ナバロ神聖皇国の冒険者ギルド:ラクロット視点
闇森の迷宮で覇道の剣を手に入れてから、俺の運気は一変した。
はっきりと自覚できるほど冒険者としての格が上がり、何事にも自信を持って行動できるようになった。
周囲の評価が気にならなくなると、あれほど憎かった世間も愛すべき場所に思えてきた。
「不思議なものだな」
耳にタコができるほどノエルに聞かされた『まともな振る舞い』ってのさえ、苦もなくこなせている。
これまで嫌で嫌でしょうがなく、逆らい続けてきたのが噓みたいだ。
仕草に言葉遣い、きちんとした身だしなみ。
その場に相応しいと見なされる、調和のとれた行動。
言われたことを思い出して実行に移すと、一つ一つがピタリと嵌る。
「もうチンピラは卒業だ」
マナドゥの町を離れた俺は、堂々とした態度と冒険者ギルドのメンバーカードだけで次々と領境を超え、リネール王国と友好関係にあるラモワン教主国に入った。
ラモワン教主国の迷宮で荒稼ぎした後は、鬱蒼とした森林地帯を二十日ほど掛けて踏破し、不明瞭な国境線を跨ぎ超えた。
ここはもう、ナバロ神聖皇国だった。
ナバロ神聖皇国は、フェルナンド皇太子を迷宮の立坑に突き落とし、前皇帝セレドニオを弑逆した第二皇子が、皇帝の座に就いた国である。
未だに国内は落ち着かず、あちらこちらで粛清の嵐が吹き荒れていた。
狩られているのは、精霊を祀る邪教徒どもだった。
邪教徒どもを始末すれば、ナバロ神聖皇国から結構な報奨金を貰える。
前皇帝セレドニオを支持していた邪教徒は、弾圧の対象にされた。
政権争いとは関係を持たぬ精霊使いも、例外ではない。
「フンッ。オルドニェス精霊教会の連中は、ゴブリンと同じ扱いまで堕ちたな」
伝え聞く噂によれば、オルドニェス精霊教会は前皇帝セレドニオの威光を笠に着て、皇国諸侯から煙たがられていたようだ。
ナバロ神聖皇国は現皇帝グレゴワールの英断により、下剋上が罷り通る、力こそ正義の国へと生まれ変わった。
俺が活躍する舞台に相応しい。
だからこそ覇道の剣も、俺をナバロ神聖皇国に導いたのだ。
そうに決まっている。
「はははは……。国盗りだ」
ノエルー。
血が滾るぜ。
これこそ本当の冒険だろ。
「俺がどこまで這い上がれるか、ちゃんと見てろよ!」
こんな高揚した気分は生まれて初めてだ。
俺は腹の底から笑った。
リネール王国とナバロ神聖皇国は、両国の国境線を挟んで睨み合っていた。
五年ほど前から、ナバロ神聖皇国を捨てた政治犯の引き渡し問題で、揉めに揉めている。
リネール王国への亡命希望者は、正式な取り調べを受ける前に、収容施設から行方を晦ました。
そうなるとリネール王国にしてみれば、勝手に国境を越えてきた難民である。
何なら不法入国者と言い換えてもよい。
捕えても、自国の法に則って裁くのが正しい。
ナバロ神聖皇国が突き付けてきた政治犯の引き渡し要求は、言い掛かりに過ぎなかった。
これに従えば国の威信が損なわれる。
「両国ともに、相手の言い分は認めがたい。好きなだけ争うがいいさ」
むしろ戦争になって欲しい。
動乱は無名の剣士が名を上げるチャンスだからな。
「だがしかし、ナバロ神聖皇国に、そこまでの国力は残されていない」
戦争の可能性が低かろうと、俺にとって都合の良いことはある。
国力低下の影響を受け、旧来の皇国法も力を失っていた。
皇国諸侯は私兵の増強に尽力し、腕っぷしがあれば氏素性を問わず、人を雇い入れる。
それは暴力的犯罪組織や各ギルドも、同様であった。
偽の戸籍や身分証など、簡単に入手できた。
「ここでは法律など関係ない」
要するに力さえ示せば、俺は新しい人生を始められるって寸法さ。
戦争が起きないなら起きないで、別の道があるってこと。
「覇道の剣を手にしてから、俺の頭は冴えまくりだ」
さすがは伝説の神器と認めざるを得ない。
俺は長い人の列に並び、欲深そうな門衛に少なくない賄賂を握らせて、迷宮都市ガンドルフォに足を踏み入れた。
◇◇
「エーリッヒさんですね」
「ああっ」
俺は冒険者ギルドの受付嬢に、軽く頷いた。
俺の名は、今日からエーリッヒだ。
入会希望書を受理してもらい、ギルドカードを手に入れて新人冒険者になった。
飲んだくれのクソ親父につけられた、クソみたいな忌々しい名前とは、これでおさらばよ。
「畜生め。クソはねぇよな。クソは……」
ラクロットって名には、カスとか屑、クソって意味がある。
冒険者ギルドでラクロットと呼ばれるたび、はらわたが煮えくり返った。
六人目の子が生まれたとき、親父はヤケクソになって俺の名を決めやがった。
貧乏子だくさんの家には、よくある話だ。
「はぁー」
すっきりした。
「これでエーリッヒさんは、冒険者になりました」
「ランクは……?」
「経験者との記載がありまでしたので、後ほど試験を受けていただきます。その結果でランクが決まります」
「ほぉー。Fランクからじゃないのか?」
「我がギルドは人材不足でして、即戦力を欲しているのです。経験者さまは大歓迎です」
受付嬢が笑顔で説明してくれた。
「君の名は?」
「イレーナと申します。よろしくお願いいたします」
「ありがとう。覚えておこう」
俺にも『ありがとう』が言えると分かった。
他人に頭を下げることもできる。
それだけで、どれほど生き易くなったことか……。
以前の俺をふん捕まえて、滾々と説教を聞かせてやりたい。
「あっ……。説教ならノエルに、飽きるほど聞かされたわ」
今になってノエルの心情を察し、笑いがこみ上げる。
「試験かー。ノエルなら、『油断するな!』とか言いそうだ」
『やり過ぎるな!』とも言うだろう。
「分かってるさ。試験官にケガをさせたりはしない」
俺は冒険者ギルドの訓練所に向かい、鬼教官と噂される男を苦もなく捻じ伏せ、Cランクの評価を得た。
「おめでとうございます。Cランクでしたら、ガンドルフォの迷宮を探索する資格があります」
イレーナが冒険者ランクの記入されたメンバーカードを俺に差し出した。
「ガンドルフォの迷宮に入れるのは、Cランクからかい?」
「はい。Cランクからです」
「はぁー。即戦力ね」
「即戦力です」
何だか、冒険者ギルドに嵌められたような気がした。
イェンスと名乗った試験担当者だが、どうにも手応えが怪しかった。
あれが鬼教官とか、本当に人材不足なのかも知れない。
「明日から迷宮に潜ろうと思うのだが、保管されている資料に目を通してもいいか?」
「勿論です」
イレーナは悪びれた様子も見せず、元気よく頷いた。
安宿で翌日の朝を迎えた俺は、取り合えずソロでガンドルフォの迷宮に挑んだ。
軽く資料を読み流したので、現場に赴き実感との擦り合わせを行いたい。
しっかりと資料を読み込むのは、擦り合わせが終わってからだ。
薄暗い通路には、所々に灯りが燈っていた。
床は石畳、壁は石積み、天井は石のアーチだった。
誰かが造ったとしか思えない迷宮の通路に、製作者は居ない。
幾ら考えても、答えは出ないのだろう。
精霊の悪戯だとか、神々が与え給うた試練だとか、色々な意見がある。
だけど俺たち冒険者にできるのは、迷宮を彷徨うことのみ。
「経験が伴わない知識は、空虚である」
これもノエルから教わったことだ。
「あいつを乗り越えない限り、明日はない!」
俺は通路の角で出くわしたゴブリンに、八つ当たり気味の突きを放った。
「グェッ!?」
手応えなんて感じない。
覇道の剣は藁束を突いたように、ゴブリンの頭蓋を貫通した。
「まだまだー。ノエルはもっと早かった!」
実に腹の立つ男だ。
死んでからも俺を苦しめるとは……。
「許しがたい!!」
その日、俺は浅層を周回し、ゴブリンやコボルトを殺し続けた。
どちらも武器を手にしたモンスターだけれど、囲まれても負ける気がしない。
これまでに見たことがないモンスターでも、人のように振舞う相手なら対策を立て易い。
ゴブリンとコボルトは、手にした武器しか使ってこなかった。
その武器は粗末で、充分な手入れもしていない。
しかも武器の扱いが拙いとくれば。
「ザコだな」
闇森の迷宮に棲む闇狼より、簡単に倒せた。
迷宮の構造も人口の地下道に似て、マップを作り易い。
「森はなぁー」
森のマップなんて、どう描けばよいのか分からない。
結局、ノエルが道標に月光石を使いだすまでは、怖くて先に進めなかった。
「ガンドルフォの迷宮でも、深層まで潜るなら月光石は用意しておくべきだな」
備えあらば憂いなし。
これもノエルの口癖だった。
あれも、これも、それも、結局はノエルの言葉である。
「ノエルー。オマエ、ウザいんだよ!」
俺と真剣に話をしてくれた相手は、ノエルだけだ。
だから俺の頭には、ノエルの言葉がぎっしりと詰まっていやがる。
「くっそー。これじゃ、逃げたくても逃げようがねぇ」
俺には自分の正しさを証明するしか、選択肢が残されていない。
ノエルから離れて成功することが、俺の勝利だ。
そこで初めて、『ノエルが俺の人生を邪魔していたのだ!』と言い張れる。
悪かったのはノエルだと。
「でもよー。成功って、なんだよ?」
とんでもなく強くなって、驚くほどの大金を稼ぎ、誰からも馬鹿にされなくなる?
「地位か。王にでもなればいいのか?それとも名誉か。ドラゴンでも倒せば納得できるのかよ」
どちらも、うんざりするほど遠い道のりに思えた。
それでも、やるしかなかった。




