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第十一話 地の底への逃走

 煤煙に霞むアルガルドの路地裏で、鉄と鉄が激突する重苦しい音が響いた。

 巨漢の戦斧が振り下ろされる。

 それは洗練された武術による斬撃などではなかった。

 岩盤すら砕くような、純粋な質量による暴力の嵐だ。

 まともに受ければ、たとえ聖剣といえど、持ち手であるアルドの腕ごと粉砕されるだろう。

 アルドは正面から受ける愚を避け、半身になって背中の鞘剣で軌道を逸らした。

 衝撃が肩を抜け、足元の石畳へと逃げる。

 石が砕け、土煙が舞う。

「……小癪な!」

 巨漢が苛立ちと共に斧を返し、横薙ぎの一撃を放つ。

 速い。

 全身を重厚なプレートメイルで固めながら、その動きには一切の淀みがない。

 筋肉のバネと鎧の重量を完全に制御した、達人の動きだ。

 アルドはバックステップで紙一重にかわした。

 鼻先を死の風圧が掠めていく。


 その瞬間だった。

 屋根の上から、乾いた弦が弾ける音が連続して響いた。

 三本の矢が、アルドの逃げ場を塞ぐように殺到する。

 巨漢の一撃をかわした直後。体勢は崩れ、回避は間に合わない。

 アルドは舌打ちし、咄嗟に腕で頭部を庇った。

 せめて急所だけは――。


 だが、覚悟した衝撃は来なかった。

 彼の目の前に、突如として不可視の障壁が出現したのだ。

 ミナだ。

 彼女が短剣を一閃させると、圧縮された空気が矢を弾き飛ばし、軌道を狂わせたのだ。

 石壁に矢が突き刺さる音だけが虚しく響く。

「……助かる」

 アルドは短く礼を言い、すぐさま巨漢の懐へ踏み込んだ。

 矢の雨が止んだ一瞬の隙。

 ここを逃せば、次はない。

 巨漢が大振りの斧を戻すより早く、アルドは彼との距離をゼロにする。

 狙うのは関節ではない。

 足場だ。

 アルドは右手の剣を、巨漢の足元の石畳の隙間に突き刺し、渾身の力で跳ね上げた。

 めくれ上がった敷石が、巨漢の軸足を強打する。

「なっ……!?」

 さしもの巨漢も、足場を崩されては踏ん張りが効かない。

 体勢が崩れ、巨大な体がわずかに傾く。

 その好機を、アルドが見逃すはずがなかった。

「寝てろッ!」

 アルドは体を回転させ、遠心力を乗せた鞘剣の側面を、巨漢の兜の側頭部に叩き込んだ。

 鐘楼の鐘を突いたような、低く重い音が路地に反響する。

 中身の脳髄を揺らす衝撃。

 巨漢の膝がガクと折れ、その場に崩れ落ちた。

「隊長!?」

 屋根の上の兵士たちが動揺する。

 その隙に、アルドは店の入り口へと後退した。

 息が切れる。

 だが、まだ終わらない。

 倒れた巨漢が、呻き声を上げながら再び立ち上がろうとしていたからだ。

 化け物か。

 あれだけの打撃を受けて、まだ意識があるとは。

「……おい、生きてるかガンツ!」

 アルドは店内に向かって怒鳴った。

 奥から、古狸のような老人が顔を出す。

 その手には、奇妙な形状をした手榴弾のようなものが握られていた。

「誰に向かって口を利いてやがる。……どけ、若造!」

 ガンツは義手のバネを弾き、手榴弾のピンを抜いて路地へと放り投げた。

 爆発音。

 だが、炎は上がらない。

 代わりに、視界を完全に遮る濃密な黒煙と、鼻を突く刺激臭が一気に充満した。

「煙幕と催涙ガスだ! 鼻を塞げ!」

 ガンツが叫ぶと同時に、床の一部が軋み音を立てて開いた。

 隠し扉だ。

 カウンターの下に、地下へと続く黒い口が開いている。

「早く入れ! 換気口からガスが逆流してくるぞ!」

 言われるがまま、ミナが先に飛び込み、続いてアルドが滑り込む。

 最後にガンツが入り、内側から重い鉄扉を閉めた。

 (かんぬき)がかかる金属音が、外界との隔絶を告げる。


 ◇


 地下は、冷たく湿った空気に満ちていた。

 頭上からは、微かに外の怒号と混乱した足音が聞こえてくるが、厚い岩盤と鉄扉に阻まれ、遠い世界の出来事のようだ。

 ガンツがカンテラに火を灯すと、そこがただの地下室ではなく、どこまでも続く坑道の一部であることが分かった。

 壁は荒削りの岩肌で、古い木材の支柱が等間隔に並んでいる。

「……古い搬出路だ」

 ガンツが先頭を歩きながら説明した。

「アルガルドの地下には、蟻の巣みてぇに廃坑道が張り巡らされてる。ギルドの連中も把握しきれてねえ『忘れられた道』だ」

「どこへ繋がっている?」

 アルドが荒い呼吸を整えながら問うと、ガンツはニヤリと笑った。

「街の外れ、スラグ捨て場の地下水路だ。そこまで行けば、追っ手も撒けるだろうよ」

 三人は暗い坑道を進んだ。

 足元には錆びたレールが敷かれ、時折、天井から滴る水滴が冷たい音を立てる。

 ミナは無言だったが、その表情は険しい。

 彼女は時折、背後を気にしていた。

 物理的な追跡者ではなく、もっと別の「気配」を探っているように見える。

「……帝国情報局の『掃除屋』か」

 歩きながら、アルドが口を開いた。

 坑道に声が反響する。

「まさか、あんな大物が直々に出てくるとはな。……おいミナ、お前一体、何をやらかしたんだ?」

 あの巨漢が率いていた部隊。

 装備、連携、そして容赦のなさ。

 どれをとっても、一介の逃亡者を捕まえるための戦力ではない。

 国家反逆罪レベルの重罪人を狩るための編成だ。

 ミナは前を見据えたまま、淡々と答えた。

「……何もしてはいないわ」

「嘘をつけ。なら、なんであそこまで執拗に追ってくる」

「私が『知っている』からよ」

 ミナは足を止めずに言った。

 カンテラの薄暗い光の中で、彼女の瞳が冷たく光る。

「帝国の最深部にある、決して触れてはいけない『禁忌』。……私はそれを見てしまった」

「禁忌……?」

「ええ。今の帝都を支えている根源。皇帝が隠し続けている、絶対的な秘密よ」

 ミナの声には、恐怖とも嫌悪ともつかない、複雑な響きがあった。

 アルドは眉をひそめた。

 帝都の秘密。

 それは十年前の大戦に関わることなのか、それとも戦後に生まれた新たな闇なのか。

「あいつらは、口封じに来たってわけか」

 ガンツが忌々しげに吐き捨てる。

「彼らですら、本当の理由は知らないはずよ」

「なんだと?」

「その秘密は、皇帝とその側近のごく一部しか知らない。情報局の彼らに下されている命令は、ただ一つ。『ミナという銀髪の女を見つけ出し、抹殺せよ』。……それだけだわ」

 アルドの背筋に、冷たいものが走った。

 理由は教えられず、ただ標的を殺すことだけを命じられた殺戮機械。

 それが、今自分たちを追っている連中の正体だ。

 思想も、恨みも、正義さえない。

 あるのは絶対的な命令と、それを遂行する機能だけ。

 野盗や魔獣よりも質が悪い。説得も交渉も通じない、純粋な「死」そのものだ。

「……くくっ、傑作だ」

 沈黙を破ったのは、ガンツの乾いた笑い声だった。

「目的も知らされずに命を捨てて追いかけてくるってか。……忠実な犬っころだ。俺たちが命がけで守った国が、そんな思考停止した連中に牛耳られてるとはな。笑えねえ冗談だ」

 ガンツは義手で壁を殴りつけた。

 硬い音が響く。

 その顔には、怒りと、深い徒労感が滲んでいた。

「……行くぞ。ここで立ち止まっていても、事態は何も変わらない」

 アルドは話を打ち切った。

 真実がどうあれ、今は生き延びることが先決だ。

 だが、その背中にのしかかる剣の重みは、先ほどまでとは比べ物にならないほど増していた。

 カイン。

 お前が遺した弟は、そしてお前が守ろうとした国は、一体何を隠しているんだ。


 再び歩き出して数分後。

 ガンツが足を止め、手を挙げて制止した。

「……静かに。何か聞こえねえか?」

 耳を澄ます。

 前方ではない。

 頭上だ。

 厚い岩盤の向こうから、微かだが、リズミカルな振動が伝わってくる。

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……。

 足音だ。

「……先回りされたか」

 アルドが舌打ちをする。

 地上の地図と、地下の坑道図を照らし合わせれば、出口を予測することは不可能ではない。

 相手はプロだ。

 こちらの逃走ルートを読み、通気孔やマンホールから部隊を降下させてきたのだろう。

「この先は広い空洞になってる。……待ち伏せには絶好の場所だ」

 ガンツが悔しげに言った。

 引き返すか?

 いや、後ろからはあの巨漢が追ってきている可能性がある。

 挟み撃ちだ。

「……強行突破するしかないな」

 アルドは覚悟を決めた。

 逃げ場はない。

 ならば、正面から食い破るまでだ。

「ガンツ、照明弾はあるか?」

「ああ、とっておきのが一発ある」

「空洞に出たら、それを打ち上げてくれ。敵の目が眩んでいる隙に、俺が突っ込む」

「無茶苦茶だな。……だが、嫌いじゃねえ」

 ガンツがニヤリと笑い、腰のポーチから筒状の道具を取り出す。

 ミナも短剣を抜き、風の魔力を練り始めた。


 三人は呼吸を合わせた。

 坑道の出口。

 その先に広がる闇の中には、理由なき殺意を持った「掃除屋」たちが潜んでいる。

「……行くぞッ!」

 アルドの号令と共に、三人は闇へと飛び出した。

 同時に、ガンツが照明弾を天井に向けて発射する。

 マグネシウムの閃光が、地下空洞を真昼のように照らし出した。

 浮かび上がったのは、出口を塞ぐように展開していた四、五人の兵士たち。

 少数だが、全員が抜刀し、殺気を漲らせた精鋭だ。

 彼らは突然の光に目を焼かれ、悲鳴を上げて顔を覆った。

「今だッ!」

 アルドは疾走した。

 背中の剣を鞘ごと抜き放ち、構える。

 斬るのではない。

 薙ぎ払い、吹き飛ばし、道をこじ開ける破城槌(はじょうつい)のような突撃。

 先頭の兵士が、状況も分からぬままアルドのタックルを受けて吹き飛ぶ。

 二人目。

 剣の鞘で殴り飛ばし、突き倒す。

 アルドは止まらない。

 混乱する敵陣の中央を、鉄塊を振り回しながら一直線に駆け抜ける。

「撃て! 撃てェッ!」

 指揮官らしき男が叫ぶが、味方が密集していてクロスボウは撃てない。

 数人の兵士が応戦しようとしたが、ミナの風魔法がそれを許さなかった。

 不可視の刃が手首を打ち、剣を弾き飛ばす。

「こっちだ、出口が見えたぞ!」

 ガンツが指差す先、崩れた壁の隙間から、下水路へと続く梯子が見えた。

 あと少し。

 だが、その時。

 空気を切り裂く鋭い音が響き、アルドの頬を何かが掠めた。

 投げナイフだ。

 振り返ると、閃光の残滓が残る闇の奥から、ゆらりと現れる影があった。

 あの巨漢ではない。

 全身を包帯と黒衣で包み、両手に異様な形状の曲刀を持った、細身の男。

 気配がなかった。

 今の乱戦の中、彼だけは混乱せず、冷静にアルドの隙を狙っていたのだ。

「……『影刃(えいじん)』か」

 アルドが呻いた。

 情報局の処刑人。

 あの巨漢が「破壊の槌」ならば、こいつは「死の針」だ。

 静かに、確実に、対象の命脈を断つことだけに特化した、組織で最も忌むべき存在。

「先に行け! 俺が止める!」

 アルドは足を止め、ミナとガンツを先に行かせた。

 ここでコイツを止めなければ、逃げている最中に背中を刺される。

 殿(しんがり)は俺の役目だ。

「アルド!」

「行けッ! すぐに追いつく!」

 アルドは叫び、剣を構えた。

 目の前の男は、言葉を発しない。

 ただ、死神のような沈黙と共に、二本の曲刀を交差させ、音もなく滑るように間合いを詰めてきた。

 その瞳には、獲物への憎悪も、任務への使命感さえも見当たらない。

 あるのは、ただ命令を実行するだけの、虚無的な光だけだった。

 錆びた鉄塊と、鋭利な二刀。

 地下の闇の中で、火花が散った。

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