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第8話



土方は試衛館を飛び出して当てもなく走った。周囲に目をやるが宗次郎の姿はない。そのうち息も切れてふと足を止めた。

(会って…見つけて、どうするつもりだ…)

自分へ問いかけるが、思った以上に答えが出て来なかった。

せっかく姉さんにもらったものをあんな風にしてはいけない…年長者面でそんな正論を垂れるつもりなど毛頭ない。それにその行為を責めることが何の意味もないのだと、この数日宗次郎と過ごして学んでいた。

(だったら、俺に何が言えるだろう…)

同情してやるのは簡単だ。可哀そうにと慰めてやることだってできる。けれどそんなのは一時的な解決しかなく、宗次郎はまた大人ぶって笑って元に戻るだろう。そして同じことをまた繰り返す…そんなのは足踏みしているのと同じだ。

だったら何を言ってやればいいのだろう。

「いや…違うな」

土方は再び足を踏み出した。荒い息はまだ続いていたが、立ち止まっている時間がもったいないと思った。

(俺は何かを言いたいんじゃない。あいつの話を聞きたいだけだ)

笑って嘘を付いた言葉じゃなくて、武装したかりそめの台詞ではなくて。

あいつの言葉が聞きたい。何を思っているのか、知りたい。

「危ないよう」

「いけないんだ!」

「母ちゃんに言いつけるよ!」

不意に子供たちの声が耳に入り、土方は足を止めた。周囲を見渡すと東の方向に古びた神社がある。神社と言っても、管理が行き届いていないのか空き地のような場所になっていて、雑草が目立つ廃れた雰囲気だが子どもの溜まり場になっているのだろう。しかしそこには一本の桜の木があった。春の満開を迎えた桜が一本だけ咲いているので一際よく目立つ。そしてその桜の大木の周りになぜか子供たちの人だかりができていて、皆一様に桜の木の上を見上げていた。

土方は何か予感がしてそちらに向かう。集まった五・六人の子供の視線の先を見ると、

「宗次!」

土方自身の身長を三倍くらいにしたような高い場所に、宗次郎がいた。細い枝に立つ姿は、下から見ているとはらはらするようなものだったが、当の宗次郎は平気な顔をして

「歳三さん?」

と少し驚いたように見下ろした。

すると、木登りの主の知り合いだと気が付いた子供たちが口々に

「あの子、誰?」

「兄さん、あの子の知り合いなん?」

と、土方に詰め寄った。なかには土方の袖を引いてくるものもいて、「うちも登ってみたい」と言い出す子供もいた。ここで勝太なら抱き上げて木に乗せてやるような優しさを見せるのかもしれないが、しかし、もともと子供を苦手とする土方は上手く躱しきれない。それどころかようやく見つけたのに足止めされるのに苛立って、

「うるせえ!」

と一喝した。すると子供たちはみるみると顔色を変えて黙ったので土方は(この隙に)と、取りあえず一番近い枝を掴み飛び乗った。

木登りは得意だった。子供の頃には木登りができると、喧嘩で奇襲するのにも使えるし、木の上に逃げるのも戦法の一つだ…まさかこんな時に役立つとは思っていなかったが。軽々と気を登っていくさまは、下で見ている子供たちを驚かせたようで

「すっげー」

「ええなあ」

とどうやら結果的には子供たちの機嫌を取ることに成功したようだ。それにこの木に登るのは子供たちには難しいだろう。だが、彼らと体格がそう変わらない宗次郎にはできた。

『目が良いのかもしれない』

『目で見たものを、淀むことなく実行できる。そういう才能があるんじゃないか』

思い起こしたのは勝太の言葉。宗次郎の様子を見るとそれが、あながち間違いではないのだと思う。

(それも…聞けば分かる)

桜色に包まれた木々を、上へ上へと進む。次第現実味のない幻想的な場所に思えてくるような雰囲気へと変わっていく。ようやく宗次郎と同じ高さまで上り詰めると、宗次郎は思っていたほど暗い表情をしていない。

「歳三さん、どうしたの?」

「…その言葉、前にも聞いたぞ」

「そうですか?」

久々に会った、あの蔵で。助けに来た土方に、宗次郎は全く同じことを言った。

土方はバランスをとりながら、宗次郎と同じ枝に渡り、太い幹に近い枝に腰を下ろした。「こっちにこい」と宗次郎を手招きすると、宗次郎は素直に土方の隣に腰掛けた。

「お前は言葉を選んで、話すよな」

「選んで…?」

「これでいいのか、これで間違っていないのか…そう言う風に話すよな」

「歳三さんは違うんですか?」

宗次郎は特に疑問に思っていなかったようで、首を傾げた。土方は苦笑しつつ「俺は違うな」と答えてやる。

「俺は何も考えない。出たとこ勝負だ」

「ふぅん…」

宗次郎は曖昧な返事をして、それ以上話を続けようとはしなかった。土方は少しの沈黙の後に訊ねた。

「お前、何でこんなところに居るんだ」

「なんでって…大きな木を見つけて登れるかなって思ったら、登れたんです」

「…」

その言い方だと今まで一度も登ったことが無いようだ。それが宗次郎にとって一番自然な感想で、それが才能だとか特別だとか全く思ったことが無いのだろう。しかし土方が聞きたいのは宗次郎に才能があるかどうか、そんな話ではない。

「なんでここに登っているのか、っていう話じゃねえんだよ。…いつもの処世術はどうしたんだ?」

「しょせい…?」

「下働きは、今日はいいのか?」

「……」

ストレートに訊ねてやると、宗次郎は急に唇を噛んだ。そして俯きがちに視線を落として「歳三さんには関係ないです」と、いつか聞いた台詞を口にした。いつもならここで引いて「そうかよ」と言って聞き流していたが、それが宗次郎の為にならないのだと、わかった。

「関係なくはないだろう。試衛館は大騒ぎだぞ。かっちゃんは慌てふためき、おふでさんが血相変えてお前のことを探してて…稽古途中だった俺にはいい迷惑だ」

少し大げさに話してやると、宗次郎の顔色はみるみる暗くなっていった。

「女将さん…怒ってたんですか?」

「違う、心配してんだよ」

あんなに血相を変えて試衛館中を探し回るふでを、土方は初めて見た。それは宗次郎に苛立ちを覚えているのではなく、ふでもこれまで感じていた少しずつの罪悪感を目の当たりにして動揺していたのだろう。

しかし、宗次郎は首を横に振って

「そんなのは嘘です」

と信じようとはしなかった。

「嘘じゃねえって。なんならいまから試衛館に戻ってみろよ。おふでさんはお前を怒ったりしねえよ」

「……」

土方は念を押してやったが、宗次郎は頑なだった。口答えはしないものの唇を噛んだまま首を横に振って、まったく信じようとしない。しかし、土方は言葉を止めなかった。

(こいつの本音が聞きたい)

そう決めた決心が鈍ることはなかった。

「お前は、姉さんのことが嫌いか?」

「……そんなこと…」

それまで平静を保っていた宗次郎の表情が少し崩れた。

「突然家を追い出されて、姉さんを憎んだか?」

「……」

「宗次、ここにはおふでさんもいねえし、周助先生もかっちゃんもいねえ。聞いているのは俺だけなんだ」

だから、なにも嘘を付く必要はない。

少し気恥ずかしさで躊躇いつつも、土方は宗次郎の頭を撫でてやった。最初はびくっと驚いた反応を見せた宗次郎だが、次第に土方の手のひらの感触になれていったようで、緊張を解いた。

「…姉上のこと、嫌いになったんじゃありません」

「でも、切り刻んでただろう」

隠すことなく指摘してやると、宗次郎の表情が歪んだ。

「…それは、姉上のことが嫌いだからそうしたんじゃ…ない、です」

「じゃあなんだっていうんだ。嘘はつくなよ」

「……だって、あの着物は…姉上の匂いがしたから」

明らかに宗次郎の声色が変わっていた。それは初めて出会ったときの、迷子になって泣いている、あの宗次郎と同じものだ。ぎゅっと拳を握りしめて、何かに堪えるように。

「宗次…」

「ずっと捨てられたんだって、そう思った方が良いんだって…でもあの姉上の着物には、懐かしい匂いがした。でも、帰れない。帰っちゃダメなんだって、思ったら、ここがぎゅーって痛くなったんです」

宗次郎は心臓の辺りをぎゅっと押した。きっとその痛みの名前を知らないのだ。

「きっとあの着物を着たりなんかしたら、きっともっと、痛くなってつらくて、泣いちゃうんだって。そうおもった…から」

だから、いらない、きっと弱くなるから。

土方は想像する。

泣きながら、着物を切り刻むしかなかった、宗次郎のことを。すると自然に、宗次郎を抱きしめていた。子供になんかするわけもない、いままで女しか入れたことの無い腕の中に。

「歳三さん…」

「お前、もう家に帰れよ。そんなにつらいなら、帰っちまえよ…」

「…っ」

宗次郎の大きな瞳に、涙が溜まっていく。流さないように、零れないようにと堪える宗次郎が、いままでで一番子供っぽく見えた。宗次郎は完全に身体の力を抜いた。そしてその細く小さな手のひらで、土方にしがみついた。

「ごめんなさい…」

「なんで、謝るんだ」

「歳三さんに、めいわくをかけて…ごめんなさい」

たどたどしい謝罪は、全く必要のないものだ。土方は苦笑した。

「なにが迷惑なんだ。お前が大人ぶって笑って言うことを聞いている方が、よっぽど鬱陶しいんだよ」

「だって…」

だって、と言ったくせに宗次郎はそれ以上何も言おうとしない。土方は「なんだよ」と先を促すと、しがみついていた手を離して涙にぬれた顔を、土方の方へ見せた。

「若先生が…」

「あ?かっちゃん?」

脈絡のない名前を問い返すと、宗次郎は頷いた。

「若先生が…武士の子は、逃げちゃダメだって…そう言ったから」

「は?」

確かにそれは勝太の口癖に近い。何事にも正々堂々立ち向かう勝太の性格そのものだ。もしかしたら、宗次郎には「怯懦はもっとも男らしくない」と散々言い聞かせていたのかもしれない。

「……お前、まさか、かっちゃんがそう言うから、ふでさんに扱き使われてもだまっていうことを聞いていたのか?」

宗次郎は躊躇いつつも、頷いた。

(かっちゃん…)

苛つくやら、呆れるやら…言いようもない感情が土方の中で湧き上がる。結局は、言葉足らずの若先生の小言を忠実に守ったせいで、宗次郎が変に我慢をしていたということだ。帰ったら早速文句を言ってやろう…と思いつつ、土方は持っていた手拭いを宗次郎に差し出した。

「…いいか。かっちゃんが逃げるなっていうのは、ただ言うことを聞いてろっていうことじゃねぇ。お前のはただの嘘つきだ」

「嘘つき…?」

「悲しいのに、笑うのは自分に嘘を付いているんだろう」

「でも」

宗次郎はぐいっと土方の袖を引いた。

「そのほうが、みんな喜ぶよ。僕が我慢して仕事をしていれば、おふでさんも怒らないし、女中さんも楽だし、姉上も喜ぶから…だから」

僕は嘘を付いたんだよ。

それの何がいけないの?

と、宗次郎の台詞がまるでそんな風に聞こえた。

それは何の武装もしていない、無垢な言葉で、だからこそ土方は答えに詰まった。

もし、遠くに下働きに出した弟が連日泣いて「帰りたい」と口にしているのだ、と知れば姉は飛んで迎えに来るだろう。それをわかっているから、宗次郎はそうしない。限界になるまで堪えて、我慢して、逃げないように自分を奮い立たせるのだ。

(お前が嘘を付くのは、それが誰も傷つけないからなんだな…)

でも、

(でもな)

土方は両手で宗次郎の顔を挟む。そしてぐいっと自分の方へ寄せた。

「…宗次、それはただ楽をしているだけだ」

「らく…?」

「戦わずに逃げてるだけだろ」

「にげる…」

宗次郎が若先生の「逃げるな」という掟を忠実に守っているというのなら、それを利用することが話が早いだろう。

「何でもかんでもはいはい言ってりゃ楽だよな。そうすれば誰もお前を責めたりなんかしないし、聞き分けが良いって褒めてくれるだろう。けど、それはお前にとって苦しいばっかりだ。だから、嫌なことは嫌だと言え。そういって戦え。それから、もっと頼れ」

「たよる…」

「若先生がお前のことをどれだけ気にかけてると思ってるんだ」

呆然とした宗次郎は、まるでいままで勝太に気にかけられていたことなど気が付いていなかったらしい。周囲を見ているようで、何も見えていないのはやはり子供だからだろう。

「…お前は一人で生きてるんじゃないだろう」

突然、風が吹いた。桜の花を揺らすかせで。花びらが通り抜けていく。気まぐれのように桜色が揺れて、青空を覗かせた。

風でバランスを崩しかけた宗次郎を、土方が抱き寄せた。

「風が吹いてきやがった。そろそろ試衛館に戻ったほうが良いな…」

土方が飛び出したあとの試衛館では、今か今かと宗次郎の帰りを待つ若先生の姿があるだろう。そしてその傍らには無関心を装いつつも落ち着かない様子のふでもいるはずだ。

「降りるぞ」

土方が促すと宗次郎は素直に頷いた。抱き寄せていた腕を離して土方はさっさと降りていく。どうやら先ほどまで群がっていた子供たちは飽きて解散してしまったようで下には誰もいない。そこそこの高さから飛び降りて宗次郎を待つ。

一方、宗次郎は恐る恐る、慎重に降りていた。登るときには感じなかった、高さの恐怖を味わっているのだろうか。たどたどしく幹を掴みながら降りてくる宗次郎の顔が見たことがないほど引き攣っていて、土方は苦笑しつつ叫んだ。

「飛び降りろよ」

「え?」

「受け止めてやるから」

そういって腕を広げた。宗次郎からすれば高い場所から飛び降りるイメージだろうが、土方からすれば大した高さではない。受け止めるのも容易だろう。

宗次郎は少し迷っていたが、自力で降りるよりは、と決心を固めて土方目掛けて飛んだ。丁度、腕の中に飛び込むようになり無事に受け止めることができた。

「…歳三さん」

「なんだよ」

「ありがとう」

何に対する礼なのかわからない。受け止めてやったことなのか、迎えに来てやったことなのか、説教をしてやったことなのか。

しかし、一つわかることがある。いままでの宗次郎なら「受け止めてやる」と言ったところで「いいです」「大丈夫です」と頑なにその救いの手を拒んだだろうということだ。

(少しは信用されたか…)

そう思うと、土方の表情も少し緩んだ。

そして宗次郎は嬉しそうに笑っていた。それが嘘ではないのだと、きっと誰にでもわかるような満面の笑みだった。

 




歴史を基にしたオリジナル小説です。

手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。

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