第9話
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試衛館に帰り着くころには既に昼を回っていた。試衛館の門では、うろうろと落ち着かない様子で帰りを待ちわびる勝太の姿があり、土方はそれを見るなり苦笑した。
「かっちゃん」
名を呼ぶと、勝太はすぐに気が付いてこちらに駆け寄ってきた。
「歳っ!宗次郎は…!」
「しっ」
唇の前に人差し指を突き立てて、静止を促す。宗次郎は土方の背中で安らかな息を立てていた。
「途中までは歩いてたんだが、ふらふらと眠そうにしてるから担いでやったんだ。しばらくは寝かせてやろう」
「ああ…そうか、でも、何にせよ見つかって良かった…」
心底安堵した様子で、勝太は胸をなでおろした。
ひとまず事情を説明するのは後にして、土方は自分の部屋にしている試衛館の客間に宗次郎を連れて帰った。布団に寝かせても、起きる様子が無いのですっかり寝入ってしまったらしい。
「こうしてみると、子供っぽいんだよな」
勝太は笑いながらそういうが、土方にはまた別の感想を持った。
(やっと気が抜けたか…)
いつも緊張感を持って過ごしてきた宗次郎が、ようやく本音を吐露することでその呪縛から逃れたのだろう。これが本当の宗次郎なのだ。
「…取りあえず腹が減った。朝餉を食い逃したんだ」
「ああ、そう言うと思ったよ」
勝太はぽんぽん、と軽く土方の肩を叩いた。まるで土方を労るようだった。
ふでが持ってきた朝餉の残りをかきこみつつ、土方は宗次郎が試衛館を逃げ出した事情を端的に説明した。宗次郎は宗次郎なりに勝太の教えを守ろうとしたのだと伝えると、涙ぼろい幼馴染はうっすらと目尻に涙を浮かべつつ、「そうか、そうか」と頷いていた。傍に控えていたふでも、怪訝そうな表情を少し崩して俯いた。
「そう言うことだったのなら、俺にも責任の一端はある。宗次郎が大人びて見えたのは宗次郎にそう在ってほしいというただの驕りだったんだろう。宗次郎も年相応の我儘や言い分があることをすっかり忘れてしまっていた。そのことを、謝らなければならないな」
誠実で正しくあろうとする勝太らしい、素直な考え方だ。その素直さは土方にはないものなので驚きもするが、土方は敢えて制止した。
「いや、かっちゃんが謝るとあいつは立場がなくなる。このことは心に留めておくだけでいい」
「そうだが、しかし…」
宗次郎が謝罪を必要としていないのは土方が一番わかっている。むしろ今回のことは、互いに本心を見せなかった末に起こった喧嘩両成敗なのだと思っていた。
尚も食い下がろうとする幼馴染を遮って、土方は「おふでさん」と話の矛先を変えた。
「宗次は確かにガキだ。やることなすことおふでさんの気に障ることもあるだろう。けれど、それは正しく教えてやればすぐにあいつは学習できると、俺は思う。あいつは馬鹿じゃない」
「…」
「長い目で見てやってほしい。あいつはまだ子供なんだ」
ふでは俯いていた目をさらに逸らした。横顔しか見えないものの強情で頑固なふでらしい表情をしていたが、「わかったよ」とぶっきらぼうではあるが理解を示してくれた分、進歩があっただろう。ふではそれだけ言うと居心地が悪いのかそそくさと部屋を出て行った。
その姿を二人で見送ると、ポツリと勝太が呟いた。
「…歳は、いったい何者なんだ?」
「あ?」
勝太は唖然とした表情だった。一体何のことだと土方の方が驚いていると、勝太は嬉しそうにその大きな口を開いた。
「たった十日くらいで、いろんなことを解決してしまった!俺やお義父さんがお手上げ状態だったのに、あっさりといい方向に向けてしまったじゃないか」
「たまたまだろう、たまたま…」
「お前には人の心を見抜く、そういう才能があるんだなあ」
感嘆するように勝太が言うので、土方は「何なんだよそれは」と皮肉ぶって返した。
(才能…ねえ)
十日ほど前、宗次郎のためにどうにかしてほしい、なんていう幼馴染の曖昧で無茶な話を聞いたときは到底無理だと思っていた。けれど、確かに結果だけを見れば色々なことが解決してしまったのだろうと思う。
だがまだ、全面解決とはいかない。土方の中で宗次郎について納得できないことが残っている。
「かっちゃん」
「ん?」
「まだやることがある。俺が出ていくまでには何とかするつもりだが…まあ、失敗したらそれまでなんだけどな」
その「解決できていないこと」に心当たりのない勝太は首を傾げていたが、土方は答えてやらず、構わず温もった味噌汁を最後の一滴までを飲み干した。箸をおき、両手をそろえて「ごちそうさま」とあいさつをする。すると勝太は
「やっぱり出ていくのか…?」
寂しげに、しかし引き留めるわけでもなく、勝太は微笑みつつ訊ねてきた。今朝のやり取りでは「聞き流してくれ」と話を締めくくった勝太だったが、やはり土方に入門して欲しいと言う気持ちが強いのだろう。
土方は正座を崩して胡坐をかき、「ふっ」と笑った。
「かっちゃんが言っていた通りだよ。そもそも入門なんて型に嵌るようなやり方が、俺に合っているのかわからない」
「そりゃお前は今まで我流でやってきたのだから、そうなのかもしれないが、基本だけでも型に嵌ることでもっと強くなるんじゃないかと思うんだ」
「期待に添えるかわからねえ」
「お前なら大丈夫だ」
頑なに主張する勝太の目は、鋭く真剣だ。何の根拠もないのに剣の話になると途端に自信家のように断言する。「やれやれ」と土方は苦笑した。
(剣術馬鹿だからな…)
だから、良く知っている。土方のことも。
「…だから、かっちゃんの言った通りだって」
「ん?」
「最後には、必ず…剣に帰ってくる」
最初は意味が分からず、目を丸くした勝太だったが、
「歳…!」
と感激した様子で破顔した。土方は「止せよ」と少し目を逸らして続けた。
「たぶん、そういう風にできてる。いまはうだうだ言い訳を探してるけど…たぶん、俺はそのうちここに戻ってくるんだ。どこへ行っても、どうしようもなくここに帰ってくる。だから、かっちゃんはそれまで道場を守っていてくれ。…そうすればいつかそういう日が来る」
確証はしない。それがいつになるのか約束はできない。もしかしたら来年なのかもしれないし、五年後か、十年後なのかもしれない。
(でも、想像出来ちまうんだよな…)
ここで勝太と一緒に剣を振っている自分が。ここで何かを探して、もがいて、生きていく自分が。
「…信じていいんだな?」
「ああ」
「じゃあ待っている。だが、あんまり待たせるなよ」
「はいはい」
土方が頷くと、勝太も頷いた。
もしかしたら宗次郎に感化されたのかもしれない、と土方は思った。「逃げるな」という教えを頑なに守る宗次郎に説教をたれておきながら、いざ自分の立場になると逃げ腰の自分が居た。それでは駄目なのだと刺激を受けたのは否めない。
そして、どうしてだろう。
(将来の姿に…あいつもいるんだ)
勝太と一緒に剣を振る、さらにその隣には宗次郎の姿がある。この予感とも確証ともいえない曖昧な想像でしかないのに…どうしてだろう。何故か大人びた宗次郎の背中が見えた気がした。
宗次郎が目を覚ましたのは、夕方になろうかという頃だった。辺りはうっすらと暗くなり、最初は朝かと思ったがそんなはずはないと慌てて体を起こした。
「ど…どうしよう」
こんな時間まで寝入ってしまったのは初めてだ。ふでや他の人が起こしに来なかったのだから、寝ていてもいいと言うことなのだとは思うが、それでも下働きの身分からすれば一日布団で過ごしてしまっただなんて落ち着かず青ざめてしまう。
しかし、久々に夢も見ないほど深く寝た。まるで姉と過ごした家に居た時のようにぐっすりと寝た。そのせいか気持ちがすっきりとしていた。
「…歳三さんの部屋…?」
辺りを見渡すと、いつもの狭い物置部屋ではない。立派な床の間がある客間だったので、ここが土方の寝床なのだと分かった。
そして枕元には一通の手紙が置いてあった。
「宗次郎…殿?」
自分の名前が書いてあることに驚きつつ、宗次郎は恐る恐る手紙を手に取る。くるくると折られた手紙の最初の文言で、宗次郎は手が止まった。
「は…果たし状…?」
歴史を基にしたオリジナル小説です。
手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。