骸骨令嬢は呪われ生活を満喫中
今作はカクヨムの公式企画「お題で執筆!! 短編創作フェス」から「骨」のお題で書いたものです。
およそ一年前にクローディア・ブルマンは死んだ。そうしてくれと書き置きして家を出た。ここは故郷からずっと離れた、縁もゆかりもない土地だ。
会いに来るような人は誰もいない。
来たとしても変わり果てた身。絶対に自分だと気づくはずがない。
そう高を括っていたのはたしかだ。
だから突然の大雨の中ノックが聞こえたとき、村の子供か誰かが雨宿りに駆け込んできたのだと思い込み、乾いたタオルを手に取ったクローディアは誰何もせずにドアを開けてしまった。
「すごい雨ねぇ……っ?!」
「――見つけたぞ、クローディア」
地を這うような低い声と真っ黒な姿に息を呑む。ドアの前に立っていたのは、急な大雨のせいで全身ずぶ濡れの思わぬ客だった。
魔法使いしか着ることができない黒いローブに、濡れて張り付いた長い黒髪。前髪から覗く明るいはずの茶色の目も影のせいか黒に見える。
(うそ! 嘘嘘嘘っ! ど、どどどどうしてテオがここにいるの⁈)
最後に会ったときよりも男っぽさがぐっと増したように見える古い友人は、外開きのドアを押さえるようにしながら仁王立ちになり、唇の端を上げた。それは普段笑い上戸な彼の笑みとは全然違う、すっごく怒っている時の顔だ。
ビクッと肩を揺らしたクローディアが、思わず「ちち違います! 骸骨違いです!」とドアを閉めようとした。我ながら骸骨違いってなに? と思うけど、それ以外に彼を追い返す言葉が思い浮かばなかったのだ。しかし肝心のドアが彼に押さえられているためあっけなく失敗した。
「ほお? このぼくがっ。この、天才魔法使いテオドール・ガーランドが、骸骨になった程度の事で君を見間違えるとでも?」
「いやいやいや! 程度って何よ。というか、なんで骨の姿なのにわたくしだってバレているのよ! おかしいでしょ!」
普通の来訪者ならクローディアがドアを開けた瞬間、この骸骨姿を見て腰を抜かすか逃げ出すところだ。
そりゃあ以前のクローディアも、がりがりで貧相、まるで骸骨みたいな令嬢だと言われていたけれど、それでも約一年前までは一応肉も皮も目玉も、もちろん髪の毛だってあったのだ。
でも今は骸骨。間違いなく骨だけ。しかも生きてる骸骨。これじゃあ男か女かさえも分からないだろう。なのに本当に骸骨姿になっても変わらないという意味なら、乙女としてさすがにショックすぎる。
何か言おうと口を開こうとしたその時、季節外れの稲妻が光る。
稲光でクローディアの姿がはっきり見えたのだろう。こちらを見ているテオドールの目がわずかに丸くなるのを見て、クローディアは胸がギュッと痛んだ。
もともと綺麗でも何でもなかったけれど、さすがにこの姿を彼にだけは見られたくなかった。初めてそのことに気が付いたのだ。
彼の知るクローディアはもういない。
(どうして死んだことにしてくれないのよ。なんでここに来たの)
クローディアの声が今はないはずの喉に引っかかると、テオドールは犬のようにブルッと頭を振って不機嫌そうに口を開いた。
「とりあえず入れてくれないか? このままじゃ風邪をひく」
少しだけ柔らかくなった声に半歩後ずさると、黒いローブから水を滴らせながらテオドールも半歩小屋の中に入ってきた。そのせいだろうか。こじんまりとした居心地の良い小屋が、急に狭くなったような気がする。
彼が後ろ手にパタンとドアを閉める。
彼の髪から水滴が落ちるのを見てクローディアはハッとし、慌ててテオドールのローブを脱がせフックに掛けさせると、清潔なタオルを彼に渡した。
彼には聞きたいことがたくさんあるが、このままでは彼の言う通り風邪を引いてしまう。
とはいえローブは水を通さないのか、髪と足元以外は濡れていなそうに見える。それでも雨で気温が下がった今、髪を乾かすのが先決だろう。
テオドールの髪は最後に会った時よりもずいぶん長くなっている。何か願いをかけているらしいと聞いているので、まだ叶ってないのかもしれない。
「とにかく暖炉の前に座って」
「クローディア、誰が来たのかも確認しないで開けるなんて不用心だろ」
髪を拭きながら素直に座ったテオドールを確認すると、(骸骨だから大丈夫だもの)なんて心の中で口答えしつつ、暖炉の熾火をかき集めて風を送り、薪を足す。
しばらく暖炉の世話をしてきちんと火が付いたことを確認して振り向くと、テオドールが驚いたように首を傾げた。
「驚いたな」
思わずといった感じでこぼれた言葉にズキリと痛む胸を押さえ、水がめから水を汲んでお湯を沸かし、一つしかないコップについだ。
「ごめんなさい、お茶はないの」
「いや。ありがとう」
客用の食器はもちろん、お茶なんて贅沢なものはここにはない。この小屋に来る者はみんな手づくりのカップを持参してくるのが当たり前で、振る舞うのも白湯や干した果実くらいなのだ。
それでもここでは当たり前だし、施しを受けるのではなく、客に何かを振る舞うことができる今に満足もしていた。
けれど今はテオドールに何のもてなしもできないことにしょんぼりした気持ちになり、クローディアは心の中で苦笑した。彼を追い出したいはずなのに、本当は会えて嬉しいなんて。
テオドールが白湯を呑む間、しばらく沈黙が続く。
最後まで飲み干した彼が「ごちそうさま」と言い、自然な態度でカップを洗って片付けると、あらためてクローディアをじっと見つめた。
「さて、クローディア・ブルマン。ぼくがいなかったこの一年のことを聞かせてもらおうかな」
クローディアのことを知ったのはひと月前で、散々探したのだと――――茶飲み話でも促すような柔らかな声音に、クローディアは自分が元の姿に戻ったような錯覚を覚えた。しかし手を見れば見慣れた骨が見える。
それにがっかりしたのを彼に悟られないよう、クローディアはあえて気楽な調子で話をはじめた。彼が既に知っているであろうことも、知らないことも……。
「あなたが魔塔に戻って、少し経ったあとのことよ」
◆
それは、毎年恒例の春の茶話会でのことだった。
飲食を伴う行事はクローディアにとっては楽しいとはお世辞にも言えない。偏食で食べられるものが極端に少ないうえ、食も細い。まわりが美味しいものに舌鼓を打っていても会話に混ざれないし、美味しいという感覚が分からなかったのだ。
それでも家族や友人は大好きだったから、彼らが一堂に集まるのは素直に嬉しい。幼友達の一人であるテオドールは魔法使いになった為、春を待たずに魔塔に戻ってしまったが、他の友人は既婚未婚を問わず全員が揃うという珍しくも幸福な日だったのだ。
年頃の友人たちのおしゃべりは各々の縁談や噂話だ。自分に縁がなくても聞くのは楽しい。彼女らの話を熱心に聴いていると、ふと、年の離れた妹のホリーが少しだけ呆れたように眉を寄せた。まだ十二歳だが将来有望の美少女である彼女がそんな顔をすると、とても大人っぽく見える。
「お姉さまったら、また痩せたのではなくて?」
「そうかしら」
そういえばまたドレスが緩くなったせいで、茶会前にメイドたちが慌ててあちこちを詰めたのだったなと思い出す。薄っぺらな体は女性らしさとは程遠く、知らない人から見たら美しい妹と姉妹だとは夢にも思わないに違いない。
とはいえ、クローディアはまったく気にしていないのだが、妹はそれも気に食わないらしい。
「そうかしらじゃありませんわ。もう、他人事みたいに。そんなに痩せては、まだ骸骨のほうが魅力的だと言われますわよ」
クローディアにしか聞こえないくらいの小さな声で「腹が立ちますわ」と呟いた妹が、一人前に持った扇の影でチラッと視線を投げる。あれはヒソヒソとクローディアの悪口を言っていた男性だろう。
骸骨令嬢と言われるくらいいつものことだったし、ガリガリなのは確かなので気にもしていなかったけれど、妹としては、美しい母に似た髪と目を持つ姉は、絶対美しくなるのだと言って憚らないのだ。
(誰も本気にしないのに、むきになるところがまた可愛いのよねぇ)
しかし妹の言葉が曲解されたのかホリーに同調する声が聞こえ、妹の眉間に力が入る。何か辛らつな言葉を投げかけるつもりなのか、薔薇のような唇を開いたその時だ。
突然謎の白い光に会場が包まれ、皆が何事かとざわめいたあと、水を打ったようにしんと場が静まり返る。
視線が自分に集まるので何事かと首を傾げたクローディアは、そのとき見事な骸骨姿になっていたのだ。
◆
「暁の魔女の、悪意なき呪いだな」
テオドールの言葉にクローディアは頷いた。
この世界には魔女がいる。
白い森の中央にある大樹から生まれた魔女は、膨大な魔力を持つ。その力が森を育て、守り、春を呼ぶ。その魔女がいなくては、世界は長い冬を過ごさなければならない。そんな人々が実りを得る上でなくてはならない存在なのだが、十年近く前に先代の魔女が消えた。
何も知らなければ、魔法使いが代わりをすればいいと思うものもいるかもしれない。だが魔法使いと魔女は違う。
己の魔力を使って魔法を使う魔女と違い、魔力を研究し、道具などを作り、人々が魔法に似たものを使えるようするのが魔法使い。
彼らのおかげで、この国は食糧難の危機を乗り越えられたという。
魔女のいない世界で暑くならない夏が幾度か過ぎ、数年前に生まれたのが今の暁の魔女なのだが、まだ幼い魔女は無邪気に魔法を飛ばし、時折被害を出してしまうらしいのだ。運悪く姿が変わってしまうのもその一つ。
幼いだけで悪気はない。だから人々はそれを「悪意なき呪い」と呼んだ。
呪いを受けたのはクローディアだけではなかったのだ。
「でもあの時には、そんなこと分からなかったから……」
クローディアはただ骸骨の姿に変わっただけで、正直痛くもかゆくもない。
しかしクローディアの姿を見た令嬢たちがバタバタと倒れ、茶話会はお開きになった。
その後使用人たちは、骨の姿でも生きているクローディアの姿に怯えたが、家族らは努めて何事もないかのように振る舞った。
「でもホリーが自分を責めていてね……」
自分の言葉のせいで姉が呪われたと、毎晩泣いては眠れない夜を過ごしたのだろう。どんどん衰弱する妹と、どうにか解決策を見つけようと奔走する家族を見て、クローディアは家を出ることに決めたのだった。
死んだものとして扱ってほしいと書き置きを残して。
根が呑気なせいか本気で死ぬつもりはさらさらないけれど、生きた骨が側にいては家族を苦しめるだけ。なら自分が消えたほうがいいと思ったのだ。
とはいえ行く当てなどない。しかもこの姿で人々に見られたら大騒ぎになってしまう。
仕方なく夜闇に紛れて旅をするのは大変だったが、もともと食が細いのが幸いしたのか、あまり空腹で悩むことはなかった。ただ体力がない為、落ち着ける場所を探すのには時間がかかった。物を買うことも宿に泊まることもできないので余計だ。
「でもわたくし、子供のころから運がいいじゃない? 食べられる木の実や寝床を探すのに苦労したことがないのよ」
自分は野宿の天才では!
そう胸を張るクローディアに、テオドールは何とも言えない顔をした。
おかしなことに、骸骨であってもすべての感覚は以前と変わらない。転べば痛いし、疲れたり眠くなったりもする。
もしかしたら骸骨に見えるだけなのでは?とも思ったが、何の慰めにもならなかった。
やがてたどり着いたこの森で、大きな木のうろを見つけて住み着いた。小川が近く細い獣道があるだけだったから、人はめったに来ないだろうと思ったから。事実しばらくは森の鳥や動物しか会うことはない。
何日か暮らしてみて落ち着くと、大木の近くに朽ち果てた小屋を見つけた。古い建物で屋根も壁も穴だらけ。中も荒れていたけれど、寝台だけは丈夫に作られていたらしい。クローディアが座ってもびくともしない。
体を伸ばして眠れそうな誘惑に負け、誰も管理している人がいないらしいことを確認すると、クローディアはコツコツと小屋の修繕を始めた。
「まあ、大したことはできなかったんだけど、時間だけはたくさんあったからね」
やがて村の子らに見つかって、気づくと物陰からこちらを見ているのに気づく日が続いた。動く骸骨に戸惑い、どうすればいいのか様子を窺っていたらしい。
それに気づいたクローディアが彼らを怯えさせないよう、丁寧に淑女の礼をしたことがあった。敵意がないことを示したかったのだ。
しかしそのことをきっかけに、子どもたちの一人が想像の翼を広げてしまった。
クローディアはどこかの国から逃げてきた姫君だという噂が、あっという間に村に広がったらしいのだ。呪いを受けた姫が、ここで呪いを解いてくれる王子を一人で待っているのだと。
もちろんそれは事実ではない。しかし時折訪れる旅人の話が娯楽である村で、昔奇想天外なおとぎ話を語った男がいた。不定期に訪れるその男は薬師で、本当か嘘かも分からない物語を面白おかしく語っていく。
「その中に、悪意なき呪いで人の姿を変えてしまう暁の魔女の話があったらしいの」
話でしか聞いたことがない不思議に、村はおそれより好奇心が上回ったらしい。ちょっとした騒ぎにもなったけれど、彼らはクローディアの力になってくれた。子供たちは火のつけ方ひとつ知らないクローディアを面白がり、色々教えてくれる。大人たちは小屋の修繕の手伝いや畑の作り方、家事などを教えてくれ、やがて隣人の一人としてあたりまえのように受け入れられていた。
今では生活のあれこれをほとんど一人ですることが出来るのだ。
日の出とともに起きて働き、村人と他愛もない話をし、時に星を眺めて家族の幸せを祈る。そんな日々を、クローディアは心の底から楽しんでいた。
「もう少し遅い時間だったら、わたしが作ったお野菜と干した魚を使って、おいしいスープを作るところだったのよ」
ぎりぎりまで灯さずにいたランプに火を入れながら、ぐっと胸を張って見せる。
テオドールが「君が?」と不思議そうにするが、それもそうだろう。自分でも料理をしたり食事を楽しむ日が来るなんて思ってもみなかったのだ。
でも不思議なことに、骸骨の今のほうが食事が楽しいし、美味しいと言う感覚も理解できたのである。
その後今日は帰らないというテオドールに、先に宣言した通りおいしいスープを作った。もちろんつましいものだし、彼の口には合わないかもしれない。
しかしてきぱきと家事をしていると、テオドールの目がこぼれんばかりに見開かれていくのがおかしくて、クローディアは自分に自信をもって出来ることをすることにした。
「はい。私の得意料理よ。食器が余分にないから一緒に食べるけどいいわよね?」
「ああ。魔塔でも遠征の時はそんなことがよくあるよ」
そう言って一口食べたテオドールが再び目を丸くする。
「うまい……」
「そうでしょそうでしょ。村一番の料理上手、ナンシーさんに教わったのよ!」
「なぜだ。したり顔してるのが分かる。しかも前より肌艶良く見えてきた」
テオドールの呟きに思わず(骨なのに?)と吹き出すが、実は自分でもそう思ってたクローディアは、ついくすくすと笑ってしまう。
今のほうがよく笑うなんて不思議だと思いながら。
その後、なぜかテオドールが村に住み着いた。
さすがにクローディアの小屋に泊まることはなかったが、新しい魔道具らしきものを使い、小屋のそばにテントを作ってしまったのだ。遠征で使うものの小型タイプらしい。
村人からは好奇心たっぷりの目で見られたが、娯楽の少ない彼らにはちょうどいい楽しみなのだろう。
一応幼友達だとだけは説明したが、村人の間に広がる大ロマンスな作り話は放置することにした。最初は王子様が来たとか、いやいや彼は王子の従者で、姫を守るために派遣されてきたのだとか色々あったが、そのうち「姫の呪いを解きに来た、姫に恋する魔法使い説」で落ち着いたらしい。
(魔法使いしか合ってないわね)
クローディアは子供の頃から笑い上戸のテオドールが好きだったけど、彼が骸骨令嬢を好きになる理由はないではないか。昔から面倒見がよかったから、今も兄のように心配しているだけだって分かっている。
それに彼は魔法使いだから。
呪われたクローディアを研究したいだけかもとも考え、わざわざこんな田舎まで来てまで側にいる理由が腑に落ちた。その証拠に彼が、魔法使いの連絡道具である通信鳥を使っているところを見てしまった。定期連絡だと言っていたけれど――まあ、そういうことだろう。でなければ、忙しいはずの魔法使いが長い間仕事から離れることなどできないはず。
とはいえ、もう会えないと思ってた人に会えて嬉しかったことをクローディアは隠さなかった。でも、他の昔なじみが会いに来ても同じだったと言い訳もした。
どんどん好きな気持ちが大きくなるのに、彼にこの想いがバレたら気味悪がられてしまうだろう。
そう考えたら、骸骨でもがりがりでもない普通の体型の女の子ではないことが初めて悲しくなり、涙も出ないのに声を殺して泣いた。
今みたいに何でも食べて動いていたら、もしかしたら呪いも跳ね返せたのかもしれないなんて――、そんなせんないことも考えた。
でも、どんなに泣いたって苦しくたって、皮のない身に表情なんて表れない。いつも通りお気楽な話し方だけ気を付ければいい。明るい声を出していれば、クローディアの心なんて誰にも推し量れない。そうでしょう?
夏も終わりに近づく頃、テオドールが何か考え込む姿を見ることが多くなった。
そんな彼が連絡鳥を飛ばした後、真面目な顔で振り返った。
「なあ、クローディア。君は呪いを解く気はないのかい?」
てっきり魔塔に戻るという話だと思ったクローディアは虚を衝かれ、次いで大笑いしてしまう。令嬢らしくはないけれど、村娘のような朗らかな声だ。
「いやね、テオってば。解けるはずがないじゃない」
「方法はある。試す気はないか?」
「…………」
その質問に口をつぐんでしまったのは、解ける方法も、それができる唯一の相手も分かっていたからだ。
「試すも何も、呪いを解く方法はキスでしょう?」
それも、愛する人からの心のこもったものじゃないと意味がない。でも骸骨にキス?
「ありえないわ」
村娘のように肩をすくめ、どうでもいいことのように話を逸らすと、テオドールが肩を掴んだので驚いた。
今まで触れたことがないのに、肩に置かれた手は優しく、ゆっくりと振り向かされる。
「やっぱり」
「テオ?」
「思ったとおりだ。骨に見えてるだけで、君は普通の人間じゃないか」
驚きと気づいてもらえた喜びで声が出ない。そんなクローディアに、テオドールはもう一度「呪いを解かないか」と言った。
なぜか声がかすれた彼の頬が上気しているように見え、クローディアが首を傾げると、テオドールは咳払いをしてクローディアの腰にそっと両腕を回した。
「ぼくが解いてはだめ?」
「え……でも……」
この腕の中にいるのが普通の令嬢なら、さぞやロマンチックな光景だろう。
そう考え悲しくなったクローディアの頬を、テオドールが手の甲でそっと撫でた。
「クローディアがここで幸せに暮らせていたのは嬉しいよ。呪いは不幸だけじゃなかった」
「そうね」
たしかにここでの生活は大変だったけれど、それ以上に幸せだった。
子供たちと笑い、大人には色々教えてもらい、年頃の男女の恋の相談なんかも受けてきた。ずっとここで暮らしてもいいくらいだ。
ただし、それはテオドールがここにいるからでもある。彼が帰ったらすべてが空虚になってしまうだろう。それが怖い。
「呪いを解きたがっているのは、十分に研究ができたから?」
ついそんなことを聞いてしまい、おでこを小突かれてしまった。
「失礼な。クローディアを見ていたのは否定しないけれど、研究なんてしてないよ」
「じゃあどうしてここに滞在していたの?」
そもそもどうして来たの?
口にできなかったその疑問に答えるよう、テオドールはここに来るまでの経緯を教えてくれた。
はじめはこの事件を内緒にされていたこと。
二十二歳の誕生日にいつも通り帰省し、初めて知ったこと。
その後あらゆる伝手を使ってクローディアを探したこと。
実はクローディアの家族はクローディアの居場所を掴んでいたため、結局彼らには許可を取った上でここに来たこと。
「色々聞きたいけれど、まず許可ってなに?」
「もちろん君に求婚する許可だけど?」
「はっ?」
「やっと準備が整って迎えに行ったぼくの気持ちがわかるか? 最初は死んだって言われたんだぞ。そうしてくれって言われたってホリーが付け足すまで、僕の心臓は完全に凍り付いてたね」
「ちょっと待って。どうしてテオがわたくしに求婚するの?」
「そんなの君が好きだからに決まってるだろう。だいたいさ、ぼくが君と離れてまで魔塔に行ったのはなんでだと思ってるわけ?」
少し拗ねたように首を傾げるテオドールにドギマギしながら、必死で記憶を探る。
「すごい魔法をつくるため?」
「そう。クローディアが言ったんだ。一度くらいみんなみたいに、美味しいって感じてみたいって」
だから食事が摂れるよう、美味しいと感じられるよう、そしてクローディアが健康になるための魔法を研究し、ようやく食が細くてもおいしく食事を食べられる魔道具の開発に成功したのだと教えられ、クローディアは頬が熱くなった。
「それは、駄目な妹みたいな感じ、よね?」
「まさかだろ。もう食事を楽しむことを覚えた君には必要ないものだけどね」
「えっと、ごめんなさい」
「いや。よかったと思っているよ。一緒に作ったご飯を楽しそうに食べる君を見られて幸せだ」
輝く笑顔を直視できず、じりっと逃げようとしたクローディアを抱きしめる腕に力が入り、慌てて手を彼の胸に当てる。このまま抱きしめられたら気を失いそうだ。
「クローディアはぼくを兄だと思ってるのかもしれないけれど」
「そんなことない!」
つい食い気味に否定したクローディアに、彼が嬉しそうに笑う。心臓が暴れ出し、口から飛び出そうだ。
「じゃあどう思ってる?」
「それを聞くの?」
「聞きたいね。ぼくはクローディアが好きだよ。ずっと大切だった。だから君の気持ちも聞きたい」
余裕のある素振りなのに、あまりにも彼の目が真剣で、これは冗談ではないのだとようやく理解できた。理解はできたけど、現実とは思えず声が出ない。
「じゃあ聞き方を変えよう。クローディアはぼくを好き?」
まっすぐに見つめられ、精一杯頷く。
「じゃあぼくと結婚してくれるかい」
「で……でも……」
愛し合うもの以外のキスでは呪いは解けない。
顔をかしげたテオが近づいてくるのに、ギュッと目を閉じる。
もしキスをしても呪いが解けなかったら?
それは呪われた時よりも恐ろしくて、全身に震えが走った。
「信じて欲しい……愛してるよ……」
絞り出すような声と共に唇に柔らかい感触。
やがてそれが離れると、クローディアが目を開ける前にガバッと抱きしめられた。
「テオ?」
不安が大きくなる。
骨のままの姿をクローディアに見せない為に抱きしめたのかと思ったから。
でも顔を上げた彼の目には涙が浮かび、そこに綺麗な女性の姿が映っていた。首を傾げると、女性も首を傾げる。
豊かな髪と、程よく肉のついた薔薇色の頬。自分を見下ろせば、肉感的とは言えないまでも、女性らしい曲線を描く身体が目に入る。
「わたくし……?」
「クローディア……すっかりきれいになった」
村での生活で必死ながらも食事の楽しさを覚え、太陽のもとで働き暮らして来たことで、すっかり別人のように変わったクローディアに、故郷の家族は驚き喜んだ。
不幸な呪いは、必ずしも不幸ではなかった。
テオドールの求婚を受け入れたクローディアは、自分を責め続ける妹に自分の経験を話し、心配をかけたことを謝り、たくさん感謝も伝えた。
「きっとこのことがなかったら、わたくしはテオの愛を信じられなかったと思うもの」
「お姉様ったら。彼はずっとお姉様一筋だって、みんな知ってたわよ?」
だから彼には教えられなかったのだと、ホリーが教えてくれた。
次の春。
村の人たちも全員招待した結婚式は、晴れ渡った空のもとでにぎやかに開かれた。
「「「「せーのっ。骨のお姫様ー、結婚おめでとー!!」」」」
不思議な光の代わりに花びらが舞う。
おとぎ話のような物語はきっと、村でずっと語り継がれるに違いない。