恩恵とリスク:ドラローシュ侯爵視点
私はカルロスが持ち込んだ生きた魔石(魔核)を手に取り、言葉を失うような衝撃に見舞われた。
当然ながら、この貴重な試料を持ち込んだ者に強く好奇心を刺激された。
『これを持ち込んだ者は、どのような手段で生きた魔石を入手したのか……?』
『それを探索者に訊ねるのは野暮と言うものです。しつこく追及すれば機嫌を損ねてしまうでしょう。最悪の場合、逃げられます』
『なるほどな。では、もっと手に入るのか……?』
『これは闇狼の魔核だそうです。取引相手は、キメラの魔核を二つ所持しておりました』
『なんということだ。それは買い取れそうか?』
私は柄にもなく、テーブルから身を乗り出してカルロスに訊ねた。
キメラの魔核が二つだと……!?
それを聞いて興奮せずにいられようか。
研究試料は多い方がよいに決まっているからな。
『先方は安全な販売手段を持たぬ遊民なので、ほぼ確実に……』
私の疑問にカルロスは頷いた。
『でかした。それで如何ほどになりそうか?』
『金貨ではございません。ノエルの名で、正規の身分証を用意して欲しいと申しておりました』
『正規の身分証明書となれば、必要になるのは戸籍か。戸籍を作るくらい容易いこと……。だが買い叩いたとあっては、私の沽券に係わる。言い値で払うと伝えてくれ』
『仰せの通りに』
これをカルロスのもとに持ち込んだノエルと名乗る人物は、新しい身分証明書を欲しがっているらしい。
よろしい。
そのくらいなら幾らでも対応できる。
『今時、珍しい。欲のない男だな』
『いいえ。ノエルは女性です。と申しますか、小柄な若い娘です』
『……はぁ!?』
驚いたことに魔核を手に入れた冒険者は、うら若き娘だった。
しかも屈強な男性冒険者が、数十日の間に姿と性別を変えたのだと言う。
気心の知れたカルロスの言ではあるが、幾ら説明されたところで信じられない。
だが驚くべき話は、更に続いた。
カルロスの管理区画に、賢者アルマンドが潜伏していると言うのだ。
賢者アルマンドはナバロ神聖皇国からの政治亡命者であり、重要指名手配人物にされていた。
今もパルマンティエ王家は、賢者アルマンドの目撃情報に多額の賞金を懸けている。
伝え聞く話によると、ナバロ神聖皇国に於いて精霊使いの長であり賢者となれば、一個人で連隊並みの戦力を持つらしい。
連隊とは、数千人規模の兵を擁する戦闘集団である。
賢者の称号は、伊達や酔狂で名乗れない。
これは我々の派閥にとって、最強の切り札となるだろう。
その噂が真実でなくとも、他派閥に対する中長期的な抑止力となればよいのだ。
それにしても、どうして今このときなのか……?
生きた魔石と賢者アルマンドには、なにがしかの関係があるのだろうか……?
どうしても同時性に、見えざる意図を勘ぐってしまう。
『ううむ。理論的根拠の欠如。このモヤモヤとした不明瞭さを晴らすには、経験則と直感を頼るしかないのか』
言うなれば、潮の変わり目に近い。
何やらパワーバランスが、大きく変わったように感じられる。
一見して脈絡のない事柄が同時に起こる背景には、何か大きな力が働いているはずなのだ。
『だが、この件に関しては保留せざるを得んな』
推論を構築するには、如何せん情報が足りなかった。
現状で分かっているのは、私の都合だけ。
生きている魔石は、金貨を山と積み上げても手に入れたい。
そして、どのような手段を用いても、賢者アルマンドは手元に置きたかった。
このとき、そう私は考えた。
近い未来に訪れるであろう難局を考えたなら、隠しておける切り札は何枚でも欲しかったからだ。
私はカルロスに、その場で二枚の旅券を用意した。
我が領内を移動するさいに、身分証明書の代わりとなる許可書だ。
◇◇
カルロスに伴われて現れたノエル嬢を見たとき、私の推論スキルは完全に機能を停止してしまった。
その姿が、余りにも想定と違っていたからである。
牙鬼王を一撃で仕留めた最強の冒険者は、深窓の令嬢とでも呼ぶべき色素の薄い乙女だった。
綺麗に結われた髪は白く、今にも泣きだしそうな瞳は夕暮れ空のようなラベンダー色。
身体は華奢で、どこにも武人のような強かさを感じさせない。
可憐に腰を落とす宮廷風の挨拶は、『これのどこが冒険者だ!?』と思わせるような、非の打ち所がない完璧さである。
儚げな美しい花。
そう評すべき娘だった。
だがノエル嬢は、単に美しいだけの乙女ではなかった。
煉獄百足を生で食べたことがあると言い張る。
あの猛毒で有名な煉獄百足だ。
『冒険者だから……』で済まされる話ではない。
そもそも、その冒険者云々からして信じられなかった。
だから我が騎士との交友試合を所望してみた。
ブランダイスが引退して、はや五年になる。
だが、今なお腕のほどは確かだった。
ノエル嬢がブランダイスの剛剣を一合でも受けられたなら、カルロスの報告も信じよう。
だがノエル嬢は、私の頼みを拒絶した。
『試合は嫌です』
そう口にしたノエル嬢の顔色は、蒼白だった。
ふと覗き込んだ瞳に、救いのない深淵が映り込んでいた。
否。
私には、そのように見えたのだ。
決して逆らってはいけない何かが、透き通った諦観の底に潜んでいた。
強い目だ。
私は触れざるべき領域に足を踏み込んでしまった畏れに、激しく動揺した。
『いや。無理強いをしてしまったようだな。嫌なら、それで構わん。だから、泣かないでくれ』
私の口から、益体もない言葉が衝いて出た。
よりにもよって、泣かないでくれか。
怖ろしくて泣きそうなのは、私の方だった。
ノエル嬢は私に妥協したのか、投擲術を披露してくれた。
ここに至り、とうとう私は絶句した。
可憐な令嬢の手から無造作に放たれた鉄球が、頑強なプレートメイルを打ち抜いたのだ。
しかも三箇所同時に……。
明らかに見た目と中身が違った。
私の推論スキルが、ノエル嬢の戦闘力を大幅に上方修正した。
◇◇
何はともあれ、事情聴取である。
情報を集めなければ、何も判断はできない。
ノエル嬢を問い詰める勇気はないので、カルロスと賢者アルマンドから話を聞こう。
私は幾つかある談話室の一室に二人を招き、ノエル嬢についての説明を求めた。
「あれは何だ!?」
「ノエルのことでしょうか?」
「そうだ。言わずと知れたノエル嬢のことだ!」
苛立ちを含んだ私の声に、カルロスが首を竦めた。
「だから神子だと言うただろう」
横合いから、呆れたように賢者アルマンドが口を挟む。
「神子だと……」
その一言で済まされて堪るか。
ノエル嬢が放った鉄球は、途中から速度を増しているように見えた。
いや、確実に加速していたし、途中でコースを変えた。
そこからしてあり得ない話なのだ。
「ノエルはノバック伯爵家の三男坊だ。こう言えば分かるかい?」
「ノバック伯爵家……。王家が秘密にしている、精霊使いの血筋か……。確か現当主と次男も、魔法の巧手だと記憶している」
「ああっ、あれは精霊魔法だよ。四大精霊を身に宿した半端者だけどね」
「フレデリックとレイモンが半端者か!?あれらは優秀な近衛騎士だったぞ。とても優秀な魔法剣士だった。そして残念なことに、第一王子派だ」
「ノエルは兄たちと違って、精霊との完全な融合を果たしておる。人を超越した神子なのさ。あたしはノエルに仕える司祭だよ」
もし賢者アルマンドの話が半分でも事実なら、ノエル嬢は手元に置いておきたい。
ノエル嬢さえ篭絡できれば、賢者アルマンドは付いてくる。
だが、念のために確認はしておこう。
「ノエル嬢が賢者アルマンド殿を従えているのか……?」
「そうでもなくば、あたしが姿を見せるなんてあり得ないさ。せっかく上手く隠れていたのに、アホらしい」
当初は魔核と身分証明書を交換すれば終わる、簡単な話だった。
戸籍に関しても、ドラローシュ侯爵家から何らかの功績を認められ、平民の身分を与えられたことにすればよかった。
実際、ノエル嬢は牙鬼王を討伐したのだから、平民に取り立てたところで何も問題はなかった。
それなのに賢者アルマンドの登場で、どんどんと話が厄介になって行く。
そもそもノエル嬢を平民にしておいてよいのか……?
平民は自由すぎるだろ。
「放置して、また冒険者になられてもなー」
「当人は、もう以前のように戦えないと申しています」
「牙鬼王を倒してか?」
「………………」
「我々に隠している力がある。そう考えた方がよかろう!」
カルロスの態度を見る限り、こいつも何かを隠していそうだ。
と言うか、私の推論スキルが邪魔をして、カルロスの報告を聞き逃している可能性もありそうだ。
特に重要なポイントを……。
「悩んでおるのぉー」
「我が家に賢者殿が来訪なさったことで、希少な素材を手に入れるだけの話が大事に変わってしまった。ノエル嬢の扱いをどうすべきなのか、私には決められない。約束していた身分証を作るにしても、平民の身分ではね。有事のさい、協力を要請したい場面で、拘束力が弱すぎる」
「あれを手元に置きたいのかい?」
「当然ではないか……。ノエル嬢には、賢者アルマンドがついてくるのだろ!」
「アハハッ……。だったら。いっその事、養女にでもしてしまえ」
「グヌヌヌヌッ……!」
賢者アルマンドめ。
他人事だと思って好き勝手を言う。
「ノエルを囲い込むなら、嫡子であるジュリアンの嫁に迎えるのがよいぞ」
「フムフム。なるほど、若い男女と言えば婚姻ですな。まあ当人を説得するのは、至難の業でしょうが……」
「男とか女とかを超えて、侯爵家の家格は冒険者と比較にならん。先々のことを考えるなら、ノエル嬢だって心が揺れるはず」
だが、遊民や平民を侯爵家の嫁にはできない。
数年ほど派閥内の子爵家にでも養女として預け、しかる後にジュリアンと婚約させる。
だが旨くいきそうな気がしなかった。
「ウーム、駄目だ」
ジュリアンでは貫目が足りない。
「ノエルの中身は三十過ぎの男なれど、容姿が容姿だからね。あれほど美しければ、アホな男どもは中身なんてどうでもよかろ。社交界に出せば、求婚者がウンカの如く寄ってくるさ」
「それな……。一見して儚げな風情の娘だから、勘違いした自称貴公子たちが群がるぞ。間違いない」
カルロスも賢者アルマンドの台詞に頷いた。
「して、ノエル嬢の強さは、どの程度と見る?」
「さあ……。比較が牙鬼王しかありませんので……」
「少なくとも、あたしより強いのは確実だろうさ。ノエルは精霊の力を使える」
賢者アルマンドの説明により、カルロスの報告に信憑性が付与された。
そう言えばモンスター討伐の話は、アルベール殿下からも耳に胼胝ができるほど聞かされていた。
冷静に考えてみたら、ノエル嬢の見た目に衝撃を受けて、私が事実を認められずにいるだけかも知れない。
少なくともノエル嬢が無造作に放った弾丸は、プレートメイルを貫いたのだ。
「精霊との完全なる融合……。その力があれば、ノエル嬢でも牙鬼王を倒せるんだな?」
「ノエルなら、やり方次第で邪竜さえ仕留めるだろう」
「ううむ。想像もつかないな」
「あの外見だからね。騎士のように、剣を振り回して戦うわけじゃないよ」
賢者アルマンドは揶揄うように私を一瞥してから、茶を啜った。
「なるほど……。ところで、神子と言うからには、ノエル嬢にも仕える神が居るのだろ?」
「あれが仕える主は、大いなる意思だ。当人が自覚しようとすまいと、大いなる意思の重要な手駒にされている」
「フムッ。大いなる意思か……。聞いたことがないな。神々が好む名とも思えんし」
「あんたも大いなる意思の駒だよ」
「私が……?」
「この世の万象を統べる摂理は、ナバロ神聖皇国で起きた内乱を問題視しているのさ。居場所を奪われた精霊たちは、避難所を求めている。それを用意するのが、あたしらに与えられた使命だ。あたしに言わせれば、あの子の身分証なんてどーでもいい話さ」
賢者アルマンドの説明は理解不能だ。
魔法学に関しては幾らか自信もあるのだが、精霊となると基礎知識が絶望的に足りない。
こうなれば何としても、精霊について学ぶしかあるまい。
私が頭を抱えたところに、コンコンと扉を叩く音がした。
「どうした?」
「ご主人さま。今しがた、ノバック伯爵家の従者が手紙を持って参りました」
「手紙……?」
「オルタンス伯爵夫人からの親書と思われます」
「………………!?」
なんで、このタイミングなのか……?
「やれやれ。やはりオルタンスが介入してきたかい」
賢者アルマンドが脱力して、椅子の背もたれに寄りかかった。
「分かった。手紙を渡してくれ」
「承知しました」
執事のポルナレフは、談話室の扉を開けて一礼すると、銀のトレーに載せた手紙を恭しく差し出した。
私は震える指先で手紙を摘み、封蝋の家紋を確認してからペーパーナイフを滑らせた。
この不自然さは何だ!?
オルタンス伯爵夫人は、我が屋敷に間諜でも忍ばせているのか……?
手紙の文面を目で追う内に、得体のしれない不安と恐怖が背筋を這い上がってきた。
「何が書いてあった?」
賢者アルマンドが、忌々しげに鼻を鳴らした。
どうやら賢者アルマンドは、オルタンス伯爵夫人について詳しいようだ。
「くっ……。オルタンス伯爵夫人が、ノエル君の親権を主張してきた」
「オルタンスは何と言っている?ノエルの話によれば、実家との縁は切れているはずだよ」
「よんどころない事情により籍は抜かれてしまったけれど、ノエルは明らかに実子であるから改めて養女として引き取ると」
「はぁー。どうやらオルタンスに、譲る気はなさそうだね。それはもう、ノエルを共有するしかないよ」
「いやいや。こんなムチャは、拒絶するに限るだろう!」
私は手紙をテーブルに叩きつけ、柄にもなく声を荒げた。
冷静さを装いたいのに、隠せないほど動揺していた。
「オルタンスを舐めると、手酷い目に遭わされるよ。それより、たっぷりと恩を売って味方につけな。精一杯、ご機嫌を取るんだ」
「………………!?」
私の推論スキルは『否!』と唱えていたけれど、直感が『逆らうな!』と告げた。
こんなことは初めての経験だった。
私はオルタンス伯爵夫人の不気味さに、心を折られた。
それがどれほど理に則した判断であろうと、恐怖には勝てない。
あり得ないことが連続して起きると、推論スキルの有用性は損なわれる。
おそらく正しい推論を構築するために必要な要素が、ごっそりと欠落しているのだ。
それを埋めるまでは、推論スキルに頼ることができない。
新しい知識の補充が急がれる。
「その……。侯爵さま」
「なんだカルロス?」
「ノエルはクレアと申す治癒師とパーティーを組んでおりまして、冒険者をしていた頃からの知り合いだそうです。あるいは、その娘を味方につけたなら、ノエルとの繋がりを強化できるのでは……?」
カルロスが自信なさげに、ボソボソと小さな声で提案した。
ずっと黙っていると思ったら、カルロスなりにオルタンス伯爵夫人への対抗策を考えていたのだろう。
「悪くないね。てか、やれることは全部やっておきな。カルロスの暗部も動員して、昼夜を問わずに護衛させな。オルタンスのところでノエルを孤立させないように、複数人で囲むんだ」
賢者アルマンドが、カルロスの案を推した。
「連れて来い」
「はっ」
「その治癒師とやらを丁重にお招きしろ」
「ははっ!」
「闇烏の精鋭を選び、ノエル嬢の専属に任命しろ」
「承知しました」
「とっとと動け!」
私はカルロスを怒鳴りつけた。
八つ当たりである。




