出戻り、ノバック伯爵家の養女になる:ノエル視点
【予見者】である母上の仕込みにより、アルベール殿下を支持する派閥はフィリップ王太子に貸しを作った。
大きな貸しである。
先方の依頼でセリーヌ姫を救い、王家に仕えていた魔法医師団から裏切り者を炙り出したのだ。
王太子と第二王子の間にあった緊張感は、大分薄れたと考えてよいだろう。
全てはドラローシュ侯爵の功績だった。
お手柄である。
という訳でドラローシュ侯爵は、我が母上にデッカイ借りを作ってしまった。
『助力なんて頼んでいないヨ!』と言い張るには、借りが大きすぎた。
「済まないノエル君。オルタンス伯爵夫人が、毎日のように手紙でせっついて来るんだ。早くノエルを返して欲しいと……」
「構いませんよ。わたくしは厄介者の居候ですし……」
「ああっ。そんな言い方をしなくても……。私としては、いつまでも我が家にいて欲しいくらいなのに……」
「新しい魔核の件でしたら、要相談で請け負いましょう。王都の付近にも迷宮があるようですし」
「本当かい。いやー、それは素晴らしい」
アマンダと颯香が、ドラローシュ侯爵を生暖かい目で見つめていた。
「やれやれ……。侯爵さまも予見者には勝てんようだ」
「ですね」
これは貸し借りの問題なので、相手より身分が高くても何かを返さなければならない。
だけどドラローシュ侯爵が母上に返せるものと言えば、オレしかなかった。
何しろ母上が、オレしか望んでいないのだから。
クレアを迎えに行ったカルロスは、嘸かし驚くことだろう。
急いで侯爵家に戻ってきたら、オレは居ない。
「短い間ですが、色々とお世話になりました」
玄関ホールで別れの挨拶を口にする。
「それでは、失礼いたします」
オレは手荷物一つで馬車に向かう。
風花たちを詰め込んだ、革のスーツケースだ。
見送りに立つ、エレーヌ侯爵夫人とニコラさまの寂しそうな目つきが、印象に残った。
ドラローシュ侯爵はオレを箱馬車に乗せ、ノバック伯爵家のタウンハウスへと送り届けさせた。
侍女と護衛のおまけをつけて……。
◇◇
「あらあら、まあまあ、なんて可愛らしいお嬢さんかしら……。ノエルさんでしたね。わたしの名前はオルタンス。今日から、わたしがあなたのお母さまよ」
「母上……?」
オレはノバック伯爵家の玄関口で、十数年ぶりに母上と再会し、固まった。
なんで、初対面の挨拶なんだ……?
これは何かの冗談か。
「しっ!あなたは、かつてのノエルじゃありません。あの子は冒険者をしていて死にました」
母上はオレを抱き寄せ、素早く耳元に囁いた。
「あなたは他人。養女のノエルなの……。そうでもしないと、ローランを納得させられないのよ。自分の息子が娘になって戻ってきたなんて、あの世間体ばかり気にするアホに受け入れられるはずがないもの」
ローランは父上の名だ。
母上にかかれば、あの融通が利かない頑固親父も、アホの一言で済まされてしまう。
「なるほどー」
飽くまでオレは、精霊使いの才能を見込まれて母上に拾われた、養女のノエルらしい。
オレが実子としてノバック伯爵家に戻れば。
父上だけではなく、オレを虐めていた二人の兄たちも敵に回るだろう。
過去の柵など、ない方がよいに決まっている。
面倒くさいからな。
何だか母上と話していたら、父上や兄上たちから蔑まれて暮らした辛い日々が、茶番のように思えてくる。
「よぉーく分かりました」
「えらいわ。ノエル。それで、その娘はあなたの侍女かしら?」
「はい。身の回りの世話を任せている颯香です」
「お初にお目にかかります。颯香と申します。よろしくお願いいたします」
「フウカね。ノエルの世話を頼みます」
「心得ました」
颯香が可愛らしくカーテシーをした。
「そちらの男衆は?」
「わたくしの護衛です。五人の代表者が虎落笛。颯香の兄です」
「オルタンス伯爵夫人におかれましては、ご機嫌麗しく、喜ばしい限り。拙者が、只今ご紹介に預かった虎落笛でござる。お見知りおきを……」
黒いキモノを着た虎落笛とその一行が、床に跪き、首を垂れた。
「モガリブエ?兄妹そろって、変わった名前ですこと……」
「異国の名でござる」
「東方の部族かしら?」
「はっ。慧眼、感服いたした。祖国は海を渡った先でござるよ」
虎落笛が顔を上げ、遠い目で東の彼方を見つめた。
「護衛の件、頼みました」
「ははっ。承知仕りました」
「エルヴィーラ、モガリブエたちを宿舎へ。エルケ、フウカを侍女の部屋に案内しなさい」
「「はい、オルタンスさま。承知いたしました」」
壁際で待機していた二人の小間使いが、母上の横に進み出た。
「こちらへどうぞ」
エルケが颯香を屋敷の奥に。
「あなたがたは、こちらです」
エルヴィーラが虎落笛たちを中庭の方へ、引き連れていった。
「さてと、わたしたちはお茶でも頂きましょうか。美味しいケーキを用意してあるの」
「はい」
久しぶりに会った母上は、別れた時と寸分違わぬ若さを維持していた。
どう頑張っても、既に孫がいる婦人には見えない。
こうなると世間から、仙女とか妖精とか妖怪とか噂されるのも仕方なかろう。
自分を棚に上げておいてなんだが、母上はバケモノだった。
「これはこれで楽しいのだけれど、ちょっと違うのよね」
そう言って、母上はため息を漏らした。
お茶もケーキも美味しいのに、何の不満があるのか?
「やっぱり、母娘でお茶を飲んでも、お茶会とは言えないわ」
そこかよ。
そう言えば母上は、昔から『お茶会お茶会……!』と騒がしかった。
「そうよ。お客さまをご招待しなくちゃ。そのためには、社交界デビューよ。あなたはパーティーで、同世代の友人をたくさん作りなさい」
「ええっ!」
母上が、とんでもないことを言い出した。
オレはタウンハウスの二階に、自分の部屋を与えられた。
まあ、本来なら実家になるので、自室があるのは当然かも知れない。
だけどオレに用意された部屋は至れり尽くせりで、母上の執念がちょっと怖い。
漸く手に入れた娘を絶対に逃がすまいとの決意が、その豪華さから透けて見える。
陽光が差し込む窓際には、クラフト作業用のスペースが設けられていた。
玩具のように小さな機織り機は、織姫が使用するものだろう。
糸車も、初めて見るような小さいサイズだった。
作業デスクに備え付けられた大量の抽斗は、精霊たちが持ち寄った素材を保存するのにピッタリだ。
親切なことに、ボタンやビーズ、クズ魔石なども、チェストに備蓄されていた。
針や刺しゅう用に染められた糸まで、完璧に揃っているのだ。
これでは『買い物に行くな!』と言わんばかりだ。
「ここまでくるともう、気遣いと言うより示威行為だな」
アマンダから教えられて、母上は【予見者】だと知った。
こうして部屋を用意されると、『はぁ、なるほどね!』と腑に落ちる。
それだけにオレの自由が危うい。
「ウーム。ラクロットを見つけても、復讐の旅に行かせてもらえるかどうか……?」
かなり不安である。
どのような種類でも構わないから身分証明書を手に入れたいのだけれど、母上の駄目だしが怖くて言い出せない。
いやマジ、ガキみたいで情けない話だよ。
でも、オレは母上に弱いのさ。
「ムムムッ……?」
テーブルの上に長方形の木箱が置いてあった。
「懐かしいなー。クラヴィコードだ」
クラヴィコードは小型の鍵盤楽器である。
母上の離宮で暮らしていたとき、音楽教師にレッスンを受けた。
「結構、覚えているもんだな」
木箱のフタを開けて、子供の頃に暗譜した曲を演奏してみたら、ちゃんと指が動く。
滑らかに鍵盤を弾いていると、オレの横で風花が踊りだした。
「あれっ、何の音ですか……?」
ワゴンを押して茶器を運んできた颯香が、部屋の入り口で固まった。
「フワッ。本物のお姫さまだ!?」
「えっ?」
そのまま颯香はワゴンを置き去りにして、どこかへ走り去った。
「んー。真面目に考えてみると、鍵盤楽器って珍しいよな」
資産家であるカルロスの屋敷にも、鍵盤楽器はなかった。
本格的な楽器を置いてあるのは教会とか、高位貴族の屋敷くらいだ。
あとは音楽家や吟遊詩人でもなければ、弦楽器であるリュートに触れる機会さえない。
大抵の場合、人々の演奏経験は露店で買った笛を吹く程度で終わる。
かく言うオレだって、冒険者をしていた時には収穫祭の時くらいしか音楽に触れなかった。
してみると、颯香がオレをお姫さまと思ったのは、故あってのことだ。
「こんなもんを自室で奏でるのは、お貴族さまくらいのものかぁー」
伯爵家の娘イコール、お姫さま。
別に間違ってはいない。
颯香が正しい。
「くそっ!母上に頼んで戸籍の写しを貰うはずなのに、オレはクラヴィコードを弾いている。これは、どういうことだよ!?」
久しぶりに弾くクラヴィコードの音色は、オレを夢中にさせた。
焦る心を音楽に宥められながら、オレは母上の偉大さに眩暈を覚えた。
オレが王都の冒険者ギルドを訪れるのは、もう少し先のことになりそうだった。
翌日の朝方。
水禍がズタボロに傷ついた精霊を連れてきた。
ノバック家に引き取られて一晩しか経っていないのに、早くも事件である。
「これは酷い」
水禍に連れられてきた精霊は、かなり高位な存在に見える。
霊素は清水のように澄んでいて密度が高く、何やら拝みたくなるような品格を漂わせている。
その美しい霊体が汚らしい邪気に侵され、所々醜い染みとなり、悪臭を放っていた。
「可哀そうに、わたくしが助けてあげるからね」
こんな事態を予測してオレと織姫で作った緊急治療用の繭が、実験的に投入された。
何のことはない、インヴィジブルアラクネーの糸を織って拵えた布で繭玉状の憑代を作り、クズ魔石をギッシリと詰め込んだものである。
今にも消えてしまいそうな精霊を緊急治療用の繭に収納したら、部屋の隅で安静にしてもらう。
繭には手足がないので、中の精霊も寝ているしかなかろう。
「誰にやられたんだ?」
居間のテーブルに置かれたロワイヤルニュースが、オレの疑問に答えをくれた。
「はぁー!?――エドヴィン通りにて、十二体の遺体が発見される。被害者はびしょ濡れの状態で、死因は溺死だった。辺りには川も池もなく、謎の不審死である。なお被害者は全員男性。顔を隠すフード付きの長衣を着用。所持品から、ユストゥス教団の信徒と思われる。治安維持部隊のコートネイ隊長は、魔法使いによる犯行と見て捜査を続けると語った――」
オレは水禍を睨んだ。
〈……〉
水禍は、ふいっと視線を反らした。
何らかの理由で、ユストゥス教団が精霊を襲っていた。
それを見かねた水禍が割って入り、ユストゥス教団の襲撃者を一網打尽。
で、傷ついた精霊をオレのもとに連れ帰ったと言うところか。
「ユストゥス教団かぁー」
理由はどうあれ、厄介な連中と関りを持ってしまった。
「殺しちゃったのね」
〈……キュッ〉
胸を張って頷く水禍は、とても誇らしげだった。
信徒の殺害とか、謝っても取り返しがつかないので、コートネイ隊長に捜査を任せて、知らんぷりを貫こう。
だって邪教集団とか得体が知れないし、すっげぇー嫌じゃん。
仕返しが、おっかないわ。




