【3】木﨑遙斗と私
もう少しだけ木﨑のいた世界の話を聞いていたかった。それは乃愛が眠っていた時に見た世界ととてもよく似ていたからだ。木﨑の話はとても興味深く、自分が覚えていたものは決して妄想ではないとわかったし、木﨑に何を話しても笑わずに真剣に聞いてくれたのが嬉しかった。
だが時が経つのは早いもので、これから店でウサギ飼育に必要な物を揃えなければいけない。
「私も一緒に行って良い?」
「はい、いいですよ」
話しているうち昨日の固いイメージの彼とは違って見えた。意外と優しい人ではないかと思う。二人でペットショップに入り、目的のコーナーへ行く。
「所で木﨑さんはおいくつなんですか?」
「24。向坂さんは?」
「私は19です。やっぱり木﨑さんは落ち着いてますね」
年上と分かっていたが案外若い。日本では会社を経営している社長。あちらの世界では王宮魔術師。二重生活をいとも簡単にこなす人物。とんでもない人だ。
「一応言っておくがディーザは普通の生物じゃない。ゲージなど容易く抜け出せる。基本空腹もないから餌も必要ない」
「でも今朝バナナ美味しそうに食べてました」
「それは君に合わせてるだけだ。きっと君の反応を見て面白がってるんだ。多分食べ物への興味もない……はずだ」
語尾が自信なさげになる木﨑をみて乃愛はくすくす笑った。
「まぁ今は食べてくれるから、しばらくあげてみますね」
結局、木﨑と相談しペット用シーツやクッション。毛並みを整えるブラシ、餌を購入する。けれどそれらは全て木﨑が払ってくれた。
乃愛は口を尖らせる。
「私が出すからいいのに」
「いいんだ。そもそもあれが君に迷惑をかけている原因は私にある」
責任感の強い木﨑はユーグが乃愛の家にいることを心配し気にしている。その気持ちを汲んで支払いは一任した。その後近くのスーパーへも寄り、ユーグの分も含めた食材等を購入する。
帰りは送るついでに少しユーグの様子を確認したいと頼まれ、一緒に乃愛のアパートへ向かった。玄関に着き中へ入り電気を点けるもユーグがどこにもいない。二人であちこち探し回る。
「ユーグ、どこ?」
「向坂さん、こっちだ」
呼ばれて木﨑のいる部屋へ行くと納戸の端っこで黒ウサギがすうすう寝ていた。このウサギは暗い場所が好きらしい。
「すごい木﨑さん。ユーグの居場所すぐわかるんですね」
「居場所が特定できる耳飾りがあるから……でも今のは何となく、ここかなと」
魔導具を使っても細かい場所の特定までは難しいそうだ。今回のは木﨑の勘である。
乃愛達の話し声と気配に気づいたのか、ユーグがパッと飛び起きる。乃愛が抱えると木﨑がウサギをじっと見つめていた。
「……色、変わっている」
「そうそう、尻尾のとこですよね。今朝から白く変わっていて……」
いやと木﨑が変化している部位を指す。場所を変え何度も。
「尾だけじゃない。下半身も白く抜けている箇所がある」
「ほんとだ」
毛が抜けている訳じゃなく色が変わっているようだ。全体的に白い部位が多い。木﨑が考え込んでいる。
「おかしい。ディーザは黒色だ。白くなるなんて聞いた事がない」
乃愛は買ってきた餌や果物を小さくカットし皿によそい運ぶ。ウサギの口に近づけると食べ始める。隣でその様子を食い入るように見ていた木﨑はまさかと唸った。餌やりの続きを彼に頼み、台所で乃愛は急いで片付けをする。
「木﨑さん餌やりありがとうございます。でもそろそろ帰らないと。もう七時過ぎてます。遅くなっちゃいますよ」
「ああそれは大丈夫。仕事は君の所に来る前に終わらせてきた」
すごい。出来る男だ。
「晩御飯は食べなくて平気なんですか?」
「ああそうか、そういえばそうだな」
食事の事を思い出し木﨑がゆっくりと顔を上げた。乃愛はトレイに乗せた料理を運び、テーブルに並べると木﨑を見た。
「急いで作ったのでお口に合うかわかりませんけど、良かったら食べていきませんか?」
「これ、向坂さんが?」
木﨑がテーブルの上の料理を見て固まった。
「はい。あと昨夜作った残り物も出してますけど……」
西洋的な異世界で暮らしていた彼に自分の作った料理が口に合うかは不明だ。向こうは主食はパンで洋風主体の食事だった。今出してるのは和食なので断られるかも知れない。
「あの木﨑さん、嫌だったら別に――」
急に静かになった木﨑の背に話しかけるとびくりと体を震わせた。
「食べる!あっ、いや……ご馳走になります」
テーブルに置いた木﨑用の取り皿をさげようとすると慌てて手を掴み遮られた。食べたい意思はあるようだ。
「わかりました。それなら木﨑さんの分も準備しますね」
「頼みます」
途端に木﨑の顔が輝く。何故そんな嬉しそうにしているのか疑問だけど、とにかくこの世界の食事に興味があるみたいだ。
二人で夕食をはじめる。意外にも木﨑の箸使いが綺麗な事に気づく。今思ったのだが彼は所作が美しい。見目も麗しいので余計に動きが際立つ。
ただどこにでも出される庶民的な料理が新鮮に感じるのか、色々戸惑いながら箸を進めている。そんな姿はどことなく少年のユーグに似ていた。思えば唯一違うのは年齢と瞳の色だけ。
「やっぱり向こうの世界と食べ物が違うから大変てすよね」
「いやディーザ捜索に来てから一年は経っている。ここの食べ物には慣れたよ。香辛料がとても豊富で簡単に調理できるものもあって重宝している」
木﨑はレトルト食品やデリバリーも使いこなしているらしい。この適応能力に乃愛は舌を巻く。木﨑はユーグの話をし始めた。
「何が原因か不明だが、ディーザの一部から闇の力が抜け落ちているようにみえた。でももう少し観察しないと。さらに闇の力が薄まれば今度こそ容易に回収出来るかもしれない」
黒ウサギは相変わらず木﨑のそばに近寄らず、乃愛の足元にいる。彼がユーグと目が合うと敏感に毛を逆立てて威嚇し始める。かなり警戒しているようだ。
食事が進みふと見ると、木﨑の前に並べた卵焼きが綺麗になくなっていた。
「ふふ、木﨑さん卵焼きが気に入ったみたいですね」
木﨑が微かに頬を赤くした。
「昔から卵が好きで……。特にこの料理は美味しい。甘いし」
玉子が余っていたので即席で作った卵焼きだ。ちゃんと出汁も入れておいて良かったとほっとする。木﨑は意外にも甘いのが好みらしい。この世界のスイーツとか食べさせたら喜びそうだ。
「今回はサンドイッチでしたけど。うちの喫茶店はパフェやケーキもあるのでぜひ食べてみてくださいね」
「……ああそういえば、メニュー表に載っていた。早速明日頼むことにする」
明日も来るのかと思ったが本人には言わないでおく。
夕食を終え、片付けを手伝ってくれた木﨑を玄関まで送る。
「それじゃ、また。くれぐれもそいつには気を付けるようにね」
「はい。大丈夫です」
実の所、今のユーグは乃愛にとって守るべき愛らしい存在だ。だがそんな様子は露ほども見せず、木﨑の注意にしっかりと返事をする。パタンとドアが閉まり、腕の中のユーグに話しかける。
「さて、一緒にお風呂入ろっか」
するといきなりドアが開き、血相を変えた木﨑が入ってきた。
「は!? ふ、風呂だと?君がそいつと?――絶対ダメだ!」
乃愛は木﨑の剣幕にたじろぐ。
「え、だってユーグ綺麗にしないと……ってやだ、何で木﨑さんそんなに顔赤いんですか」
「!」
いつも冷静な彼がやけに動揺し感情をあらわにしている。珍しい。
「……と、とにかく、一緒にだなんて危険だ。風呂なんて入らなくていい」
「だって清潔にしないと……ひゃっ、え?」
乃愛の反論などお構いなしに木﨑は頬を赤くしたまま、面白くなさそうな顔でウサギの前に手を翳す。すぐにふわっと温かな風が起こった。
「身体浄化の魔法をそいつにかけた。暫く保つ。これなら風呂など入らなくて良いだろう」
ユーグの体を撫でると信じられない位毛がサラサラしていた。それにほんのり良い香りがする。
「これでいいね?」
「すごい」
なんて便利な魔法だろう。入浴しなくても体が綺麗になるなんて……!
木﨑が溜め息を吐く。
「はぁ、とにかくこいつが誘惑してきても絶対に流されるんじゃない。いいね!?」
「は、はい」
言い聞かせる様、据わった瞳で念を押され乃愛は急いでこくこくと返事をした。
「誘惑……かぁ」
寝る支度を整えベッドに横になる。隣でリラックスして寝そべるユーグを見て、さっき木﨑が発した言葉を思い出しクスッと笑う。
こうしていてもウサギは愛らしい。敢えて誘惑されるとすればこの見た目か。
「人間のユーグは子供であまり話す方じゃないけど良い子だった。誘惑なんてするわけない。木﨑さんて変な人――」
当時、彼は深紅の瞳のせいで魔力を封じられていた。ユーグはどうしてこんな姿になってしまったんだろう。理由を知りたい。
「本当に魔力が暴走しちゃったの?せめてあなたと話せたら良いのに」
乃愛はウサギの背を優しく撫で、目を瞑った。
「ん、重……」
目覚まし時計のアラームが鳴り、目を覚ますとお腹の上にウサギがいた。
「おはようユーグ」
ウサギはのそのそと近づき乃愛の口元に鼻先をつける。これは最近ユーグが気に入っている行動でそのたび乃愛も癒されている。お互いの日課だ。
「わ、待って。私、顔洗わないと」
そのままでいるとさらに舐めてくる為、慌てて引き剥がす。お腹が空いて食べ物をくれと催促してるのかもしれない。
「あれ? ユーグまた白くなってる」
洗面所から戻りソファーでゴロゴロするウサギを見れば、手足が白色に変わっている。日を追う毎に黒から白へ変化していく。もしかしてこれは良い兆候ではないかと思ってしまう。
今日も講義がある。幾つか提出せねばならないレポートもあるので少し早めに家を出る。校内にある図書室で専門書を参考に仕上げる予定だ。
図書室に続く廊下を歩いていると向こう側に人だかりが見えた。その中に幼なじみの早苗もいる。
「おはよう、乃愛。早いのね」
「うん、ちょっと図書室に用があって。それにしてもこの騒ぎ、どうしたの?」
彼女にこの状況を説明してもらう。ふっと渋い顔になった早苗は人だかりの原因を指差した。
「詳しい事はわからないけど、近々もう一棟講堂を建てるそうよ。それで業者が来てるみたい」
「そうなんだ。でもそれにしてはちょっと騒ぎすぎじゃない?」
「まぁそうよね。普通の業者なら特にどうという事はないけど……今日はちょっと顔の知れてる人が来てるからそのせいよ」
どんどん集まってくる生徒達の後ろで早苗は呆れた様に肩を竦めた。人だかりの間から乃愛もその先を見つめる。大学でも美人と有名な女性事務職員が業者を案内しているのが僅かに見える。だがまたしてもその業者は――
「あれって……」
「そう、木﨑グループの……、って、え?」
途中迄、話をしていた早苗が固まる。理由はその張本人がこちらへ真っ直ぐ歩いてきたからだ。周りの生徒達も何が起こったのかとざわめいている。
乃愛の前に来た木﨑は嬉しそうに微笑んだ。普段の姿より今の方が格段に煌めいている。
「向坂さん、昨夜はどうも。これから授業?」
隣で早苗がジト目で「昨夜?」と小さく呟いている。乃愛の背から汗が流れ落ちた。何て答えて良いものか……。
「……は、はい。あ、いえその前に図書室で調べものがあるので失礼します」
嘘ではない。今日はこの為に早く来たのだ。乃愛は彼に軽く頭を下げ、早足でその場を離れた。そのすぐ後、「後で聞くから」と早苗からメールが入っていた。後日彼女に何て説明しよう。
(それにしてもびっくりした。業者って木﨑さんの会社だったんだ)
本当に木﨑グループはどんどん業務を広げていく。至る所にこのグループが手掛けた建築物が存在し、その名を知らない者はいない。
図書室で目的の専門書を見つけ、数冊手に取り人目のつかない端に座る。次の講義まで一時間以上ある。これならレポートも余裕で終わるはず。
さっきの騒ぎで人がいないのも良い。静かだ。
乃愛と同じ様に提出物作成目的でここを利用する生徒は多い。その為大抵、満席だ。だが今日は別なようだ。
今のうちに黙々と進めていると、誰かが入ってくる音がした。この席から死角になるので入口は見えない。足音が近くなった。顔を上げるとまた木﨑の姿がある。さっき挨拶し別れたばかりなのに。もう仕事は良いのだろうか。
「もう事務の人とのお話、終わったんですか?」
困惑する様子の乃愛に木﨑が「ちょっと休憩」と言い横に座った。
「増設計画、あとの細かい内容は後日改めて詰める。さっきのは職員が案内したいと言い出して仕方ないから付いて回ったけど……もう後は他の者に任せた」
「ここ、結構広いんです」
「うん。疲れた。そこまで詳しく説明されなくても書類を見ればわかる」
話しながら木﨑は乃愛のレポートをみている。興味があるのか。
「メール見た。またディーザの色が変化したんだな」
「はい」
朝のうちに木﨑に写真を送信しておいた。すぐ彼は確認してくれていたようだ。
「午後は講義ある?」
「はい。でも二時には終わります」
それならと木﨑の顔が綻んだ。
「この前話していたスイーツが美味しい店。実は前から気になっていた所があるんだ。良かったら向坂さん、一緒にどう?」
その店は先月開店したばかりの人気店で、正直男性一人で入るのは周りの目が気になり厳しいらしい。ううんと乃愛は唸る。行きたいのは山々だがさっきの様に木﨑が行く先々で注目を浴びるのは想像がついた。
「それって一緒に行くのは私じゃなくても良い――というか木﨑さん、彼女とか付き合っている人いないんですか?」
この人、見た目はとても良いので相手を探すのに苦労しなさそう。わざわざ乃愛を誘う必要はないはずだ。
「いない。……忘れられない人、ならいるけど」
「そう、ですか」
否定しているがどうも歯切れが悪い。複雑な関係の人がいるんだなと乃愛は思った。
(まぁでも付き合ってる人、いないんだ)
――それなら
「わかりました。講義終わったら木﨑さんの行きたい店、付き合いますね」
「! ありがとう」
そう答えた瞬間、パッと木﨑の顔が明るくなった。よっぽど行きたかった店らしい。
講義が終わり大学を出ると約束の時間に木﨑が待っていた。一度帰宅したのか、背広から私服に変わっている。ただ気になるのは彼を遠巻きに見ている人々だ。やはり彼は人の目を引く、本人に注意しないとと思っていたらその本人がやって来た。
乃愛は小声で囁く。
「木﨑さん、目立っちゃってます。次の時は場所考えましょうね」
「え、次?」
何故か木﨑の声が明るくなった。まだ行きたい所があるみたいだ。
「それじゃ行こう」
彼に連れてこられた店は雑誌にも載っていて乃愛も知る店だ。パンケーキが有名である。ここは乃愛も早苗を誘って行きたいと思っていた。人気店で予約しないと容易に入れない。前もって予約していた木﨑は店員にすぐ中へ通された。
カーテンで仕切られたボックス席に落ち着き、メニュー表を見てどれにしようか考える。
「わぁ、色々種類がありますね。そうだ、折角だから各々違うのを頼んで半分こしましょうか」
「それは良い考えだ」
乃愛はバナナとアイスがトッピングされた物。木﨑は苺が添えられた物を注文する。初めて知ったが彼は苺が好きらしい、まるでユーグみたいだと思った。
「ふふっ、木﨑さんも苺が好きなんですね。実はユーグも苺が好物で少し目を離すと食べ過ぎちゃうから気をつけているんですけど」
「……」
笑ってユーグの様子を教えると動物と同じにされたのがいまいち面白くなかったのか、彼は少し静かになった。気を悪くさせたかと焦り、様子をうかがっていると木﨑が息を吐いた。
「敬語」
「え?」
「そろそろお互い畏まった言葉使いを止めよう。あのウサギに接する時と同じで構わない」
「ユーグと?」
「そう」
アイスティーを口にし彼が微笑む。思わず見惚れそうになったが乃愛は俯きアイスコーヒーにストローをさす。
「わかりまし……あ、うん」
「練習が必要だな」
乃愛は泣きそうになった。
目の前にいる男は五つ年上で社会的地位がある。ただの学生の乃愛と対等な存在ではない。だがこういう時の木﨑は我を押し通す傾向にあった。乃愛が渋々頷くと木﨑の機嫌が良くなるのがわかった。
やがて注文したパンケーキがテーブルに並べられていく。互いに切り分け交換しあう。食べると口の中でとろけて甘い。ほぅと息を吐く。
「美味しい」
「喜んでもらえたようで良かった」
他愛ないお喋りを楽しみながら食べる。気がつけばあっという間に夕方になっていた。壁時計はもうすぐ5時。時間を気にする乃愛の様子に気づいた木﨑が声をかけた。
「そろそろ帰る?」
「そうで……うん」
乃愛の返事に木﨑が苦笑する。すると突然携帯電話が鳴った。彼は乃愛にごめんねと言い、電話に出る。そのまま通話し始めた。
「……ああ、まだかかる。今朝も言ったがこれは大事な用だ。あとの事は君に任せてある。……ああ、また帰ったら連絡する」
仕事の話なのか、通話口の向こうから声がする。急に声を低くした彼は難しい顔をし言葉を交わした後、すぐに電話を切った。
さっきまでの優しげな雰囲気の彼とは思えない、物凄い塩対応に乃愛は驚いた。
「ごめん、折角の楽しい時間が台無しだ」
「台無しだなんてそんな……いえ私こそ色々とすみません」
忘れていたけどこの人は働いていて忙しい人だ。何だかんだいって時間のある乃愛とは違う。乃愛は謝った。
「いや向坂さん、頼むからそんな風に言わないで。……その、君さえ良かったらまた誘ってもいい?」
「も、勿論」
そんなやり取りを二人でしていると店の入り口から店員に案内された客が乃愛達の所にやって来た。その客は金髪青瞳の男で背広姿だ。店員はこちらですと案内を終え去っていった。
彼は立ったまま乃愛と木﨑を交互に見た。冷たい空気が漂う。何故か乃愛を見る目がやたら鋭かった。