6−3、一度目の竜谷
ーー二ヶ月後、私は竜谷へ……竜の元に戻った。
「第一王子は助かったか?」
再会して第一声。
さして興味もなさそうに竜が言った。
それはまるで、『第二王子』が助からないことを知っていたかのような言葉に体が凍りつく。
「はい。王太子殿下は……一命を取り留められ、ゆっくりではありますが回復に向かっていると聞いております。第二王子殿下は……すでに亡くなって…おられ、ました」
シリウスは私が王都に戻る約一ヶ月前の彼の誕生日に亡くなっており、ボロボロの状態で王都に戻った時にはすでにシリウスの葬儀も終わっていた。
そして私はシリウスの命も救えなかったことと、第一魔術師団が壊滅状態になったことの責を問われ、王都を追放された。
その追放の背景に父の影があったことは間違い無いだろう。
けれど、あの時私はそれを甘んじて受け入れた。
だって、当然だと思ったから。
王家に仕える身としてはもちろん王太子殿下も大切ではあるが、やはりシリウスを助けたいという思いが私たちにはあった。
亡くなった仲間の想いを繋げなかったことも、多くの大事な人を失った悲しみも、何より、シリウスを失った苦しさで何の気力も湧かなかった。
そして王都を追放された私は、竜との約束を守るために一人竜谷へと戻ってきたのだ。
「王太子殿下のお命を救っていただいたこと、……感謝いたします。それで、お約束した件ですが何をお望み……」
「もう一度やり直したいか?」
私の言葉を遮って言った竜の言葉に目を見開く。
「どういう……意味で……」
「そのままの意味よ。時間を戻したいか? 本当はその宝飾品の贈り主を救いたかったのであろう?」
ザワリと、竜谷をふ吹き抜けていく風が頬を撫ぜていった。
「……」
竜は、私の胸元にあるカレンデュラのブローチに視線を寄越しながら、まるで悪魔の囁きのように私に再度尋ねる。
「もう一度、チャンスが欲しいか?」
欲しい。
欲しいに決まっている。
けれど――
「そんなことが出来るわけ……」
「これをやろう」
言いながら、ふわりと目の前に現れたのは黒く細い刀身の短剣。
「これをお前の魔力の源に突き立てればお前の時間は戻る。人それぞれ、魔力の源の位置は異なるが、……お前はここだな」
言いながら指された胸元。
「心臓?」
「そう、そこにこの魔力の込められた短剣を突き刺せば時間が戻るだろう。だが、どれだけ時間が巻き戻るかはお前の魔力量次第だ。見たところ……魔力量は多いようだが、戻っても三ヶ月と言ったところか……」
それでは間に合わない。
三ヶ月前はすでに白線内に入り、襲ってくる魔物に必死に対処していた頃だ。
それでは、同じことを繰り返すだけ。
「……」
一瞬湧き上がった希望を瞬時に叩き潰され、より絶望の淵へと突き落とされる。
「力の解放をしてやろうか?」
「力の解放?」
「そう、竜魔症の治癒と同じ、魔力の解放だ。かすかだが、お前から竜の匂いがする」
私の曽祖母は王家から降嫁しており、確かに竜の血が流れていてもおかしくはないけれど……曽祖母の魔力は王家の中でも大して強くなかったと聞いている。
不意に伸びてきた竜の爪に身構えると、ふと心臓の奥の奥に何かの熱を感じた。
「分かるか? そこに魔力を流してみろ」
「……はい」
感じ取った箇所にゆっくりと魔力を流す。
その刹那、身体中に今までに無いほどの魔力が行き渡るのを感じた。
「……っ!」
「うむ……悪くないな。それだけ魔力があれば半年は時間が戻るであろう。戻った後は、お前次第だ」
受け取った黒曜石のような真っ黒な細い短剣には、金色に輝く石が嵌っていた。
どう見ても切れ味のない短剣は実用的な感じがしないけれど、それでも細い刀身は、突き刺せば簡単に心臓に刺さるだろう。
小さな宝剣のように見えるそれは、柔らかな、暖かさを感じる魔力に包まれていた。
「なぜ……私の為に……ここまでしてくださるのですか?」
「私の為? 違うな。我は我の為にしている。お前こそ、我はそれを心臓に突き立てろと言ったのだぞ? 出来るか? そもそも、本当に時間が巻き戻るというのも嘘かもしれんぞ?」
少し愉快そうに言った竜に、私もふっと笑みが溢れた。
「失うものは何も無いから」
「そうか」
「……私は、あなたに何を返せば……?」
「今はいい。どうせまた我の鱗を獲りにくるのであろう?」
つまらなそうに言う竜の言葉に小さく頷き、感謝の礼を執る。
そうして短剣を握りしめた一瞬、「死」が頭をよぎった。
けれど、私にはこれを使うという選択肢以外無い。
ただ、シリウスにもう一度会いたい。
仲間を死なせたくない。
みんなに会えるなら。取り戻せるならば。
もう一度チャンスがあるなら。
そうして私が黒い短剣を『魔力の源』に突き立てた瞬間、体の奥で何かが弾ける。
――気がつけば目の前には、シリウスがいた。
***
「アリア? どうした?」
記憶の中と同じ、彼の声にハッとする。
ここは、第一魔術師団のシリウスの団長室ではなく、メイドが控える大きなベッドに、日当たりのいい広い部屋。
開け放たれた大きな窓からは、心地良い風が吹いていた。
ベッドボードにもたれるように体を起こしたシリウスは部屋着のままで、そのベッドを囲むように第一魔術師団のメンバーが『全員』揃っている。
しばらく、信じられない思いでこちらを見つめ返すシリウスに視線が釘付けになった。
そばに控えている三人のメイドは、彼が竜魔症に罹ってから陛下の指示で増員された人達だ。
今は、恐らくシリウスが竜魔症になった直後だろう。
「……本当に……?」
「アリア? 何? 声が小さくて聞き取れない」
不思議そうに眉間に皺を寄せて問うシリウスに、震える声で「何でもない」と答えた。
滲む涙を堪えて、何とか口角を上げて微笑む。
本当に、時間が巻き戻ったのだ。
今度こそ失わずに済むかもしれない安堵と、二度目もダメかもしれないという恐怖が体を走る中、私はゆっくりと肺に空気を取り込み、それをまた時間をかけて吐き出した。
大丈夫。
うまくやれる。
うまくやるのよ。
「何でもないよ。ええと……それで何の話だったっけ?」
「だから、サゼンダ領の魔物の出没の件について派遣にいくメンバーだろ? 何? 腹でも減った? 朝メシちゃんと食ったのか?」
揶揄い混じりに言うシリウスの声と表情に、また涙が滲みそうになる。
本当にもう一度、この声を聞けるなんて思っていなかった。
込み上げそうになる嗚咽を堪えて声が震えませんようにと言葉を紡ぐ。
「バカね。朝ごはんならいつも三回はおかわりしてるわよ。で、その件だけどメンバーはもう決まっているから、シリウスは心配しないで。皆、もう行こう」
「え? 決まってる? え? 団長の指示は……」
きょとんとしたヴァスの言葉を私は笑顔で遮った。
「シリウスには今は治療に専念して欲しいの」
「え?」
メンバーにそう言いながら、シリウスを正面から見据える。
「今後、第一魔術師団のことは私に任せてほしい。そのための副師団長でしょう?」
シリウスに尋ねると、彼は少し驚いたように一瞬固まった。
「アリ……」
「もちろん、事前報告はするし、結果報告もする。けれど逐一あなたの指示を待ってたんじゃあ、あなたの治療の時間もとってしまうし、色々な対応が後手に回るでしょう? それにシリウスは平気だって言うけど、無駄な体力を使って欲しくないの」
何か言いたそうなシリウスにそう畳み掛ければ、彼はじっとこちらを見つめた。
ほんの少しの間があった後に小さくため息をついた彼は、指から『第一魔術師団』の師団長の紋が入った指輪を私に手渡した。
「……分かった。第一魔術師団のことは今後はアリアに一任する。ヴァスはその補佐にまわってくれ」
シリウスの言葉に私は頷くと、丁度白魔術師団が、治療時間だとシリウスの部屋に入ってきた。
入れ替わるように出て行った後、ヴァスが何かいいたげにこちらを見ている。
「何? ヴァス」
「いや、なんか急に人が変わったじゃないけど、アリアの顔つきが変わったから……。何かあったのか?」
「いいえ。無いわよ」
そう、何かが起こるのはこれからだ。
この先、セザンダ領の魔物調査と討伐に関して、シリウスの許可を逐一取ってから進めていたせいで時間がかかった。
そのせいで『竜谷』への準備も不十分だったし、準備も、対策も取れない状況だったのだ。
セザンダ領の魔物情報ももちろんこの頭に残っている。
できる限りの準備と対策を。
夜まで続いたセザンダ領に向けた協議と話し合いが終わり、私は寮の自分の部屋に戻った。
じっと鏡の前に立ち、私にとってはほんの半日前の『竜』との出来事を思い出す。
自分の胸を貫いたあの瞬間。弾けた魔力。
「ここね……」
そっと心臓に手を触れ、魔力を感じる。
竜の魔力の解放は、竜にしかできない。
力の源を感じ取れるのは竜しかいないからだと聞いたことがある。
ところ構わず魔力を流して試してみるというものではなく、的確な場所を知り、そこの魔力の解放をするために一点に集中する力がいる。
竜魔症は、その源が分からないから突然体内で暴れた魔力が行き先を失っていると聞いた。
胸の奥の更に奥。
あの時の感覚を思い出してそこに魔力を集中させる。
ふわりと『そこ』が温かくなったかと思うと、身体中にジワリとその魔力が広がっていく感じだ。
あの時、竜に力を解放してもらったのと同じ感覚。
「……これでセザンダの魔物の討伐も時間の短縮ができるはず」
竜谷も前回よりも簡単に進めるはずだ。
そうして、自室の窓を開けて夜空に青白く輝く一番眩しい星を見つめた。
「絶対、助けるからーー」




