勇者と魔王と聖女
「一体なにがあったっていうのさ」
差し出されていた勇者の手を両手で強く握り、私は言った。
「話してみろよ。私はお前の言うことを信じる」
真っすぐに彼の眼を見てそう言うと、彼は静かに私の隣に腰を下ろし、私に握られたままの自分の手に視線を落とした。
「……信じられないようなことだ」
「な、なんなんだよ」
こいつ、フィンフィラの輝きが魔族を退けるのか、確認しに行かなきゃいけないって話をした後に居なくなったのだけど……。
「フィンフィラか?聖女の歌で輝いた花。魔族を退けるって……」
「……」
「あれにやられたのか?」
勇者は、いや、と言った。
「フィンフィラは……触ってみたが」
「うん」
「……気持ちが良かった」
「は?」
「お前に触れたり、魔法で助けられたりするときに感じるのと同じ……体が温かくなるような心地よさを感じただけだった」
「……はっ」
私はとっさに勇者から手を放し、体育座りの体を縮こませた。やば。こいつ変態だった。真正の。
「……」
「……」
私の非難するような視線を受けて、勇者が少し困ったような顔をする。
「フィンフィラではない。魔族の出没情報の多い地域に行ってきた。フィンフィラの存在は、確かに魔族を忌避させるようだということが確認出来た」
「へ、へぇ……」
勇者が悲し気に視線を落とすと長いまつげに影が出来る。
「俺は初めて魔族をこの目で見たのだ。今までは戦に駆り出されることはあっても、魔族との戦いはなかった」
「……魔族」
「聖女、俺は……」
俺はきっと、と勇者は続ける。
「人間じゃない。魔族の子だというのは本当のことなのかもしれない」
「なにがあった?」
勇者は語った。
魔の森の近いその場所で、複数体の魔族に接触し、その時に異変があったのだ、と。
「魔族の目を見たときに……俺の中の一部が、彼らと繋がる感覚があった」
「……繋がる?」
「そうだ。その一体と意思疎通が叶うとか、そういう感覚じゃない」
「どんなふうに?」
「魔族たちの……多数の意識に直接触れる感覚……言葉に上手く出来ない」
「……」
勇者の手が震えていて、思わず私はまた彼の手を掴んでしまう。
……今は仕方ない。だって彼は、私と触れ合うことで、心を落ち着けられる人だ。それを何度も見て来た。
「勇者信じるよ。それでどうしたんだ?」
「……彼らがフィンフィラを見て、逃げなくては、と思ったことも感じられた」
「……そうか」
「そうして、最後に俺を見つめて来たんだ」
「……」
「我らはどうすればいいのだ?と問う意識を感じた」
魔族からの意思を感じた?
「我らが王よ、どうしたらいい?と――」
……王、そんな明確な言葉を、勇者は聞いていたのか。
「――あれはなんだ!?俺は何も知らない!!」
勇者は私の手を引き剥がし、興奮するように叫んだ。
「俺は狂っているのか?それとも魔族の子なのか?魔王なのか?俺は……一体なんなのだ!?」
かきむしるように頭を押さえて叫ぶ勇者に私は膝立ちになって抱き着いた。
大丈夫だから、そう伝えても、彼の耳に届かない。
「思考が繋がったんだ。魔族らの意識に。今も……まるで脳の中に手が伸ばされているように、どこかで探られているような気がする。俺は……俺は!」
勇者、そう呼びかけながら、彼の頭を抱えた。
「私は……お前のことを知っているよ」
「俺は……っ」
「お前は、人の輪に入れない、人類最強の勇者……の設定だろ。忘れたの?」
「……」
長い時間を掛けて、私たちは自分たちの設定を話し合った。
私は本当のことしか言っていないけれど……。
目の前で取り乱すこの勇者も、本当のことしか言ってないんじゃないかって……私はそれを少しだけ信じようとしてる。
「ゴールデンウルフの別名を忘れたのか」
「……忘れた」
「孤高の金鉱石」
「……なぜ覚えている」
「お前のことは全部覚えてる」
「……」
「お前が、不器用な、ただの人だって、私が誰よりも知ってる」
目線を上げた勇者が恐る恐るというように私を見つめた。こんな怖がりな魔王がどこにいるというのだ。
「いつも誠実でいようとしてくれている。聖女を、ずっと探してくれている。ゲームを毎日助けてくれている」
お前はさ、と私は言う。
「勇者だよ。ネトゲにハマる魔王なんているかよ」
いたらいたでちょっと面白い気もするけど。
「一人で勝手に結論を出すなよ。一緒に考えよう」
そうだ、こいつを一人にしてはいけない。
何を思い込んでつっぱしるか分からないやつだ。人との会話が少なすぎて、そして誰かを頼ることも知らない。一人で考えたってろくな結論出るわけないじゃないか。みんなで一緒に考えればいいんだよ。
だけど……一人にしないためには……私は。
勇者の隣に立たなくてはいけないんだろう。
「ねぇ勇者」
「ああ」
「お前私の魔法が気持ちいいって言ったじゃないか」
「……ああ」
「フィンフィラに触れるじゃないか」
「ああ」
「そんな魔王いないだろ」
「……」
こんな言葉ではきっと届かない。勇者はいろんなことを考えてるはずだ。
ハーフとして魔王が生まれたのなら、半分は人間だ。そんなことも可能なのかもしれない。
――覚悟を決めないと。
私は勇者の助けになれない。
「勇者約束してほしい」
「なんだ」
「会ってから、一緒に考えよう」
「……」
「魔王と聖女は対なんだろう?」
勇者が不安そうに私を仰ぎ見てる。
「聖女は、魔王を倒せる」
「……ああ」
「何があっても、お前には私がいる。何も怖がらず、心配しなくてもいい。たとえ何が起ころうとも、お前は魔王にはならない。私がいるからだ」
だから、と私は続ける。
「勇者は私を助け出すんだ。必ず。それまでに、結論を出しちゃ駄目だ」
それは命を懸けた戦いが始まるかもしれないということ。
それでも私はもう二度と、助けに来ないで欲しいなんて言わないと、決めた。
「私は……勇者、お前のために、きっと生まれて来たんだ」
言葉にしたら、なんだか本当にそんな気がしてきた。
前世を思い出したことも、これまで孤独に過ごしてきた日々も、ネトゲで癒された時間も、全部がこいつに会うためだったんだって気がする。
聖女として生まれて来て何か出来るのだとしたら、たった一つ、今苦しんでる目の前のこの人を……助けることだけなんだって。
本当にそうならどんなに嬉しいことだろう。
「魔王になったら殺してくれるか」
「……一緒に考えようと言ったのに」
「約束してくれ」
「……うん」
「迎えに行く」
「うん、待ってる……」
勇者は自分に抱き着いている私を片腕だけで抱き返した。
「お前に会いたい……」