裏社会の顔役、ノエルの訪問にたじろぐ:カルロス視点
我がサヴォイア家は、曾祖父の時代から影の組織と通じている。
影の組織は、闇烏と名乗る異能力者の集団だった。
諜報活動や暗殺を生業とする、奇矯な一族だ。
俺が知る限りでは、闇烏の長ほど諦観に染まり切った瞳を持つ者は居なかった。
それはまるで、延々と死を見つめ続けてきたような、冥い目だ。
請け負った任務によっては、手下に死を命じることも珍しくないと言う。
こうした組織で長を務めるには、非情になるしかあるまい。
かくいう俺も、これまでに多くの部下を死なせてきた。
だが幸運なことに、一度たりとも『死んで来い!』と部下に命じた覚えがない。
だから孫娘のエリカを愛おしむ情が、俺には残されているのだろう。
この点に関しては、神に感謝を捧げたい。
五十も半ばを越えて、小さな孫娘とティータイムを楽しめるのだ。
極道爺さまの人生としては、上等な部類に違いない。
贅沢を言えば、罰が当たると言うものだ。
もう、いつ終わっても良い。
充分じゃないか。
そんな心構えでいたからか、いきなり『カルロス……』と声を掛けられたとき、驚きはしたけれど随分と平静でいられた。
声の主からエリカを部屋の外に出せと命じられたときにも、己の理性に従うことができた。
精神に恐慌を来す気配はなく、泰然自若として居られた。
『カルロス……。親分は常に堂々としていないと、格好悪いだろ!』
幼子の頃から、繰り返し祖父に叩き込まれた心構えが、役に立ったのだ。
エリカと一緒に、声の主から逃げようとは考えなかった。
部下たちに、『曲者を捕らえよ!』と命じることもしなかった。
闇烏に守られた屋敷である。
その中心とも言える執務室まで、誰にも見咎められずに侵入したネズミだ。
どう考えても、ただのネズミではない。
好奇心があった。
年甲斐もなく、負けじ魂に火が付いた。
俺の耳元で要件を告げた、川のせせらぎを思わせる涼やかな声音。
そうでありながら、二言三言、会話をしてみれば、冒険者の如き粗暴な口調。
一体、どのような姿をしているのか……?
正面から、向き合ってみたい。
俺は執務室の中央へと足を進め、ネズミが隠れられそうな場所に視線を走らせた。
ふぉ!!
今度こそ、本当に驚いた。
正直、よく腰を抜かさなかったものだ。
ネズミは、森の泉に舞い降りた精霊が如く、忽然とその姿を現したのだ。
俺の、目と鼻の先に。
あり得ないことだった。
「くっ。そこにいたのか……!?まったく気づかなかったぞ」
俺は動揺を隠し、なんとか体裁を取り繕った。
美しい。
それは美しい娘(?)に見えた。
サラサラとした白い髪に、透き通った紫水晶の瞳。
細くすらりとした手足。
だがしかし、衣装が残念だった。
ポケットの多い外套は、冒険者が好んで着るデザインか。
色は汚れが気にならないオリーブドラブだ。
その下に着込んでいる粗末なシャツとズボンは、丈夫さと動きやすさだけを重視した作業着だろう。
うちの下男でさえ、ずっとましな衣服を身に着けている。
パッと見の印象は貧しい農夫の小伜か、下水道に隠れ住む浮浪児である。
鼻が曲がるような体臭を予期して、顔を顰めるレベルだ。
近づいても臭わないことに、却って驚く。
素材は良いのに、洒落っ気の欠片もない。
俺と交渉するために着飾って来いとは言わないが、せめて門番に追い返されないレベルの装いであるべきだろう。
自分の恵まれた外見を何だと思っているのか。
まあ、事前に手紙で訪問の約束を取り付けるでもなく、何処からともなく忍び込んできたのだ。
世間の常識をとやかく言っても、意味はあるまい。
いや、むしろ意識的にマナーを無視しているのではあるまいか。
ネズミの態度には、敢えて無法者を演じる根性の拗けた貴族のような気配さえ、感じられた。
ネズミは断りもせずソファーに座ったが、ローテーブルに足を載せなかった。
履いている半長靴は使い古された品だけれど、キレイに手入れがされ、不快な汚れもついていなかった。
粗暴で礼節に欠けるが、決して無意味な挑発をしてこない。
よくよく、ここまでの流れを顧みるに、その行動は真摯でさえある。
無法者なら、孫娘のエリカを交渉に利用しただろう。
絶対に、退席を促しはしない。
そんな俺の想像は、不法侵入の詫びとしてネズミがローテーブルに置いた品を見るなり、雲散霧消した。
人は見かけによらない。
どれほど非力そうに見えても、その実力を想像では推し量れない。
暴れイノシシの牙だと聞かされたとき、又もや俺は気合を入れ直した。
そうでもしないと、威厳ある親分の振舞いを維持できそうになかったからだ。
イノシシの魔獣である暴れイノシシは、闇森の迷宮に棲息すると言われている。
それも、かなり深いエリアだ。
ネズミは冒険者なのか。
だとすれば実用一点張りで、闇に紛れそうな衣装にも納得がいく。
冒険者の衣装は、派手か地味かの両極端だ。
隊商の護衛などに就く冒険者は派手な装いを好み、迷宮探索の専門家は地味な装いを好むと相場が決まっていた。
前者は自己アピールと威嚇のため、後者は環境に溶け込むためだ。
俺には、素材の鑑定など出来やしない。
それでも手に取った暴れイノシシの牙は、俺を魅了した。
俺の勘は外れない。
古美術品だって紛い物を掴まされたことは、一度たりともない。
これは欲しい。
俺は不承不承ネズミの謝罪を受け入れ、握手を交わした。
妖精のように不確かな存在を確認すべく、ネズミの華奢な手を強く握った。
その柔らかで心地よい感触が、状況も弁えず俺を興奮させた。
まったく、男の性というものは……。
「だが、どうして一本なんだ?普通、牙は二本だろ」
俺は自分の劣情を覚られたくなかったので、暴れイノシシの牙に意識を戻した。
ごく自然に、話の筋から適切な質問をしたと思う。
その返答がこれだ。
「迷宮を出るまでは二本あったけど、マナドゥの町を目指す途中で嫌気が差したんだ」
荷物が重いから捨てたと言うのだ。
貴重なお宝を……。
信じられん!
さて、取引の話だ。
ネズミはサヴォイア家が目の敵にしている牙鬼王の討伐を提案してきた。
あの巨大猪をどうやって倒すつもりなのか見当もつかないけれど、ネズミには秘策があるらしい。
その対価は、正規の身分証だ。
ドラローシュ侯爵に頼めば可能だが、高くつく。
モンスターの討伐では、割に合わないかも知れない。
俺が渋っていると、ネズミは新たな品をテーブルに載せた。
「これは何だ?」
「魔石」
正直言って驚いた。
これほど大きな魔石は、王都ロワイヤルで催された魔法具展示会でも見たことがない。
その魔核がキメラの魔石だと聞かされて、かなり動揺した。
茶器や焼き菓子と並べて、ローテーブルに置いて良い品ではなかった。
クッションに載せて、宝物庫の奥に保管しておくべき品だ。
「これがキメラの魔石か……。割れているが傷は少ない。殆ど一撃で倒したのか?」
魔獣を倒すさいに手こずると、魔石は粉々に砕けてしまう。
だから手強い魔獣の魔石を二つに割れた状態で入手するなんて、とんでもない腕前の持ち主と言うことになる。
キメラは暴れイノシシなど比較にもならないくらい、強かったはずだ。
俺が知る限り、冒険者ギルドでキメラと戦えるパーティーと言えば、『栄光の剣』くらいだ。
その『栄光の剣』も、暫く前に消えてしまった。
ラクロットとノエルと言う、二人だけのパーティーだが、迷宮で想定外のトラブルに見舞われたらしい。
あの二人でさえ、キメラの討伐を目標にしていた。
腕っこきの冒険者であろうと、命の危険無くして狩れる魔獣ではないのだ。
それをこの細腕で……。
到底、信じられなかった。
信じられないが、身分証の値段としては充分だ。
ドラローシュ侯爵なら、原型を残したキメラの魔石を欲しがるだろう。
「次は、コイツだ」
そう言ってネズミが大きすぎる背嚢から出して見せたのは、鈍い光を放つ謎の球体だった。
「えっ!」
ここまで意地を張り、驚きを隠して来たのだが、ついうっかり声が漏れた。
「この魔核は闇狼のものだから、少し小さい。でも、そこは重要じゃない」
「傷がない。しかも、何だか脈打っていないか……?どうして魔石ではなく、魔核と……。もしかして、コイツは」
形容しがたい怪しい光は、確かに明滅していた。
ひっそりと、息でもするかのように。
「分かるかい。こいつは魔石じゃなく魔核だ。魔獣から剥ぎ取っても、魔石の機能が生きてるのさ。もしかすると、今も魔素を作っているのかも知れない」
もう、お手上げだ。
俺が話をしている相手は、一種の化物だった。
生きている魔核なんて、ルグラン魔石商が発行しているの商品カタログでも、ついぞ目にした覚えがない。
ルグラン魔石商と言えば、リネール王国でも随一の商会なのだ。
それを秘策があるの一言で片づけるネズミ。
一方、モンスター討伐の対価として俺が果たすべき役目は、簡単なオツカイだった。
『この魔核で、ネズミの戸籍と身分証明書を用意して頂きたい』と、ドラローシュ侯爵に伝えればよい。
説得もクソもなく、話は簡単に通るだろう。
何しろドラローシュ侯爵家と言えば、先祖代々に亘って魔法研究所に多額の投資をしている家柄だ。
当主のティエリー様からして、かなりの魔法好きときた。
むしろ今回の件では、特別に報奨を与えられる可能性もあった。
いいや、ネズミさえ懐に抱きこめれば、代官のリュシェール子爵を顎で扱き使えるようになるだろう。
それはもう間違いない。
「やってみよう」
俺は手前勝手な胸算用を押し隠し、さも難しい交渉であるかのように、演技をして見せた。
「もし駄目なら……」
「ん?」
「ここに生きている魔核が、二つある。でかいヤツだ」
なんてちょろいヤツだ。
どれだけ、身分証明書が欲しいのか。
「何の魔核だ?」
俺は駄目もとで訊いてみた。
用心深い売り手なら、手の内は明かさない。
「キメラから剥ぎ取ったものだ。欲しいかどうか、侯爵に訊いてくれ」
「オマエなぁー」
言うなりネズミは、赤子の頭ほどある魔核を手提げカバンから取り出し、ローテーブルに転がした。
「どうかね?」
「でっ、でかい!」
なんてこった。
試した自分が罪深く思えるほどの素直さじゃないか。
この馬鹿、どうしてくれよう。
教育が必要だろ。
「オマエの居場所を教えろ」
「何故だ?」
「ガーデンパーティーに招き、ファミリーに紹介する」
「ほぉー」
「次に訪れるときは、正門を通って来い」
「分かった」
「………………」
「まだ何か?」
「どうしてオマエは名乗らん!?」
俺はネズミの間抜けさに腹を立て、ローテーブルをぶん殴った。
だってそうだろ。
人並外れた才能を持ちながら、この間抜けさ。
身分証明書を作るには、必須情報として名前が必要だ。
それを置いても訪問先で名を名乗らないと言うのは、随分と失礼じゃないか?
不法侵入者だから、心の内で曲者と仮称しているけれど、俺だって取引相手の名前くらい知りたい。
こうしてみると才能ってヤツは、本当に残酷だな。
こんな間抜けが、探索者として偉業を達成するなんて、余りにも不憫じゃないか。
何とか頭角を表そうと足掻いている、冒険者諸君が……。
「ノエルだ」
ようやくネズミが名乗った。
しかも曰くありの名だ。
「ノエルか……。本当に、その名で良いんだな?今、冒険者ギルドで話題になっている、裏切者の名だぞ。キメラにビビッて、パートナーを見捨てた屑の名だ」
身分証明書に登録する名だから。
戸籍を作ってしまったら修正は困難なので、しつこく確認した。
「はっ。偽名じゃない。噂の当人さ」
「…………!?」
その発言に我が耳を疑った俺は、ついまじまじとネズミの眼を覗き込んでしまった。
くっ……。
なんだ、この目は……!?
これまで俺が知る限りでは、闇烏の長ほど諦観に染まり切った瞳を持つ者は居なかった。
だが、この日この時、闇烏の長が居座り続けたヤバイ目つき一位の席は、ノエルによって奪われた。
なんておっかない目だ。
まるで死の淵へ吸い込まれるような錯覚に陥ってしまう。
何をされたわけでもないのに、脂汗が滲んでくる。
これが虚無か。
いったい何を経験すれば、こうなる。
こいつは、どれだけ理不尽な人生を送ってきたんだ。
俺は魅了されたかの如く凍りついた身体を動かし、やっとのことでキメラの魔核に視線を落とした。
なんと切ない。
女らしさの欠片もない、冒険者のような口調で話す美しい娘が、不憫でならなかった。
どれだけ過酷な運命に弄ばれてのことか……。
普通の娘であれば、まだ恋に浮かれる年頃であろうに。
年寄りは涙もろいのだ。
不意打ちは止めて欲しい。
「これが、オレの居場所だ」
「…………ん」
ノエルと名乗った娘は一枚のメモを残し、執務室から消え去った。
本当に跡形もなく消えたのだ。
ローテーブルに置かれたキメラの魔核と闇狼の魔核がなければ、白昼夢を見たと決めつけて、メモを屑籠に捨てただろう。
「フゥー。どこまでも非常識なヤツだな!」
おそらく辛い思いばかりして、とことん性格が拗けてしまったのだろう。
さもなくば、わざわざノエルなどと言う悪評に塗れた名を選ぶはずがない。
しかも当人だと言い張る。
幾らなんでも、それは通らない。
ノエルと言えば、片手で大剣を操る屈強な冒険者だ。
華奢な娘に、当人だと言われても頷けない。
「やれやれ……。あれが偽悪趣味ってヤツか……」
他人に嫌われることを恐れるあまり敢えて自分から嫌われる要因を作り、『意図して嫌われたのだから、本当の自分は傷ついていない』と嘯いて見せる。
幼稚で厄介な、心の防衛機能である。
「これほどの素材を手に入れる腕がありながら、自己肯定感は極端に低い。周囲から、正当な評価を受けたことがないのだろうな」
なんとかしてやりたいものだ。
だが、取り敢えず今は、このバカほど貴重な品をどこか安全な場所に仕舞わなければ。




