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第5話



前向いて歩いているようで、それはただ後ろを振り返って、歩を進めているようなものだ。それでは道に迷い、どこかでつまずいて、やがて歩けなくなってしまうだろう。



縁日から数日が経ち、土方の滞在も十日を超えた。

幼馴染に頼まれたからといってもこんなに長く逗留するつもりはなかったが、好きな時に起きて寝て、気ままに稽古をして…という日々はもちろん悪くないし、ふでも機嫌よく迎えてくれる。そのせいで何となく試衛館から離れがたい気持ちになっていた。

縁側で身体を横たえて、腕をつく。近藤の義父で師匠の周助のちょっとした趣味だという試衛館の庭はよく手入れがされていて、見た目のボロ道場に似合わない趣があった。特に寒さの和らいだこの頃は、梅がちらほら咲き始めていた。

(桜が咲く頃には…)

何も解決しなかったとしても、それでもこの試衛館を出ていかなければならないと思う。できれば宗次郎のことも解決していると良いが、いい加減にこの心地よい場所から離れなければ、自分が駄目になってしまう。それ位の戒めは必要だろう。

「甘やかさないためにも…な」

そう言いつつも、春の陽気が眠気を誘い土方はあくびをした。すると視界の端に箒を持った宗次郎が現れた。

こちらに気が付いた宗次郎は少し嫌そうな顔をした。

「…おはようございます」

「ああ」

手を振ってこたえてやると、頭を下げて宗次郎は掃除を開始する。

縁日から帰ってから、宗次郎の日々は変わらない。時間を惜しむように仕事をして、食事をして、さっさと寝る。ふでの癇癪に当たるようなことがあれば「申し訳ございません」と決まりきったお題目のように答えて、周助や勝太に「大丈夫か」と聞かれれば笑顔で「大丈夫だ」と答えていた。

だが少し変わったことがあるとすれば、先程も見せた土方への態度だろう。縁日のあの騒ぎを隠してもらっているという負い目が、宗次郎の中で土方という存在を一際苦手にしていた。

(…ま、いいけど)

嫌いだとかそういう感情がないよりもよっぽどましだ。好きなものがあるように、嫌いなものがある方が子供らしい。

「宗次」

掃き掃除を続ける宗次郎を、土方は手招きして呼んだ。宗次郎はやはり心底嫌そうな顔をしたが、しぶしぶこちらにやって来た。自分のことが嫌いだとアピールする相手に近づくほど土方はモノ好きではなかったが、宗次郎が「嫌いだ」とアピールするたびに、「だったら構ってやろう」という気持ちになるのだから不思議だ。嫌がらせに近いのかもしれない。

「何ですか?」

「いいから、もっと近くに寄れ」

「…」

箒を握りしめるようにして宗次郎はおそるおそる土方に近づく。土方は宗次郎の頭上に手を伸ばした。しかしほぼ同時に激しいバァン!という衝撃音がした。

「いって!」

驚くのが先で、痛みは次にやって来た。そしてどうやら宗次郎が箒を使って土方の手を払いのけたのだと理解した。

「あ…」

宗次郎が一気に青ざめる。きっと野良犬と同じ防衛本能みたいなもので、無意識に牙をむいたのだろう。

「ご、ごめんなさい…」

「…ってぇ…」

それにしても激しい衝撃だった。まるで竹刀で打ち付けられたかのような痛みがあり、土方の手の甲はみるみるとまさに「箒の形」に赤らんでいった。

「あ…あの、大丈夫ですか…?」

おろおろと落ち着かない様子で、宗次郎が訊ねてくる。土方はわざとらしくため息をつきながら、

「お前なあ…俺は、これを取ってやろうとしただけだ」

土方は再び宗次郎の頭上に手を伸ばした。そしてその頭の上から一枚の花弁をとって見せてやった。

「あ」

宗次郎は顔を赤らめて、もう一度「ごめんなさい」と言った。宗次郎の箒で打ち付けられた手の甲は未だに痛んだが、反省しているようでそれ以上の追及は止めた。

「宗次郎」

そうしていると勝太がこちらにやって来た。稽古が終わったのか汗を手拭いで拭っている。

「お義母さんが呼んでいたよ」

「は、はい。わかりました」

勝太の言葉でにわかに緊張が走り、宗次郎は土方を気にしながらも箒を置いて慌てて走っていく。二人でその小さな背中を見送っていると勝太が腰を下ろした。こちらにやって来たくせに口を開こうとしないので、土方が促してやる。

「…今の、見ていたんだろう」

「な、何をだ」

「宗次の、今の動きだよ」

勝太が目を見開いた。

「…歳は、知っていたのか」

「まあな。かっちゃんこそ、知っていたんだな」

「……」

勝太が珍しく口篭もった。宗次郎と過ごした時間は勝太の方がもちろん多いのだから、気が付いていても不思議ではない。

「目がいいのかもしれない…とは思っていた」

「目?」

土方からすれば思いがけない言葉だったが、勝太が真剣な面持ちで頷く。

「たとえば、歳は目で見たことをすぐに真似できるか?」

「…唐突すぎて、想像の難しい話だな」

「そんなことはない。たとえば…剣でなくとも裁縫仕事やあやとり、竹馬…何でもいいんだ。一度見ただけでどこまで出来るかということだ」

土方は掌に顎をついて考える。自分の得意なことはすぐに実践できるとは思う。しかし、勝太の話に出てきた「あやとり」なんてものは目で見ただけではどういう風にそういう形を為しているのかなんて分からないだろう。

「一度では…無理だ」

「俺もそうだ。誰だって頭で理解して練習してやっとできるんだと思う。でも…きっと宗次郎は違うんじゃないかと思っていた。順序とか手順とかそういうものを必要としない。目で見たものを、淀むことなく実行できる。そういう才能があるんじゃないか」

「それは…」

「俺はそれを天賦の才だと思っている」

天賦の才…そんな曖昧で簡単な表現を、土方はあまり好まない。それは幽霊がいるのかいないのかということに似ていて、本当のところをはかれないからだ。しかし勝太の言葉を「そんなはずはない」と聞き流すことはできなかった。

少なくとも宗次郎が本当にそういう才能があるのだとしたら、それは人より抜きんでたものに違いないのだから。

「だったら剣術に向いているんじゃないのか?正式に入門させればすぐに上達するだろう」

土方が問いかけると、途端に勝太の表情が歪み、頭を抱えた。

「俺もそう思うんだがなあ…。お義母さんのこともあるけれど、宗次郎が望まないのだから仕方ないだろう」

「かっちゃんがどうにかいえばあいつは従うと思うけどな」

「そうはいかないんだ」

宗次郎もそうであるように、勝太も頑なだった。

「宗次郎が望まない限り剣をさせるわけにはいかない。この道は過酷で険しい…今のままじゃ、無理矢理にやらせるようなものだ。そんなことでは強くならない」

「……」

だから、

(だから、かっちゃんは俺にも何も言わない)

行商がてら剣術の稽古をする土方を近藤は見守って待っているだけだ。「いつかは入門してくれるだろう」と信じてくれている。それがわかるから

(だから、俺も…宗次も甘えちまうんだ)

いつまでも甘やかされて、この場所にとどまりたくなる。

(末っ子の性なのか…?)

土方は「ふん」と自分の考えを鼻で笑った。

「かっちゃん、俺は宗次には何かあると思っている」

「何かある?」

「あいつは何か隠している。下らない事かもしれないし、しょうもない事かもしれないけれど、あいつにとって何か大きな足枷がたぶん、あるんだ。それさえなければきっと…あいつは、初めて出会った時のように、心から笑い、心から泣くことができるだろう。その時に…」

きっとその時こそ、

「きっと、あいつは剣をとる」

前を向いて歩き始めるだろう。

そんな確信が、土方にはあった。


「ごめんくださいませ」

ちょうどその時、玄関の方から女の声がした。凛とした声に土方は聴き覚えがなく、勝太も首を傾げつつ「誰だろう」と呟いたが、誰も出て来ないのか客人は「ごめんくださいませ」と繰り返すので、勝太がようやく腰を上げて向かっていく。

「はーい!」

返事をしながら駆け足で廊下を走る幼馴染に、土方も何となくついて行った。

廊下を軋ませながら二人で駆けていくと、玄関には薄い桃色の着物に身を包み、風呂敷を抱えた女がいた。声に似た凛とした目元、色白の肌…どこかで見覚えがあるな、と勝太と土方が顔を見合わせていると、客人の方から挨拶があった。

「こちらにお世話になっております、沖田宗次郎の姉、ミツでございます」

丁寧に頭を下げて微笑する顔。宗次郎とそっくりなのだから、見覚えもあるはずだ。

「あ…!おミツさん、これはどうも…!」

勝太が慌てて頭を下げると、姉はちらりと土方の方を見た。

「もしや、土方さまでは?」

「え、ええ…そうですが」

土方と姉のミツは初対面だ。ミツの察しの良さに土方は驚いたが、ミツは「やはり」と少し笑った。

「宗次郎から聞いておりました。家出をした時に助けてくださったのだと。大変、弟がご迷惑をおかけいたしました。いつか御礼を申し上げなくてはと思っていたのです」

深々と「ありがとうございました」と頭を下げられて、土方は居心地が悪くなる。

「あ、いや…その、それはたまたまで…」

「いえ、土方さまがそうしてくださらなければ、宗次郎もここへお世話になることもなかったでしょうから」

確かにきっかけはミツの言うとおりだろう。

(…もしかして、あいつをここに引き寄せちまったのは俺だったか…)

思いもよらないことだったが、客観的に見ればそうだったのだろう。何やら喜ばしいやら申し訳ないやらだったが、土方は曖昧に「はあ」と答えるだけにとどまった。

そうしていると

「姉上…」

と、蚊の鳴くような声が聞こえた。

不安そうに顔を顰めて、宗次郎が顔を出していた。

 



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