第十三話 鉄屑の墓標
アルガルドの北外れ、鉱滓捨て場。
そこは、都市が吐き出した「消化不良の排泄物」が積み上げられた、巨大なゴミの山脈だった。
製鉄の過程で生じた岩石やガラス質の廃棄物が、無秩序に投棄され、鋭利な稜線を描いている。
草一本生えない無機質な大地。
漂うのは、錆びた鉄の臭いと、鼻腔を刺激する硫黄の香りだけだ。
夕闇が迫り、空が赤黒く染まり始めていた。
その毒々しい色彩は、これからここで流れる血の色を予兆しているかのようだ。
「……仕掛けは済んだぞ」
岩陰から、ガンツが顔を出した。
老鍛冶師は額の汗を義手の甲で拭い、ニヤリと笑った。
その手には、導火線となる細い紐が握られている。
「俺の秘蔵の火薬をあらかた使い切っちまった。……高くつくぞ、アルド」
「ツケといてくれ。王都の貴族様からふんだくったら払う」
アルドはスラグの山の中腹、身を隠せる窪みに座り込みながら答えた。
冗談を言う余裕はない。
全身の傷が熱を持って疼き、立っているだけで体力を削り取っていく。
包帯の下の止血は済んでいるが、失った血は戻らない。
視界が少し揺れている。
だが、その不調が逆に、アルドの神経を苛立たせ、殺意を研ぎ澄ませていた。
「来るわ」
風上に立っていたミナが、短く警告した。
彼女はフードを目深に被り、気配を完全に消している。
その視線の先。
排水路の出口である巨大な土管の口から、どす黒い影が吐き出された。
現れたのは五人。
先頭を行くのは、全身を分厚い黒鉄の鎧で固めた巨漢――『鉄塊のバロン』だ。
その手には、身の丈ほどもある巨大な戦斧が握られている。
続く四人の兵士たちも、一様に殺気を帯び、油断なく周囲を警戒しながら散開している。
プロの動きだ。
彼らは地面に残された、アルドたちの意図的な足跡(血痕)を正確に辿っていた。
「……見つけたぞ」
バロンの兜の奥から、くぐもった声が響いた。
彼はスラグの山を見上げ、アルドが身を潜めている岩場を正確に睨みつけた。
「隠れているつもりか、鼠ども。血の臭いがプンプンするぞ」
挑発。
だが、アルドは動かない。
ただ、冷たい鉄塊のような剣の柄を握りしめ、呼吸を整える。
心臓の鼓動が、秒読みの時計のように脈打つ。
敵が、スラグの斜面に足を踏み入れた。
不安定な足音が響く。
一人、二人、三人。
全員が、ガンツが指定した「殺傷地帯」に入った瞬間。
「……今だッ!」
アルドの怒号と共に、ガンツが導火線に点火した。
火花が走り、一瞬の後。
腹に響く爆発音が轟いた。
スラグの山の一部が吹き飛び、黒煙と土煙が舞い上がる。
だが、狙いは殺傷ではない。
足場の破壊だ。
積み上げられた廃棄物のバランスが崩れ、土石流のような雪崩が発生した。
鋭利な岩塊とガラス片の濁流が、バロンたちを飲み込もうと襲いかかる。
「うわぁぁぁッ!?」
「隊長ッ!」
兵士たちの悲鳴。
彼らは必死に斜面を駆け下りようとするが、崩れる足場に足を取られ、次々と黒い濁流に飲まれていく。
混乱の極み。
それこそがアルドの狙いだった。
「行くぞッ!」
アルドは岩陰から飛び出した。
傷の痛みなど無視する。
重力に任せて斜面を滑り降り、混乱する敵陣へと突っ込む。
雪崩に巻き込まれ、半身を埋もれさせてもがいている兵士の一人。
その背後から、アルドの鞘剣が振り下ろされる。
兜の上から頭蓋を砕く、湿った音が響いた。
慈悲はない。
即死だ。
アルドは止まらない。
返す刀で、隣で体勢を崩していた二人目の兵士の首筋を、鞘の側面で打ち据える。
骨が折れる音と共に、兵士が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「上だ! 魔法使いがいるぞ!」
残った三人目の兵士が叫び、クロスボウを構えようとする。
だが、遅い。
高台に陣取ったミナが、短剣を振るう。
放たれた魔法、「風の刃」が、舞い上がる砂煙を切り裂き、兵士の喉を正確に貫いた。
鮮血がスラグの黒い岩肌を濡らす。
「おのれッ!」
四人目の兵士が、瓦礫を盾にしながらアルドに突進してきた。
片手剣を突き出し、アルドの脇腹――負傷箇所――を狙う鋭い刺突。
アルドは舌打ちした。
反応が遅れる。
体が重い。
回避は間に合わない。
ならば。
アルドは鞘剣を振るうのではなく、「盾」として前に突き出した。
金属音が響き、兵士の剣が弾かれる。
無理な体勢で攻撃を防いだため、アルドの腕に激痛が走るが、兵士の体勢も大きく崩れた。
「邪魔だッ!」
アルドは兵士の胸倉を掴み、そのまま背後の鋭利なスラグの山へと叩きつけた。
ガラス質の岩肌が、兵士の背中を無数に切り裂く。
悲鳴を上げる暇も与えず、アルドは鉄の手甲を嵌めた拳で、その顔面を殴りつけた。
沈黙。
これで四人。
部下は全滅だ。
「……小賢しい真似をッ!!」
土煙の中から、怒号と共に巨大な影が飛び出した。
バロンだ。
彼は雪崩をものともせず、足元の岩塊を踏み砕いて踏み止まっていたのだ。
その全身鎧には傷一つついていない。
爆風も、落石も、彼の「鉄塊」としての防御力を貫くには至らなかったようだ。
「貴様らァァァッ!!」
バロンが戦斧を振り回す。
暴風のような一撃が、近くにあった巨大なスラグの塊を粉砕した。
人間離れした怪力。
まともに受ければ、アルドの体など紙屑のように引き裂かれるだろう。
「ガンツ、ミナ! 手を出すな!」
アルドは叫び、バロンの前に立ちはだかった。
ミナの魔法やガンツの爆弾でも、あの分厚い装甲には決定打にならない。
近づけば戦斧の餌食だ。
やれるのは、同じ「鉄」を持つ自分しかいない。
「死に損ないが! その錆びた鉄屑で俺の鎧が割れるかよ!」
バロンが嘲笑い、突進してくる。
重戦車の突撃だ。
地面が揺れる。
アルドは動かなかった。
逃げない。
ただ、重心を低く落とし、剣を右脇に構える。
――割れるか、だと?
――知ったことか。
アルドの脳裏をよぎるのは、昨日の影刃との戦い。
そして、その前の岩喰らいとの戦い。
斬れなくてもいい。
割れなくてもいい。
ただ、衝撃を「通せば」いい。
「潰れろッ!」
バロンの戦斧が振り下ろされる寸前。
アルドは、相手の懐――斧の可動域の内側へと飛び込んだ。
死地へのダイブ。
一歩間違えば頭蓋を割られる距離。
だが、そこだけが、巨大な武器が死に体となる唯一の安全地帯だ。
アルドは、全体重と遠心力を乗せた鞘剣を、バロンの鳩尾へ水平に叩き込んだ。
鎧の継ぎ目ではない。
最も装甲の厚い、腹部のプレートのど真ん中だ。
鐘楼の鐘を至近距離で叩いたような、凄まじい金属音が荒野に響き渡った。
剣は鎧を貫通しない。
表面に浅い凹みを作っただけだ。
だが、十キロの鉄塊が生み出した運動エネルギーは、装甲板を振動させ、衝撃波となって内部へと伝播した。
「ぐ、お……ッ!?」
バロンの動きが止まる。
鎧の中の肉体が、衝撃で波打ったのだ。
内臓が揺さぶられ、呼吸が止まる。
その一瞬の硬直。
アルドは逃さない。
「まだだッ! 眠るには早えぞ!」
二撃目。
右肩へ。
三撃目。
兜の側面へ。
アルドは吼えながら、まるで鍛冶師が鉄を打つように、リズムよく、そして無慈悲に鉄塊を叩きつけ続けた。
火花が散る。
バロンの巨体が、一撃ごとに後退していく。
反撃しようと斧を持ち上げるが、そのたびにアルドの一撃がバランスを崩し、思考を寸断する。
それは剣技ではない。
ただの、泥臭い解体作業だ。
「が、あ……ッ、貴様……ッ!」
バロンが膝をついた。
鎧は無事だ。
だが、その隙間から、大量の血が溢れ出していた。
度重なる衝撃で、内部の血管が破裂し、骨が砕け、内臓が機能不全を起こしているのだ。
強固な鎧が仇となった。
逃げ場のない衝撃が、鎧の中で反響し、中の肉体をミンチに変えていく。
「これで、終わりだ」
アルドは大きく振りかぶった。
夕陽を背にしたそのシルエットは、かつての光り輝く英雄ではなく、錆びついた死神のようだった。
振り下ろされる鉄塊。
狙うは、兜の頂点。
湿った破壊音が響き、バロンの巨体が前のめりに崩れ落ちた。
二度と動かない。
完全なる沈黙。
アルドは荒い息を吐きながら、剣を下ろした。
手が痺れている。
傷口が開いたのか、包帯に血が滲んでいる。
だが、胸の奥にあったドロドロとした苛立ちは、嘘のように消え去っていた。
残ったのは、やるべきことをやり遂げたという、冷たく乾いた充足感だけだ。
「……終わったか」
ガンツが岩陰から出てきた。
ミナも斜面を降りてくる。
彼女は周囲の死体を確認し、誰も息をしていないことを確かめてから、アルドの元へ歩み寄った。
「……見事な手際ね。野蛮だけど」
「褒め言葉として受け取っておく」
アルドは剣の血糊をスラグの砂利で拭い落とし、背中に戻した。
背骨に伝わる重みが、心地よい疲労感と共に馴染む。
完全に日は落ち、空には一番星が輝き始めていた。
スラグの山は、鉄屑の墓標となり、静寂を取り戻している。
「さて、と」
ガンツが腰のポーチを探り、包みを一つアルドに投げ渡した。
受け取ると、中には乾燥した食料と、軟膏薬が入っていた。
「餞別だ。……これ以上は付き合いきれねえからな」
老鍛冶師はぶっきらぼうに言った。
彼はここから街へ戻り、再び地下の闇に潜るのだろう。
「十分だ。……世話になったな、ガンツ」
「死ぬんじゃねえぞ、アルド。……この錆びついた時代には、お前みたいな馬鹿が必要なんだ」
ガンツはニヤリと笑い、義手を挙げて挨拶すると、闇の中へと消えていった。
後には、アルドとミナの二人だけが残された。
風が吹き抜け、熱を持ったアルドの体を冷やす。
追っ手は消えた。
後顧の憂いは断たれた。
だが、旅はここで終わりではない。むしろ、ここからが本当の始まりだ。
「……さて」
アルドは水筒の水を一口飲み、渇いた喉を潤した。
そして、隣に立つミナに向き直った。
「邪魔者はいなくなった。……そろそろ教えてもらおうか。俺たちの正確な目的地と、そこへ入る方法を」
ミナは東の空を見つめていた。
その先にあるのは、結界に閉ざされた旧帝都。
彼女はゆっくりと視線を戻し、アルドの目を真っ直ぐに見つめた。
「目的地は、旧帝都の中枢『クリスタルパレス』。……そこに、全ての元凶があるわ」
「やっぱりな。だが、お前の言う通り、帝都は結界で封鎖されている。どうやって入る?」
ミナは以前、自分が「異物」としてそこから逃げ出してきたと言った。
逃げ出すルートがあったのなら、侵入するルートもあるはずだ。
だが、ミナは首を横に振った。
「私は帝都の『システム』の一部だから結界の影響はほとんど受けない。でも貴方は違うわ」
「じゃあ、どうする? 空から飛ぶか? 地下を掘るか?」
「いいえ。正面から堂々と入るのよ。ただ、その前に……」
ミナは懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
それは地図だったが、アルドが見慣れたものとは少し違っていた。
「旧帝都へ続く唯一の街道には、王国騎士団が管理する『嘆きの関所』がある。そこを通るには、王国が発行する『特別通行許可証』が必要よ」
「……許可証、だと?」
アルドの顔が歪んだ。
嫌な予感がした。
その許可証を発行できる権限を持つ場所は、一つしかない。
「そう。許可証を手に入れるためには、王都ルミナスへ行く必要があるわ」
王都ルミナス。
その名を聞いた瞬間、アルドの中で苦い胆汁がせり上がってくるような不快感が広がった。
華やかな白亜の都。
平和の象徴。
そして、彼が五年前に全てを捨てて逃げ出した、因縁の場所。
「……冗談じゃない」
アルドは吐き捨てた。
「あそこに戻れって言うのか? どの面下げて? 『錆びた英雄様が、物乞いに帰ってきました』ってか?」
想像するだけで反吐が出る。
かつての同僚たちの嘲笑。貴族たちの蔑んだ目。
「役立たず」の烙印を押された自分が、ノコノコと戻ればどうなるか。
それは、死地での戦いよりも遥かに恐ろしく、屈辱的な未来だ。
「他に方法はないの」
ミナは冷徹に告げた。
彼女に同情の色はない。
ただ、それが最短で確実なルートであるという事実だけを突きつけてくる。
「関所を通らないとなると、南北に広がる『絶望山脈』越えなくてはならない。私がそこを越えた時は初夏だったからなんとかなったけど、今はもう初冬。山脈にたどり着く時には真冬だわ。そんな季節に山脈越えをするのは自殺行為よ。……あなたのプライドと、安全で確実な道。どちらが大事なのかしら?」
「……比較するな」
アルドは舌打ちをし、頭をガシガシと掻いた。
分かっている。
理屈では分かっているのだ。
ミナが、あの辺境の街までアルドを尋ねてきたのは、他に頼める相手がいないからだ。
ここで意地を張って引き返せば、ミナはまた一から協力者を探さなければならない。
ここまで来て、ミナを見捨てることはできない。
アルドは深く、長く息を吐き出した。
それは、腹の底に溜まった鬱屈を無理やり押し出すような溜め息だった。
「……クソッ。分かったよ」
彼は観念したように肩を落とした。
「行くさ。王都でもどこでも。……どうせ泥まみれだ。今さら泥の量が増えたところで変わりゃしない」
それは、英雄としての決意ではない。
逃げ場を失った男の、やけっぱちに近い居直りだった。
だが、その瞳には、かつて王都を逃げ出した時のような「怯え」はなかった。
あるのは、嫌な現実を直視し、噛み砕いてやろうという、ふてぶてしいまでの図太さだけだ。
「いい判断ね」
ミナがわずかに口元を緩めた。
「なら、出発しましょう。……ここから王都までは、馬車を使っても二週間。長い旅になるわ」
彼女が歩き出す。
アルドもまた、背中の剣を背負い直し、重い足取りで後に続いた。
荒野の夜風が、血と鉄の臭いを洗い流していく。
背後には、鉄屑の山に埋もれたバロンたちの死体。
そして前方には、過去という亡霊が待ち受ける王都への道。
アルドは一度だけ振り返り、アルガルドの黒い煙を目に焼き付けた。
もう戻らない。
逃げ隠れする日々は、ここで終わりだ。
これからは、正面からぶつかり、砕き、進むしかない。
たとえその剣が錆びついていても。
たとえその心が傷だらけでも。
二つの影が、星明かりの下、荒野へと消えていった。




