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第10話

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明るかった空は太陽が隠れるにつれてその姿を変えて、次第に黒く染めていった。それまで明るかった視界がどんどん薄暗くなると人は不安になる。

けれど人は知っている。夜は夜で美しい月と、星々が心を和ませてくれることを。そして必ずや彼らが朝を知らせてくれることも。

「春の夜は…」

土方は呟く。その後の上手い言葉が出てこないのでまた沈黙する。その繰り返しだ。

人知れず続けてきた趣味である発句は剣術同様、誰かに習うわけではない。剣術の方はまだ日の目が出そうな腕前だが、残念なことに発句の方はそうはいかず一向に上達しない。しかしこうして拙い自分と向き合える時間は悪くないと土方は思っている。我の強い自分はいつも自由気ままに過ごしているが、こういう「苦手」な面に向き合うことで、周囲に目を向けているような気がするからだ。

試衛館の土方の部屋――客間で、ガサガサと人が動く気配がした。(やっと起きたか)と思っていると、早速部屋で寝ていた宗次郎が出てきた。

「…あ」

「よく寝てたな」

まさかすぐそばにいるとは思わなかったのだろう。庭先で夜空を眺めていた土方をみて宗次郎は目を丸くした。そして裸足のままで庭に下りて来て、慌てて手に持っていた紙を土方につきつけた。

「これ!なんですか?!」

「いくらお前でも字ぃくらい読めるだろう」

「読めますけど!果たし状って…」

一体何のことですか、と問い詰める宗次郎に土方は鼻で笑った。

「俺がお前に決闘を申し込んだってことだよ。俺の血判があるだろう」

「そういうことじゃなくて、なんでそんな…僕は剣なんて…」

「出来るとかできないの話じゃねえ。お前は俺の果たし状を受け取ったんだから、あとはやるか、やらねえか、それだけだ」

言い返せないように言いくるめてやると、宗次郎は困惑した。そして口篭もった宗次郎に、

「言っておくけど、拒否するなら逃げたとみなすからな」

とさらに追い打ちをかけると宗次郎は顔を歪ませた。

「と、歳三さん…意地悪…」

「そうだ、俺は意地悪なんだ。だからとっとと決めろ」

逃げる理由を潰して選択を迫る。いくら大人ぶった処世術を身につけていても、こんな風に追い詰められてしまえば宗次郎はきっとぐうの音も出ないことを、土方は知っていた。

「…わかりました」

宗次郎は納得していないような表情だったが頷いた。すると土方は早速宗次郎の手を取って「行くぞ」と歩き出した。

引きずられるように宗次郎は前のめりになりつつも

「どこへいくんですか?!」

と尋ねる。土方は笑って返した。

「道場に決まってるだろう」



土方が宗次郎を引きずって道場に来ると、すでに夜の道場には明かりが灯されていて勝太と周助、さらにふでも揃っていた。あまりの大ごとに宗次郎は驚いていたが、もう引っ込みがつかないと悟ったのか、おとなしく従った。

宗次郎の小さな体格では胴着や面、袴が大きかったが、ギリギリ間に合わせることができた。勝太が宗次郎の準備を請け負い、竹刀を持たせ道場の真ん中に立たせた。

「いいか宗次郎、歳は手加減ってものを知らないからな。痛かったりしたらすぐにやめて、俺に言うんだぞ」

「おいおい、かっちゃん。酷い言いようだな」

「わかったな」

土方の言葉を無視して勝太が言い聞かせると宗次郎は曖昧に微笑みつつ「はい」と頷いた。勝太は「よし」とぽん、と宗次郎の肩を叩き、上座へ座る。周助と目くばせをして早速、

「始めっ!」

という怒号が道場中に響き渡った。

宗次郎は打ち込んでは来なかった。足を左右前後に動かしつつ土方の様子を探っている。普通の子供なら、先手必勝と言わんばかりに猪突猛進してしまうものだが、宗次郎は冷静に見極めていた。その様は何年も剣をやってきたような風格がある。

「ほう…」

周助が唸り、勝太は息を飲む。ふでも少し驚いたように目を丸くしながら宗次郎の動きを追っていて、ひとまず土方の企みの一つは成功へと向かっているようだ。

(…さて)

相手の様子をうかがう宗次郎と同じように、土方も宗次郎の様子を観察していた。身体を小刻みに動かしているようだが、その眼差しは土方を射抜いたまま、まっすぐに見つめていた。

一番大切なのは目だ。

それは勝太の口癖でもあり、天然理心流のみならず他の流派でも共通する教えの一つだろう。目を逸らせば相手の動きが見えなくなり、そして自分の芯も揺らぐ。宗次郎がなぜそんなことを知っているのかは後で問い詰めるとしても、子供の時分だと竹刀を怖がったり逃げがちになるのが普通だ。そこを矯正していくところから剣は始まるというのに。

(もう身についている…)

突然、土方はダンッと一歩踏み込んだ。音もさることながら小柄の宗次郎にとっては一気に相手に詰め寄られたような感覚だろう。しかし宗次郎は怯む様子はなく、後ろに引くこともなかった。それどこか土方の持つ竹刀を打ち払いつつ、右方向へ移動して同じように間合いを取り直した。そして素早い足捌きで土方の小手を狙い、竹刀を振り落す。

「お…っと、」

思わず声が出てしまったのは、思った以上に宗次郎の動作が素早かったからだ。払い落としてしまえば、体格の小さい宗次郎は簡単にバランスを崩すが、隙を突かれれば一本取られてしまってもおかしくない。

(ミツさんが言うように本当に宗次郎が剣をやったことがないのだとしたら、おそらくはかっちゃんのいうことが正しい…)

目で見たものを再現できる。そんな風に言葉にしてしまうのは簡単だが、実際には誰にも真似はできないだろう。

そういうのを、何と言うんだったか。

「やぁっ!」

「!」

突然、宗次郎の甲高い声が道場に響く。土方は急いで後ずさりして躱したが、寸でのところで胴をとられるところだった。

土方にとっては「突然」だったが、それは宗次郎をはじめ三人の観客にとっては「突然」ではない。しかし土方がそれを「突然」だと思ったのは、『他の考え事をしていた』からだ。それは勝太によく注意される土方の悪い癖であり、集中力の欠如が原因だ。

だから、つまりは、それを宗次郎にも見破られたということ。

(末恐ろしい…つぅか、なんつうか…)

今の時点で、そう言う「気配」とか「雰囲気」を読み取ってしまう。それは長年、剣に携わって初めて身につく技能であり、宗次郎のような幼子が持っているべきものではない。

(天才…)

その二文字でしか、表わせない気がした。土方は再び、焦点を宗次郎に合わせる。宗次郎は相変わらず射抜くような瞳で土方を見ていた。

(だが、いくら天才であったとしても)

まだまだ自分が宗次郎と比べて劣るわけではない。

土方はまた一歩を大きく踏み込んだ。面を狙い振り落した竹刀を宗次郎が受ける。叩きつけるように強い力で押し込んだ竹刀は簡単に宗次郎の持つ竹刀を弾き手から逃れた。

「あ…」

もちろん宗次郎に竹刀を拾うような暇はない。土方は遠慮なく面を打ち込み、小気味よいほどのパァン!という音と、周助の

「それまで!」

という声で、試合は終わった。

いくら宗次郎が目で見たことを再現でき天才だと呼ばれる逸材だとしても、そこに小さな身体が付いていかない。体力や胆力といった地道に鍛えるべきものは、まったくゼロと言っていいほどに無い。そこにはまだ隙があるのだ。

宗次郎は慌てて落とした竹刀を拾う。そして一礼をして、一・二歩下がったところで面をとった。

「…負けちゃいました」

息を吐きながら宗次郎がにっこりと笑って、土方を見る。先ほどまでの鋭利な表情とは真逆の、子供っぽい笑い方だ。おそらく本当に楽しくて仕方なかったのだろう。

土方が面を外していると、上座から勝太がおりて宗次郎の所へ向かった。

「宗次郎。…剣が好きか?」

いつになく真剣な表情をした勝太が短く、宗次郎に問いかけた。宗次郎は少し迷ったものの頷いた。勝太は「そうか」と嬉しそうに顔を綻ばせて、大きな手で宗次郎の頭を撫でた。

すると今度は勝太が上座に向かって正座をした。

「お義父さん。宗次郎の入門を認めて頂けませんか」

「若先生…!?」

一番驚いていたのは宗次郎だ。頭を下げる勝太の隣でおろおろと落ち着かなくなっている。

こうなることを土方が仕組んだわけではない。ただ、勝太ならそうするだろうという確信はあった。

「俺の一番弟子にしてください。きっと宗次郎は強くなる…試衛館の、天然理心流の看板を背負う才能があると思います」

勝太の言い分に、宗次郎は唖然としていたが、それは言い過ぎではないはずだ。

それに同意したのか、お義父さんと呼ばれた周助は、腕を組んでただ深く頷いた。

「…入門を認める。宗次郎、今日からお前は門下生だ」

重い口調で告げられた入門の言葉。しかし宗次郎は首を横に振った。

「大先生、でも…!」

ちらりとふでの方を見た。下働きとして世話になっている自分が門下生になるということをふでが認めるわけがないと思ったのだろう。しかしふでは、表情を崩すことなく

「わかりました」

と周助の意思に従った。普段は頭の上がらない周助だが剣術においてふでが口出しするようなことはない。土方は内心よしと丸く収まったことに安堵したが、意外にも食い下がったのは宗次郎だった。

「待ってください!あの、ちゃんと働きます。役に立たないまま置いていただくのは嫌です!」

同じ年の土方なら絶対に出てこなかった言葉だが、宗次郎は頑なな意思で主張した。働きもしないで置いてもらえることには罪悪感しかないのだろう。

するとふでがふっと顔を緩ませる。

「…もちろん。貴方が一人前の門下生になるまではちゃんと働いてもらいます。こっちは人手が足りないんですからね」

「おい、ふで…」

それでは稽古と下働きでは今より大変なるだけだろう。周助が苦い顔をしたが、ふでは凛とした眼差しを宗次郎へ向けた。

「でも、食事の世話だけで結構だわ」

「え?」

「お洗濯やお掃除はかえって散らかして、手間を増やすのだもの」

その場にいた四人がふでの台詞に顔を見合わせた。何かの聞き間違いではないのかと疑った。

するとふでが「こほん」と軽く咳払いして、おもむろに立ち上がる。そして傍に置いていた風呂敷を抱えて、宗次郎の傍にやって来た。ふでは何も言わず膝をついて、その風呂敷を解く。その中には一着の着物が入っていた。

「お義母さん、これは…?」

何も言おうとしないふでに、勝太が恐る恐る訊ねた。ふではきまり悪げに切り出した。

「…あんまり細かく切るものだから、つなぎ合わせるのに苦労しました。数着あったでしょうけど、大きいものを選んで縫い合わせたのだから、この一着を仕立て直すので精一杯よ」

「女将さん、これ…」

宗次郎と、そして土方もその着物に見覚えがあった。今朝、宗次郎が切り刻んでいた着物の柄が、継ぎ接ぎではあるが縫い合わさり、一着の着物として形を為していた。

(…素直じゃねえな)

そう思いつつ、土方は苦笑した。ふでなりのこれまでの罪滅ぼしなのかもしれない。

しかしそんなそぶりはふでは見せようとせず、いつもの説教を始めた。

「家族を大切にできない人は、剣が強くたって、頭がよくったって私は一人前とは言いません。遠くにやってしまった弟のことを考えて、夜通し繕った姉上様の気持ちを考えましたか?どれだけ悲しまれると思いますか?」

「…ごめんなさい」

着物を抱きしめつつ、宗次郎が俯いた。ふでは一息ついて、宗次郎の方へ向き直る。

「姉上様の為にも早く一人前におなりなさい。そして一人前になったらこの試衛館を盛り立てるために、勝太さんの役に立ちなさい。右腕となって働くのです。わかりましたか?」

「あ…」

「返事は?」

「は…はい!」

宗次郎が急いで正座して、頭を下げる。

「ありがとうございます。大先生、若先生、女将さん、僕は絶対に役に立つようになります!」

宗次郎はそのあとも「ありがとうございます」と何度も繰り返して、勝太が「もういいよ」というまでその感謝を繰り返した。土方はこっそりと道場を出た。あの花が咲くような笑顔で見つめられると、くすぐったくて照れくさくて…おかしくなりそうだったからだ。




「本当にもう行くのか?」

深夜、皆が寝静まり静寂だけが夜を包む時間に土方は荷物を抱えて試衛館の門をくぐろうとした。見送りは勝太だけだ。

「ああ。大先生とふでさんにはよろしく言っておいてくれ」

「宗次郎には?」

「…ま、言うことはなにもねえかな」

道場での一騒ぎのあと、宗次郎は晩飯をすぐに平らげて、眠ってしまった。これまで張りつめていた緊張の糸が途切れてしまったのかあどけない寝顔を見て、もう別れをいう必要はないな、と土方は思った。

「本当にありがとうな、歳」

「…俺は、何にもしてねえよ」

「嘘を付け。宗次郎の為にいろいろ骨を折ってくれたじゃないか」

照れるなよと言わんばかりに勝太が笑うが、土方としては明確に何かをした覚えがない。肩に背負う荷物を担ぎなおして、傘を被った。

「むしろあいつが俺に教えてくれたくらいだ」

「ん?」

「俺の為すべきことを…な。だから、あいつのことに関して礼なんかいらねえんだ」

道に迷う迷い子を助けたつもりがいつの間にか道を教えられているなんて、今から思うと何やら可笑しい気もする。土方がそういうと、幼馴染は「わかった」とわかってないくせに頷いた。

「お前が入門する頃には、宗次郎はもっと強くなっているだろうな。追い越されたくなかったら、早く戻ってこいよ」

「…戻ったとしても、俺はあいつの兄弟子だからな。そこんとこはちゃんと言い聞かせておけよ」

勝太は「はいはい」と受け流して笑った。

立ち話もこれくらいにしよう、と土方は勝太に背を向ける。

「じゃあな。元気でやれよ」

「ああ。お前もな」

土方は一歩を踏み出して、試衛館を出る。

春の夜はまだ寒い。試衛館を出ると不思議とさらに肌寒くなった気がして、やはりあそこは暖かい場所だったのだと思い知った。

けれど、この道を引き返すわけには行かない。

宗次郎の進むべき道がここにあったように、土方の進むべき道がどこかにあるはずだ。そこへの道筋を迷い、遠回りをして、行き止って、立ち止まることがあったとしても、この道の最後には試衛館がある。勝太がいて、宗次郎がいる。その安心感があるから、回り道こそが、自分にとっての近道になるだろうと思える。

土方は空を見上げた。

冬の寒さが残った夜空はいつもよりも空気が澄んで見える。そして幾千の星がこの先の道を、照らしてくれている。まるで降り注ぐような、舞い散るような星が、目の前に広がっていた。









歴史を基にしたオリジナル小説です。

手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。


最後までお読みいただきありがとうございました。十数年前の作品ですので少し至らぬところもありますが、楽しんでいただければ幸いです。

自サイトの方では「星の舞い散る」の本編である「わらべうた」を掲載しています。

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