王都ロワイヤルに、待ち受けていたもの:ノエル視点
ティエリー・ド・ドラローシュ侯爵の城は、ドラローシュ地方にあるラマール湖の湖畔に建っていた。
だが、オレたちはラマール湖をぐるりと迂回して、王都ロワイヤルに向かった。
ドラローシュ侯爵が用意してくれた二枚の旅券は、ドラローシュ侯爵領を出てからも有効だった。
王都ロワイヤルを訪れるのは、これが初めてのことだった。
ノバック伯爵家に嫌気がさして飛び出したけれど、冒険の旅路はマナドゥの町で終わった。
蚤の市で発見した世界秘宝大全が、原因だ。
それ以降、オレはマナドゥの町と闇森の迷宮を行ったり来たりだ。
だからマナドゥの町を幾つも合体させたような、王都ロワイヤルの大きさに腰を抜かした。
平地に築かれた王都ロワイヤルは、人民の流入を受けて膨張と区画整備を繰り返し、超巨大都市へと成長を遂げていた。
都市を守る囲壁は常に増築中であり、完成の目途は立たない。
王都ロワイヤルの外周は、文字通りのカオスだった。
雑然と並ぶ建物群は危なっかしく、命知らずの物売りが馬車を止めようと走り寄ってくる。
幼い子供や老人、身体が不自由なものなど、物乞いの数も半端ない。
警邏隊も、この無秩序な混乱地帯を治め切れないのだろう。
こうなると馬車に護衛がつく理由も分かる。
「ここで馬車を止めたら、どうなるのかなぁー?」
「大変なことになるな!」
カルロスがオレを睨みつけ、厳しい口調で答えた。
そんな怒らんでも、馬車を止めたりしないって。
オレにだって、ここで馬車を止めたら起きそうな事態くらい、想像できます。
「聞いてみただけなのに……」
「護衛の剣士たちが棍棒を振り回しても、連中は飛び掛かってくる。もう、魔物と変わらん」
「事故が起きそうだよね?」
「起きそうではなく、日常茶飯事だ」
「そうなんだ」
体臭をごまかす強烈な香の匂い。
古くなって傷んだ肉や野菜くずが放つ、不快な異臭。
わーんと唸る騒音でしかない、人々の声。
もう冬を迎えるというのに、下町通りには熱気が渦巻き、どこもかしこも人人人、人の群れだ。
繁華街を歩けば、確実に同行者と逸れ、迷子になるだろう。
犯罪に手を染める連中も、そこかしこに居そうだ。
唯一の救いは、都市が大雑把な円の構造を持っていて、中心部に向かうほど位の高い人々が利用する区域となることだ。
都市の中央に聳える美麗な建造物が、ドゥレビール王城である。
そこさえ目指せば、取り合えず問題はない。
囲壁の門を一つ越えると、漸く秩序が戻ってくる。
サボイア家の馬車は王都ロワイヤルの第三層に到着し、高級そうな宿屋が建ち並ぶガルシア通りをゆっくりと走った。
「領地の管理は、弟のジョルジュさまがなさっている。ドラローシュ侯爵さまは、ご家族そろって王都にお住まいだ」
「ご子息は……?」
「ご嫡子のジュリアンさまは、ボーランジェ貴族学院に修学なさっておいでだ。次男のニコラさまは六才になられたばかりで、タウンハウスにいらっしゃる」
身体の緊張を解き、座席の背もたれに上半身を預けたカルロスが、簡単に状況を説明してくれた。
「注意すべき点は……?」
「ティエリーさまに何をされようと、本気で怒鳴るんじゃないぞ!いいか、相手は侯爵さまのご子息だからな。子供でも、オマエより偉いんだ」
「あら、いやですわ。子供相手に怒鳴るなんて……。そんな大人げのない真似、した覚えがございませんわ」
オレはカルロスからスッと視線を逸らせた。
「今回、我々が訪れるのは、ドラローシュ侯爵さまのタウンハウスになる。だが、その前に宿屋で一泊だ」
ドラローシュ侯爵の屋敷を訪問するには、まず相手方の都合を伺わねばならなかった。
オレたちは宿屋で待機だ。
「謁見かぁー」
「颯香。ノエルの身支度を頼むぞ」
「お任せください、殿」
颯香が自信満々で請け負った。
オレも身支度をキチンと整えなければいけない。
ここまでの旅で着ていたドレスは、言うなれば普段着みたいなものだ。
オレが嫌がるので、コルセットは省略されているし、靴も踵のない歩きやすいブーツだった。
「タウンハウスって、社交シーズンにお貴族さまが滞在するお屋敷ですよね?」
「そうなんだが、ドラローシュ侯爵さまは王立魔法研究所に投資している関係もあり、王都から一歩も離れたくないらしい」
「うわぁー。そこまで魔法がお好きなんですか?」
「ああっ。魔法博士たちと対等に議論できるほどの、学術的な知識をお持ちだ。むしろ王立魔法研究所の所長でないのが、不思議なくらいだ」
「すごいですね」
オレは感心したように頷いて見せた。
「フンッ。政権争いに巻き込まれたくないから、魔法研究にしか興味がない振りをしているのさ。計算高くて用心深い、とんでもない策士と見たね」
アマンダは細鎖で吊り下げた小さな水晶玉を覗きながら、ドラローシュ侯爵の人物像について語った。
「ばっ、婆さん……。余計なことは、ノエルに吹き込まんで貰いたい」
「やれやれ、仕方のない男だね。ノエルだって実際は気づいているけど、アンタに話を合わせているだけさ」
アマンダがオレを見て、ニンマリと笑った。
せっかくモノを知らないアホな冒険者を装っているのだから、やめて欲しい。
「グヌヌヌヌッ……。本当かノエル?」
「えぇっ!?ナンノコトデショウ……?」
「………………」
オレの拙い演技では、どうやらカルロスを騙し切れなかったようだ。
カルロスは苦々しい顔で腕組みをし、黙り込んだ。
「アンタもさぁー。ノエルがノバック伯爵家の出身だと、知っているだろうに……。もと冒険者だからって、粗野で粗暴で、何も知らんと決めつけるのはどうなのかね……?こいつの中身は、辺境貴族の三男坊だよ。お貴族さまのえげつなさに音を上げて、跡目争いから逃げて来た負け犬だ。アンタが隠しているようなことは、先刻承知だと思わないか?」
薄気味の悪い婆さまである。
他人の過去を勝手に吹聴するのは、マナー違反だろ。
「アマンダ。わたくしの過去をタロットカードや水晶で占うのは、やめてください。カルロスも占い師の世迷言など、軽々に信じてはなりません。そんなもの嘘っぱちです」
「あーっ、ノエル。アンタの小芝居も、なっちゃいないね。態度が必死すぎると、相手に足元をすくわれるよ。カルロスを騙したいなら、もっと女らしく演じな。機会を作って、モーリスから学ぶといい。喜んで教えてくれるさ」
「うっ……」
オレはカルロスの希望に沿い、ドラローシュ侯爵を呑気で善良な、魔法にしか興味のない人として、扱うつもりでいた。
だがアマンダには、どうやら別の思惑があったようだ。
それこそが、オレたちに同行したがった理由だろう。
「カルロスよ。波風を立てず、平穏な日々が続くことを祈るアンタの気持ちは、よぉーく分かる。だけど、これは諦めた方がいいね!」
アマンダは手のひらに水晶玉を落とし、首を横に振った。
「おい。諦めろとか簡単に言うな。オレには、守らなけりゃならん連中が大勢いる。お貴族さまの争いには、可能な限り不参加でいたいんだ」
「はぁー。何にも理解していないね。その争いに、もう首までドップリさ」
アマンダが、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「何だとぉー!?」
「迫りくる厄介ごとを避けようとすれば、身の破滅を招く。しっかりと踏ん張りな。その目を開き、現実を見るんだ。大いなる意思の望むところをね!」
「現実って……。いったい何を見りゃいいんだ。水晶玉か!?」
古物商とは思えないアマンダの毅然とした態度に、カルロスの勢いがそがれた。
「自分が引いてしまった手札をご覧よ。これが、そのままドラローシュ侯爵の手札になるんだろ。アルベール殿下を含めてね。第一王子派と反国王派は、この事態をどう解釈するんだろうね?」
「…………おぅ。何も考えたくねぇ!」
カルロスは両手で顔を押さえ、馬車の座席に仰け反った。
今のところ、アマンダが想定している第二王子派の司令塔は、ドラローシュ侯爵のようだ。
このパワーゲームには、明らかに隣国のナバロ神聖皇国が絡んでいる。
ファビアン・ド・ヴァロワ公爵とユストゥス教団が陰で結びついているのは、巷で噂されている通りなのだろう。
アマンダの唐突な行動が、言葉にするまでもなく隣国の関与を示唆していた。
悪意に満ちた内政干渉である。
だが事もあろうに外患誘致を行っているのは、王弟ファビアン殿下を筆頭とする反国王派の貴族たちだった。
ファビアン・ド・ヴァロワ公爵は、ナバロ神聖皇国の姫を娶っていた。
これまた第二皇子派の血縁だった。
第一皇子フェルナンド・ディ・シヴィルを退けて皇帝となったグレゴワール陛下の、伯母に当たる。
王侯貴族は血縁がこんがらがって面倒くさい。
同腹だの異腹だの、異国の姫だの、そこらじゅうで揉め事の種が芽吹く。
挙句の果てに、アマンダたち精霊研究者や精霊使いは、第一皇子派として粛清された。
その影響はリネール王国にも及び、オレの胸をざわつかせる。
貧民窟でも騒乱霊の被害報告が増えていて、これまた地味に煩わしい。
ナバロ神聖皇国から流入してきた浮遊精霊たちが、することを見つけられずに暴れているのだろう。
『小人閑居して不善を為す』などと言った成句があるけれど、小人(つまらぬ人間)であるかどうかは関係ない。
退屈しすぎて暇を持て余してもじっとしていられるのは、死にかけた病人や老人だけだ。
オレには精霊たちが、死にかけた病人や老人のように思えなかった。
とくに火属性や風属性の精霊たちは、エリカより手に負えないやんちゃな連中だ。
そのうち連中が、一線を越えてしまわないか非常に心配である。
だけど精霊たちが亡くしてしまった主人(遊び相手)の代わりなんて、そう簡単には見つかるまい。
リネール王国では精霊使い自体、その数が少ないのだ。
「ペイバックと融合してから、漠然と精霊たちの気配を感じられるようになったけど……。難儀だ」
オレは小声で呟き、柔らかなショールで顔を隠し、ふて寝を決め込んだ。
オレの鼻先にとまっていた風の精霊が、あきらめて飛び去った。
精霊の存在が見えると知れば、連中はオレに付き纏う。
構って欲しくて、色々と余計なことをやらかす。
精霊の世話は、風花たちだけで手一杯だ。
連中がベイロン大陸公用語を理解していないと知ったのは、つい先だってのことだ。
それからは、ずーっと絵本の読み聞かせを続けている。
そこそこの知識はあるし、馬鹿でもないのだ。
精霊たちの教育は可能である。
ただ手間が掛かる。
見ていて可哀そうだけれど、こちらの受け入れ態勢が整うまではどうしようもない。
「知らんぷりが一番だよな」
それもこれも、人間どもの勝手な都合だと思うと腹が立つ。
「ナバロ神聖皇国の新皇帝は、何を考えているんだ。精霊使いを迫害しても、国家の弱体化を招くだけだろ」
全くもって、政権争いというヤツは厄介だ。
大いなる意思は、まだオレの活躍を必要としていない。
だけど理不尽な暴力は、新たな暴力の萌芽となる。
ナバロ神聖皇国での粛清は、不吉だった。
微かに復讐の気配がした。
◇◇
ティエリー・ド・ドラローシュ侯爵と謁見する日。
颯香とアマンダに令嬢らしく装いを整えられたオレは、自分でもビックリするほど完璧だった。
カルロスのエスコートで馬車から降り、玄関先で待ち構えていた侯爵家の家宰に案内されて応接室へと向かう。
その間、カルロスと家宰は親しげに会話をしていたが、自分から口を挟むことはしない。
なんにでも首を突っ込もうとする娘は、落ち着きがなく、はしたないのだ。
オレは身体の自由を奪うコルセットと踵の高い靴に難儀しながら、楚々とした態度を崩さず、紳士たちの後に付き従った。
それがオレの役どころだから……。
「なんだい。やれば出来るじゃないか」
「フフッ……。『雀百まで踊り忘れず』と申しますから」
オレとアマンダは、小声で言葉を交わした。
幼い頃に、母上や侍女たちから教わった行儀作法は、未だにオレの中で生きていた。
ちゃんとしたドレスを着せられると、意識しなくても令嬢の仕草が蘇る。
当時は可愛いと褒められるのが、とても誇らしかった。
今思い起こすと、恥ずかしくて顔が赤らむ。
「キミがノエル君か……?カルロスから聞いてはいたが、これほどとは……」
カルロスに紹介されてオレがカーテシーをすると、ドラローシュ侯爵が驚きの表情を浮かべた。
一方オレも、ドラローシュ侯爵夫妻の姿に驚いていた。
マナドゥの町で代官を務めるリュシェール子爵やノーラン・ノバック伯爵(実父)とは、比較にならぬ高貴さを身に纏っていた。
何もかもが立派で品が良く、『これぞ貴族!』と素直に納得。
見栄えだけなら、皆が憧れる統率者と言えよう。
そして想像していた姿より、遥かに若々しい。
「ああっ。私と妻の外見か……。魔力の備蓄量が多いと、どうしても年相応に老けないんだ。髭を生やしたところで、似合わない。威厳が伴わなくてね。政では苦労しているよ」
今のままでも威厳は充分にある。
髭なんて要らないだろう。
美しい所作、抑制の利いた声音、何より油断が無さそうで理知的な目つき。
ドラローシュ侯爵は、まるで絵に描いたような貴人だった。
その善し悪しは別として。
「そうなんですね。お二人が余りにも美しいので、見惚れてしまいました」
「あらっ、お上手ね。でも、夫を誘惑したら駄目よ」
エレーヌ侯爵夫人が扇で口元を隠し、冗談めかして釘を刺した。
「わたくしは最近まで男でした。鍛えた大きな身体で、迷宮を探索していたのです。故にエレーヌさまの心配は、些か見当外れでございます」
「では私が、キミと妻との不貞を心配せねばならんな」
「お戯れを……。そもそも小娘に言い寄られたところで、エレーヌさまは靡かれませんでしょう?わたくしは身体的に同性ですから」
オレはドラローシュ侯爵夫妻の仲睦まじい様子に、少しばかり戸惑いながら答えた。
カルロスがオレを見て、苦笑いを浮かべていた。
もしかして、いつものことなのか……。
熱愛カップルは、ウザイ。
「すごく嘘っぽいわ。つい先日まで男性だった人が、いきなり令嬢になれるはずありませんもの。その切なそうな上目遣い。貴女は社交界にデビューしたなら、仕草一つで殿方を従える魔女になれるでしょう。冒険者をしていたなんて、嘘ですわ」
エレーヌ侯爵夫人は、ご令嬢モードのオレを大絶賛した。
いや、そう見せかけての牽制か……?
幼い頃であれば、令嬢としての魅力を指摘されたら天に上るほど嬉しかったけれど、今となっては戸惑うばかりだ。
そもそも、それらは死返しの精霊と月の女神イーリアの手柄である。
颯香とアマンダの仕事も忘れてはなるまい。
【ノエル嬢】の洗練された外見とオレは、一切関係なかった。
モンスターの討伐とは違って、何ひとつ努力をしていないからな。
強いて挙げるとすれば、幼少期のオレが母上の指導に従って積み上げた努力であろう。
「エレーヌさまにお褒め頂き、ほっと胸を撫で下ろしています。わたくしの侍女も嘸かし喜ぶことでしょう。もし、この姿が淑女に見えるとするなら、それは殆ど彼女の手柄ですから……。男として冒険者をしていたなんて信じられないと、先ほどエレーヌさまが仰いましたけれど、その点に関してはわたくしも同意見です。未だに鏡を覗くと、ポカンと口を開けてしまうのです。身体も小さくなり、剣のように重いものが持てなくなりました。フフッ……。こんな冒険者は居りませんね」
「あらあら……」
エレーヌ侯爵夫人が柔らかく微笑んだ。
よしよし。
エレーヌ侯爵夫人からは、どうやら及第点をもらえたようだ。
戯言も社交の内。
些か自嘲気味ではあるけれど、そつのない自己紹介だと自負したい。
初対面の他者と親しくしたいなら、こうして同意を示すのが手っ取り早い。
だけど、あからさまな嘘は避けるべきだった。
同意できない点は、角を立てずに躱すのがスマートな会話術である。
「ノエル君の話が本当なら、然もありなんだ。自分の姿がすっかり変わってしまったら、私など日常生活もままならん。心から同情する……。して、賢者アルマンド。今はアマンダと名乗っているそうだな。お会いできて光栄だ」
「こちらこそ。侯爵殿に拝謁を賜り、感謝に堪えぬ」
ドラローシュ侯爵を前にしても、アマンダの態度は変わらなかった。
実にふてぶてしい。
「ところで、我が王国の監視を嫌って姿を消した賢者殿が、今更どうなされたのか?」
「大いなる意思にアンタが選ばれたようだから、助言をしに来たんだよ」
「大いなる意思……?」
ドラローシュ侯爵は怪訝そうな顔になり、微かに首を傾げた。
「運命とか巡り合わせとか、何とでも呼ぶが良い。人智を超えた思惑が、アタシらをボードゲームのコマみたいに動かしているのさ」
「それで貴女は私のところに……。この件をジェラール国王陛下に知らせは……?」
「バカかい、アンタは……!?」
「はぁ。そうではなかろうかと、予想はしていた」
ドラローシュ侯爵がアマンダの横柄な態度を咎めないので、賢者とやらの地位について推理してみた。
うん……。
オレが想定していたより、アマンダは遥かに偉いのだろう。
興味半分でカルロスに視線をやると、黄ばんだ蝋人形みたいな顔になっていた。
我がリネール王国の国王陛下には、内緒の話らしい。
それだけで、充分に気まずい。
アマンダがどのような地位にあろうとも、カルロスは立つ瀬がない。
身分が高ければアマンダに、低ければドラローシュ侯爵に対して、不適切な対応を取ったことになる。
不敬罪は重罪だ。
階級の上下を弁えぬ者は、例え罪に問われなくても社会的な制裁を受ける。
要は世間からハブられるのだ。
事程左様に身分制度とは、厄介なものである。
可哀想だから、後で慰めてやろう。
何なら、身分など気にしない無法者チームに入れてやっても良い。
オレとクレアのチームだけれど。
一応の挨拶が終わり、ドラローシュ侯爵夫妻に勧められたオレたちは、応接間のソファーに腰を下ろした。
大きなテーブルには、茶菓子と食器が用意されていた。
ドラローシュ侯爵家の侍女たちが、甲斐甲斐しくお茶を給仕して回る。
さっそくオレはケーキを幾つか取ってもらい、食べ始めた。
「ノエル……」
「おい、ノエル。がっつくな」
アマンダとカルロスから叱責の声が漏れた。
「気にしなくてよろしいのよ。ノエルさんの令嬢らしくないところが見られて、ホッとしたわ」
「スミマセン……。こうしたデザートは食べ慣れていないので、作法が分かりません」
「あらあら。作法に間違いはなくてよ」
エレーヌ侯爵夫人が、小さく首を横に振った。
テーブルマナーに、問題はないらしい。
「ただね。貴族は親しくもない相手の屋敷を訪れた場合、もう少し警戒するものだ。こんなことを言いたくはないけれど、毒を盛られる可能性もあるからね。ノエル君にはマナーより、そちらに気を付けて欲しい。まあ毒より、警戒すべきなのは眠り薬とかだな。その外見だと、悪党どもに攫われかねん」
ドラローシュ侯爵が真剣な表情で、オレに忠告した。
嫌な話である。
偉い人から招待された席で食事に毒を盛られるとか、信じていた相棒に背中を刺されるくらい不愉快な話だ。
「これに、入ってますか?」
オレはデザート用のフォークでケーキを突き、会話の流れから当然の質問を口にした。
「毒の話かい……?とんでもない!私は毒など盛らんよ」
ドラローシュ侯爵の表情が僅かに引き攣った。
客人に饗した菓子を『毒入りか?』と訊ねられたなら、気分も悪くなろうというもの。
「でも、そう信じさせておいて毒を用いなければ、効果は期待できませんでしょ?」
「なんだ。裏切りの怖さを分かっているようじゃないか」
「ちょっとだけです」
オレが軽口であるかのように笑って見せると、ドラローシュ侯爵は満足気に頷いた。
「はぁ……。だけど、そうやってホストを揶揄ってはいけないよ。冒険者風なのかも知れないが、悪意に満ちた謀殺を軽々しく扱うのは控えてくれたまえ」
「わたくしが軽率でした。申し訳ございません」
「キミが笑い話にした毒殺だが、悲しいかな貴族の派閥間では現実に起こり得る話なのだ。そうやって笑ってもいられないんだ。気休めであれ、何がしかの警戒は必要になろう」
「わたくし個人に限りますが……。もし仮に毒が入っていても、美味しければ何も文句はありません」
「…………えっ!?」
エレーヌ侯爵夫人が動きを止め、驚きに目を丸くした。
「ノエル君。それはまた、とんでもない話だね。本当に毒を盛られたら、大変だろ」
ドラローシュ侯爵も、オレの台詞が気に入らなかったようだ。
「普通の人であれば苦しむでしょう。死んでしまうこともありそうですね。でも、わたくしは慣れていますから」
「慣れる……?」
毒物耐性は、どの魔獣から獲得した異能なのか。
残念ながら記憶にない。
「闇森の迷宮を彷徨ったときに携帯食料が切れてしまい、選り好みせずに何か食べないと死ぬところまで追い詰められました。仕方がないので、煉獄百足を捕らえて食べました。火も熾せなかったので生食です」
「あれは、猛毒だぞ!?」
「そんなことより……。煉獄百足は簡単に捕まえられますが、生だと嘔吐くほど不味いんです。油で揚げると美味しいのに……」
全員が黙り込んだ。
「簡単……。簡単に捕まえられるだと……。煉獄百足に噛まれたら、一発で死ぬんだぞ!」
ドラローシュ侯爵は、煉獄百足と聞いて激しく反応した。
未熟な暗殺者が煉獄百足の猛毒を好んで使うからか、その悪名は高い。
「アンタも、そろそろ認めな。カルロスのところに魔核を持ち込んだのは、特別な娘だ。神子だよ。大いなる意思に選ばれた存在なのさ。こんな形だけど、殺すのは難しいだろうさ」
「いや。口では、何とでも言える」
「疑うならさぁー。ノエルに見せてもらうと良いよ。特別なところを……」
「うむっ!」
侯爵家の茶菓子ともなれば、それはもう最高級である。
「このケーキ、すごく美味しいです」
茶も美味い。
上品で贅沢な香りと、爽やかな喉ごし。
クレアに話して聞かせたら、きっと羨ましがるだろう。
それなのにコルセットがきつくて、いつものように食べられない。
くっそぉー。
「ノエル君、どうだろうか……?いま、息子が剣術の訓練を受けている。キミさえよければ、指南役の男と試合をして欲しいのだが……」
「………………ん!?」
試合だと……。
いやいや、試合なんてしたくない。
そもそもオレは、身分証明書を作ってもらいに来たんだ。
「私の妻も、キミが冒険者だったことを信じられずにいる。ここは一つ、キメラを倒した剣の腕を見せてはもらえまいか?」
「ノエル、侯爵さまの要望に応えて差し上げなさい」
ドラローシュ侯爵だけでなく、カルロスまでがオレにムチャ振りをする。
エレーヌ侯爵夫人も好奇心に溢れた視線でオレを見つめ、ウンウンと頷いた。
だが、ちょっと待って欲しい。
オレはもう、ドレスが似合うか弱い女子だ。
大剣をぶん回していた、ムキムキの探索者ではない。
「牙鬼王を一撃で倒したオマエの腕なら、それなりの試合ができるはずだ。なあ、そうだろ?」
オレの気も知らず、カルロスが調子づく。
せっかくの高級菓子から、味が消え失せてしまった。
今のオレは鍛え上げた自慢の筋肉に頼れないので、試合になれば魔獣から奪った怪しげな特殊能力を使うしかない。
只人には、どれだけ鍛錬しようと体得不可能な魔獣の異能である。
そんなもの、冒険者の腕ではなかろう。
ペイバックが魔獣を倒して奪った能力は、剣士として互いの技量を闘わせる場面に相応しくない。
間違っても、真っ当な剣術師範を対戦相手にして、衒らかす筋合いのものではなかった。
了承を得ていないのだから、何の覚悟もない剣術師範に対して失礼である。
だったら、正直に打ち明けるか?
『わたくしは魔獣の異能力を使いますので、よろしくお願いします』と……。
いやいやいや。
そんな真似はしたくなかった。
インヴィジブルアラクネーの操糸を筆頭に。
魔獣の異能力なんて、使えても使えない振りをしておくのが肝要だ。
自分から怪物扱いされるような真似をして、オレに何の得があると言うのか?
そもそも敢えて戦う必要もないのに、試合の相手を卑劣な手段で打ち負かしてどうする。
ドラローシュ侯爵が見ている前で恥を掻かせたら、洒落にならないだろう。
正々堂々の勝負でないなら、恨まれるリスクは想定しておくべきだ。
以上を鑑みて、剣術師範との試合は全力でお断りしたい。
問題は、それがドラローシュ侯爵に通るかどうかだ。
「…………」
オレはナイフとフォークを握ったまま、項垂れた。
自分の小さな手を見て悲しくなる。
これは針仕事をする指だ。
剣は似合わない。
それがオレの手だ。
チクチクと精霊人形を縫う、可愛らしい手だった。
馴染んだ剣を手放すのは、断腸の思いである。
それでも中途半端な気持ちで剣に縋れば、どこかで判断を誤り命を落とすだろう。
剣士としてのオレは闇森の迷宮で死んだ。
今は精霊使いのノエルなのだ。
ここは、すっぱりと割り切るべきである。
「試合は嫌です」
オレの口から、拒絶の言葉が零れ落ちた。
ドラローシュ侯爵夫妻が、困惑の表情でオレを見つめた。
「いや。無理強いをしてしまったようだな。嫌なら、それで構わん。だから、泣かないでくれ」
「ティエリーが、無理を言うからいけないのよ。思い詰めてしまって、可哀想に……」
「私だけが悪いのか……?賢者アルマンドとカルロスだって、随分と煽っていたではないか」
「ごめんなさいね、ノエルさん。ティエリーに何か言われても、気にする必要はないですからね」
「済まなかった」
おう。
これが、ご令嬢モードの特殊効果か……。
冒険者だった頃には、『嫌だ!』と訴えても聞き入れて貰えた試しがない。
それなのに謁見用のドレスを身に纏い、ご令嬢らしく淑やかに振舞っていたら、ドラローシュ侯爵夫妻から謝罪の言葉まで頂いてしまった。
「わたくしこそ、ご期待に沿えず申し訳ございません」
オレは予想外の展開に驚きながら、ぺこりと頭を下げた。
「ウォッホン!侯爵さまの御前であるからな。ノエルが委縮してしまうのも、仕方あるまい」
「はっ。緊張とか委縮なんて、ノエルには縁が無さそうだけどね!」
カルロスは気まずそうに咳ばらいをし、アマンダが渋い顔でオレを睨んだ。
それでも二人はオレに文句を言わず、おとなしく引き下がった。
ご令嬢モード。
侮れん。
オレは気を取り直して、新しいケーキと向き合った。
オレが拒絶したので試合の件は撤回されたけれど、ドラローシュ侯爵から『息子の訓練に助言が欲しい』と頼まれ、皆で剣術の稽古をするニコラさまを見に行った。
中庭に設けられた広場は、しっかりと整地されていて、一方に石壁が立っていた。
石壁の手前には射撃の的が立っていて、その背後に土嚢を積んであった。
土嚢の役目は矢じりを痛めずに、矢を回収するためである。
初心者が射た矢は、的に当たらなことの方が多い。
ドラローシュ侯爵に紹介されて、剣術師範の素性が分かった。
ブランダイス剣術師範は、ドラローシュ侯爵家の騎士団を引退した先代の総長だった。
当然、ペルティエ隊長やラトゥール副隊長より、騎士として格上だ。
ニコラ少年への訓練も妥当であり、成長の妨げとなるような過度の筋トレはしていない。
問題があるとすれば、子供の好奇心を刺激するような面白みに欠けるところか。
剣術の型を覚えるのは大事だが、とても退屈なのだ。
かと言って、大人と子供で打ち合いをしても、おかしな癖をつけるだけだ。
「ブランダイス師範の訓練方法は正統派で、口出しの余地などありません。ただ欲を言えば、同年齢の訓練相手がいると良いのではないでしょうか」
「ああっ。わしも、そう考えている。素振りばかりさせるのは、単調で可哀想だ。しかし子供同士の打ち合いと言っても、受けだけはしっかりと習わせなければいかん」
「そうですね」
ブランダイス師範も、オレと同じように考えていたようだ。
「射撃の的がありますけれど、ニコラさまに弓も教えているのでしょうか?」
「少しだけだ。今はまだ、訓練を始めたばかりだからな。弓は怖いものだと教えているよ」
「分かりました」
オレはブランダイス師範に頷き、持参した投石紐を見せた。
単調になりがちな基礎鍛錬への、ささやかな干渉である。
それに、ちょっとばかり精霊の力を加味しようと思う。
大道芸人にでもなったつもりで、サービスだ。
ペルティエ隊長と競った大食い勝負と、剣の試合は違う。
あちらはモンスター討伐部隊の新人紹介を目的とした、パーティーの余興に過ぎなかった。
だけど、ドラローシュ侯爵の御前で行われる試合ともなれば、木剣だろうが寸止めだろうが遊びでは済まされない。
であるからして、狩人の狩猟道具を紹介するくらいが丁度よいのだ。
「ほう……。最近の冒険者は、スリングを使うのか?」
「そう言うわけでもないのですが、わたくしは見ての通り非力なので、これを携帯しています」
ブランダイス師範は、オレからスリングと鶏卵ほどの鉛玉を受け取り、射撃の的に身体を向けた。
スリングは携帯しやすい、シンプルな投石器だ。
弾丸を挟む幅広の部分があるだけの、頑丈な紐である。
紐の片端は指を引っかけるための輪になっていて、両端をつかんでぐるぐると振り回し、遠心力で弾丸を飛ばす。
握っていた紐をタイミング良く放すと、弾丸は二町(凡そ二百メートル)先の的にまで届く。
飛距離は弓矢よりあるのだ。
「ふんっ!」
ブランダイス師範が放った鉛玉は、見事に的の板を粉砕した。
「すっごーい!」
ニコラさまは目をキラキラと輝かせ、ブランダイス師範を誉めそやした。
「ご覧の通り素朴な武器ですが、破壊力があります」
「はい。的が粉々になりました」
ニコラさまが素直に頷いた。
「この武器は、そこら辺に落ちている小振りな石を弾丸として使えるので、とても安上がりなのです。騎士がスリングを使うことは、まずありません。でも野盗や敵国の雑兵などが使用する可能性はあるので、どのような武器か覚えておくのが宜しいと思います。こちらを差し上げましょう。暇なときにでも、的を狙って練習してみてください」
「ニコラ様。ノエル嬢の仰る通りです。色々な武器に精通することも、よき武人となるために重要であると心得てください。たとえ粗末な道具であろうと、命を奪われる危険があるのです。知っているのと知らないのでは、もしものときに雲泥の差となるでしょう」
ブランダイス師範は、優れた教育者だった。
巧みにスリングを扱って見せると、即座に要点をかいつまんで伝える。
なかなか出来ることではない。
「はい。承知しましたブランダイス師匠。ありがとう。ノエルさん」
「いえいえ。わたくしも最近、森の民から教えてもらいました。もとは小動物用の狩猟道具らしいのですが、部族間の紛争では容赦なく武器として使用されます」
これと同様な攻撃方法に、土魔法の弾丸がある。
ただし弾丸は魔法の発動までに詠唱時間が掛かり、貴重な体内備蓄魔素を消費する。
詠唱を省略したり、魔素をケチると礫が脆くなってしまうという、見過ごせない弱点も抱えていた。
まあスリングにせよ弾丸にせよ、使用者の熟練度がものを言う点で、他の攻撃手段と大差はない。
だから好奇心を持って、その武器と向き合ってみることが大切だった。
実戦で後悔をしないように……。
オレは弓矢の練習場所から移動した。
そこは投擲の練習場所で、古びたプレートメイルが標的として設置されていた。
「先ほど、石ころを弾丸に使うと申し上げましたが、それを鵜吞みにしてはなりません。ブランダイス師範には、大きめの鉛玉を使ってもらいました。だけど、わたくしは鋼鉄製の弾丸を携帯しています。その方が、わたくしにとって有用だからです」
腰に括りつけたポシェットから、精霊人形が顔を覗かせる。
風花の精霊だ。
「使用者の技量と弾丸の種類によって、殺傷力も変わります」
青空の下、雪で白く染まった広場に、一陣の風が吹き抜ける。
足元の雪片が、花弁のように宙を舞った。
「フンッ!」
オレが放った弾丸は、派手に火花を散らして、プレートメイルの鋼板を打ち抜いた。
鋼鉄製の弾丸は、頭部、頸部、心臓の三箇所に、ドングリ大の穴を穿った。
三発同時に命中させたのも、鋼板に穴を開けたのも、風花の精霊だった。
オレは淑女らしさを心掛けながら、スリングを振り回しただけ。
「おおーっ」
ドラローシュ侯爵が驚きの声を漏らした。
ブランダイス師範は目を見開き、凍りついていた。
精霊の力を借りたインチキだけど、試合ではないから問題なかろう。
◇◇
オレたちはドラローシュ侯爵の屋敷に滞在するよう勧められ、豪華な客室をあてがわれた。
カルロスやアマンダから、何かお言葉があるかと思っていたのだが、作戦会議のようなものは開かれなかった。
暫くすると侍従に呼ばれて、カルロスとアマンダが客室を出ていった。
結果として、オレと颯香だけが広い客室に残された。
テーブルに置かれたベルを鳴らせば、客室係の召し使いが要件を聞きにくるらしい。
だけど侯爵家の召し使いに用事を命じるなんて、とんでもない話に思えた。
オレさま如きには、畏れ多い。
このベルは、たぶん鳴らさずに終わるだろう。
「あーっ、カルロスが帰って来ない。落ち着かない。すごく不安だ。今後の方針について説明しておくべき重要事項とか、あるんじゃないのか……?口裏合わせとか……」
「さあ。多分ノエルさまは、物の数に含まれていないのです」
颯香がオレの髪型に手を加えながら、身も蓋もないことを言った。
「何故……?」
「お姫さまは、黙って座っているものですから……」
「……そう」
つまり蚊帳の外ってヤツだな。
まあ良かろう。
わざわざ自分から、厄介ごとに首を突っ込むつもりはなかった。
オレとしては、ドラローシュ侯爵が身分証明書を用意してくれるなら文句などない。
キメラの魔核もくれてやろう。
政治が好きな連中は、勝手に話し合い、勝手に何でも決めたらいい。
それこそドラローシュ侯爵やアマンダの都合など、オレの知ったことではない。
こうして部屋に放置されるなら、オレにはすべきことがあった。
暇を持て余すなんて、あり得なかった。
「さて、お待ちかね。読み聞かせの時間だよ」
スカートの裾を広げ、客室の床に腰を下ろし、胡坐を組む。
オレの年恰好からすれば完璧に『はしたない!』と目される行為だが、幼児のような精霊たちが相手なので咎めないで欲しい。
客室には大きな絵本を置く書見台もないのだから、カーペットの上に陣取るのが一番だ。
そばには洒落た暖炉もあって、ぬくぬくと温かい。
「へぶぅ……!?」
絵本の前に精霊たちが姿を見せると、颯香は目を丸くして凍り付いた。
〈ちゃ♪〉
〈チス、チス〉
〈ピッ、ピッ〉
〈ミャー♪〉
〈ヨム、ヨム〉
【風花】、【織姫】、【赤猫】、【水禍】、【玄仙坊】の五体。
【風花】は冬空の青に雪の結晶をあしらった憑代を持つ、踊るのが大好きな子だ。自由奔放な性格なので、よく行方知れずになる。窓際に座って外を眺め、ぼーっとしていることが多い。
【織姫】は白い綿毛のようなボディーに、これまた真っ白な蛾の翅を付けている。眉毛の位置に貼り付けた触覚は大きな葉っぱのようで、つぶらな瞳とおちょぼ口が可愛らしい。社交性が乏しく内気な精霊だ。
【赤猫】は名前通り、赤い猫だ。火の精霊でやんちゃ坊主。なんにでも火を点けたがるので要注意。枯れた蔦を首に巻き、落ち葉のチョッキを着ている。呼んでも来ないときは、暖炉やオーブンで昼寝をしている。
【水禍】は全身を緑の苔に覆われ、触るとしっとりしている。力のある古い精霊で、大規模な水害を起こせるらしい。まあ、今のところ赤猫を追い回し、付け火を阻止しているだけなので問題ない。むしろ、ありがたい。
【玄仙坊】は通せんぼだ。不思議な空間魔法を使って、物体の通過を阻止する。赤いレンガを横にしたような顔に角が生えていて、頭にはネズミの頭骨みたいなものが載っている。黒づくめの衣装も相まって、五体の中ではトップクラスに不気味。
精霊たちの能力は、ペイバックが教えてくれた。
各自の性格は、何となく見ていれば分かる。
言うまでもなく、【赤猫】は問題児だ。
意識して隠そうと思ったことはないけれど、颯香と精霊たちは初対面である。
この先も颯香がオレの侍女を務めるのなら、早めに知っておいてもらったほうが良い。
「なんすか、こやつら!?」
「ノラ精霊だ。なんか懐いたから、身体を与えて飼っている」
「そう……。ペットを飼うなら、もっと可愛らしい子にしましょうよ」
「んっ?カワイイだろ」
「…………」
颯香は顔を顰めると、精霊たちから顔を背けた。
精霊たちのデザインは、颯香の好みに合わなかったようだ。
「夜が明けた。お日さまのぼって、まぶしいな」
オレはゆっくりと文字を読み、精霊たちの反応を窺う。
「これ、お日さま」
絵本に描かれた太陽を指さして、『おひさま』と繰り返す。
〈オシサマ〉
〈ひ、ひ〉
〈オヒサマ〉
〈……〉
〈コレ、コレ〉
ぼんやりとだが、分かっていそうなので次に進む。
「森の木で、スズメがチュンチュン歌ってる」
風花が嬉しそうに、絵本の上で撥ねた。
〈スズメ、スズメ♪〉
〈ちゅん〉
〈チュンチュン〉
〈ウタ。ウター〉
〈ちんちん、ちんちん。ギャハハハハ!〉
精霊たちは大騒ぎだ。
しかし、一匹バカが混じっている。
精霊軍にバカが混じっているのは不味い。
「ムゥ!」
後々何とかするしかあるまい。
精霊たちに憑代を与え、言葉を学ばせて軍団を作るのがオレの計画である。
精霊軍は、飽くまでも上品な組織であるべきだ。
オレは鍛え上げた肉体を失い、重たい剣を振れなくなったけれど、精霊たちが居れば何とかなりそうだった。
であるなら、人形作りの針仕事は以前の筋トレと同じである。
縫えば縫うほど自己強化に繋がる。
毎日、精霊たちに読み聞かせをするのも、自己強化に欠かせないトレーニングなのだ。
「待ってろよ、ラクロット……」
今はまだ、五体しかいない精霊軍だが、どんどん数を増やしてやる。
その日が来たら、ラクロット、キサマを精霊の大軍団で蹂躙してやるからな。
◇◇
「ノエル君。実はノバック伯爵家から手紙が届いている。私への親書で、オルタンス伯爵夫人の署名があった」
「はぁ!?」
夕食の席で、ドラローシュ侯爵がぶち込んできた。
「オルタンス伯爵夫人は、ノエル君の母君だろ?」
「はい。でも、どうして……」
「改めてノエル君を養女に迎えたいらしい」
「エェーッ!?」
寝耳に水だ。
背筋が、びくっとする。
「オルタンス伯爵夫人はノエル君について、かなり正確な情報を掴んでいるようだ。身分証明書を発行するにあたって、私もどうすべきか悩んでいる」
「そうなんですね」
それを聞いてオレは、平静を装うのが難しくなった。
もう夕食どころではない。
「オルタンスの希望は、叶えてやりな」
「えっ?!」
アマンダが横合いから口を挟んだ。
「あれを怒らせると、後々面倒くさいからね」
「アマンダは、わたくしの母上を知っているのですか?」
「オルタンスは予見者だ。あれも精霊を身の内に飼う、憑依体質持ちだよ。紛れもなく、ノバック伯爵家の血筋さ。現当主は、確か入り婿だろ?」
「ほぇー。アマンダの占いは、すごいですね」
「まったく、バカ言うんじゃないよ。ナバロ神聖皇国の諜報機関が、命懸けで調べたのさ。四十年ほど前にね」
大昔の話ではないか。
そんなこと知る訳ないだろ。
これだから、お年寄りってヤツは……。
「うーん。それにしてもオルタンス伯爵夫人は、どうやってノエル君のことを知ったのかな……?」
「アンタの頭は飾りかね?オルタンスは【予見者】だと、さっき言ったばかりだろ。ナバロ神聖皇国だって、何でもない隣国の貴族を調べるほど暇じゃない。ノバック伯爵家が特別だから、調査を行ったのさ」
「なるほど、そうでしたか……。その【予見者】という呼称が、聞きなれないもので……。つい」
ドラローシュ侯爵は、ばつが悪そうに言い訳をした。
「うわぁー。侯爵さまは、大切な話でも聞き流してしまわれるのですね」
オレは横の席に座っているカルロスに、小声で囁いた。
「ウムッ。思考の邪魔になりそうな情報は、雑音としてシャットアウトできるらしい。そういう技能なんだと」
思考の邪魔か。
もしかして未来を知る者の存在なんて、絵空事と言うことか……?
それとも予見のような特殊能力は、計算不能のイレギュラーを発生させる因子として省かれるのかな。
異能力やユニーク技能には、謎が多いから。
ドラローシュ侯爵も、扱いかねている可能性があった。
「なるほどー。何となく分かります」
魔獣との戦闘で、極度の緊張状態に置かれたときと似ている。
急所に一撃入れられそうな機会を見出せば、自分が負ったダメージさえ思考から除外される。
骨が折れていても痛みを感じなくなり、その一瞬だけ動けるようになるのだ。
よく話題にされる、身体強化魔法の不思議だった。
「それって、ある種の集中力でしょう。良いのか悪いのか、判断に苦しむ能力ですけど」
「その通りだ。ノエルの説明が、まさにそれだった。侯爵さまに納得してもらうまで、同じ話を繰り返し、繰り返し……。もう、うんざりだ」
「色々と聞き飛ばされたんですね」
「…………」
カルロスが渋い顔で頷いた。
オレの前に給仕されたのは、常識的な量の料理だった。
だけど、おかわりが欲しいとは思わなかった。
「はぁー。お腹一杯」
多分おそらく、牙鬼王との戦いで消費したマナが、これまでのドカ食いで補充されたのだろう。
食費を心配していたので、死にさえしなければドカ食いをせずに済むと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。
「とするなら、クレアの大食いはどうして……?」
きっと、信仰を決めた神さまの中に、やばいヤツが混ざっているのだ。
そうに違いないよ。
カトラリーをテーブルに置き、ナプキンで口を拭いていたら、ニコラさまと視線が合った。
「はぅ!」
ずっとオレを盗み見ていたのか……?
慌てたように顔を伏せ、メインディッシュと向き合う。
中々にウブイ少年じゃないか……。
見るくらいなら、いくら見たっていいんだぞ。
淑女なんてものは、周囲の耳目を集めるべく日々美の研鑽に励み、自分を飾り立てる生きた芸術品さ。
皆に鑑賞してもらうのが、ダンスパーティーや会食での勤めみたいなもんだよ。
そのうえオレ個人に関して言えば、可愛い弟を募集中だからな。
オレは底意地が悪い二人の兄を反面教師に、よい兄貴を目指していた。
その結果が闇森の迷宮で起きた、悲惨な裏切りである。
ラクロットは、きっと駄目な弟だったのだ。
あれは素材が悪かった。
オレがじっとニコラさまを眺めていると、再び視線が合った。
オレはニコラさまに笑みを浮かべて見せた。
「……!?」
少年の頬が赤く染まった。
これは面白い。
ラクロットの逃亡先が判明するまで、退屈だけはしないで済みそうだ。




