勇者
―――聖歴1316年
分かりやすく言うとフルダイブ型VRMMOと言ってもいいようなネットの世界に、私はどっぷりと漬かりきった。私の前世の時代でも、まだ物語の中にしかなかったもの。いやぁ、めっちゃ楽しいー!
美少女アバターをまるで生きているみたいに自在に動かす。
町の人と挨拶をし、買い物をし、魔物を倒してお金を稼ぐ。その世界に私も生きている住人であるかのような満足感。
「はぁー生きてて良かった!」
三度の飯よりログイン!睡眠不足もなんのその!ゲームは遊びじゃねぇ!
規則的な生活を心がけていたことも忘れて。
なんていうか、ただ楽しい。聖女とか魔王とか、塔の幽閉とか、何もかも忘れて過ごしたのは、このときが初めてだったんだと思う。
私のやっているのは一番流行ってるネットゲーム。
中世風の世界観で、でもそれはたぶん今の世界そのものなんだろうな。現実にもあるジョブ――魔法使いや剣士など様々な役割を選んで、ゲームという娯楽を共に楽しめるようになっている。
ジョブのレベルを上げつつ、世界を救うまでのクエストやミッションを進めていく。
開発コンセプトがねー、すっごくいいの!
時間の変化の中で、空気やにおいの変化を感じて、同じ時を過ごしているように感じられるような世界観を徹底してるんだって。生々しさがすごいよ。
で、普通の人は日常の生活があるじゃん。私は、ネット常時接続状態なわけ。一瞬でかなり名前が売れた。
――廃ゲーマー聖女ちゃん、として。
自分を「聖女」だと名乗る、孤高の白魔法使い。それは誰にも相手にされず、煙たがれるために、一人でいるしかない私。でも嘘を言うことはしなかった。
『幽閉された聖女です』
それはいつか死ぬまで主張していこうと思う。私は、ただ本当のことを語りながら過ごせばいいんだ。
ネットの黎明期に流行った、勇者や聖女のハンドルネーム達は、既に古いものとして誰も使ってなかった。もうネタ枠のハンドルだ。かなり目立つ。今時聖女を名乗る人は、とても少なくて。そんな中で、長時間ログイン廃ゲーマーであるがゆえ、まわりにはニートとしての認識がほぼ確定している私が聖女と名乗っていても、ただの痛い子にしか思われなかった。
とはいえ、どこにでも人の話を信じやすい人や、中立であろうとする少数派の人もいる。
最初にメールが来た時からそうだった。声の小さい人たちが、ひっそりと手助けしてくれたり、仲良くしてくれたりした。最初の頃からずっとメールをくれている人もいる。そういう人とはもうメル友だ。まぁ大した話はしてないんだけどさ。
そんなある日。
冒険者たちの情報収集の場である「酒場」で夜を過ごしていたところ、向かいの席にハンドルネーム「勇者」が座った。
(へぇ珍しい……)
そんなことを考えながら、ぼんやりとその人を見つめた。そのアバターは、私と歳の近そうな、少年から青年に向かう年頃に見えた。鍛えられた逞しい体躯と、精悍な美しい顔立ちをしている。ムキムキした体にやけに繊細な作りのお顔は少しチグハグな感じさえする。長めの金髪が輝いている。
(……モテそう)
私ですら一瞬ドキリとするのだ。よっぽどだ。
私にはどうでもいいことなのだけど、こう言う人モテるんだ。
実際のところ、ネットの中のアバターは、実際の本人と声も姿も変えて作ることが出来るので、性別すら判断出来ない。ネカマかもしんない。
だからモテとは関係が無さそうに思えるけれど、そんなこともなく……さすがフルダイブ型と言うべきか、ネットの中だけと割り切っていても恋愛をする人も多いので、非常にモテる人も多い。
(ちっ)
心の中で舌打ちする。恋愛の勝者に理不尽な反感を向けるのは非リア充のサガだと許して欲しい。
とはいえ、うっかり本人そのままで作ってしまった私の容姿も、痛い発言を知らない人にはモテちゃうんだよね……すぐにバレて怪物でも見るような顔をして去っていくけど。
我ながら私の体は、それだけなら、とても美しい姿かたちをしていると思う。ホント意味のないことだけど。
私の視線に気付いたのだろう、斜め向かいに座る「勇者」は、ブラウンの瞳を私に向け……今度は私の頭上に視線を向ける。私の名前やプロフを確認しているんだろう。
彼はまるで不快なものを見たように眉間に皺を寄せた。
(あー……私の悪評知ってる系の人?)
慣れた反応に、関わらないようにしようと視線を外したとき、彼の方が声を掛けて来た。
「お前……その個人識別番号、魔法フォーラムに居ただろう」
「……はい?」
懐かしい単語が出て来た。ネットの黎明期、私が初めに聖女を名乗るずっと前に、質問のために書き込みをしたところだ。
「よくご存じで?」
「……」
今時あんなこと覚えている人いるんだな、と思いながらも、すれた冒険者となっている私はヘラヘラと笑う。
こいつ誰なんだ?とプロフを見てやる。識別ID10000。古いな。こいつもキリ番か。どこかで見覚えがある気がする番号だけど……。
「俺を覚えていないのか?」
「……」
やべ、やっぱ知り合い?誰?勇者なんて居たっけ?
「どなたです?」
「……」
首を傾げる私に、勇者はため息をつくようにして言葉を続けた。
「何度も、場所はどこかと聞いただろう」
「ああ。煽られていたのかと……」
掲示板の返信関係?
あの当時、返信はろくでもないものが多かったのであまり覚えてもいない。
へらり、と笑う私を、勇者が観察するように見つめていた。
「それで、場所はどこなんだ?」
「あ、その文面!」
「思い出したか?」
「……あ、はぁ」
「……」
やべぇぇぇぇぇ。ミュートしてたやつだ!
めちゃくちゃメールが来たんだよぉ。判で押したような定型文。会話を試みても続かない。そしてまた定型文がくる。毎日来る。ブロックするのも怖くて読まないで放置してたんだよね。忘れてた。
「……ど、どこかの塔の上ですよ。石作りの部屋の中で、窓も扉も開かず、眼下には魔族がいるのが見えます。それだけです。場所は分かりません」
何度繰り返したのか分からない台詞を、慣れたように言った。信じてくれた人は誰もいなかった。たぶんこれからも。
答えながらも……どうやってこの場から逃げようか思案する。
こいつ大丈夫なのか?なんか粘着系のやつじゃないのか?あれ?私をどうするつもりなんだ?
いや、対話をあきらめてはいけない。
もしかして本当に探してくれてたのかも。でもそれでキャッチボールの成り立たない定型文をずっと送ることってある?
頭がぐるぐるする。
「勇者くぅぅん」
「さっがしたニャー!」
ぽすんと音がして、男女の獣人族のアバターが現れた。
彼らはじゃれつくように勇者に抱き着いている。勇者は嫌そうな顔をしながらも彼らの好きにさせている。
「ん。なんか面白そうな話してにゃ〜い」
「ほんとー」
「姫だにゃあー」
「王子でーすよろしくっす」
勇者の後ろにいるのは「王子」というハンドルネームのチャラそうな茶髪男と、「姫」というハンドルネームの元気そうな茶髪女の、猫耳アバターだ。
王子と姫は、勇者の隣に座り込むと、私と勇者の顔を見比べた。
「ん~いいねいいね。この古臭いネーミングの名前の大集合!」
「今時こんなベタベタな名前の人集まらないのにゃあ~」
確かに、王子も姫も、黎明期に多かった。流行り過ぎたハンドルネームだ。
「面白いからさぁ。良かったら僕たちでパーティ組もうよ~」
それは胡散臭そうな王子の台詞。ウィンクをしながら言った。
勇者は嫌そうな視線を王子に向けて、姫は名案だと言うように手を叩いて喜んだ。
「それは絶対面白いですにゃあ☆」
私はというと――。
実は、ゲームに行き詰っていた。
細かなクエストはともかく、メインストーリーを進めるミッションはさすがに一人でクリアするのは難しい。一人で攻略するのは無理だ。そんなときに、なんて棚ぼた。一人怖いやついるけど。二人きりじゃないならなんとかなるだろ?
うん。まぁ、あとで考えるとして。丁度いいから便利に使ってやろうじゃないか。
私は、にへら、と笑顔を浮かべると言った。
「お願いします」
そのとき目覚めてからもう、3年が過ぎていた。
この後数年に及ぶ、このゲーム世界で有名な廃人パーティーが結成されることになったのだと、その時の私には知る由もなかった――
ちょっと過去に戻った某掲示板
『識別ID60000
なんの道具もなく窓からも出られず、簡単に死ぬことも出来ません』
『どうやって暮らしてんだ?』
『設定詰めてこい定期』
『それで、場所はどこなんだ?』←【*これ】
『どうして信じられると思うんだ』
『まじどこにいるんだろうな聖女』