3、魔術師団学校
一つ上のローゼリア=レイルズは、白魔術と呼ばれる国内随一の癒し魔法の使い手だ。
レイルズ公爵家は、元々白魔術の使い手を多く輩出する家系だったが、私は白魔術系の癒し魔法がほとんど使えなかった。
どちらかというと、攻撃魔術が得意で、癒し魔法が使えるのは気休め程度。
両親は、幼い頃から優秀な姉を自慢にしており、私に関しては物心がついた頃には、既に『無能』『レイルズ家の恥』と罵られ、彼らに愛された記憶など何一つ無い。
けれど、姉は違った。
姉は幼い頃から白魔術の才能があり専門授業を受けていたが、一緒に白魔術を学ばせてもらえなかったために生活リズムの違う私に、会う度に気にかけてくれた。
『元気にしてる?』『今日はいいことあった?』と、優しく声をかけてくれる私にとって唯一の人だった。
十三歳から姉は『癒し魔法の使い手』として神殿の併設された『白魔術学校』に通い、反して私は魔力量は多かったので、『魔術師学校』に通うこととなった。
白魔術師学校は、一般的な魔術も勿論学ぶのだが、白魔法を専門に扱うので神殿に近く、神官を目指す者や、白魔術を使える人間が多く通っていた。
魔術師学校は、貴族も通うけれど、平民も多く、良く言えば『自由な校風』が売りの学校だった。
元々は同じ学校だったらしいが、なんでも学部長同士の折り合いが悪く分裂したんだとか……、という話を聞いたが本当のところは定かではない。
けれど、通う学校は違えど、最高の『聖女』と呼ばれる姉の役に立つんだと、……姉さまに恥をかかせない力と立場を手に入れるのだと自分の魔術の磨きに力を注いでいた。
その目標の一つが五つある魔術師団の中でも筆頭である、『第一魔術師団の団長』になることだった。
ーー私は自分の部屋のベッドに倒れ込むように体を沈め、姉から返してもらったブローチとストールをぼんやり見つめる。
窓から差し込む月明かりに、カレンデュラの花を模した金のブローチが浮かび上がるように輝いていた。
「何も、考えたくない……」
そう一人ごちて、ストールからふわりと香る姉の優しいバラの香りに包まれてそのまま目を閉じた。
***
――夢を、見た。
姉を支えることを目標として頑張っていたあの学生時代。
学園生活の中にはいつだってシリウスがいた。
あれは、入学二年目、十四歳の秋。
「ねぇ、最近カップルが多いと思わない?」
いつもは静かな学園の図書室の前の中庭に、数組の恋人らしき人達が見るからにイチャイチャしている。
その様子を二階の図書室の窓から見下ろしながら、向かいの席で本を読んでいたシリウスに思わず言った。
「そうだな。学期末の学園祭でのダンスパートナーを決める時期だからな」
「あぁ、そっか。そう言えばシリウスは学園生活ももう最後だもんね。なんか女の子たちにめちゃめちゃ追っかけられてたけど、それだったのか。パートナーは決めたの?」
「まだだけど、アリアは決めたのか? お前だって飛び級で今年卒業だから最後だろ?」
「え? でも出るつもりないからな〜……。そろそろ実地試験があるじゃない? 学園祭どころじゃないしね。……って言うか、シリウスだって本当は去年飛び級卒業の予定で魔術師団入団予定だったじゃない。即戦力として期待されてたのに、勿体無い」
将来を嘱望された彼には当時魔術師団や白魔術師団の関係者がたくさん訪れていた。
王宮にもひっきりなしに来ると言って、あまりの面倒くささに欠席と嘘をついて図書室に篭りきりだったことも仲間内では有名な話だ。
「いいんだよ、俺は。まだ学びたいことがあったんだから。入団したら業務に追われて満足に勉強できないだろ」
「ふーん。そんなもの? 私は早く入団して経験値積みたいけどなぁ」
シリウスが第二王子だと知ったのは入学して、一年目の終わりかけだった。
入学した一番始めの実地試験で上級生とチームを組んで行われたのだけど、なんていうか……、顔立ちは綺麗だけど、授業に遅れてくるし、結構所作は乱暴だし、『王子様』感があまり……というか全く無かった。
それに、学園の友人たちにも『シリウス』と気軽に呼ばれている人間を誰が王族だなんて思うだろうか。
だから始めに私がした『アレ』は、決して私のせいじゃないと思う。
知り合ってまる一年経って彼が王子だと知ったのだ。
王族と知ったからには敬語がいいかなと思ったけれど、『その喋り方キモい』と言われ、早々に通常運転へと戻った。
よく女の子に追いかけられていたのは、てっきり顔面偏差値が高いからだと思っていたのだけれど、王子というのも輪をかけて女生徒の人気を持っていたのだろう。
そんなことを思い出しながら、下の中庭の恋人たちの幸せそうな様子を見ていた。
ベンチに座るカップルの雰囲気がそこだけとても甘くて、優しい。
「……『羨ましいな〜』とか思ってんだろ?」
「は⁉︎ そんなことっ……!」
不意に言われた言葉に思わず目を見開き、反抗心がもたげるも、揶揄うような、見透かすようなシリウスの視線とぶつかり、不貞腐れて視線を逸らす。
彼の抜けるような青空のような涼やかな目元に余裕を感じ、意味もなく負けた気分になった。
モテる男の余裕ですか! と嫌味の一つでも言いたくなるのはしようがない。が、言ったら負けだ。
モテない女と自分で言っているようなものだ。
「……そうよ。いいなーって思ってるわよ」
「……へぇ?」
少し驚いたような声に再度シリウスを見ると、軽く目を見開き、頬杖をついていた手から少し顔が浮いていた。
「何意外そうに言ってるの。分かってて言ってるくせに」
「いや、そういう事に関心があると思ってなかったからな。アリアの頭の中には『姉様』のことしかないのかと思ってたよ。昨日も『姉様が明日にはアレンダ国の留学から帰ってくる』って大騒ぎしていたじゃないか」
ふっと笑われたことに苛立ちながらも、その通り過ぎて視線を逸らす。
そう、たった二週間という短期の留学かもしれないが、姉が外国に行くというだけで不安だったのだ。
その姉が通う白魔術学校の校舎に視線をやった。
魔術師学校の向かい側にある白く、荘厳な建物はまるで姉のように美しく聳え立っている。
「……否定はしないけど……」
早く。
早く。姉様の役に立ちたい。
姉様の妹だと誇れるように。
実戦で、姉様の負担が減るように。
今私が出来るのは上を目指すことだけだ。
「でも私だって一応女の子だからね。『彼氏』にそれなりに興味があるわよ。……ま、それ以前にどうせ私には縁の無い話だけどね」
と拗ねるように視線を逸らして言ったその時、不意に真横に気配を感じた。
「じゃあ、俺にしとけば?」
「……は?」
真横から発せられた予期せぬ言葉に振り向くと、目の前にあった私しか映っていない澄んだ瞳とぶつかり、思わず息を呑む。
シリウスの柔らかな金の髪が日の光に照らされて、キラキラと輝いていた。
「俺にしておけば? って言ったんだよ」
王妃様譲りの綺麗な顔立ちに、どこか冗談めいて聞こえる低い声と、内容が私の心臓のリズムを速くする。
「俺って……。シリウス?」
「他に誰がいるんだよ。俺って言ったら俺だろ」
ふっと鼻で笑う笑顔が余裕を感じさせて腹立たしい。
けれど、青い瞳は真っ直ぐにこちらに向けられていて、激しく胸がさらに騒ぎ始める。
「……で、でも……」
「何? 俺のこと嫌い?」
「いや、嫌いでは……」
むしろ、尊敬している。
絶対的な知識量に、誰にも負けない底なしの魔力と緻密で精巧な魔法。
その努力量は想像を遥かに超えるものだろう。
シリウスも私が姉の力になりたいと思うのと同じように、彼も兄である王太子殿下の補佐として、力をつけようと努力しているのを知っていた。
私だって努力はしているけれど、感覚派の私では、言葉での説明……つまり、筆記が苦手で、テスト対策に何度も根気強く教えてくれたのがシリウスだ。
「何で、実技試験が満点なのに、こっちができない理由が分からん」と、憎まれ口を叩きながらも、理論的に理解できていない私を、学期末ごとの試験に助けてもらった。
だから知っている。口調とは裏腹にとても面倒見が良いところも。
「じゃあ、生理的に受け付けない?」
「え? それは……ない」
「……他に好きな人がいる?」
「……いない。けど……え? 何? 女の子たち避け的な感じで?」
「そんな事、一言も言ってない」
先ほどの揶揄うような口調とは裏腹に、真剣な熱を帯びた彼の目に、心臓のリズムがさらに加速し、経験のない状況に思考もままならない。
こんな彼は知らない。
趣味は何ですか? とシリウスに尋ねたら、『アリアを揶揄うこと』と、言いそうなほどで、今までそんな素振りなど無かった。
こんな、今にも食べられそうな目を……彼の熱を私は知らない。
「シリウス、……でも。え? だって、シリウス私のこと女だなんて思ってないでしょ?」
「女として見てない日なんて一日もない」
言いながら更に色気を増す視線に狼狽えることしか出来なかった。
「そ、そそんな素振り今までなかったじゃない」
「アリアが、色恋ごとに興味があるなんて思ってなかったからな。無かったろ?」
「……」
確かに。
返答に窮して思わず俯いて、彼から視線を逸らす。
こんなとき、なんと返事をしたら正解なんだろうか。
「いいよ。返事はゆっくりで。とりあえず、俺はそういう気持ちだってこと分かってもらえたら」
「そういう気持ちって……」
「分かんないなんて言うなよ」
「シリ……」
ほんの少し。
本当にほんの少し。
指一本分彼が顔を近づけただけなのに、不意に胸が跳ねた。
「好きじゃなきゃこんなこと言わないからな」
「ッ……」
そう言って、「よいしょ」と立ち上がった彼は本を閉じて私を見下ろした。
「シリ……」
「ま、そう言うことだから、覚悟しとけよ」
シリウスはポンと軽く本を私の頭に乗せて図書室を出ていった。
「え? え? 何……? シリウスが……私を?」
顔が熱くなるのを自覚しながらも、ドクンドクンと激しく打つ心臓の音が治るまでしばらく私はその場を動けなかった。
その本を頭に乗せたまま。




