熱
12日ぶりに、王子と姫と勇者はログインしてきた。
同じ時間に示し合わせたようにパーティハウスに現れ、私を見つけると姫は飛びついた。
「たっだいまにゃあ~~~」
ごろごろと私に体を摺り寄せて「元気だった?」「寂しくなかった?」「私は寂しかったにゃぁぁ」と騒がしい。しばらくすると勇者が姫を引きはがして私の隣に座った。
「戻った」
いつもの無表情で。知ってます、と私は思う。
「……おかえり」
「遅くなってごめんね。もうさぁ、こいつの機嫌がどんどん悪くなっていくから胃が痛くて大変だったんだよ……」
王子が言う。
「大変だったんです?」
「仕事はなんでもなかったんだけど……ほら、ゲームに戻りたくて」
ああ……と思う。毎日ログインしていると、ログインしていない時でもゲームのことを考えてしまうし、長い間ログイン出来てないと禁断症状のように手が震えてくる……。
「お前も廃プレイしてるもんな」
「……」
うんうん、と同意を示すが、勇者からは嫌そうな視線を浴びせられた。
「で、さっそくだけど、なんかやりたいことある?」
「アプデあったんだにゃ!?新エリア行くにゃ!?」
「もう行ったのか?」
そう、彼らが不在の間にゲームの大型アップデートがあったのだ。
本来なら初日に探索しまくってひたすら新しいことを検証するのだけど、今回はなぜだかそんな気になれなかった。
「……ううん。一緒に行こうと思って」
私がそういうと、姫は感極まったような表情をして、私に飛びついてきた。
「嬉しいにゃぁぁぁ」
「僕も嬉しいよ、一緒に行こうね聖女ちゃん」
「……」
勇者は姫を引きはがして、準備しろ、と言った。
その日は新エリアを歩き回り、とても楽しかった。みんなで知らない土地を訪れて、本当に旅をしているみたいに、思い思いの感想を伝え合うのだ。
慣れたらなんでもないものになってしまうけれど……新しいエリアでは、ただの噴水でも、ベンチでも、座ってみたり触ってみたりしてしまう。アプデからもう日にちが経ってるから、最初にたどり着く街に人は少なくて、のんびりと旅を楽しめた。
初めての商店で可愛い装飾品屋を見つけた。
「ね、聖女ちゃんお土産の代わりにもらってくれる?にゃ?」
「え?」
「ずっと気にしてたから、何か買って帰りたかったけど、渡すことも出来ないし……だからその代わりに、これもらってくれる?」
そういうと姫は、青と白の小さな花を模した細工の付いた髪飾りを見せて、私の頭に着けた。
「あ、いいな。僕も!」
王子はそういうと、同じ花を模したネックレスを購入し、ハイって手渡してくれた。
「え、いいの……?」
「もちろん。僕も君に花を持って帰りたかったくらいなんだ」
「付けてくれると嬉しいニャ」
彼らの気持ちがとても嬉しい。
そっとネックレスに触れ、首に着けた。
「ありがとう……」
「かっわい~~」
「似合ってるにゃ!」
勇者はそんな様子をいつもの無表情で見ていたけれど、急にはっとするようにして屋台に飛んで行った。
「え……」
まさかなんか買おうと思いついたのか?慌てて追いかける。
「無理すんなって」
そういって後ろに付いた時には、彼はもう何か買っていた。
「……もらってくれ」
そういって彼が私に渡して来たのは、同じ細工の付いた指輪。
……なんの他意もないと思う。同じ細工はこの三種類しかないのだ。消去法で指輪なのだ。
「いいの?」
「ああ」
これは彼らのお土産。お土産。お土産。そう思いながら無心で受け取る。深く考えるとあまりに照れ臭くなる。
頭を空にして右手の薬指にはめる。
「どうかな?」
そういって姫たちを振り返ると「かわいいにゃ~~!」と言ってもらえる。
「へへ、ありがとう……」
なんだか気が抜けてしまい……私はその場にへとへとと座り込んでしまった。
「え、聖女ちゃん!?」
「なんだ?」
「どうしたの??」
なんでもない……そういうけれど、言葉が上手く出てこない。
「少し休んだら治るから……」
私のその言葉に、勇者が叫ぶ。
「お前、おかしいと思ったら具合が悪いのか!?」
「様子が少し変だと思ったにゃ」
「おとなしいなとは思ってたけど……言ってくれたら無理させなかったのに」
本当に楽しい一日だったのに、私のせいで台無しにしてしまう。それはとても悲しい。私はまだまだ彼らと一緒にいたい。
勇者は私の腕を掴むと言った。
「今日は解散だ、連れて帰る」
「りょーかい」
「お願いするにゃ」
「お大事にね」
「良く休んでだにゃ」
笑顔で手を振る王子と姫に見送られ「ちょ……待っ」って言う私の言葉を聞くこともせず、勇者は帰還魔法を唱え始める。唱え終わったらお家まで一直線だ。
というか、もう、家に着いた。
家の玄関を開け中にはいると、私の部屋の扉を開け、ベッドの上に私を押し倒した。
おいおい……と少し焦る。馬鹿真面目な勇者じゃなかったら襲われるんじゃないかと思うぞ。
「熱はあるのか?」
私のおでこに彼のおでこをあてる。なんだこれ。
こいつ馬鹿真面目だから、親が子にするようなことをしてるだけなのか?あれ?親いないんじゃなかったっけ?思考がぐるぐるして訳が分からない。
サラサラとした綺麗な金髪が私めがけて落ちてくる。驚くほど綺麗な顔立ちがほんのすぐ目の前にあって。
「や、やめ……」
批難がましい視線を向けると、冷たい目で勇者が見下していた。
「寝ろ」
そうして言う。
「アバターで熱なんて分からん……教えてくれ」
「……ちょっと体調悪かったけど、もう平気」
しぶしぶそういうと、やっと勇者が私の上から体をどかしてくれる。
ふぅ、生きた心地がしなかったよ。
私はベッドの上に半身を起こして、服の皺を伸ばす。
「狩りに行こうよ」
「……」
「お金稼ぎ止まってたんだよ。一人じゃつまんなくて」
いつもみたいに、なんでもないおしゃべりをしながら夜を過ごしたいだけなのだ。
「……どう具合が悪いんだ」
勇者が私の言ったことを聞いてない。
そっと隣に座る勇者を見上げると、射るような視線を浴びせられた。なんかこいつ怒ってる?
最強剣士の殺意にも似た本気を感じて、私はgkbr。
「熱があるようです……?」
「高熱か?」
「たぶん?」
「……」
あ、しまった、さっき軽く嘘吐いたことばれた。
勇者は布団をまくり上げると私をその中に放り込み、身体を隠すように布団をかぶせて、大きな両手で私の身動きを止めた。ひぇ、さっきの状態再びだっ。
「寝てろ」
「……」
だっからさぁ、勇者じゃなかったら襲われてると思うのだってばさっ。
諦めたように身動きを止めた私を確認すると、勇者は体を離し、じっと私を見下ろした。
「病気になったときに、聖女はどうしているんだ?」
設定の話か?
「うーん。寝てるだけですよ。薬も看病も医者もありません。たぶん死んでもいいと思われているのでしょう」
「……もうログアウトして寝ろ」
はぁ、と勇者がため息を吐く。
「やだ。ねぇ勇者いつもの狩りに行こうよ」
「金が必要なら俺が一人で行っておいてやる」
「違うよ」
「なにがだ」
「一人は嫌だよ」
「……」
この12日間。私がどんな気持ちでいたかなんて、きっと言葉にしても伝わらない。もしかしたらもう彼らは帰って来なくて、二度と会えないんじゃないかって。
そうこうしているうちに風邪をひいて熱が出た。体が辛くて、私の方がもうこの熱で死んじゃうんじゃないかってそんなことも思う。想像した。彼らがやっと帰って来た時に、今度は私が二度とログインしないんだ。でも、私が死んじゃったことすら、誰にも分からない。私がたとえ一人骨になっても、この場所は誰にも知られない。そんな悲しい想像。
「勇者は知らないんだよ」
「……何をだ」
彼の瞳は冷たく私を見下ろしているのに、口調はとても優しい。
「ここに生まれてから人に会ったことがないんだよ」
それはいつも私が言っている設定の話。
「無音の部屋の中で熱に浮かされて、今死ぬのか、死んでも誰にも気付かれないのかって思うんだよ。もともと、生きてるのか死んでるのか分からない状態なのに、誰にも悲しまれないのに、それでも死ぬのが怖いって思うんだよ……」
自分でも何を言ってるのか分からない。こんなことを聞かされても勇者も困るだろう。
「ご、ごめ……」
勇者が私に腕を伸ばしてこようとしたから、その手をぎゅっと握って言った。
「今日だけでいいから、一緒に狩りに行こうよ……」
「……」
ああ、まるで縋りついて懇願しているようだと、掴んだ手を放しながら思う。自嘲するような笑みが自然と浮かんでくる。滑稽だな、私は。
「……変な顔で笑うな」
「へ、変!?」
「狩りにはいかないが、寝るまでいる」
「……なんで?」
勇者はいつもの無表情で私を見つめている。
「一人が寂しいと泣く女を置いていけない」
「泣く……?」
気が付くと、本物の体と連動するようにアバターの目から涙が零れ落ちていた。ああ、私はまだ泣けたんだ。絶望を繰り返し、涙など枯れたかと思っていたのに。
だから勇者の視線がすこし戸惑うように揺れていたのか。
そうだよな、泣いてる女の対応出来るようなやつじゃないよな。こいつは。勇者を困らせている女を想像したら、なんだか少し元気が出てきた。
「そうか勇者は女の涙に弱いのか。君がくそ真面目で良かった。これからも涙を有効活用させてもらおう」
「……」
にしし、と笑いながらそう言うと、軽蔑するような眼差しが上から降って来た。
気にしない。それに知っている。この頭の固い男は、これしきの戯言では私を放り出したりしないって。
案の定、ベッドの端に座り込む勇者は、大人しくベッドに沈み込んだ私の頭を撫ではじめた。目を瞑り撫でられる感触だけを感じる。
「これは気持ちいいな」
「そうか」
「されたことがないな」
「……そうか」
涙にたぶらかされた哀れな男は、どうやら病気の女に優しくしたい気持ちになっているらしい。今なら何を言っても聞いてもらえるのかもしれない。
「……勇者は王宮にいるのか?」
「ああ」
「姫は綺麗か?」
「そう言われているな」
「王子はもてるか?」
「きっとお前が思ってるのとは違う性格をしている」
「……?勇者はどんなやつだ?」
「人の輪に溶け込めないようなやつだ」
「お前はいいやつだろう?恋人はいるのか?」
「居ないな」
「そうか、つまらん……」
「なにがだ」
「勇者と言えば、女などとっかえひっかえだろうに。なんのもめごともないのか」
「俺のようなつまらない男と一緒にいて楽しそうにするのはお前だけだな」
「……楽しそう?」
「ああ」
楽しそうになんてしてたか?いや、かなりからかって反応を楽しんでいたかも?
「じゃあもっとからかってやるよ」
「……そんな話をしてないが」
「勇者は、いつかお前の良さの分かる恋人が出来るから心配するな」
「……いらぬ心配だ」
私は空想の中の『勇者』に想いを馳せる。
彼の言う『勇者』は現実に本当に存在して、王宮で来るべき魔王戦に向けて訓練を受けているのだ。
あの姫みたいな、あの王子みたいな人たちとたまには交流があって。人付き合いの苦手な勇者には、周りの人間関係で辛いことも大変なこともたくさんあるけど、でも少しずつ、こいつの懐の大きな、純朴な優しさが、知り合った人たちにも伝わっていくんだ。
「お前は良い奴だ。今思えば、最初から私の話を否定せずに耳を傾けてくれたのは、勇者だけだったんだよ。今でも私の設定ごっこに付き合ってくれている。安易に人を肯定も否定もしない……お前の生真面目な性格が、私はすごく好きだ」
「……」
だからさ、と私は続ける。
「すぐに、いい女がお前の前に現れるよ……」
黙ってしまった勇者が気になり薄目を開けると、気難し気な表情をした勇者が私を見下ろしていた。
その眉間の皺さえなければ、誰よりも綺麗な顔をしているのに、と軽く笑ってしまう。
そうして、撫でられる頭の暖かさにとても安心して、そのまま眠りに着いてしまい――私の熱は、その後すぐに下がった。




