3-3、魔術師団学校
「シリウス……」
彼の強固な結界が、私とシリウスを守るように張られ、私は自分の結界を消して彼に手を伸ばした。
シリウスが抱き上げるように私の体をふわりと包む。
「無事か!」
「……だい、丈夫」
コクコクと頭を上下に揺らして彼に返すと、シリウスが大きなため息をつく。
「なんでここに入った」
「ここに入っていく人達が見えて……。奥に行く前に止めなきゃって思ったんだけど……。見失って……」
「人? それで、あの狼煙か」
「そう。まだ奥にいるかもしれない……」
震える手で彼のローブを握りしめてそう言うと、シリウスは少し考え込んだ。
こんなにも殺気立っている魔物がいては彼らも無事ではないかもしれないけれど……。
「いや、……狼煙が上がった時点で実習生はヴァスとダンとお前以外は集合地に戻っていた。ここに向かう途中、ヴァス達にも会ったから、生徒は全員赤線の外だ」
「……え? でも、二人は中に入って行ったと思うけど」
「……。とりあえず、ここを抜けて赤線の外に出るんだ。立てるか?」
「分かった……」
へたり込んでいた私を抱き起こすように立たせたシリウスがチラリと周囲の魔物の数を確認する。
「とりあえず、俺が攻撃に専念するから援護を頼む」
「うん……」
出来るだろうか。
彼の援護を。
その躊躇いを見逃さず、シリウスが私の顔を覗き込む。
「……どうした? 調子が悪いか? 怪我してるんじゃないのか?」
「え、そうじゃないんだけど……。さっきから、う……上手く魔法が使えなくて……」
また結界を張るのが薄かったらどうしよう。
攻撃が当たらなかったらどうしよう。
威力が弱くて、ただ敵を刺激するだけになってしまったらどうしよう。
先ほどの不安が拭えないまま、シリウスを見つめた。
『失敗して彼が死んでしまったら?』
それを想像した瞬間、身体中が異様に重くなる感覚に襲われる。
「アリア」
シリウスが、ゆっくりと私の両頬に手を添えて、じっとコチラを見返す。
ぶつかった視線に私は何も言葉を発すことが出来ない。
微笑むでもなく、しっかりしろと怒るでもなく、真剣な表情でコチラを見つめていた。
その瞳に映るのは、不安な顔をした情けない自分の姿。
「アリア」
「……っ。シリウス……」
「大丈夫だ。自信を持て。お前なら出来る」
いいしれない不安と、彼を巻き込んだ恐怖に体も、声も震える。
「……自信が、無い」
「大丈夫だ。基本を思いだせ。焦るな。一つでいい。いつもしていることのどれか一つに集中しろ。色々考えるんじゃない」
ゆっくり、はっきり、シリウスが言葉を紡ぐ。
「力をつけるんだろう? 『姉様』のために」
彼の言葉に小さく頷く。
そう、その為に努力した人生しか私は知らない。
私にはその価値しか見出せない。
「実践で、……今、『ここ』で、強くなるんだ」
力強い声とその言葉にハッと顔をあげた。
「『ここ』で……」
「チャンスだ。お前が強くなるチャンスが、今、ここにある」
シリウスがニヤリと口角を上げ、その笑みは、出来ないことなどないと思えるような自信を体の奥底から湧き起こす。
頬に添えられた手に自分の手を重ねて、小さく頷くと、シリウスは少し驚いたような顔をして、またふっと笑った。
「それでこそ、アリアーナ=レイルズだ」
そう言ったシリウスの結界の解除と同時に、二人で飛び出した。
――魔法はリズムだ。
体を巡る発動を、流れを、何の魔法を使うかで巡るリズムが違う。
と、みんなに説明しても、『言ってる意味がわからない』『独特の感じ方』と言われたけれど、要は体を巡る魔力を感じるだけ。
それに呼吸を合わせて魔法を放つ。
それはいつもと変わらない威力と速度で確実に魔物に直撃した。
「調子戻ったか?」
「うん。ありがとう」
「俺は何もしてないよ。自分で掴んだんだろ?」
ふっと笑いながら進んでいくシリウスの横で笑顔を返す。
「ううん。シリウスのおかげだよ」
そう言いながら絶対硬度の結界と同時に火蜘蛛の目に氷結魔法を放つ。
シリウスも、ピューマの魔物に電撃魔法を最も簡単に命中させていた。
それでも今までにない魔物との対峙に一瞬たりとも気が抜けない。
「もうすぐ赤線を越えるぞ」
「うん」
シリウスの言葉に、少し安堵したのが悪かったのだろう。
私に向かってきたピューマの攻撃を躱しきれず、庇うようにした彼の体を掠め、「……っ」と、シリウスが声にならない呻きが聞こえた。
「シリウス!」
「大丈夫だ! このまま突き抜けろ。こいつらも赤線の結界までは超えられない!」
「分かった!」
彼の言葉に返事をするも、脇腹からポタポタと地面に溢れていく血が止まらない。
「走り抜けろ‼︎」
力強いシリウスのその声と同時に赤線の向こう側にふたり飛び込むと、魔物達は赤線の前で止まり、暫くコチラを見つめた後森の奥へと消えていった。
「はぁ……、はぁ……。行った……な」
荒い息をついた彼の体から不意に力が抜けるのを感じる。
「シリウス!」
「大丈夫だ。大したことじゃない」
ゆっくりと地面に倒れ込んだ彼がふっと笑ってコチラを見つめた。
「待って、今、治癒魔法を……」
そう言って苦手な治癒魔法を使うが、傷口が大きすぎて中々塞がらない。
姉様のようにもっと治癒魔法が使えたら。
『大丈夫よ』って笑ってすぐに彼の体を治せるのに。
「アリア、大丈夫だから無理するな。苦手な治癒魔法なんて使ったら魔力の消費が早い」
「でも、こんなに傷口が大きくて……」
「狼煙を見た救援がすぐ近くにいるはずだ。大丈夫だから……。だから、そんな顔をするなよ」
そう言ったシリウスが、私の頬の何かを拭うように親指を押し付ける。
「大丈夫だから、泣くな」
「……うっ。だ、だって……。ごめ、ごめんなさい。巻き込んでしまって、私のせいで……」
「お前のせいじゃない」
「……死なないで……」
シリウスがいなくなったらどうしよう。
それだけが頭から離れない。
「はは、今ならキスしても怒られそうにないな」
笑いながら軽口を叩くシリウスを睨みつけたいのに、視界が滲んで、上手くそれが出来ない。
「死んだら、……っキスなんか……、うっ……し、しないんだから。……うっ」
「それは、困る。結構今の俺のモチベーションはそれだから。……アリア、今は返事とかするなよ? 今はどっちの返事をもらっても色々……辛い」
額に脂汗を滲ませながらシリウスが微笑む。
「もう喋らないでよ。……お願い。お願いだから……死なないで……」
「お前置いて死んだら誰が……期末試験の面倒見るんだよ。そんなに柔じゃない」
そう言いつつも、だんだんと血の気の引いて行く顔色に、決して症状が軽くないことぐらい分かる。
いつもさらさらと金の髪を靡かせて、何をしていても、汗ひとつかかず余裕の顔をしているのに、その面影は何処にもない。
「私なんて……助けなくてよかったのに。第二王子なんだよ? ……本来なら、私がシリウスを守るべき立場で、私が死んで……も……」
「アリア」
不意に伸びてきたシリウスの手が、壊れ物に触れるかのようにそっと私の頬に触れ、私の言葉を止めた。
優しく呼ばれた声に、なんと例えていいか分からない感情だけが私を襲う。
「アリアがいてくれなきゃ、生きる意味なんて無い」
じわりと、胸に広がる彼の言葉と、今の目の前の現実がないまぜになり、さらに視界が滲んだ。
「私だって……」
本当は分かってた。
彼と一緒に勉強する時間も。
厳しい言葉が、私のためを思って言ってくれていることも。
その、シリウスの優しさがとても嬉しかったことも。
――尊敬の中に、憧れと、恋があったことも。
ただ、恋とか愛とか自分にとって未知の世界で、どうしていいか分からなかっただけの、幼稚な自分がいた。
「シリウスが……好きだよ……」
彼の手に自分の手を重ねて震える喉で精一杯の言葉を紡ぐ。
私の言葉に固まったシリウスが、軽く天を仰いだ。
「あー……、やべ。死ねる」
「だから、もう黙ってて!」
変わらず軽口を叩くシリウスを叱りつけ、『癒し魔法』に集中する。
全力で、それでも僅かしか効果のない癒し魔法をかけて、それでもあと少し、あと少しと救援隊が来るまで治療を続けた。
自分の力のなさに呆れながら。
数分後、教師を含む救援隊と、ヴァス達が駆けつけたくれたおかげで、シリウスは無事に保護され、私は魔力の枯渇でそのまま深い眠りへと落ち、その後の記憶は無かった。
***
「――……夢か……」
目が覚めると、少し開けた自室の窓からオレンジの香りとひんやりとした風が入ってきた。
「何が、私がいなきゃ『生きる意味が無い』……よ」
ゆっくりと体を起こすと、目の前にあったカレンデュラのブローチが視界に入る。
このブローチはシリウスから入団時に贈られた物で、思わず握り締めて投げつけようとするも、出来なかった。
振り上げたままの腕がそのまま力無くベッドに落ちる。
一度目の人生では私が王都に戻ってきたのはシリウスの誕生日を一ヶ月過ぎたあたりだった。
私は間に合わず、彼は誕生日には既に亡くなっており、私を残して逝ってしまった。
決して彼を死なせないと。彼のそばにいたいと……今度こそずっとそばにいたいと思っていたけれど……。
けれど、二度目の人生で彼は自らの意思で私を捨てることを選んだのだ。
「今度は貴方の、意思なのね……」
頬を何か温かいものがひとつ、伝っていった。