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古物商の秘密:ノエル視点

 


 颯香(ふうか)が実に甲斐甲斐しい。

 以前にも増して、甲斐甲斐しい。


 毎日のようにオレを風呂に入れ、全身を磨き上げる。

 得意げに何本もの小瓶を並べ、オレの肌や髪に香油を擦り込む。

 良い匂いがするし、何なら蕩けてしまうほど心地よいけれど、ぐったりと脱力する。


 すべすべのシュミーズを着せられ、髪を細かく編みこまれ、顔に化粧をされる。

 ドレスを纏うころには、腹が減って眠たくなる。

 それなのに、ここから一日が始まるのだ。

『ふざけんな!』と言いたい。


「これは部屋着です。ドレスではありません」

「そうかい。オレにすれば、部屋着もドレスだよ」


 颯香(ふうか)の手で美しく整えられたオレは、その時点から取扱注意の壊れ物となる。

 長椅子に寝そべったりする自堕落な真似は、許されない。

 ドレスが皴になり、髪型が乱れ、化粧も崩れる。


 いや、颯香(ふうか)は何度でも嬉々としてやり直すけれど、オレが耐えられなかった。

 淑女(レディー)の身支度は、されている方もドッと疲れるのだ。


 こうして女装させられると、母上の離宮で暮らした幼いころを思い出す。

『ドレスを着せられていたなぁー』と。


 オレは娘が欲しかった母上に、女子として育てられた。

 自分が男だと知った時には、確か八歳だった。

 だから、幾分かの耐性はある。


 それにしても淑女(レディー)の暮らしは、窮屈で不自由だと思う。


「世は、理不尽……。オンナは辛いよ」

「えっ?わたくしは、とっても楽しいです」


 颯香(ふうか)が嬉しそうに微笑む。


颯香(ふうか)が生まれ育った里には、女子(おなご)を喜ばす人形などないでござるよ』


 闇烏(ヤミガラス)の里で人形(ヒトガタ)と言えば、飛び道具の的だけ。

 (わら)を束ねて作った、案山子(かかし)のように粗末な代物である。

 マナドゥの町で見かけるドールとは、比べるべくもなかっただろう。

 颯香(ふうか)はお使いでカルロスの屋敷を訪れたとき、この町に住むと決意したようだ。


 虎落笛もがりぶえから聞いた話によれば、妹の颯香(ふうか)はお人形遊びがしたい一念で、徹底的に小間使いの技量(スキル)を鍛えたらしい。

 小間使いの技量(スキル)をコンプリートしなければ、侍女スキルは獲得できないからだ。

 そして努力の末に、とうとう念願のお人形を手に入れた。


『拙者……。妹の颯香(ふうか)が心配で、カルロスさまに仕えたでござるよ』


 虎落笛(もがりぶえ)の妹思いなところには、素直に好感が持てた。


『ノエルさまには鬱陶しいことでござろうが、どうか颯香(ふうか)の相手をしてやって下され』


 ここは、『うん』と頷いてやりたい場面だった。

 もし颯香(ふうか)の手に入れたお人形が、オレでさえなければ……。


『オレではなくて、クレアかエリカちゃんの世話を焼けよ!』と言いたいけれど、人の好みは十人十色。

 思うに任せないのが、世の常であった。


「巨大猪に立ち向かうノエルさまを見て、ビビッと来たんです。あたしが仕えるなら、ノエルさましか居ないって」

「………………」


 颯香(ふうか)が好きなのは、(かげ)のある薄幸そうな乙女だった。

 モンスターに追突されて死んだオレは、颯香(ふうか)にとって理想の乙女に生まれ変わったのだ。

 アレが消えちまったからな。


 言い出したら不満は尽きないが、颯香(ふうか)の着せ替え人形でいることなど、オレにとって都合の悪い現実の極々一部分に過ぎなかった。




 ◇◇




 モンスター討伐の二日後に、オレはカルロス立会いのもとアルベール殿下の質問を受けた。

 アルベール殿下はドレス姿で現れたオレを見ると、(うれ)いが晴れたかのように微笑んだ。


 性別について問われたので、『(しばら)く前までは、屈強なオトコの探索者だった』と正直に答えたら、会談の席に居た全員が顔を(しか)めて、首を横に振った。

 どうやらオレは、アルベール殿下の側近たちから、性別詐称を働いた娘と解釈されてしまった。

 信じて貰えないのだから、真面目に説明するだけ馬鹿らしい。


 もっとも、ヒラヒラのドレスを着た華奢(きゃしゃ)な乙女に『オレ、ついこの間までオッサンでした』と告白されたところで、信じるヤツは居ないだろう。

 他人の話なら、オレだって信じたりしない。

 状況が状況なので、仕方ないのだ。


 やがて質問の内容が、『どのようにしてモンスターを倒したか?』に移ったけれど、オレにも分かっていないので説明は不可能だった。

『オレを殺したものは、死ぬ。それが並外れて強い魔獣であろうと、必ず死ぬ。単に死ぬだけで、一般的な死因は残らない』

 こうして事実を繰り返すしかなかった。

 精霊使いであることも正直に打ち明けたし、後は勝手に調べればよい。


 三日後にはトロッタ族の勢子(せこ)たちが、加工した豚肉を荷車に積んで、カルロスの屋敷に運び込んだ。

 パウルとイゴールはオレの(ふく)らんだ胸を触り、本物だと納得して頷いた。

 モンスター討伐が済んだので、トロッタ族の面々は森に帰る。

 パウルはオレに、そのうち遊びに来いと誘った。


 四日後に第三騎士隊が装備を纏め、マナドゥの町を発った。

 挨拶に立ち寄ったペルティエ隊長とラトゥール副隊長は、ドレス姿のオレを見て硬直した。

 それでもなんとか握手を交わし、お互いに再会を約束した。



 そして十日後。

 (ようや)く作業現場の片づけを終わらせたカルロスが、屋敷に戻った。


「よお、ノエル。そのドレス、良く似合っているぞ」

「ノエルさん。とても可愛いです」

「うんうん……。カワイイ」


 談話室(サロン)の扉を開けると、カルロスたちがオレを見て誉めそやした。

 テーブルには、ティーセットと菓子が並んでいた。


「皆さま、ごきげんよう」


 オレはカーテシーをしてから、颯香(ふうか)が引いてくれた椅子に行儀よく腰を下ろした。

 スカートの裾を気にしながら動くので、自然と所作は女性らしくなる。


 オレの衣装を用意させているのは、言うまでもなくカルロスだ。

 具体的にはカルロスに財布を渡された颯香(ふうか)が、仕立て屋や宝飾店に注文している。

 カルロスはクレアとエリカまで自分の味方につけて、オレを淑女(レディー)鋳型(いがた)に嵌めようと張り切っていた。


 こんな真似をカルロスが冗談でやるとは思えない。

 となれば、何らかの意図が隠れているはず。

 これは心に留めておくべき事柄だ。


「若い娘が容姿を褒められて恥じ入る姿は、初々(ういうい)しくて良いものだ」

「ノエルさんは綺麗なのに、それを鼻にかけないところが好印象です」

「ノエル。とぉーても、やさしいよ」

「それはどうも……、ありがとうございます」


 顔を合わせれば、()め殺し。

 四面楚歌(しめんそか)で、もう開き直るしかない。


「外出したいんだけど」

「構わんぞ。ロレンツォに命じて、馬車を用意させるとよい」

「フーン」


 オレはカルロスの返答に首を傾げた。


「どうした?」

「外出は禁止だと思っていた。軟禁ではなかったんだ?」

「なっ訳あるかぁー!牙鬼王モンスターを討伐してくれた恩人に、不自由を()いるつもりなどない」


 カルロスは顔を赤く染めて、怒鳴った。


「悪かった。どうも色々とあって、心がささくれているようだ」

「いや、俺の方こそ説明が足りなかった。オマエの事情も考えず、はしゃぎすぎた」


 互いに謝罪はしたけれど、どうにも居心地が悪い。

 オレの身に起きた変化から目を()らそうとして、余計に事態を(こじ)らせている気がした。

 クレアとエリカは我関せずで、ポリポリと茶菓子を食っている。

 助けは期待できない。


「ところで……。討伐したブタの処理は、どうなっている?」

「フッ。天気にも恵まれて、怖いほど順調さ。もう少しすれば剥製(はくせい)が完成する。冷凍にした肉のブロックも、貧民窟の住人たちに配った」

「剥製はエントランスホールに飾るのか?」

「勿論だ。平原で見るのと屋内で見るのでは、全く印象が変わる。絶対に腰を抜かすぞ。それと、あれはブタじゃない。猪だ。正しくは牙鬼王と呼べ!」


 カルロスが得意そうに言った。

 こうしたときのカルロスは天真爛漫(てんしんらんまん)で、子供のように見える。


「それは楽しみだ」

「あっ。それと写真だが……。ノエルが何と言おうと、エントランスホールの壁に飾るからな。そこは(ゆず)らん」


 カルロスがオレを指さし、言い放った。


「うーん、分った。写像技師の頑張りを無意味にするのも、申し訳なかろう。好きに飾ってくれ」


 オレはカルロスに頷いて見せ、熱い茶を(すす)った。


「話は変わる。オマエの生い立ちについて確認したいのだが、二人だけで話すか?」


 カルロスは椅子に座り直すと、真面目な顔で切り出した。


「いや。せっかく茶を楽しんでいるんだ。人払いの必要はない」

「わかった。それでは今後のために、お互いの情報を共有しよう」

「ああっ」


 オレの横でクレアが背筋を伸ばし、ぴきっと固まった。

 多分おそらく、カルロスに頼まれてオレの情報を売り渡したのだろう。

 まあ、根っからの善人なので仕方がない。


「悪く思わんで欲しいが、オマエの身分証明書を作るにあたり、冒険者ノエルについて調べさせてもらった。ドラローシュ侯爵さまは、何でも調べたがる人でな。その調査能力も、人並み外れて高い」

「鑑定のスキルか?」

「そこは想像に任せる。俺の口からは言えん。でだ、ドラローシュ侯爵さまの戸籍調査と闇烏(ヤミガラス)が収集した情報から、冒険者ノエルはノバック伯爵家の出身であろうと見当をつけた」


 カルロスが探るような目つきで、オレを見た。


「続けてくれ」

「これは国家機密だが、ノバック伯爵家と言えば特殊な『精霊使い』を輩出する血筋」


 良く調べた。

 ドラローシュ侯爵の身分と天才的な論理能力、それに闇烏(ヤミガラス)類稀(たぐいまれ)なる情報収集力。

 全くもって(あなど)れん。


「世間で『精霊使い』と呼ばれる連中は、特殊なアイテムで精霊を寄せ、独特の精霊言語を用いて力を借りる。だけどノバック伯爵家の異能は、力ある精霊との契約だ。精霊に特化した魅了の力かも知れない。断言できないのは、どちらの能力もオレに備わっていないからだ。オレの異能は兄たちとも違う。オレは精霊を宿す器だ」


 カルロスが『精霊使い』の呼称を用いたので、オレなりに簡単な注釈を加えた。


「やはりか……。言葉遣いや礼儀作法から平民ではないと思っていたが、伯爵さまのご子息とはな。ノエルさまとお呼びした方が(よろ)しいでしょうか?」

「やめてくれ。家名は捨てた。オレは単なるノエルだ」

「それではノエル。オマエの話を聞かせて欲しい。その身体は、どうなっている?三十を過ぎたガチムチ探索者が、どこをどうすれば可憐な乙女になるんだ?」


 当然の疑問である。

 だがオレは、カルロスの望む答えを持ち合わせていなかった。


「オレにも分からん。だけど、こうなった過程は語ることができる」

「よかったら聞かせてもらえるか……?」

「それが聞きたかったんだろ。遠慮するなよ」


 オレも闇森の迷宮については、誰かに話したかった。

 これまでは、適切な聞き手を見つけられなかっただけだ。

 自分の中で消化しきれない出来事は、抱え込んだりせずに吐き出した方がよい。

 聞き手が感情を拾ってくれるなら、尚更よい。


 そんなわけでオレは、ラクロットの裏切りと迷宮からの脱出劇について語り始めた。


 気を利かせたクレアが、エリカを連れて静かに退出した。

 幼い子供に聞かせる話ではない。




 ◇◇




「なるほど……。モンスターの討伐を含めて、十二回も死んだのか」

「死ぬ度に、オレの外見は変わって行った」

「仇のラクロットは……?」

「探す余裕などない。そもそも身分証明書がないので、領境の関所を越えられない。越えようと思えば手段はあるだろうが、犯罪者になるつもりはない」


 ティーポットに湯を注いでいた颯香(ふうか)が、深々と頷いた。


「それにしても酷い名だな」

「ラクロット(クズ)か……?」

「ああ……。普通、自分の子に、クソとかカスを意味する名は付けないだろ」

「ヤツも名を呼ばれるのが嫌そうだった。仕方ないからオレは、バディー・ロットと呼んでたよ。だけど冒険者ギルドの会員登録には、戸籍の写しが必要になる。メンバーカードの記名もラクロットだ。嫌だからと言って、名前は勝手に変えられない。よく周囲の連中から揶揄(からか)われていたよ。冒険者ギルドでは、受付からもラクロットと呼ばれていたな」

「フーム。それが捻くれちまった原因かな?」

「あいつの事情なんて知るか!あいつはオレを裏切り、背中から刺したんだ」


 あのとき闇森の迷宮で、ラクロットに対するオレの同情心は消え失せた。


「そりゃそうだ。ラクロットについては、こちらでも追手を放とう。手懸かりは覇道の剣(はどうのつるぎ)だな?」

「奴の顔には、派手な傷跡がある。鼻梁(びりょう)から左頬に走る古傷だ。おそらくは悪事を(とが)められて、誰かに斬られたんだろう」

「分かった。そちらはドラローシュ侯爵さまに依頼しよう。逃がしはせぬ!」


 これまでで一番、カルロスの目が怖かった。


「カルロスの心遣いには、感謝する。だが身分証明書が手に入れば、自分でやる」

「その身体でか?以前のようには戦えないのだろう」

「以前とは違う戦い方を身につけるさ」

「それには時間が必要だ。焦るな。ここに居ろ!」


 オレはカルロスの言葉に驚き、まじまじと見つめてしまった。


「オレは、豚よりも食うぞ。真っ当に働きたくても、何をしたらよいか分からない。モンスター討伐が終わった後は、食って寝てばかりいる。最低最悪の極潰しだ」

「気にするな。俺は牙鬼王モンスターに立ち向かったノエルの気概(ガッツ)を尊んでいる。それは俺の部下たちも変わらん。オマエとの出会いを神に感謝したいくらいだ」

「突然そんなことを言われても……」

「信じろ」

「…………」


 カルロスの気迫に負けて、オレの視線がティーカップに落ちた。


「よくぞ諦めず、生きて迷宮から戻った」

「いや。気がつくと、青空を見上げていた。何度も諦めたさ。諦めても諦めても、生き返ってしまうんだ。痛くて苦しいから暗闇を這いずって、出口を目指した。ただ、それだけだ」


 颯香(ふうか)はエプロンドレスから取り出したハンカチで、目もとを(ぬぐ)った。

 時おり、ひっくひっくと(しゃく)り上げていた。


「ノエル……。オマエは自死できた。だが、それを選択しなかった」


 カルロスは立ち上がり、オレの背後に回った。

 そして椅子の背から回した腕で、オレを強く抱きしめた。


「頑張ったな。俺はオマエを誇りに思う!」


 耳元で、小さく囁く。

 理想とする父親のように、力強くて、優しい声だった。


「遠慮せずに、サボイア家を頼れ。もう俺たちは家族だ」


 オレは誰かに認めて欲しいとは、思っていなかった。

 褒められたいとも、思っていなかった。


「……っ」


 それなのに、オレの目から涙が溢れた。




 ◇◇




 カルロスが管理する貧民窟は、町の人々に噂されているような酷い場所ではなかった。

 衣食住に問題はなく、何ならミドルタウンの一部より活気があった。

 サヴォイア家が地域民を教化しているからだ。


 教育、仕事の斡旋、福祉と、実に手厚い。

 住民たちは農作業の繁忙期に農家を手助けし、用水路の修復などの治水工事にもこぞって参加する。

 環境衛生を守るための清掃などは、子供たちに人気の小遣い銭稼ぎだった。

 賃金は極めて妥当であり、非道な搾取など行われない。


 また二千クローザの参加費用を支払えば、バザールに露店をだし、自由に商売ができた。

 委託販売も可能なので、この付近では女性たちの手内職も盛んだった。


 それでもここが貧民窟と呼ばれるのは、老朽化した建物ばかりで見窄(みすぼ)らしいせいだ。

 道路や家屋は町に所有権があって、代官の許可を得なければ作り直せない。

 要するに、多額の税金を代官に納めないと、工事の許可が得られない仕組みである。

 そもそも町の安全を守るための法律が解釈を歪められ、税収を上げる手段に利用されていた。


 本来はミドルタウンやアップタウンに暮らす裕福な人々から、税金を搾り取るのが狙いだった。

 この政策に巻き込まれた貧民窟の住民たちは、とっくに建て替えるべき家屋での生活を余儀なくされていた。

 ぼろい集合住宅は、いつ倒れてもおかしくなさそうに見えて怖い。

 だけど、実は倒れる心配などないらしい。


 カルロスの説明によれば、建て直しの許可を得られなくても、家屋の補強は完璧だそうだ。

 リュシェール子爵の部下に見つからないよう、道路もコソコソと修繕しているらしい。

 貧民窟のボスは姑息である。


 このような事情があって、新たにサヴォイア家の住人となったオレとクレアは、貧民窟で暮らす人々に難なく受け入れられた。

 それどころか、何でも喜んで受け取り、相手が見ている前でパクパクと食ってしまうので、面白がって餌付けする者が後を絶たなかった。


「ほれ、サービスだ」

「こんなに貰ったら、申し訳ないよ。儲けが消えちゃうでしょ」

「なぁーに、カルロスさんには世話になってるからな。アンタらに、お返しだ」

「あ、ありがとう」


 (しっか)りと商品を購入してから受け取るオマケなのだが、何となく申し訳なかった。

 結局は喜んで平らげてしまうのだから、我ながら情けない。


「よく食うなぁー」

「腹を壊すんじゃないよ」

「うちのミートパイも食べて行きな」

「果実水を飲め」


 バザールを抜けるまでは、食べもので両手が開かない。

 すげぇ幸せだ。


「あたし、ずっとここに住みたい」

「オレもだ」


 オレはミートパイを齧るクレアに、頷いた。


 クレアに案内されながら町娘の衣装でバザールを散策する時間は、正直なところ極楽だった。

 モンスター討伐の貢献者たちを見送るため、毎日のようにドレスを着せられていたので、この開放感は格別と言えよう。

 踵が高い靴やウエストを締め上げるコルセットは、長時間の着用に適さないと思う。


 貧民窟を出て(しばら)く道なりに歩くと、乗合馬車の待合所がある。

 カルロスはサヴォイア家の馬車を使えと言ってくれたが、目的地はアマンダ婆さんの古物商だ。

 小奇麗だけど窓ガラスもない店舗が建ち並ぶグベール通りに、高級馬車は相応しくない。

 場違いなのだ。


「時間通りですね」


 クレアが駅舎の壁掛け時計を見て、ウンウンと頷いた。


「チケットを買おう」


 町の要所を繋ぐ乗合馬車の本数は、とても少ない。

 乗り遅れると、昼近くまで待たされる。

 時刻表のメモは必須だった。


 乗合馬車の定員は十六人で、オレとクレアが座席に着くと車室が満員になった。

 残る乗客は、馬車の屋根に設置されたベンチを利用する。

 ちゃんと階段も備えているのだ。


 正面に座る男たちに好奇の視線で迎えられたが、気づかぬ振りでやり過ごす。

 若い娘をガン見したがるのは男の(さが)だから、多少であれば許そう。

 隣が赤ん坊を連れたご婦人なのは、(さいわ)いだった。


 揃いも揃って男たちが鼻をヒクつかせているのは、オレの身体から漂う()も言われぬ良い匂いのせいだろう。

 全身に擦り込まれた颯香(ふうか)の香油である。

 さわやかなスパイスの香りだ。


「ノエルさん、すごい見られてますよ」


 クレアが小声で、オレの耳元に囁いた。


「問題ない」


 狂暴な魔獣にエサとして()めつけられる恐怖を思えば、男どもの視線など、どうと言うこともないはず。

 まあ、あんまり凝視(ぎょうし)されると、恥ずかしくて頬が火照るけどな……。


「……っっ」


 いやいやいや……。

 こうやって注目されるのは、ちょっと苦手かも知れないぞ。

 オレは頭に載せていたクロッシェ帽子を目深まで引き下ろした。


 カンカンカン!と、発車を知らせるベルが鳴った。

 御者の合図で走りだした乗合馬車は、ガラガラと車輪を鳴らし、町の東を目指した。



 アマンダの店は、節操のない中古品で溢れていた。

 武器から鍋釜(なべかま)に擦り切れた毛布まで、()して広くもない店内にギッシリと並べてある。


「相変わらずの混沌(カオス)空間だな」

「でも、掘り出し物があるんですよ。宝さがしみたいで楽しいです」

「オレには、ゴミ置き場にしか見えん」

「失礼なことを言うんじゃないよ!」


 店先で話すオレとクレアの声を聞きつけて、店の奥から小柄な婆さまが顔を出した。

 この店の女主人アマンダである。


「婆さん。来いと言われたから、来たぞ」

「ふん。人の店を悪しざまに(けな)しよって……。オマエなんぞ招くんじゃなかったよ」

「はぁー。耳がよい」

「まだ耄碌(もうろく)しちゃいないからね!」

「で、オレは何を聞けばいいんだ?」

「また変わったね。まさか女装趣味に目覚めた訳じゃあるまい?」

「分かって(たず)ねているなら、アンタも相当に意地が悪いな」

「根性曲がりは、耄碌(もうろく)した婆の演技だよ。口が悪けりゃ、冷やかしの客は近づかんだろ。こちとら、身上を探られたくない立場なのさ」


 なるほどと、オレは頷いた。

 オレとクレアはアマンダに誘われるまま、店の奥へと向かった。


「こっちが本業さ」

「ほぇー!?」

「…………」


 汚らしいカーテンを潜ると、その先には壁一面に装飾品が展示してあった。


「精霊使いが身につけるアクセサリーだ。それぞれ目当ての精霊を呼び寄せるように、工夫を凝らしてある」

「すごい、すごい!」


 はしゃぐクレアの横で、オレは一冊の本に目を吸い寄せられた。


 本のタイトルは【お月さまと姫君】である。

 しかも下巻だった。

 欲しい。


「この本は……」

「それも特定の精霊を寄せる道具だよ」


 アマンダは思わせぶりにオレの顔を覗き込み、ニヤリと笑った。


「この古びた本が……?」


 オレは興味無さそうな素振りで、言葉を濁した。

 オレの欲望に気づけば、アマンダが本の価格を吊り上げるに違いないと考えたからだ。


「現にアンタは、その本に惹かれてきたじゃないか」

「えっ?」

「いやぁー、見事だ。こうして間近にすると、完璧なアマルガムだね。その本性は水銀(メルクリウス)。人と精霊との結合(マージ)だ。正直に白状しな。アンタは精霊との融合体だろ」


『人は見かけによらない』と言うが、このしょぼくれた婆さんにはすっかり騙された。

 陰気で無口な寂しい婆さまかと思っていたのに、よく喋る。

 しかも博識っぽい。


「婆さん。オレを(だま)していたな」

(だま)す……?これまた酷い言い草だね。アタシはナバロ神聖皇国から逃げ出した政治亡命者だからね。ペラペラと素性を明かすことなどできやしないのさ」

「隣国からの亡命者……」

「あそこは精霊研究の盛んな国だったけど、風向きが変わってね」

「ああっ、政権交代か……」

「第一皇子を支持していた精霊術師や研究家は、あらかた粛清されちまったよ」

「なぜオレに、その話を……」

「この本をアタシが所有している限り、アンタは裏切らないからだ」

「………っ!」


 アマンダは両手で(かか)げた本をオレに突き付けた。

 革装丁の表紙には、金箔を使った神聖文字で【お月さまと姫君】と(しる)してあった。


「遠い昔に()られた、初版本さ。古代魔法の真髄が、ここに詰め込まれている。だが重要なのは、水鏡の精霊(リフレクター)が大好きな品ってことだ」

「りふれくた?」

「ノバック伯爵家では、『死返し(ペイバック)』の精霊と呼ばれているらしいね」

「………………」


 オレは口を引き結び、アマンダの(かか)げた本を見つめた。

 本が移動する度に、オレの視線も右へ左へとついてまわった。


水鏡の精霊(リフレクター)結合(マージ)したアンタは、この本の所有者を好きになるってことさ。ほーら、アタシと仲良くしたくなって来ただろ」

「エェーッ。本当ですかノエルさん!?」

「何だか本当っぽい」


 悔しいけれど、オレの中で『死返し(ペイバック)』の精霊が嬉しそうにステップを踏んでいる。

 そのせいかオレまで、アマンダが天使に思えてくる始末だ。


「心配は要らないよ。これは保険さ。アンタに都合の悪いようなことは何も起きない」

「オレを隷属させたって、一クローザの得もないぞ。貧乏人だからな。死ぬ度に弱っちくなっちまったから、婆さんを守ることもできない。それと要人暗殺とかなら、事情がどうあろうと断らせてもらう」


『だから、その本をくれ!』と、付け足したい。


「疑り深い男だよ」

「ノエルさんは娘です。先日、モンスター討伐で死んださいに、男から性別が変わりました」

「ほぉー。興味深い話だね。それで蘇生したのは、何回目だい?」

「十二回だ」

「…………そいつは。完全融合だね」


 アマンダの目が驚きに見開かれた。

 しかも精霊研究者の好奇心に操られたのか、オレの股間を探ろうとした。


「触るな!」


 当然オレは、その手を払い除けた。

 そこに()れてもいいのは、颯香(ふうか)だけである。


「すまないね。つい……」

「あのなー。『ついうっかり』で股間に触られて、堪るか!」

「言葉遣いはアレだけど……。アンタ、ほっぺが赤いよ。心に乙女を飼っているね」


 アマンダは口元に両手をあて、グフフと笑った。


「ぐはっ……!?」


 オレの堅牢な精神防壁が、一撃で突破された。


 とんでもない婆だ。

 いい歳をして、よくもまあそんな恥ずかしい台詞(セリフ)を吐ける。


「アタシにだって些細(ささい)な思惑ならあるけれど、具体的な狙いはないね。全ては運命の(おもむ)くままさ。アタシも、そこのクレアも、舞台に用意された配役の一人に過ぎない」

「何だそれは……」

「大きな力の話だよ。長いこと精霊を研究していると、選ばれた存在が居ることに気づいてしまうのさ。ほら。絵本を読めば、主人公が誰かは明白だろ。それと同じさね」

「選ばれた……?」

「アンタのことだよ。アンタが主役だ。何ならアンタを裏切りって背中から刺した男も、運命が用意した要素(コマ)に過ぎない」

「余りに突拍子もない話なので、理解が追い付かん」

「はっ。頭の片隅(かたすみ)にでも置いておきな。そのうち、『あー、なるほど』と思うときが来るやも知れん」


 アマンダは出来の悪い生徒に話すような態度で、説明を放り出した。


「つまりオレがこのようであることは、運命だと」

「分かっているじゃないか……。大いなる意思だよ」

「悩んでいたのが、馬鹿らしく思えてきた」

「そうかい、そうかい。そりゃあ、良かったね」

「月の女神イーリアが加護をくれたのも、大いなる意思のお導きってヤツか」

「ツキ、イーリア……?」


 オレの言葉に、アマンダが呆けたような顔をした。


「もう手札が揃っているのかい。水銀(メルクリウス)(鏡)と月の女神(イーリア)……。あいやー。相当に強い役だね」

「そのメルクリウスって、何だ?」

「これは済まない。アタシらが使う専門用語(ジャーゴン)なのに、説明していなかったね。他の金属と合金を作りやすい水銀(メルクリウス)が、精霊や神の憑代(よりしろ)を呼ぶさいに用いられるんだよ。ナバロ神聖皇国で教えられていた精霊学では、中級に上がると習う単語だね。もともとは研究室でのみ使われていた、非公式の隠語だ」

「…………」


『そんなもの知るか……!』と、思う。

 リネール王国では錬金術師たちが使用する水銀(メルクリウス)の意味に、憑代(よりしろ)なんて含まれない。

 水銀(メルクリウス)と言えば、板ガラスに水銀合金(アマルガム)を張り付けて、高価な鏡を作るくらいだろう。


「そもそもの話、憑代の異能が珍しい。そのうえで、蘇生系の精霊を身に宿すケースが稀だ。また蘇生系の精霊を手に入れたとして、十二回もの死に堪える奴など()らん。大抵はやんごとなき方々が、もしもの時に備えて蘇生系の精霊を手に入れるのだけど、一度でも死ねば震え上がってしまう。その先へ進もうと考えるのは、精霊研究者くらいだ。古文書を調べても、数名しか見つからんよ。その貴重な記録から、十二回で精霊との融合が完成すると分った」

「そうかぁー。十二回も死なないと、精霊との融合は完了しないんだ。まあ確かに、十二回も死ぬのは嫌だな。オレだって他に手段があるのなら、死なずに逃げていたさ。どうしようもなく弱かったせいで、(みじ)めに殺されただけだ」


 オレはアマンダの話を聞いて、さもありなんと頷いた。


「四大元素系の精霊なんかは、人と融合しない。憑代(よりしろ)が死んでしまったら、四大元素系の精霊には蘇生させられないからね。だけど地水火風の属性は、分かりやすい力を授けてくれるから人気があるんだ」

「分かる。オレがペイバックの精霊を宿したと聞いて、親父さまは苦い顔をしていた」

「だけどね。異能力の有用性や分かりやすさだけが問題じゃないよ」

「他に何がある?」

「今、アンタが苦労しているだろ」


 アマンダが思わせぶりな視線をオレに向けた。


「外見の変化か……」

「それこそが、もっとも難儀な問題さ。精霊が憑代(よりしろ)の姿を変えてしまうのは、人で言えば住みやすいように家を建て直すようなもの。だけど王侯貴族が別人のような姿になってしまったら……?」

「あーっ。それは問題だな。色々と騒動が起きそうだ」

「そうやってナバロ神聖皇国では、第一皇子派と第二皇子派が殺し合いを始めたのさ」

「フーン。外見が違うから、皇位継承に相応しくないと……」

「結局、第一皇子のフェルナンドさまは政争に敗れ、立坑(ピット)に落とされた。蘇生しても這い上がって来れない、深い深い穴の底にね」

「………………」


 怖い話である。

 想像しただけで、背筋に悪寒が走る。

 地中の暗闇と死は、オレの心を震えさせる。


「オマエのように完全融合した混ざり者(ミックス)は、奇跡の存在だ。大いなる意思の導きには従うが、アタシも好奇心を満たしたい。報酬は、この本でどうかね?アンタは調査に協力する間、この本を読める」


 アマンダは【お月さまと姫君】を交換条件として提示した。

 ただし協力している間、見るだけ(・・・・)だ。


「そうか、そう来たか……。承知した。勝手に触ったりしなければ、協力しよう。ついでに胸と背中も見るかい?」

「背中……。何だね、それは……?」

「えっとですね。ノエルさんの身体には、神聖文字が浮かんでいるんです」

「…………!?」


 クレアの説明を聞いて、アマンダがまじまじとオレを見つめた。


「胸のヤツは、ペイバックに憑依されたときだな。背中のヤツはモンスター討伐で死んだとき、月の女神イーリアに(しるし)を付けられた。多分……。自分の所有物に名前を書いておくようなもんじゃないか?」


 オレは仕方がないので、アマンダに自分の考えを述べた。


「くっ……。百聞は一見に()かずじゃ。丁度よい。紹介したい職人が居るからついて来な。そいつのところに行けば、着替えのスペースがあるからね」


 アマンダは店先にちっぽけな魔法具を置き、さっさと歩きだした。


「おい。あんなので、本当に大丈夫なのか?」

「人嫌いな精霊を放ったのさ。(しばら)くすれば、誰も近寄りたくなくなるよ」

「あーっ。これっ、わたし知ってる」


 クレアがアマンダの店を指さし、オレに訴えた。


「おぉ、こいつは……。迷宮で見落とされがちな、隠しルートに関わっている精霊(ヤツ)だな!」


 アマンダの店は、見えているのに認識できなくなった。


迷家(まよいが)の精霊さね。便利だろ」

「ムムム……。ふん(づか)まえて折檻してやりたいけど、便利な点は否定できん」

「うんうん」


 闇森の迷宮で、幾度となくルートを見失った経験を持つオレとクレアは、複雑な気持ちでアマンダの説明を聞いた。

 二人して、苦り顔だった。


「とうとう茶の一杯も出なかったな」

「ですねー」


 オレとクレアの口から、アマンダに対する不満が漏れる。

 迷家(まよいが)の精霊なんてものを使役する老婆には、悪態をぶつけても構わない。


「オマエたちだって、手土産の茶菓子を持ってこなかっただろ!」


 アマンダが気まずそうな顔で、言い返した。


「そもそもの話。座る場所もない狭い店で、一杯の茶を待ち続けたのが間違いか……?」

「アタシたちアポイントも取らずに、突然お邪魔しましたからね」

「でも茶を飲みに来いって、誘われたんだぞ」

「ちっ。分ったよ。今度から店のすみを片付けて、ティーテーブルを置いておくよ。それでいいだろ!」


 オレとクレアが嫌味を並べたら、アマンダは渋々と言った様子で折れた。


 オレとクレアはニッコリ笑った。

 オレたち二人は、腹ペコ仲間だった。

 何も口にせず長話をするなんて、オレたちにすれば『コレは苛めか?』と疑うような仕打ちなのだ。


 認めよう。

 オレとクレアは知らず知らずのうちに甘やかされ、カルロスに餌付けされてしまったのだ。

 もとの生活に戻れる自信は、爪の先ほども残されていなかった。

 肉屋、(おそ)るべしである。



 アマンダに連れられて到着したのは、職人通りの一角にある風変わりな工房だった。


「ここだよ」

「おいおい婆さん。看板がピンクだぞ」

「うわぁー。縁取りが花柄ですよ。アマンダさん、ここは本当に鍛冶屋なんですか……?」

「鍛冶屋だよ。衣装や宝飾品も扱ってるけどね」

「なんで衣装……?プレートアーマーじゃないのか……?」


 オレは首を傾げた。


 鉄を打つ槌音(つちおと)もしないし、工房の壁には美しい花を植えたプランターが飾られていて、少しも鍛冶屋らしさがない。


「モーリス。ちょっくら邪魔するよ」


 アマンダがドアベルをカランカラン鳴らして、工房に足を踏み入れた。

 オレとクレアも、アマンダの後に続く。


「あら、セーンセ。とんと、お見限りでしたわね」

「何を言ってるんだい。亡命者同士でつるめば、追手に見つかる危険度が増す。お互いに避けているくらいで、丁度いいのさ」

「それで今日は、どうなさったのかしら……?」


 オレとクレアは、工房の主人をガン見して固まった。


 筋肉質で背が高く、知的な印象の青年が、クネクネと(しな)を作りながら、独特な女言葉を口にする。

 好奇心が旺盛なのか工房の主人は翠玉(エメラルド)の瞳を輝かせ、オレとクレアの様子を観察している。


 かく言うオレも、奇妙な主人の外見をじっくりと観察した。


 軽くウェーブのある長い金髪は、うなじできつく縛り背中に流してあった。

 身に着けているのは、地味な灰色の作務衣(さむえ)だった。

 髭は生やしていなかった。


「こちらの二人は、セーンセのお弟子さんかしら……?」


 工房の主人は、そう言いながら唇に指先を当て、コテンと首を傾げて見せた。

 明らかに計算された女性的な仕草が、ともすれば獰猛(どうもう)な野獣を連想させる青年に、優しげな雰囲気を(まと)わせていた。

 柔和な話口調は妙に馴染んでいて聞く者の耳に心地よく、欠片も不自然さを感じさせない。


「何だ、これは……?」

「オネェですよ。女性のように振る舞う、男の方です」


 オレの囁きにクレアが応じた。


「そこ。そうやって(うつむ)きながら、コソコソと内緒話をしない。失礼でしょ?」

「あっ……。申し訳ありません」

「ごめんなさい」


 オレたちはモーリスに頭を下げた。


「あらん……。二人とも、可愛らしい顔をしているじゃない」

「初めましてモーリスさん。ノエルと申します」

「クレアです」

「偉いわー。ちゃーんと御挨拶ができるのね!」


 オレたちの不作法な態度を皮肉った台詞だが、初対面の客から緊張を取り除くために用意された、軽いジョークのようでもあった。

 その証拠に、モーリスの目つきには、オレを気遣うような様子があった。


 オレ……?

 不安に思われているのは、オレだけか……。


「この子。白い髪の、クロッシェ帽子を被っている方。宵闇の空(アメジスト)みたいな色をした儚げな瞳で、今にも泣きそうにしてるんですけど……。ほらほら、オネェは怖くないのよぉー」


 モーリスは膝を折って屈み込み、オレの(ほお)に指先で触れた。

 どうやら本気で機嫌を取ろうとしている様子に、オレも言葉を失った。


「モーリスさん。ノエルさんは、もとからこんな顔なんです。美味しいものを食べるときも、物憂げな顔をしているんです」

「そうなの……?何よ……。(まぎ)らわしい子ね。失礼しちゃうわ!」

「はぁ……!?」


 いや。

 そうやってオレを責められても、困るんだが……。

 勝手に勘違いした挙句、オレとクレアを子ども扱いするのも、随分と失礼だろ。


 そうだよ。

 失礼なのは、モーリスの方だ。

 オネェとやらのペースに翻弄(ほんろう)されて、(あや)うく(だま)されるところだった。


「で、セーンセ。この子たちはナニ?」

「そっちの泣きそうな……。コホン。ノエルの方に、本式の精霊武器を(あつら)えて欲しい」

「エェーッ。こんな細っちい子に、武器ですって……!?」

「防具とアミュレットも、セットでな」


 アマンダが横柄な態度でモーリスに命じた。


「もー、何なのよ。アナタ、ノエルだっけ……。悪いことは言わないから、危なくなったら強そうな男を見つけて泣きつきなさい。アナタなら、もう間違いなく守ってもらえるから……。てか、アナタみたいに可愛らしい子は、危ない場所に近づいたらダメ!」


 モーリスがオレの肩に手を置いて、(さと)すような口調で言った。


「余計なことを話してるんじゃないよ」

「だって、この子が自分で戦うより、ずーっとましでしょ?」

「いいからオマエは、黙ってアタシの言う通りにしな。グズグズしていると、ノエルが癇癪(かんしゃく)を起すよ!!」

「はーい」


 モーリスは渋々と言った(てい)で、工房の奥へ向かった。


 モーリスが優雅に歩くだけで、上下に揺れる尻。

 どうやれば、あんなに尻が揺れるんだ?


「さてと……。こちらは試着室を勝手に使わせてもらうとするかい」

「おう……」


【お月さまと姫君】の下巻が、アマンダの手からオレの手に渡った。


 オレは大きな革装丁の古書を開き、最初のページから読み始めた。


 アマンダは試着室にオレを連れ込むと、手際よくコルセットスカートの留め具を外した。

 オレはシュミーズを脱ぎ落とし、ドロワーズだけになって胸と背中を見せる。

 その間も意識は、色なし姫の冒険に釘付けだ。


「おお、神聖文字の刻印だ。書体は偉く古いね。フィネガス文明の遺跡で発見された文字に似ている。確かに、月の女神イーリアの印だよ」

「…………何よそれ!?」


 作業場から戻ってきたモーリスが、オレの背を見て目を丸くした。


「モーリスや。ノエルは、単なる精霊使いじゃない。憑依体質持ち(メルクリウス)なのさ。十二回の死と再生を乗り越え、水鏡の精霊(リフレクター)と完全に融合(マージ)しよった。しかも月の女神イーリアまで、その身に宿らせておる」

「それってもう、神子(みこ)じゃないの……!?精霊宮の大司祭さまでも、(かしこ)まって(こうべ)を垂れるわ」

「政変が起きる前の、ナバロ神聖皇国ならね。ところが、この国では何者でもない。只の宿無しノエルさ」

(やしろ)を持たぬ、流浪(るろう)の神子……。尊いわー」


 モーリスはオレの足元に(ひざまず)き、足の爪先に(うやうや)しく口づけをした。


「そうやって(あが)めるのは良いことだが、この娘はつい最近まで男だったんだよ。ガッチリと身体を(きた)えた迷宮探索者で、キメラとやり合えるくらい剣の腕が立った」

「お・と・こ……?」

「精霊と融合(マージ)した結果、アンタとは違った意味で、おかしな生き物になっちまったけどね」

「エェーッ。ウソデショ……?ホントなの……?イヤーン、お仲間かしら?」


 アマンダとクレアは、真顔になったモーリスに力強く頷いて見せた。


「わたしが知る限り、ノエルさんは屈強なオッサンでした」


 クレアが神託を告げる聖女のような厳かさで、『屈強なオッサンでした』と伝えた。


「うそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!マジかよオイ!?そんなの、こいつが可哀想だろ!!」


 工房の床に(うずくま)ったモーリスが、ドンドンと床を叩いた。


「モーリス、ちょっと落ち着きな」

「あらん……。アタシとしたことが、ついつい取り乱してしまったわ。ごめんなさい」

「謝罪は、どうでもいいから……。精霊鍛冶として、仕事を引き受けてくれるのかね。どうなんだい?」

勿論(もちろん)、やらせてもらうわ。任せてちょうだい」


 モーリスは同情するような眼差しで、オレをジッと見つめた。


「自ら鍛え上げて、信じ切っていた筋肉に裏切られるなんて……。悲劇ね。かわいそう。でも、アタシが何とかしてあげるわ」

「…………っ」


 初めてオレの内面を言い当てた相手は、驚くべきことにオネェだった。

 その事実が、オレを何とも言えない複雑な気持ちにさせた。


「ところでセーンセ。この子、どこで拾ってきたの……?こんな子、探したって見つからないわよ」

「探していないし、拾ってもいない。ノエルの方から勝手に転がり込んできたのさ。これこそ大いなる意思のお導きだよ」

(にわ)かには、信じがたい話ね」

「アタシの話を信じる必要なんざ、これっぱかしもないね。後になってから、しみじみと納得するだけさ。『あーっ。あれは、そう言うことだったのか……?』ってね。モーリスもアタシも、大いなる意思の手でノエルの行く先に配置されたコマなのさ」

「運命の巡り合わせってヤツ?」

「運命と呼ぶには、アタシらの置かれた状況が、余りにも作為的に過ぎると思うね。だから大いなる意思なのさ」

「フーン」


 それからモーリスは、オレ専用の装備を作るために身体の寸法(サイズ)を測ったり、筋量を調べたり、血液の採取までした。

 アマンダと問答を交わしながら、何枚ものメモ用紙を数字や記号で埋めて行く。

 色々なデータを取り終えたときには、とっくに正午を回っていた。


「これで気が済んだか……?」

「終了。終了……。もう終わりだよね!」


 閉じた絵本を渋々アマンダに返却すると、猛烈な飢餓感がオレを襲った。

 横を見れば、クレアがお腹に手を当てて切なそうにしていた。


「腹が減って眩暈がする」

「もうペコペコです」


 リネール王国の神子と大聖女さまは、ドラゴンみたいに食い意地が張っているのだ。

 食事の時間が遅れても気にしない研究バカとは、付き合いきれません。


「ビスケットか何か、ないのかよ?」

「あら、間食は美容の敵よ」

「そんなもん知るか!?」


 ここでも、お茶と茶菓子は(すす)められなかった。

 本当に、気の利かない連中だよ。

 信じられない。


「二人は忙しそうだから、わたしたちだけで行きましょう」

「ああっ。こいつらを待っていたら、日が暮れちまいそうだ」


 アマンダとモーリスは、ずっと二人だけで話していればいい。

 オレたちも勝手にさせてもらおう。


「わたし、パスタの美味しいお店を見つけたんです」

「その店では、こってりしたシチューも頼めるかな?」

「タンシチューが絶品です」

「よし、そこにしよう」


 オレたち二人はモーリスの工房を後にして、パスタの店に向かった。






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