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第6話



宗次郎の年の離れた姉であるミツは近くに用事があったので、試衛館まで足を延ばしたのだという。

「宗次郎がお世話になっております。これ、つまらないものですが…」

「これはどうも」

ミツの応対をしたのは周助だった。ふではバツが悪いのか、ミツがやってきたと分かると「いないことにして頂戴」と勝太に言いつけて外出してしまった。ミツには「たまたま外出している」ということで納得してもらった。

ミツは一通りの挨拶を済ませると、微笑を浮かべつつようやく宗次郎に語りかけた。

「元気にしていましたか?」

「…はい」

宗次郎は曖昧に頷いて、視線を逸らした。

幼い頃に母を亡くした宗次郎は姉に育てられたのだという。その辺の境遇は土方も似ているが、ミツに対する宗次郎の余所余所しい硬化した態度には違和感しかなかった。

(まるで他人のようだな…)

試衛館に人間だけでなく、宗次郎は家族のミツにさえ心を解こうとしない。そっけない弟の態度に、ミツは少しため息をつきつつも「そうですか」と無理矢理に笑った。

「何度も言いますが、大先生や若先生、女将さんの言うことをしっかり聞いて役に立つようにするのですよ」

「はい」

念を押すミツに宗次郎は素直に頷く。ミツも頷き返して「それでは、そろそろ」と腰を上げた。

「そんな、もう少しごゆっくりされていってはいかがですか」

余りにも短い弟との再会に思わず勝太がミツを止めたが、ミツは「いいえ」とやんわりと断る。

「他に行くところがありますし、今日中には家に帰るつもりですからそろそろお暇しなければなりません。宗次郎の顔を見れましたし…」

ミツは遠慮がちに断ったように見えたが、土方は逃げているのではないかと思った。久々に会う弟の態度に、もう自分を受け入れないのだと悟ったように。

そこで、土方は

「では、そこまでお送りしましょう」

と、申し出た。ミツはとまた断ろうとしたが、土方がさっさと立ち上がり

「行きましょう」

と促したので、断ることはできなかったようだ。

土方はちらりと勝太を見る。勝太からは(頼む)というような目配せを受け取り、頷いて見せた。

そして宗次郎はと言えば、ずっと俯いたままでその表情を伺うことはできなかった。


二人で試衛館を出るなり、ミツは話を切り出した。

「弟がご迷惑をおかけしております」

心底申し訳ないという声の調子だった。気丈に振舞っているのかもしれないが、土方からすればまるで泣きそうな声に聞こえた。しかし土方は何も気が付いていない振りをしつつ尋ねる。

「迷惑はかかっていませんが…。宗次は普段からああいう感じですか」

「そうじ?」

「あ、いや…宗次郎、ですね」

土方が頭を掻きながら訂正すると、ミツは「ふふ」と小さく笑った。そして語り始める。

「いいえ、本当はああいう子ではありません。根っからの末っ子で、甘えん坊で…すぐに怒ったり拗ねたりするような、感情豊かな子なんです。だから今まであんな態度を取った事もないと思います。…余程、私を恨んでいるのか嫌っているのか…今日はそれを痛感しました」

「そんなことはないと…思いますが」

土方は曖昧に返答したが、ミツは苦笑しつつ「いいえ」と首を横に振る。

「あの子にとって家族が世界の全てでした。田舎ですので周囲に家はありませんから、友達もいません。宗次郎にとって家族だけが知っている人間で、それ以外は知らない人間なのだと思います。それをいきなり家から放り出して、一人ぼっちで生きていくように言われて…捨てられたんだと、そう思っても仕方ないでしょう」

「……」

「宗次郎が捨てられたと自分に言い聞かせることで、自分を納得させているのなら、私も宗次郎を捨てたのだと思って、悪者に徹する方が良いのだと…わかっているのですがどうしても、気になって顔を見たくなって来てしまいました…」

ミツはついでに寄ったのだと言っていたが、それはあくまで建前だったのだろう。姉弟だけあって人に対して本音を見せず意固地である、そういうところはよく似ている。

黙り込んだミツに、土方は更に訊ねた。

「もう一つ聞きたいことがあるのですが」

「何でしょうか」

それが土方にとっては本題だった。

「宗次郎は…剣を持ったことがありますか?」

「ありませんね」

ミツは即答した。

「幼い頃から武士の子であるのだから、剣を少しはするようにと何度も言い聞かせていましたが、怖いだとか痛いだとかそんなことをいうばかりで…。それに父も母も亡くなり、女ばかりの姉弟です。機会を作ってやれず…情けない限りです」

「…そうですか」

「それもあって剣術道場の下働きなら、と淡い期待をしていたのですが…」

ミツの答えは土方にとって予想外ではなかった。むしろ土方の考えを確信へと昇華させた。

(あれは、そういうものじゃない)

縁日の騒ぎや土方の手を振りほどいた動作は、誰かに稽古をつけてもらうようなものや、土方のように我流で鍛えられたものではない。

(天才か…)

これまで周囲に「天才だ」「神童だ」と持て囃されてきた勝太の感想だからこそ、真実味がある。実際、勝太は天才ではなく努力の人だった。だからこそ、宗次郎のそれが自分とは違う天性のものだと思ったのだろう。

しかし実姉であるところのミツは、そのことには気が付いていないようだ。

「試衛館にお世話になることで、今の家にいるよりもよっぽど暮らしには困らないでしょうし、剣術を目にする機会が増えれば、本人の意識も変わってくるだろうと。父は訳あって浪人の身分でしたが、決して劣る人物ではありませんでした。宗次郎は父の顔を知らないでしょうが、その誇りを持って生きてほしいとずっと思っているんです」

「…」

土方自身も父の顔を知らない。姉ののぶは口うるさく説教をするのでミツとは違うが、しかし既視感を覚えるような台詞だった。

(誇りか…)

それは武士だけに許されるような言葉のように思える。農民風情が「誇り」だの「見栄」だのそんなものは必要ない。

(じゃあ何のために剣をやるのか…)

その答えは見えていない。

「すみません。私の話ばかり一方的に…」

「ああ…いや」

「土方さま」

ミツが足を止めた。そして手にしていた風呂敷を、土方へ渡した。

「これは…?」

「先ほど渡し損ねてしまったのです。申し訳ありませんが、土方様から宗次郎へ渡していただけませんか」

「構いませんが俺じゃなくて、かっちゃ…勝太の方から渡した方が…」

「いいえ、出来れば土方さまからお願いしたいのです」

ミツから渡された風呂敷はずっしりと重い。柔らかい感触からそれが着物だろうと察する。

「宗次郎のことを宜しくお願い致します」

ミツは深々と頭を下げて、「それでは」と別れを告げた。そしてふり返ることなく歩いていく。

土方はしばらく立ち尽くして、その姿を見送った。ミツがどうして勝太ではなく、土方から渡してほしいと言ったのか、わからなかった。


ミツを見送り試衛館に戻ると、そこにはいつもと同じように箒を持つ宗次郎がいた。ミツの来訪で中断していた掃除の続きなのだろう。

「おかえりなさい」

「……おう」

特に感情の籠っていない出迎えは、先程の宗次郎がミツに対して見せた硬化した態度に似ている。土方は早速使命を果たそうと、手にしていた風呂敷を宗次郎へ押し付けた。

「お前のだ」

「え?」

「姉さんから、お前に」

短い言葉だがそれだけで意図は伝わった。最初は恐る恐る受け取った風呂敷を、宗次郎は次第にぎゅっと抱えた。歯を食いしばって何かを堪えるように宗次郎は俯いた。

泣くのかと思った。

しかし宗次郎は顔を上げて、ふっと土方が戻ってきた道を見た。試衛館の門の外、その先の何かを探すように。

(そういえば、前もこうして外を見ていた…)

ぼんやりと視線の先にある何かを探していた―――それが姉の姿だったのだろう、と土方はようやく理解した。

いつか迎えに来てくれるのを、待っているのだろうか。

「宗次」

「……」

何も答えない宗次郎に土方は膝を折って視線を同じにして、出来るだけ穏やかに語りかけた。

「帰ってもいいんだぞ」

家の困窮という大きな事情があるのかもしれない。けれどいまの宗次郎の姿を見て、姉は喜ばないだろう。

「何だったら俺から言ってやる。大丈夫だ、ふでさんを説き伏せる自信はある、上手く言って…」

「帰りません」

土方の言葉をさえぎって、宗次郎は首を横に振った。

「…絶対に、帰りません」

強い意志が籠るその否定は、あまりに重い決意を秘めていた。

(頑固な…)

宗次郎は同情を嫌うかのように拒否をしたので土方は「はぁ」とわざとらしく大きなため息をついた。扱いづらい子供にこれ以上優しくしてやるほど、土方の心は広くはない。

「そうかよ」

だったらもうこれ以上いうことはない。

土方は大人げないと思いつつも吐き捨てて、宗次郎のそばを通り過ぎて客間に戻る。

(かっちゃんには悪ぃけど…)

明日には試衛館を出ていこう。宗次郎の凍りついた心は誰にも解きほぐせないし、時が解決するしかない。この幼子が秘めた「何か」は気になるが、暴かれたく無いというのなら、もうこれ以上の追及は野暮なのだろう。

「馬鹿野郎…」

土方は無意識に呟いていた。





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