第5話:密室の暗号と嘘つきの微笑
「鍵は、掛かっていました。確かに昨夜までは、何も起きていなかったんです」
青ざめた司書が震える声で語る。
学院の西棟にある旧書庫――そこは通常の生徒が立ち入ることを禁じられた、“歴史と記録”の倉庫だ。
ユリアは扉の前で足を止めた。
扉には傷一つない。施錠も、正式な魔術錠も正常に動作していた。
だが。
「……中の記録が“抜かれてる”? どれだけ?」
「裁判関係のものが……特に、十数年前に起きた“ある事件”に関する文書が根こそぎ……」
(十数年前――)
それは、原作のゲーム中にもちらりと語られていた“貴族粛清”の時代。
王太子の父王が台頭し、国内の貴族を一掃したという、血の時代だ。
(つまり――その記録が必要な人物がいる)
だが問題は、それが**“密室”で行われた**という点だった。
扉は壊されていない。
監視魔術も異常は検知していない。
なのに、中の記録だけが“きれいに”消えた。
「クロード。あなた、昨夜の当直だったわよね」
「そうだ。警備に立っていたが、旧書庫には異常はなかった」
「不審者の気配、魔力の痕跡、誰かが忍び込んだ形跡――」
「ゼロだ」
「……じゃあ、入った痕跡“ごと”消されたのよ」
ユリアは、書庫の中へと足を踏み入れる。
薄暗い室内。
重厚な書棚の間に、何かを感じる。
「……ん?」
棚の一角だけ、書物の並びが不自然だった。
まるで誰かが意味を持って並べたように、書物のタイトルの頭文字が“A・L・T・E・R”と並んでいる。
「……アルター?」
「変化、か。あるいは偽装、もしくは“他者への転嫁”」
クロードが呟いた。
(犯人は“自分が盗んだ”のではなく、“誰かに盗ませたように見せた”)
つまりこれは、“暗号”だ。
「犯人は証拠を消しただけじゃない。“犯行声明”を残していったのよ」
だとすれば、この記録の中には――
誰かが“消したい”過去の罪が眠っていたことになる。
その日の午後。
ユリアはアメリアとともに中庭で休憩を取っていた。
「密室の書庫、ね。誰が鍵を持っていたの?」
「正式には、学院側の文官と、王家の管理者」
「つまり、王家関係者が関与した可能性もある」
「うん……そして、その“ALTER”という単語。意味は“偽装”。でもそれ以上に、これは――“誘い”よ」
「誘い?」
「“私はここにいる。見つけてごらんなさい”というメッセージ。知能犯よ、これ」
アメリアがふっと微笑む。
「なるほど……そしてそれに気づけるのは、あなたくらい」
ユリアは目を伏せ、無言で紅茶を飲む。
そのときだった。
「……あのっ!」
駆け寄ってきたのは、あの少女――マリアだった。
「ユリアさん、少し……お話、よろしいでしょうか?」
その顔には、怯えたような、それでいて演技めいた笑みが浮かんでいた。
「あなた……何を話すつもり?」
「……あなたが、事件を調べていることは知っています。でも、どうかお気をつけて」
「気をつける?」
「“真実に近づきすぎると、痛い目を見ますよ”」
笑顔で言いながら、マリアの瞳には“警告”と、“優越”が宿っていた。
(――やっぱり、この子、ただのヒロインじゃない)
ユリアは静かに口角を上げた。
「ありがとう、忠告。……でもね」
その笑みに、マリアは一瞬だけ顔を引きつらせる。
「“真実”は、もう一つだけ。――“嘘をつく人間は、目線が逸れる”ってこと」
マリアの瞳がぴくりと揺れた。
(やっぱり)
この事件の裏にいるのは、
“悪役令嬢”ではない。
“モブ令嬢”でもない。
真に恐ろしいのは、“ヒロインを演じる少女”かもしれない。