思う。
何より、不甲斐ない男と思われるのは、我慢がならん。
「レオミュールの惨たらしい死が忘れられず、これまで婚約者として薦められた令嬢たちを例外なく遠ざけてきた」
だが、今の私はノエル嬢が欲しい。
欲しくて欲しくて堪らない。
「牙鬼王を倒したノエルなら、私の横に居ても殺されることはあるまい」
私を排除せんとする者たちに、吠え面を掻かせてやりたい。
殺されても死なぬ娘を嫁に迎えて……。
「レオミュール……。君への裏切りになってしまうが、私は前に進もうと思う。ノエル嬢に求婚するよ」
私は幼馴染でもあったレオミュールの墓前に花を手向け、別れの言葉を告げた。
前に進むと、心を決めはしたのだが……。
問題は山積みだ。
「まず、ノエル嬢だが……。あれは男なのか、女なのか……?」
別れの間際に美しいドレス姿を見て、間違いなく女性だと確信していても、一抹の不安は残る。
これを払拭しておかなければ、プロポーズは難しい。
男に結婚を申し込む間抜けには、なりたくない。
◇◇
私は王都ロワイヤルにあるドラローシュ侯爵邸を訪れ、ティエリー卿からノエル嬢の情報を貰った。
「アルベール殿下は、ノエル嬢を正妻に迎えたいと……?」
「ああっ、そう言うことになるな」
「ふむふむ……。アルベール殿下が若い令嬢に関心を持つのは、とても喜ばしいことなれど、相手がノエル嬢となると……。難儀ですな」
「何故だ!?」
「殿下もご承知の通り、ノエル嬢は常識から外れていますから」
ティエリー卿は深く息を吐き、肩を落とした。
何があったのか、尋常でなく疲れているように見える。
しかし、今はティエリー卿の私的な事情に寄り添ってやる余裕などない。
私は急いているのだ。
「そんなことはどうでもいい。私が知りたいのは、ノエル嬢の性別だ。卿は依頼を受けて、ノエル嬢の戸籍を作ったのだろう。それなら、性別をどちらにした。男か女か……?」
「戸籍は作っていません。事実上、契約は破棄されました。こちらはキメラの魔核を受け取ってしまったのに、何も支払いが済んでいない状態です」
「それは、どういうことか?貰うものだけもらって、卿はノエル嬢との約束を反故にしたのか?」
「意図した結果ではありません。ノバック伯爵家から、横やりが入ったのです。ノエル嬢はノバック伯爵家の養女として、引き取られました」
「ようじょ……?養女か。それなら、性別は女でいいのだな」
「まあ、そうなります」
ティエリー卿は表情を隠すようにして、天井を見上げた。
ノエル嬢との結婚に賛成しかねるのかも知れないが、もう決めたのだ。
と言うか、ノエル嬢が心を許してくれるなら、如何なる障害も乗り越えて見せよう。
「先ずはデートか……。何とかして、さり気なく近づく方法を考えないとな」
「いやいや、難しいと思いますよ。男女の相性は、人格に因るところが大部分を占めます」
「そんなことは承知の上さ」
「例え相手が王子であろうと、拒絶される可能性はゼロと言えませんよ。何しろ、普通のご令嬢ではありませんからね」
「…………」
嫌なことを言う。
グチグチと煩い奴だな。
ノエル嬢の性別さえ分かれば、もうティエリー卿に用事などない。
ノエル嬢は王都ロワイヤルの貴族区画にある、ノバック伯爵邸に引き取られた。
タウンハウスには、オルタンス夫人が長期滞在しているらしい。
後は使用人だけだろう。
さて、どう接触したものか……。
ティエリー卿がノエル嬢を法的に確保しておけば、こんな苦労は無かった。
それこそ身内の貴族にでも養女として引き取らせてしまえば、既成事実を盾に取れたはず。
ああっ……。
オルタンス夫人の動きが、予想外に速かったのか。
ノバック伯爵家は王太子派でもあり、我々との関係が希薄だった。
オルタンス夫人にしても、どのような人物か知らなかった。
我々の油断があって、この厄介な状況を招いた。
「それにしても、やり口が強引ではないか?」
自分より格上の貴族に物申すのは、なかなかに厳しいものがある。
リネール王国の身分制度とは、そう言うものだからだ。
普通であれば、伯爵家が侯爵家に要求を通すなんて考えられない。
「リネール王国内で精霊使いをスカウトし、教育を施すのは、ノバック家の役目であり、権利だと……。『ノエル嬢は特殊な精霊使いだ』と言うことです」
「そんな決まりがあるのか……?」
「さあー、寡聞にして存じません。ですが先方の話によれば、『疑うならジェラール陛下に確認をしてもらっても構わない』と、そう申しておりました」
ティエリー卿はうんざりとした様子で、首を横に振った。
「当主の言か?」
「うーん、これがですね。ノバック伯爵家には難しいところがありまして……。国法に則るなら、現当主はフレデリック伯爵になります。オルタンス夫人の息子です。ではあるのですが、実質的な権力となりますと、オルタンス夫人に軍配が上がるでしょう。先代の当主も、調べてみたところ入り婿ですから……。まあ、そうした諸々の事情を差っ引いても、ノエル嬢を養女に迎える件はオルタンス夫人からの申し入れでした。手紙の署名はオルタンス夫人のもので、現当主であるフレデリック殿の名はなかったのです」
「当主が息子なら、実権は息子のものだ。どうして当主の判断を跨ぎ越し、養女を迎えられる?それは明らかに越権行為だろう」
私はティエリー卿の筋が通らない説明に、首を傾げた。
「ところがオルタンス夫人は桁違いの資産家でして、ノバック伯爵家が領地から得られる租税より稼いでおります。領地が災害などに見舞われた場合、オルタンス夫人の個人財産からノバック伯爵家に復興資金が貸し与えられる有様なのです。社交界などではオルタンス夫人の名を聞きませんが、古くから続く大きな商会と繋がっています。オルタンス夫人が望めば、それらの商会も間違いなく動くでしょう」
「どうしたら、そのようなコネクションが作れるのだ」
「オルタンス夫人は【予見者】だそうです」
「よけんしゃ?」
初めて聞く言葉だった。
「何でも、未来を見通す力とか……?商人にしてみれば、欲しくて堪らぬ力でしょう」
ティエリー卿は、そこで遠い目になった。
「なるほど、未来を予見する者で【予見者】か。何か証拠でもあるのか……?その……、先々のことを見通す力」
「実際にやられました」
「はぁ?」
「オルタンス夫人の用意した舞台で、踊らされたんですよ」
「卿がか……?」
「ノエル嬢と賢者アルマンド殿も一緒です」
「…………賢者アルマンド?」
パルマンティエ王家が探している、隣国からの亡命者だ。
「その賢者アルマンドとノエル嬢が、死の淵にあったセリーヌ姫を救ったんです。我々の派閥は、王太子派に大きな貸しを作りました」
「そんな大事なことをどうして私に伝えない?」
「ご領地に手紙を送りましたが、まだお読みでない?」
「あっ!」
執事から、そのような話を耳にした気がする。
だが、ノエル嬢の件があったので、後回しにしてしまった。
私の手落ちだ。
「賢者アルマンドについては、ここで聞かなかったことにしてください。また姿を晦まされたら面倒です」
「それはさすがに、不味くないか?王命に背くとか……」
「必要であれば、オルタンス夫人から手紙が届くことでしょう。今のところ、こちらは迂闊に動けないのです。セリーヌ姫の一件で、オルタンス夫人には大きな借りを作ってしまいましたからね」
ティエリー卿が、両手で頭を抱えた。
【予見者】か。
ここまでティエリー卿を困らせるとは、侮れん。
オルタンス夫人の介入により、我々の派閥は王太子派に対して貸しを作ることができた。
それは即ち、我々の派閥がオルタンス夫人に対して負債を抱えたことになる。
事前に了承がなかったと、オルタンス夫人の主張を突っぱねることもできた。
だが、それは愚策だろう。
貴族は貸し借り問題に煩い。
恩を仇で返せば、一発で信用を失う。
悪い噂が広がれば、我々の派閥は瓦解するだろう。
ティエリー卿もそこまで考えて、ノエルを手放したと思われる。
賢者アルマンドを巻き込んだのも、同様の理由があってのことだろう。
賢者アルマンドがセリーヌ姫を助けるさいに協力すれば、王家の覚えもめでたくなる。
亡命希望から一転して姿を晦ました件も、大目に見てもらえる可能性があった。
オルタンス夫人にしてみれば、我々と賢者アルマンド、そして王太子フィリップに恩を売る、一石三鳥の妙手だ。
「うーむ。随分と厄介な相手じゃないか」
「先ほどから、そう申し上げております」
「厄介ではあるが……。ノエル嬢との婚約、交渉の相手はオルタンス夫人だな!」
「そうなりますね」
私は短く頷き、ドラローシュ侯爵邸を辞した。
◇◇
「お帰りなさいませ、旦那さま」
「うむ。留守中に、何か変わったことは?」
「お手紙が届いております」
「この屋敷にか……?」
私は使用人頭であるホフマンの言葉に驚いた。
この【夜の静寂】と名付けた小さな屋敷は、私が王都ロワイヤルに用意した隠れ家の一つだ。
こうした隠れ家を何件か所有し、状況に応じて使い分けるのが高位貴族の流儀だ。
まあ、紳士方が王都に愛人を囲う方便ではある。
私にとっては刺客から身を隠す、文字通りの隠れ家だが……。
従ってルドヴィークの名義で購入し、使用人たちにも本名と身分を明かしていない。
単なる一冒険者であるルドヴィークに親しい友人はなく、誰かから手紙を貰うような覚えもなかった。
家名はない。
只のルドヴィークだ。
ここにアルベール・ド・パルマンティエ第二王子は居ない。
「こちらでございます」
「分かった」
私は防寒用の外套を脱いで小間使いに渡し、ホフマンから差出人不明の手紙を受け取った。
赤々と焔を上げる暖炉の前に移動し、椅子に腰かけてペーパーナイフを使う。
「旦那さま。熱いお茶を用意いたしました」
「ありがとう、ターニャ。そこのテーブルに置いてくれ」
寒い屋外から戻った時に、熱い茶が用意されている。
本当にありがたい。
ホッとする。
【夜の静寂】には狭いながらも行き届いた生活空間があり、ホフマンたちの仕事振りに感心せざるを得なかった。
「おや、どなたからの手紙ですか?」
従者のヴィクトルが、私を見て訊ねた。
馭者に扮したヤーヴェは、馬車を厩舎に戻すので戻っていない。
我ながら思うのだけれど、実に半端な役作りである。
一冒険者が屋敷だけでなく馬車まで所有しているなんて、まずあり得ない話だ。
それなら屋敷だけにしておけば良かったのだが、馬車のない生活なんて私には想像できなかった。
移動の手段がないと、不便すぎるだろう。
「…………っ!?」
「どうかなさいましたか?」
「手紙の差出人は、オルタンス夫人だ」
「…………」
ティエリー卿の焦燥ぶりに合点がいった。
この先回りには、交渉相手を委縮させる効果があった。
これはもう攻撃だろう。
「私の偽名も、この隠れ家も、細かな行動予定も、すべてお見通しと言うことか」
「手紙にはなんと……?」
「冒険者ルドヴィーク宛ての手紙だ。冒険者ギルドで、ルドヴィークに指名依頼を出したとある。依頼内容は、写像技師を首なし騎士の城塞で護衛すること。写像技師の目的は、首なし騎士と特定の冒険者を撮影することだそうだ」
「それだけですか?」
「その冒険者と言うが、ノエル嬢なのさ」
これは依頼を受けるしかない。
悟り澄ました不愉快な誘いであろうと、そこさえ我慢すればノエル嬢に会えるのだ。
相手も私が飛びつくと分かって、釣り糸を垂れている。
「うわぁー、そう来たか……。未来を見るなんて与太話が、一気に真実味を帯びました。これは実質上の見合いでしょうか?」
「さあね。その場で写像技師が、釣書をくれるのかも知れない」
私は益体もない自分の冗談に、薄く笑った。
当人と会うのに、釣書はない。
いや、写像は欲しいけれど。
ノエル嬢の儚げな姿を自室に飾り、ずっと眺めていたいけれど。
それはポートレートだ。
釣書ではない。
「まさに至れり尽くせりですな」
ヴィクトルが呆れたように、目をぐるりと回した。
そうしてから、護衛らしく疑いの視線で使用人たちを盗み見る。
ヴィクトルよ。
多分、この屋敷に間者など居ない。
私たちが予見者の手のひらで、踊らされているだけだ。
唯一の救いと言えば、私の願望を応援してくれているような、オルタンス夫人の配慮であった。
しかし、これもまた『予見者の仕掛けた罠ではない!』とは、言い切れなかった。
「くっ、忌々しい。疑心暗鬼に、ごっそりと精神力を削り取られる」
短い期間にティエリー卿が窶れてしまったのは、確実にオルタンス夫人のせいだろう。
これを敵に回す者は、バカだ。
精神をやられる。
「指定された日時は、三日後か……」
冒険者ギルドで写像技師をピックアップする日だ。




