九
久しぶりに顔を見たケラトゥスはすこしばかりやつれているようだった。頬の張りが失われている。
「連れてきた。麻痺させてある」
狭い庵の粗末な机に降ろした。乗せられそうな台はそこしかなかった。どうせ魂を抜くのだが、だからと言って物のように床に置く気にはなれなかった。
「よくやった。マルゴ」
「だれがやるんだ?」
「イクゥス‐ブレード様が一連の儀式を執り行う。手を汚すのは自分だと言ってる」
「じゃあもう」
マルゴットは言いながらせせらぎの上流の方を指した。
「準備してる。夕方には終わるだろう。この子は生活区画に入れておこう」
答えたケラトゥスの目を見ながら、マルゴットは指した手を空中でふらふらさせている。その手をケラトゥスが取った。
「いつまでも辛抱させて済まない。だが忍従の日々はもうすぐ終わる」
手を放す。
「さあ、この子を運ぼう。わたしが背負う。秘密基地は初めてだったな?」
せせらぎに沿って登っていく。秘密基地の入り口は教えてもらわなければ気付かずに通り過ぎてしまうような小穴だった。ケラトゥスはいったんトリーンを下ろし、しゃがんで先に入ってマルゴットから受け取った。
聞いてはいたが、洞窟はひどい状態だった。状態というものがあればだが。自然の穴にほとんど手を入れていない。松明があっても足元がおぼつかなかった。
突き当りの部屋に入るとほっとした。ここの床は踏みしめられる程度に平らだった。木箱を寄せて即席の台を作り、トリーンを降ろした。
「イクゥス‐ブレード様は? 呪術文様はここじゃないのか」
「別の部屋だ。隠してある。行こうか。この子はここに置いておけばいい。麻痺は解けないな?」
マルゴットはうなずいた。ケラトゥスは先に出た。その背中に触れたい。もっと顔を見合わせて話をしたい。だがこらえた。いまは辛抱の時だ。
「ケラトゥス、ご苦労だった。ああ、あなたがマルゴット・シュトローフェルド様ですね。オウルーク・イクゥス‐ブレードです。お見知りおきを」
呪術文様を背に、手や服は薬品や泥で汚れているのに、このしわだらけの老元貴族には場を押さえる重みがあった。
「マルゴットとおよび下さい。若輩者ゆえ家名は重うございます」
「謙遜ですな。今回のトリーン奪取、お見事でしたぞ」
ケラトゥスの方を見ながら言った。今回のと付け加えた意味はおぼろげに分かる。自分はこの人の失敗を取り返したのだ。
「準備はいかがですか。すぐにでも連れてきましょうか」
割り込んだ声にとげとげしさが含まれているように感じたが、気のせいだろうか。
「まずい。予想以上に損傷している。ひびが拡がったらしい。入ってくる雨水が増えた」
書き付けを渡した。
「この薬品が必要だ。洗い流されてしまったか、薄まりすぎた。儀式は執り行えるが、失敗の可能性が大きくなる」
「ちょっとお時間を頂きますよ」
「だめだ。トリーン追跡はもう始まってるだろう。奴らだってばかじゃない。これまでの経緯からしてわたしの庵は疑わしい場所の第一候補になってるはずだ。三日以内だ。時間は金で買え」
「は。すぐに」
呪術文様の部屋を出ていく前にマルゴットの顔を見る。
「マルゴ、トリーンの世話を頼む。三日くらいなら麻痺させたままでいいが、水は与えてくれ」
「ではマルゴットさん。わたしは作業を続けます。先ほどケラトゥスが言ったとおり、世話はお願いします」
背を向けて呪術文様の上に這いつくばった。もう出て行けと言うことだった。マルゴットはその通りにした。




