6−2、一度目の竜谷
「りゅ……う……?」
白銀の竜は、ばさりと大きな翼を一度羽ばたかせ、地面に音もなく着地した。
目の前にいるせいか、あの夜に見た時よりも随分と大きく見える。
それは距離の問題なのか、威圧感の問題なのかは分からないが、青い瞳が興味深そうにこちらを見下ろしていた。
「ここに何をしに来た?」
ゆっくりと人語を話す竜は、王都を攻撃してきた竜とは思えないほどに穏やかな口調。
ごくりと唾を飲み込むも言葉が発せないでいると、白銀の竜が再度尋ねた。
「娘、ここに何をしに来た?」
何をしに来た?
そうだ。私はシリウスの命を……王太子殿下とシリウスの竜魔症を治すために竜にお願いに来たのだ。
第一のみんなも彼のために戦った。
何としても竜の力を……せめて鱗を……。
慌てて縋りついていたヴァスから離れ、竜に体を向け、膝を折って礼を執る。
「リントヴルム王国の……第一王子と第二王子が竜魔症に罹り、あなたの力をお借りしたく参りました」
「興味無いな」
「……っ!」
何の感情も無くあっさりと切って捨てられたその言葉に、絶望感が押し寄せた。
「も、もちろんお礼は致します! 国王陛下も……」
「我にわざわざ出向けと? ここにはお前の気配しかないが、その王子達とやらは安全な王宮で我が出向くのを待っているのか?」
「殿下達は動けない状態で……! お願いです。話を聞いていただけませんか? どうか……」
「断る。と言ったら?」
三年前に王宮を襲った竜には王家の危機など関心はないだろう。
むしろ、どんな感情を抱いているのかすら聞くのも恐ろしいぐらいだ。
出会い頭に攻撃されなかっただけマシだろう。
当然話を聞いてもらえないことは想定範囲内だが、それでも穏便に済ませたいという希望は拭いきれなかった。
「貴方様の……鱗だけでも……恵んではいただけませんか?」
「どこの誰とも知らぬお前にか?」
もっともだ。
けれど……。
戦って勝てる相手ではないことぐらい分かっている。
それでも、何としても。『何も出来ませんでした』では終われない。
胸のブローチを握りしめ、覚悟を決める。
「ダメなら、力づくでも」
全身に魔力を巡らせて竜を見上げた。
「……ほう?」
少し楽しそうに言った竜を見据えると、竜はブローチを握りしめた私の手元に視線を移す。
「その宝飾品は先ほどの魔術を展開したものか?」
「え?」
突然の話題の転換に驚いて小さな声を挙げるも、竜はリラックスした状態でこちらを見据える。
そういえば、彼は先程私の前に現れた時、『珍しい魔術』と言った。
何でもいい。竜の関心が引けたのなら。
「は、はい。おそらくこちらのブローチだと思います。一度きりのものと聞いているので、その魔術はもう発動しないと思いますが……」
言いながら、胸元のブローチを外し、竜が見やすいように両手で少し上にあげた。
「……竜の魔力の匂いがするな」
「え? あ、王家の……第二王子殿下からいただいたものなので、そのせいかもしれません」
王家は竜の血を引くからこそ『竜魔症』を発症する。
竜の匂いなど私には分からないが、きっと竜には感じるものがあるのだろう。
じっとブローチを見つめる竜は何も言わない。
「あ、あのこちらにご関心が?」
「まぁ……そうだな」
「あの、このブローチに込められた魔術がどんなものか私は分かりませんが、シリ……第二王子殿下なら何かご説明できるかもしれませんし、同じものをご提供できるかもしれません! もちろんこれだけがお礼とは申し上げませんし、国の用意する対価で足りなければ私にできることなら何でもします。どうか……殿下たちのお命を救うためにもお力添えをいただきたく、……王都に来ていただくのが無理なら貴方様の鱗を一枚いただけませんでしょうか?」
何でもいい。
命がいるというなら差し出したってかまわない。
そんなものいらないと、くだらないと言われてもいい。
すると、竜はなぜかふっと笑った。
「あ、あの?」
「いいだろう。鱗はやる」
その一言に目を見開くと、白銀の鱗を差し出された。
それは、両手をすっぽりと覆う大きさで、キラキラと輝いている。
――彼を、助けられる。
胸の奥が震え、鼻がツンと痛くなった。
「但し、この鱗を持って帰ったらまた戻ってこい。その時までにお前達からもらう対価を考えておこう」
「は、はい。もちろんです!」
「例え、『間に合わなくても』だ」
受け取ると同意に言われたその言葉に体が凍りつく。
例え王子達がすでに竜魔症によって亡くなっていたとしても対価を払いに来いと竜は言っているのだ。
当然の要求だ。
ここから王都まで戻るのにどんなに早くても一ヶ月はかかるし、そもそもこの白線内を無事に出られるかも怪しい。魔物との遭遇を考えればまた数ヶ月はかかるだろう。間に合うかと言われれば不安しかないけれど、戻るしか選択肢は無い。
それにもう一度ここに来るとしても、無事に来れるかどうかは分からない。けれど……。
「必ず、また伺います」
感謝しきれず深くお辞儀をすれば、目の前にもう一枚鱗を差し出された。
「それから、これはお前に預ける」
その鱗は、白銀ではなく、夜空のようにキラキラと輝く黒い鱗。
個体の違う竜の鱗だろうかと思いながら、両手でそれを受け取る。
「これ……は?」
「これを持っていれば魔物は寄って来ないはずだ。ここを出ることも、またここに来ることも容易であろう。ただしこれは必ず返せ」
「あ、ありがとうございます! 必ずお返しします!」
これで確実に、最短で王宮に……シリウスの元に戻ることが出来る。もう一度ここに来る時にはヴァス達の弔いもきちんと出来るだろう。
せめて、彼らの遺品だけでも家族の元に戻さなくては。
「さっさと行け」
「ありがとうございました!」
気だるそうに言う竜に深く、深くお辞儀をしてからヴァスのそばに行く。
「ヴァス。必ず……必ずシリウスに届けて迎えに来るからね」
返事の返ってこないヴァスに誓って、私は王都に向かって全速力で森を駆け抜けた。




