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夫は恋人を作って出て行ったはずなのに。執着してきた  作者: Carrie


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第4話

両親の住んでいる街には、日本からの直行便がない。

だから乗り継ぎが必要になることは、最初からわかっていた。


空港までは、恒一と二人で行った。

別居してから久しぶりに並んで歩くけれど、特に気まずさはない。私は相変わらず、あまり何も感じていなかった。


日本を出る便が遅れたのは、出発してからしばらく経ってからだった。

機内アナウンスで乗り継ぎに間に合わない可能性があると聞かされても、正直、現実味がなかった。


結局、現地の空港に着いたときには、次の便はもう飛び立ったあとだった。


「振替ですね」


航空会社のスタッフは慣れた様子で言い、翌朝の便を手配してくれた。

ホテルも用意されるらしい。


預けていた荷物を一度受け取る必要があると聞いて、私は少しだけ気が重くなった。二週間分の荷物なので、スーツケースはそれなりに大きい。


ターンテーブルから二つのスーツケースが流れてくるのを見ていると、恒一が何も言わずに二つとも引き寄せた。


「重いでしょ。私の持つよ」


そう言うと、彼は首を振った。


「いい。まとめて持つから」


そう言って、当たり前みたいに二つとも転がしていく。


その後ろ姿を見ながら、私は一瞬だけ、懐かしい気持ちになった。


昔から、こういう人だった。

必要なときに、必要なことを、言わずにやる。


それが特別好きだったわけじゃない。

でも、嫌いでもなかった。


ホテルまではシャトルバスで移動した。

夜だったせいか、窓の外はよく見えない。


スーツケースを足元に置いて座る。

恒一は私の隣に座って、特に話しかけてくることもなく、窓の外を眺めていた。


この人が家を出ていくときも、私はほとんど何も感じなかった。

怒りも悲しみも、正直なところ、なかった。


でも今、空港の照明に照らされながらスーツケースを押していた背中を思い出して、少しだけ胸の奥がざわつく。


どうして結婚したんだっけ。


はっきりした理由は思い出せない。

ただ、一緒にいるのが苦じゃなかった。

それだけだった気がする。


ホテルに着くと、ロビーは思ったより静かだった。

深夜に近い時間だったせいか、チェックインもすぐに済んだ。


部屋は、キングサイズベッドが一つの部屋だった。


「ツイン、空いてなくて」


フロントでそう言われたときも、私は特に何も思わなかった。

今さら、という感じ。


部屋に入ると、恒一が先にスーツケースを中へ運び入れた。

二つとも、何も言わずに。


「ありがとう」


一応言うと、彼は軽くうなずいただけだった。


荷物を置いても、部屋の中に妙な空気はなかった。

ただのホテルの部屋。

ただの一泊。


それなのに、胸の奥のざわつきは消えなかった。


部屋に荷物を置いたあと、軽く食事をしようという話になった。

ホテルのレストランは、遅い時間でも営業していた。


向かい合って座る。

メニューを見るふりをしながら、私はずっと考えていた。


恒一が出ていくと言ったとき、私は本当に何も感じなかった。

それは嘘じゃない。


でも、今こうして一緒にいると、

日常の中にあった、細かい「楽さ」みたいなものを思い出す。


重い荷物を黙って持ってくれること。

必要なときに、必要なことだけしてくれること。


それは恋愛感情とは違う。

でも、一緒に生活するうえでは、確かに心地よかった。


「何考えてる?」


食事の途中で、恒一が聞いてきた。


「別に」


正直な答えだった。


彼はそれ以上聞いてこなかった。

そこも、変わらない。


食事を終えて部屋に戻る。

シャワーを浴びる順番を決めるのも、自然だった。


先に私が入る。

熱いシャワーを浴びながら、さっきから続くモヤモヤを、はっきりさせようとする。


結論は出なかった。


ただ、

恒一といると、考えなくていいことが多い。

それだけは、確かだった。


パジャマに着替えて、ベッドに近づく。

キングサイズのベッドは、二人で寝ても余裕がある。


特に違和感なく、私は横になった。

恒一も反対側からベッドに入る。


電気を消す。

部屋が暗くなる。


仰向けになって、天井を見つめる。

時差のせいか、眠気はあまりなかった。


健太のことが、少しだけ頭をよぎる。

夫婦で旅行すると知ったときの、あの露骨な不機嫌さ。


「行かないで」とは言わなかったけれど、

行ってほしくないのは、はっきり伝わってきた。


ベッドの中で抱き寄せられながら、

「俺のこと、ちゃんと考えてる?」と聞かれた。


正直、そこまで考えていなかった。


私は基本的に、他人の感情を深く追わない。

面倒だから。


今も同じだった。


隣で寝ている恒一は、静かだった。

寝息はまだ聞こえない。


私は目を閉じて、ぼんやりと考える。


やっぱり私は、

恒一といる方が、楽なのかもしれない。


好きとか、愛しているとか、

そういう言葉じゃなくて。


しばらくすると、

ふっと、光が遮られた。


目を開けると、視界が暗い。

何か影がかかっている。


恒一だった。


私の上に、覆いかぶさるような位置にいる。

顔は近いけれど、触れてはいない。


「……起きてる?」


小さな声。


「起きてるよ」


そう答えても、特に慌てる気持ちはなかった。

不思議なくらい、冷静だった。


恒一はしばらく何も言わず、

ただ、私を見ている。


その視線に、未練が混じっているのが、はっきりわかった。


私はそれを、

少し遠くから眺めるみたいな気持ちで受け止めていた。


——この先、何が起きるか。

まだ、このときは考えていなかった。


影が落ちたのは、一瞬だった。

天井を見ていた視界が遮られて、恒一の顔が近いと気づく。息がかかるほどの距離。驚きはしたけれど、声は出なかった。驚いた、というより、想定外だった、が近い。


「……起きてる?」


低い声。返事をする前に、手首を押さえられる。強くはない。逃げようと思えば逃げられる力加減だった。だから、逃げなかったのだと思う。


唇が触れる。確認するみたいに短く。

そのあと、間を置かずにもう一度。今度は迷いがない。


恒一の動きは落ち着いていない。手の位置が定まらず、肩に、背中に、また腕に戻る。焦っている、というより、考える余裕がない感じ。たぶん、我を忘れている。


私は天井を見たまま、呼吸を整えた。

拒否する理由を探したけれど、特に見当たらなかった。受け入れる理由も、同じくらい曖昧だった。


ただ、面倒じゃなかった。

それだけ。


服がずれて、肌に直接触れる。

恒一の体温は高い。さっきまで空港で冷えていた指先が、今はやけに熱い。


「……ごめん」


どのタイミングで言ったのか、はっきり覚えていない。

謝られるようなことでもない気がしたけれど、否定もしなかった。


動きは次第に落ち着いていく。

さっきまでの衝動が、形を持って整えられていくみたいに。


私は相変わらず、考え事をしていた。

ここまで来ると思っていなかったな、とか。

健太がこれを知ったら面倒だな、とか。

両親に説明する必要は、たぶん、ないな、とか。


恒一の名前を呼ばれる。

反射的に返事をした気がするけれど、声の調子は覚えていない。


行為そのものより、

「この人は今、私しか見ていない」という事実のほうが、少しだけ引っかかった。


終わる頃には、恒一の呼吸が整っていた。

私のほうは、特に変わらない。


終わったあと、恒一はすぐに私を抱き寄せた。

腕に力がこもる。離す気はなさそうだった。


「……行かないで」


小さく、ほとんど独り言みたいに言う。

私は返事をしなかった。する必要があるとも思わなかった。


そのまま、恒一は眠ってしまう。

呼吸が規則的になって、体の力が抜ける。


抱きしめられたまま、天井を見る。

さっきと同じ天井。でも、見え方は少し違う。


後悔は、特にない。

正解だったとも思わない。


ただ、いくつかの選択肢が、勝手に減った気がした。

それが不便かどうかは、まだ判断できない。


健太の顔が一瞬浮かんで、すぐに消える。

今は考えなくていいことは、後回しでいい。


恒一の腕は緩まない。

重たいけれど、嫌ではない。


眠れないまま、しばらく目を閉じて、

いつの間にか、そのまま眠った。


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