4、父の大事なもの
あの日から一週間。
事後処理や、少しの間魔術師団を離れる引き継ぎ等でシリウスに会う時間が無かった。
いや、本当は会うのを避けていたと言ってもいい。
明日からの遠征の為に、あらかたの荷造りが終わって、水を飲もうと大抵みんなが集まっている寮の食堂兼リビングに足を向けた。
夕飯を食べ終え、今頃一杯やっている頃だろう。
何だか盛り上がっているリビングにはヴァスとダン、レクスにビアンカの全員が揃っていた。
第一魔術師団はシリウスが選んだ六人で構成されており、第二魔術師団から第五魔術師団まで約数十人で構成されているのを考えると異例だけれど、それだけ彼らの能力がズバ抜けていると言っても過言ではない。
「おう、どうしたアリア。こんな時間まで起きてるなんて珍しいな」
「お子ちゃまは、早く寝ろよ」
ビールを片手に、ダンの故郷で一般的な酒のアテという辛い豆で二人は楽しんでいた。
名前はなんだったか忘れたけれど、匂いが独特で食べてみたら舌が痺れたのを覚えている。
「うるさいなぁ。ヴァスもダンも若くないんだから、お酒もほどほどにしなよ」
そういつもの感じで軽口を叩き合う。
魔術師団に入るまではもっと令嬢らしい口調だったはずなのに、この男所帯にいると、どうも口が悪くなってしまう。
先日、竜谷の遠征から帰って来た時、姉が出迎えてくれた時の会話を聞いた彼らが『お上品』な私に笑いを堪えるのを我慢して肩を震わせていたのは記憶に新しい。
「……明日からの魔物調査は無理にお前が行かなくても良いんじゃないか? 俺たちだけでも問題ないと思うぜ?」
「ありがとう、ヴァス。でも要請のあった伯爵家の領主は気難しい人で有名だから、シリウスのいない今、副団長が行くべきでしょう?」
「アリアは真面目ねぇ」
ソファで赤ワインを飲みながらこちらを見たビアンカだが、彼女もついてきてくれる予定だ。
明日からの遠征メンバーはヴァスとビアンカ、そして私の三人だ。
レクスとダンは何かあった時のために残る予定で、ダンなんかは美味い酒を土産に持って帰ってくれとまでいう始末。
「無理すんな」
ヴァスが気遣わしげにこちらに近寄って、私の顔を覗き込んだ。
その視線が、いつも彼の歳の離れた妹に向けるものにそっくりで、どこか心が温かくなる。
「無理なんてしてないよ。それに、この視察が終わったら、『例』の約束のために竜谷にもう一度行こうと思ってるの」
「アリア、まだ怪我も治ってないのに。完治してから行ったほうがいいんじゃない?」
「そうだぜ、そんな状態で竜谷なんて行ったら、奴に会う前に死んじまうぜ」
「その点は心配無いし、早く済ましておきたいのよね」
彼らが食べていたおつまみを一つ口に入れると、口の中が痺れ、やっぱりこれは苦手だと後悔する。
「そんなめんどくさい約束バックれちまえばいいのに」
「ダンはこの国の人間じゃないから分かんないかもしれないけど、竜との約束を破るなんて正気の沙汰じゃないよ」
「そうそう、レクスの言う通りだぜ。竜の重要性なんて平民の俺ですら、もの心ついた頃から分かってるからな」
彼らは平民貴族に関わらずとても仲が良い、自慢のチームだ。
もちろんライバル関係にある人たちもいるけれど、お互いを尊重しているし、切磋琢磨して自分の技術を磨くことに余念が無い。
実はレクスは自国の伯爵家の息子だが、ダンは他国の貴族で、ヴァスとビアンカは平民の出身だそうだ。
当然シリウスは入団にあたり身辺調査などしているだろうが、レクスもダンも話によると家督を継がなくていいポジションだから好きな仕事ができるんだと言っていた。
魔術師団の学校には十三歳以上からしか入学できないというルールはあるが、上は年齢制限のないためダンは二十五歳、レクスとヴァスは二十二歳、ビアンカは十九歳とバラバラだ。
みんな魔術が好きで魔術師団学校に入ってきて、そのまま入団。時期がずれてはいるが結果的に学生時代の仲間が第一に集結していた。
そんなここが好きだけれど……。
……レイルズ公爵家に私の居場所はない。
もう、シリウスの側にもいられない。
少し時間が経ったら王都ではないどこか遠い勤務地を希望してみるのも良いだろう。
姉の役に立ちたいと思って魔術を磨いていたけれど、竜魔症を克服したシリウスに、私は到底敵わないだろうし、もう二人に私は必要ないかもしれない。
それに魔術師たちは、事案によっては各地に派遣されるので、第一魔術師団の彼らにも頻繁に会えるはずだ。
実際、各勤務地に知り合いはたくさんいる。
それに仕事に忙殺されていれば、シリウスを思い出す時間など無いかもしれない。
「でもよ……」
その時、食堂の入り口のドアがバン! と開き、全員の視線が集中した。
「アリアーナはいるか」
「……お父様……」
恰幅のいい銀髪の男性が不機嫌そうにドアに立っている。
食堂にいる魔術師団のメンバーを一通り訝しげに見渡した後、私に視線を止める。
「アリアーナ、お前の荷物だ」
なんの前触れもなく、どさりと大きめの麻袋を私に向かって投げ捨てた。
「……え?」
「ローゼリアから聞いた。なんでも明日の姉の婚約発表を見届けることなく出ていくそうじゃないか」
「出ていくのではなく、仕事で……」
姉はそんな風に報告はしない。
いつだって、父も母も自分たちの都合にいいように言葉を捻じ曲げてきた。
「黙れ。結局は姉を祝う気持ちなどないということだろう? このまま国を出ていって構わん。二度と帰って来なくていい」
吐き捨てるように言った父の言葉に、私は目を見開いた。
「え……?」
「お前などいなくても魔術師団には優秀な人材が揃っているし、何より第二王子のシリウス殿下が竜魔症を克服された事により、かつてない程の力を手に入れられた。お前など、足元にも及ばんほどにな」
その愉快で堪らないという表情が、私を追い詰めてるのが楽しくてしようがないと思っているのは簡単に見て取れる。
今までも、私の揚げ足を取ろうと魔術師団に何度か乗り込んできたことがあるが、今の私には色々なことが重なって、『いつものことだ』と受け流す余裕がない。
「ただでさえ何も持っていないくせに、家族を……姉を祝福できないような人間が……、姉に嫉妬して今後いろんなことを掻き回されてはたまらんからな。最強の聖女と呼ばれる姉と、間違いなく最強の魔術師となるシリウス殿下の二人がいれば、この国も安泰だ」
「……でも……。私は明日査察の仕事が……」
「烏滸がましい考えは捨てろ。何度も言うが、お前の代わりなどいくらでもいる。今後二度と公爵家の門を潜れると思うな。この国からも出ていけ。不愉快だ。まだ未成年のお前がこの魔術師団に入れているのは、私のおかげなんだからな。退団届も明日には出しておく」
「……っ!」
父は、言いたいことを言ったのか、満足そうに身を翻して、ドアに足を向けた。
『待って』
そう言いたいのに言葉が出ない。
少しここを離れたいとは思ったけれど、『魔術師団』をやめるなんて考えは無かった。
ここは、たった一つ残された居場所なのに。
私が今まで頑張ってきた全てだ。
それすらも、私は赦してもらえないのだろうか。
「公爵様、お待ちください。それはいくらなんでも横暴ではありませんか?」
ヴァスの声に思わず顔を上げると、他の団員達も、揃って声を上げた。
「そうです。彼女の意見も聞いてあげてください」
「なんだと?」
苛立たしげな声で父が足を止め、こちらを振りむいた。
「アリアの替えなんていませんよ」
「ヴァスの言う通りです。副師団長は、僕たちにとって大事な仲間です!」
「……みんな」
私のために声を上げてくれることに嬉しさが込み上げるも、私はこの決定が覆らないことを知っている。
上位貴族の人間というのは……、彼らは、誰かに意見などされたくなし、その筆頭とも言える父は私に関わることは徹底的に排除したくてしようがないのだ。
当初、この魔術師団に入るのだって、シリウスや、当時の魔術師団学校の先生達の説得があったから。
それに対しても父は何度も入団を阻止しようとしていたのを知っている。
「誰に向かって口を利いているんだ?」
地を這うような低い声で父はギロリと彼らを睨みつけた。
この場所に彼の地位より上の人間はいない。
王家に次ぐ公爵家の当主である父は、誰かに敬意を払うつもりもない。
王家以外は彼にとって全員『下』だ。
「誰って、貴方ですよ」
「なんだと?」
私の前にヴァスが進み出たところで、私を庇うように同僚達がヴァスの後ろに立つ。
「みんな……」
「き、貴様。平民だろうが。私は公爵だぞ」
「だから何です?」
「魔物に比べたら怖くもねーわ」
「彼女の価値を知らない人間が『不要』だなんて、滑稽ですよ」
同僚達の言葉に、父は思わず一歩下がるも、それでも私たちを見る蔑む視線を隠そうともしなかった。
稀有な白魔術を扱う父は異様にプライドが高いのだ。
「……ハッ。大口を叩いていられるのも今のうちだ。教えてやろう。今後魔術師団は白魔術師団と統合される事となった。その総合管理責任者は私だ。予算の采配、人事権も私が行う。職を失いたくなければ黙っているんだな」
「んだと……?」
父の言葉に殺気立ち始めた団員達が、父ににじり寄ると、父は思わず一歩下がった。
けれど、ここで父に詰め寄ったところで、結果は変わらない。
「それに、シリウス殿下は今後魔術師団を退任され、兄君の代わりに王太子の席に就かれる。今まで殿下のご意向で甘やかされていたようだが、今後はそのような甘い考えは捨てるんだな」
「嘘つけ! 団長が本当にそう言ったのかよ!」
「分からんか? 第一王子は竜魔症が長引いたせいか分からんが治療後も回復が異様に遅い。第三王子殿下はまだ御年十歳。第二王子のシリウス殿下が王太子に就くのが当然だろう。娘のローゼリアは将来の王妃だぞ? その父親であるワシに無礼な態度が許されると思うな」
得意げに言う父は、自慢の娘が王妃になることを信じて疑わない。
その『娘』が、私であってはいけないのだ。
絶対に。
「じゃあ、誰がここの団長を務めるって言うんだよ」
「それに関しては上層部で決めている」
「現場の声は無視なのね? シリウス団長は何て言ってるのかしら」
みんなから上がる抗議の声を、羽虫でも飛んでいるかのように鬱陶しそうに眉を顰めるも、口角は上がったまま。
「殿下はまだ回復されたばかりで、この件に関しては王から私に全権が委ねられている。殿下も承知だ」
「「「……!」」」
「嘘つけ! シリウスがそんな無責任なこと言うわけ無いだろ! アリアのことだって! 俺が直接……」
ヴァスがそう言った瞬間、父の口元が愉悦に歪んだ。
「どうぞどうぞ、副団長補佐殿。直接殿下に聞くがいい。「アリアーナは『用済み』なのか」と。それでその答えをお前たちが直接アリアーナに突きつけてやるがいい」
「「「「……っ!」」」」
「お前達では殿下との面談のアポイントなど取れんからワシが取り付けてやろう」
全員の顔色がサッと青くなり、勝ち誇った顔で言う父に、その場がしん……となった。
「……みんな、もうやめて」
「「「「アリア!」」」」
「……ありがとう。父の言う通り私はここを出るわ。どうせ少しここを離れようと思っていたんだもの」
みんなに笑顔でそういうと、父はハッと再度鼻で笑った後、「そうやって始めから素直に従っていればいいんだ」と、吐き捨てて部屋を出ていった。
「アリア……。お前」
「ヴァスも、みんなもありがとう。正直、ほら。……シリウスのことがあったから、少し離れられたらいいなって思ってたの。……父様が言ってたこともあながち間違いではないわ……。だって……」
流し切ったと思った涙がまた溢れてきた。
ぎゅっと、堪えようと思うけれど、一度涙に溜まった涙は引っ込んではくれない。
「だって……、『姉を祝福できないような人間』っていうのは、間違いないもの」
あんなに優しい姉なのに、笑顔で二人に『おめでとう』なんて言えない。
いつか心から言えるのかもしれないけれど、まだ……言えない。
「アリア……」
「だから、明日にはここも出ていくわ。元々荷物なんてそんな無いしね……」
「出ていくって、どこに行くんだよ?」
「どこかな? お給料は貯金してるし、魔物討伐の遠征で野営は慣れてるし、どこでも生きていけると思わない? とりあえずは竜と約束していた『竜谷』ね」
無理やり口角を上げて返事をするも、誰も言葉を発さない。
「「「……」」」
「ね? 大丈夫よ。うん。大丈夫な気がしてきた」
そう言って、私は父が投げ捨てていった麻袋をひょいと持ち上げた。
「もう寝るね。明日は早く出るつもりだから。……今までありがとう。本当に、この二年間、みんなと……楽しかったよ」
そう言って、私は部屋を出ていった。