14-5、彼の弟
次回は23日(月)二十時ごろ更新予定です。
私は家に帰る道中、ずっとエルピスを抱っこしていたのだけれど、彼女自身が自分に浮遊魔法をかけて私に負担がかからないようにしてくれていたので、特に疲れることは無かった。
重くないから魔法は使わなくてもいいと言ったのだけれど、エルピスは黙って小さく首を振るだけだった。
私がずっと抱っこしているのを気にした殿下が代わろうかと申し出てくれたのだが、エルピスの断固拒否によって結局最後まで彼女が私の腕から離れることは無かった。
赤線を越えられなかったのが相当ショックだったのだろう、ずっと私の肩に顔を埋めたままで落ち込むエルピスの姿に胸が締め付けられたが、それでも彼女が甘えてくれる存在になれていることが嬉しかった。
そうして日が沈みかけた頃、私たちは自宅へと帰ってきた。
「バカな……本当に竜谷に……しかも白線の中に住んでいたなんて……」
ポカンと口を開け、赤い屋根の可愛らしい家の前に立った殿下の様子に私は何も言えずにいた。
こんな童話に出てきそうなお家があるなんて信じられないのは当然だ。
私が初めてこの家を見た時は、ここが『竜』の家だという二重の驚きで、デュオス殿下の三倍は口を開けて間抜けな顔をしていたであろう。
彼がチラリと家の庭に視線をやれば、さらに頭の中に疑問符が溢れているのが手に取るように分かった。
目線の先には例の大きな『アレ』だ。
ただの人間の住まう家の庭に、三メートルはあろうかという犬小屋っぽいもの。
興味を惹かれるのはしょうがないよねと思いながら彼を見ていると、殿下はゆっくりと家の周辺を見渡し、真っ直ぐにこちらを見据えた。
「……アリア姉様。ここには白線同等……いや、それ以上の結界が?」
「え?」
「魔物の出没が減ったとはおっしゃいますが、『いない』とは考えられません。そんなところに家を建てるなど正気の沙汰ではない。常に通常の魔物を防ぐ結界だけでなく、赤線、白線の結界同等のものを張っていなければ、『家』がこんな綺麗な状態で建っている訳がない……」
家の周囲の森を警戒するように殿下が見渡すも、当然魔物の気配は一切ない。
「殿……」
「それに、俺がこの竜谷に向かって森に入った当初も、赤線内前後は記憶通りの魔物に遭遇しましたが、奥に進むに連れて……いや、貴方達に会ってから魔物どころか生き物一匹遭遇していない」
何かの答えを求めるように私と双子の三人を殿下はじっと見つめた。
「……」
「この竜谷に張られた赤線も、白線も、数百年前にリントブルム国とジダル国、そして他の国々から選抜された優秀な魔術師達の手によって張られた結界です。まさか……アリア姉様がここの結界を?」
「私は結界なんて張っていませんよ」
それだけは明確に答えれば、殿下は赤い屋根の家に視線を向ける。
「ご主人が?」
「……そのようなものです」
そう答えれば、どこか殿下の顔が険しくなった。
単に竜に近づかないだけだから間違ってはいないだろう。
「ねぇ、ちょっと。私早く家に入りたいんだけど」
私に抱っこされていたエルピスがデュオス殿下に静かに言うと、彼女はするりと私の腕から降りた。
「あぁ、申し訳ない。早く足の手当てをきちんとしないとね……。僕も君たちのお父さんにご挨拶しないといけないし……」
そんな殿下の言葉を無視するように、エルピスは暗い表情のまま、自分の足で玄関へと歩いて行き、アマルもエルピスを心配して後を追いかけて行く。
足を痛めたと言ったが、歩けないほどではなかったのかとデュオス殿下はどこかほっとしているように見えた。
「殿下もどうぞお入りください。オル……主人も中にいると思いますので」
***
ゆっくりとドアを開けて殿下を促せば、顔は笑っているが、冷ややかな声で「お邪魔します」と言って、家に上がった。
綺麗にしていたつもりだけれど、こぢんまりした玄関が不快だったのだろうか?
幼い頃の殿下は平民の暮らしを蔑むような性格では無かったし、シリウスと一緒に平民の格好をして下町に出かけたり、厩舎の愛馬の世話も積極的にしていた可愛らしい王子様だった。
「時間っていうのは残酷ね……」
私の可愛い王子様は一体どこへやら……と小さなため息と共に、彼を案内する。
リビングのドアを開けると、ベランダにオルトゥスの姿がチラリと見えた。
今日は用事があると言っていたが、戻ってきていたのかとほっとして声をかける。
「オルトゥス、ただいま。お客様よ」
そう声をかけた瞬間、部屋の中の温度が一気に下がったように感じ、思わずゾクリと体が震えた。
部屋は快適な温度に保たれるようにオルトゥスが魔法をかけているが、何か魔法のズレでも生じたのだろうか?
チラリとデュオス殿下の様子を窺えば、不愉快極まりないという表情をしていた。
彼もこの部屋の寒さを不快に思ったのだろう、あとでオルトゥスに空調を調整してもらわなければ。
双子はこの寒さに気づかないのか、エルピスはソファに置きっぱなしにしてあったテディベアのところに行き、アマルはアマルで彼女に寄り添うように横で本を読み始めた。
「客?」
ベランダのドアの近くに腰掛けていたオルトゥスが振り返った手元には小さなおちょこ。
東の国で仕入れたというお気に入りのお酒を嗜んでいたようで、彼の前の机の上には干したイカと小魚のツマミが置いてある。
さらには彼の横には小さな七輪があり、そこでツマミを炙って楽しんでいたようだ。
私にとってそれは日常となんら変わりないが、どことなく自堕落な生活に見え、再び恐る恐る殿下を盗み見る。
規則正しい生活に、間違ったことは間違っていると言い切る、純粋だった殿下の目にオルトゥスはどう映るのだろうか。
「……初めまして。デュオス=リントヴルムと申します。アリア姉様が大変お世話になっております」
「貴様に礼を言われる覚えはないが……。何だ? アリア、お前の昔の男か?」
「何でよ! 違うから! こちらの方はリントヴルム国の第三王子のデュオス=リントヴルム様。御年十七歳よ」
すっとぼけ顔でオルトゥスが私に言った言葉を、当時十歳の殿下が恋人のわけがないと即座に否定した。
ソファから「え?」と小さくエルピスの声が聞こえ、そちらを見ると、パッと視線を逸らされる。
どうしたのかと彼女に声をかけようかと思ったところで、オルトゥスが愉快そうな声を上げた。
「……ほう?」
オルトゥスに視線を戻せば、なぜか片方だけ口角を上げて笑っている。
まじまじと、頭のてっぺんから足の先まで殿下を見て、オルトゥスがベランダからリビングに入ってきた。
そしてなぜかオルトゥスの口角がさらにじわじわと上がり、笑いが溢れている。
「これはこれは、なかなか面白いではないか。それで? そのデュオス王子とやらがこんな森の奥に何の用だ?」
「アリア姉様に竜のところまで案内してもらう許可を貴方にもらいに来たんです。彼女しか竜の鱗を手に入れる手段を知りませんからね」
「鱗?」
オルトゥスは挨拶を返すこともしないまま、デュオス殿下に何の用かと尋ねる。
彼らしいと言えば彼らしいが、殿下は殿下でその必要もないといった態度で話を続けた。
「リントヴルム国の第一王女が竜魔症にかかり、その治療のために竜の鱗が必要なんです。それに……竜には他にも聞きたいことがありまして」
「……鱗なぁ……」
チラリ……と殿下の少し後方に立っていた私に視線を寄越したオルトゥスに、私は少し気まずい気持ちになりながらも、口を開いた。
「どっちにしても貴方の許可なしには私は何もできないから。殿下をお連れしたのよ」
「言ってないのか?」
「その判断は私がすることではないから」
そう答えれば、なんのやりとりかと殿下が私と竜を交互に見る。
オルトゥスは、ふむ。と少し思案した後に口を開いた。
「鱗はやらん」
「は?」
私は「簡単に言うんだ……」とオルトゥスの言葉に驚くと同時に、殿下が目を見開く。
「だから、鱗はやらんと言ったのだ」
「どういう……意味だ……?」
「我がお前の探している竜ぞ? お前から我の魔力を感じるが……貴様も飲んだのであろう?」
「何の……冗談……」
本当かと、困惑気味にこちらを向いた殿下に、私も曖昧な笑みを返した。
殿下は一瞬固まり、双子を見た後、再度私に視線を戻す。
「竜の……子……」
「え?」
「……なるほど……だから、アリアが……」
「殿下?」
あまりに小さなデュオス殿下の呟きを拾えず、彼の顔を覗き込めば、真っ白なほどに顔から血の気が引いていた。
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