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第二十三話 崩壊

 リウスが放つ光は、破壊の力ではなかった。

 それは「停止」と「保存」の力。

 触れたものを永遠に美しいまま固定してしまう、琥珀のような魔力だ。

「眠りなよ、アルド。……目覚めた時、君はもう苦しまなくて済む」

 光の波が押し寄せる。

 ミナが風の障壁を展開するが、光はその盾さえも優しく包み込み、無効化していく。

 殺意がないゆえに、防ぎようがない。

 純粋な「救済」の意思が、二人の自由を奪おうと迫る。

「くっ……! お節介なんだよッ!」

 アルドは光の波を、錆びた剣で殴りつけた。

 物理的な質量で、魔力の流れを無理やり乱す。

 だが、リウスの力は圧倒的だった。

 彼は塔と一体化し、無尽蔵のエネルギーを操っている。

「なぜ分からないんだ! 外の世界は地獄じゃないか! 飢えと、病と、争いが絶えない! なぜ、あんな場所へ帰ろうとする!」

 リウスが悲痛な叫びを上げる。

 彼の背後、空間が裂け、その力の源泉が露わになった。

 それは、巨大な真紅の心臓。

 無数の管がリウスの背中に繋がり、ドクドクと脈打っている。

「あれは……魔王の心臓か!?」

「そうだよ。……『願望機』だ」

 リウスは自らの胸を押さえ、苦しげに、しかし誇らしげに言った。

「僕はこれと融合した。……そして願ったんだ。『世界の全ての不幸を、僕一人で引き受ける』と」

 アルドは目を見開いた。

 この塔のシステム。

 人々の負の感情を吸い上げ、地下へ捨てていると言っていた。

 だが、そのフィルターの役割を果たしていたのは――。

「まさか……お前、自分自身を……!」

「そうさ。誰かが汚れ役にならなきゃいけない。誰かが泥を飲まなきゃいけない。……だったら、僕だけでいい。僕が耐えれば、みんなは笑っていられるんだ!」

 リウスの白い肌に、黒い亀裂が走っていた。

 彼は、何百万という人々の絶望、憎悪、悲哀を、たった一人の身体で受け止め、浄化し続けていたのだ。

 その代償として、彼の魂はボロボロに蝕まれているはずだ。

 それでも彼は、笑顔でアルドたちを「救おう」としている。

 狂気じみた自己犠牲。

 あまりにも純粋すぎる善意の暴走。

「……馬鹿野郎が」

 アルドの声が震えた。

 怒りではない。どうしようもないやるせなさが、胸を締め付ける。

「そんな顔で笑ってんじゃねぇよ……! カインが……お前の兄貴が、そんなことを望んだと思うかッ!?」

「兄さんなら喜んでくれる! 僕は世界を救ったんだ!」

 リウスが両手を広げ、最大級の光を集束させる。

「さあ、おいでアルド。君の痛みも、僕が引き受けてあげる!」

 光の奔流が放たれた。

 避ければ、背後の世界が消える。

 受ければ、自我が消える。

 アルドは、一歩も引かなかった。

 剣を構え、真正面からその「善意」へと突っ込んでいく。

「いらねぇって、言ってんだろオオオッ!!」

 アルドは咆哮した。

 錆びた剣が、光の奔流を切り裂く。

 皮膚が焼ける。筋肉が断裂する。

 だが、痛みがある限り、アルドは止まらない。

 その痛みこそが、リウスへの答えだった。

「ミナ! 道を開けろ!」

「ええ! ……リウス、見て! これがカイン様の本当の願いよ!」

 ミナが懐からペンダントを取り出した。

 双頭の鷲の紋章が輝き、リウスの光と干渉する。

 その光の中に、映像が浮かび上がった。

 それは、泥まみれで死にゆくカインの記憶。

 だが、リウスが水晶越しに見た「悲劇」とは違う。

 そこには、音声があった。

 ――リウス。俺は、幸せだった。

 ――泥を舐め、傷つき、それでも足掻いて生きた。最高に人間らしい人生だった。

 ――だからお前も、泣いていい。傷ついていい。……綺麗な檻の中で枯れるな。

 ――泥の中でも、強く咲け。

 カインの声。

 最期の言葉。

 それは、弟への「過保護な願い」ではなく、「生きて戦え」という激励だった。

「あ……兄、さん……?」

 リウスの動きが止まった。

 彼が信じていた「兄の無念」が、根底から覆される。

 兄は、不幸ではなかった。

 泥の中で、笑って死んだのだ。

「その機械を壊すぞ! お前を楽にしてやる!」

 アルドが跳躍した。

 目前には、リウスと繋がった魔王の心臓。

 リウスは呆然として、防御すら忘れている。

 いや、心のどこかで、待っていたのかもしれない。

 誰かが、この重すぎる荷物を下ろしてくれる時を。

「砕けろォォォォォッ!!」

 錆びた鉄塊が、真紅の宝石を直撃した。

 鋭利な斬撃ではない。

 ただの重たい「生き様」の塊が、完璧すぎたシステムを叩き壊す。

 宝石にヒビが入り、まばゆい光と共に砕け散った。

「あ……あぁ……」

 リウスの背中から管が抜け落ちる。

 彼を縛り付けていた「世界の痛み」が、行き場を失って霧散していく。

 塔が揺れ、天井が崩れ落ちた。

 青空が見える。

 だが、それは作られた常春の空ではなく、冷たい風が吹き荒れる、本物の冬の空だった。

 リウスの体が崩れ落ちる。

 アルドは剣を捨て、その体を受け止めた。

 軽い。

 世界の重荷を背負っていたとは思えないほど、ただの少年の軽さだった。

「……っ、う……」

 リウスが目を開ける。

 その瞳から、神のような超然とした光は消えていた。

 あるのは、迷子になった子供の怯えと、そして安堵だった。

「アルド……。僕、は……間違っていたの……?」

「ああ、大間違いだ」

 アルドはリウスの頭を、泥だらけの手で乱暴に撫でた。

「でも、お前は立派だったよ。……誰にも真似できねぇくらい、優しすぎただけだ」

 リウスの瞳から、涙が溢れ出した。

 それは、他人のための涙ではない。

 初めて流す、自分自身の弱さと痛みのための涙だった。

「痛いよ、アルド……。悲しいよ、兄さんがいなくて……寂しいよ……」

「ああ。泣け。いくらでも泣いていい」

 アルドはリウスを抱きしめた。

 塔が崩壊を始める。

 美しい硝子の楽園が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 だが、その崩壊の音は、どこか祝祭のようにも聞こえた。

 止まっていた時間が、再び動き出す音。

 ズズズ……と、不吉な地鳴りが響いた。

 願望機の消滅により、魔力供給を断たれたクリスタルパレスが、その巨体を維持できずに悲鳴を上げ始めたのだ。

 天井のクリスタルに亀裂が走り、巨大な破片が雨のように降り注ぐ。

「……悠長に泣いている暇はなさそうだぞ」

 アルドはリウスの襟首を掴み、無理やり立たせた。

 塔が傾く。

 足元の床が抜け落ちそうになり、アルドはとっさにバランスを取った。

「走るぞ! 崩れる前に地上へ降りる!」

「ええ! 急いで!」

 ミナが先導し、三人は崩壊を始めた「天空の庭園」を飛び出した。

 目指すは、登ってきたあの長大な螺旋階段だ。


 ◇


 階段室は、地獄と化していた。

 遥か下層まで続くガラスの螺旋階段が、振動で波打ち、所々で砕け散っている。

 手すりはない。

 一歩踏み外せば、数百メートル下の基部まで真っ逆さまだ。

「止まるな! 走れッ!」

 アルドはリウスを小脇に抱え、階段を駆け下りた。

 背中の剣がガンガンと背骨を叩く。

 重い。

 疲労困憊の体に、人と鉄塊の重さがのしかかる。

 だが、その重さが遠心力となって、倒れそうになる体を無理やり前へと押し進める。

 ガシャアンッ!!

 直上から、巨大なシャンデリアのような構造物が落下し、彼らの背後の階段を粉砕した。

 破片が背中に突き刺さる。

 埃と粉塵で息ができない。

「くっ……! ミナ、前だ!」

 前方の階段が崩落し、道が途切れている。

 ミナが短剣を振るった。

 風の魔力が圧縮され、落下の衝撃で傾いていた壁面のパイプをなぎ倒す。

 倒れたパイプが、途切れた階段の穴に橋のように架かった。

「渡って!」

「サーカスかよッ!」

 アルドは悪態をつきながら、鉄骨の上を綱渡りのように駆け抜けた。

 足元でパイプが軋み、千切れる音がする。

 渡りきった瞬間、背後でパイプごと足場が崩落した。

 間一髪。

 だが、崩壊の速度は増していく。

 塔全体が大きく傾き始めた。

 遠心力で壁に叩きつけられそうになる。

「間に合わないわ! 下層まで保たない!」

 ミナが叫ぶ。

 まだ高さはある。飛び降りれば即死だ。

 だが、階段はもう、下まで繋がっていない。

 下層のフロアが完全に潰れ、瓦礫の山が迫ってくるのが見えた。

「……チッ、一か八かだ!」

 アルドは抱えていたリウスを強く抱きしめ直し、ミナの手を掴んだ。

「何をする気!?」

「飛ぶぞ! あの瓦礫の斜面に滑り込む!」

 アルドは、壁に空いた亀裂――塔の傾きによって生じた巨大な裂け目に向かって、全力で助走をつけた。

 外には、暗い荒野が見える。

 高さはまだ二十メートルはある。

 まともに落ちれば死ぬ。

 だが、塔の中で圧死するよりはマシだ。

「歯ァ食いしばれェッ!!」

 アルドは虚空へと跳んだ。

 浮遊感。

 そして直後、強烈な落下の風圧。

 眼下には、崩れ落ちた外壁が積み重なり、土砂崩れのような斜面を作っている。

「うおおおおおッ!」

 アルドは空中で身体をひねり、背中の「剣」を下にした。

 鞘に入ったままの頑丈な鉄塊。

 それを背骨代わりのソリにして、瓦礫の斜面へと着地する。

 凄まじい衝撃と摩擦熱。

 背中の剣が悲鳴を上げ、火花を散らす。

 アルドはリウスとミナを腕の中に守り、自身は泥と瓦礫の濁流に揉まれながら、斜面を転がり落ちていった。

 天と地が何度も入れ替わる。

 衝撃で意識が飛びそうになるのを、必死で繋ぎ止める。


 そして。

 重い音と共に、彼らの体は乾いた石畳の上に放り出された。


 ◇


「……っ、はぁ、はぁ……」

 アルドは塵まみれになって空を見上げた。

 生きている。

 全身が痛むが、動ける。

 目の前では、巨大なクリスタルパレスが、土煙を上げて完全に崩れ落ちていくところだった。

 美しい硝子の塔は、ただの瓦礫の山へと変わった。

 都市を覆っていた結界も消え、そこには荒涼とした、しかし清々しい荒野の風が吹き抜けている。

「……やった、のね」

 ミナが瓦礫の中から這い出し、髪についた埃を払った。

 リウスも、アルドの腕の中で目を回しているが、怪我はないようだ。

「ああ。……酷い乗り心地だったがな」

 アルドは身を起こそうとして、背中の違和感に気づいた。

 いつもの、あのゴツゴツとした不快な感触がない。

 ベルトを外し、背負っていた剣を手に取る。

「……あ?」

 アルドは目を見開いた。

 手の中にあったのは、いつもの赤茶けた鉄の棒ではなかった。

 あの激しい脱出劇――瓦礫の斜面を滑り降り、岩にぶつかり、衝撃を受け続けたことで、鞘と刀身を癒着させていた分厚い赤錆の殻が、粉々に砕け散っていたのだ。

 鞘は割れ、中から剥き出しになった刀身が、朝日に照らされて輝いている。

 それは、かつてのような鏡面仕上げの美しい聖剣ではない。

 無数の傷が刻まれ、刃こぼれし、黒ずんだシミさえある。

 だが、その鋼は、余計な装飾や錆(かさぶた)が落ちたことで、驚くほど鋭く、そして力強い「いぶし銀」の輝きを放っていた。

「……へっ」

 アルドは思わず笑みをこぼした。

 魔法で直ったわけじゃない。

 泥にまみれ、傷つきながら使い続け、最後は荒療治で殻を破った。

 その姿は、新品よりも遥かに美しく、そして強靭な「古強者」の剣だった。

「……やっと目が覚めたかよ、相棒」

 アルドは、生まれ変わった聖剣を、むき出しのまま腰に差した。

 ズシリとした重みは変わらない。

 だが、もうそれは「呪い」の重さではなかった。

 これから彼らが歩んでいく、傷だらけで愛おしい人生を切り拓くための、頼れる重さだった。

 塔が崩れ落ちていく。

 だが、それは終わりの音ではなかった。

 止まっていた時間が、再び動き出す音だった。

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