二十話
入念な確認を終えた2人は再び例の部屋に踏み入る。入口の前に立つだけで既に並みの人間であれば腰を抜かしてしまいそうな程に透き通った殺意は冬山の吹雪も比べものにならない程に肌を刺し、心臓の奥までも貫いてしまいそうだった。
アーロンはふとエンリータの方へチラリと視線を送ってみれば僅かに震えているようにも見えたがその口角は僅かに上に、引き攣ったようにも、余裕のある様にも弧を描いている。
「行くぞ」
短く、言葉を紡いで少しだけ前へ出る。その途中で軽く頭に手を乗せ、叩く。そうすれば彼女は少しだけ驚いたような、怪訝な表情を浮かべたが幾分肩の力も抜けたのが見て取れた。
アーロンはそれを満足げに見ると再び前を向いて、殺意の主が見える場所へと踊りだす。
踏み入った部屋の奥、入り口の対角線にソレはいた。身の丈はそこまで大きくない、精々農家の納屋程度だろうか商人が牽く馬車よりかは一回り程度大きいだろう。全身は柔らかそうな灰色の長毛に覆われており、内部がどうなっているかは分からない。毛の中から跳び出した4脚は羊や山羊に似ており、体からすればいくらか細いように思える蹄の足だ。そして、足と同様に毛からはみ出ている顔は人と山羊を混ぜて割ったような風貌だ。鼻の先端は獣寄りだが造りは人間寄りだろう。口もどちらかと言えば人寄りだが小口だ。毛に埋もれて見えにくいが耳はほぼ羊の様な形をしており、葉っぱの様な形の耳が下を向いている。こめかみの辺りからは螺子くれた太い角が左右対称に生えており、一度後ろに弧を描いた後に先端が前に突き出している。だが何よりも印象強く見えるのはソレの目だろう。通常の生物の様な目とははっきりと違い、瞳孔や虹彩と言ったものが一切見当たらず、真っ黒なのだ。両方合わせれば顔の三割は占めそうなほどに大きいのにそこだけ深い奈落が佇むように深淵を湛えているのだ。更にそこからは何か粘度のある液体が零れ落ちており、血涙のようにも、地獄の窯が開いたかのようにも思える。表情には何も感じられない、しかし明確な怒りがそして顔を合わせるとその奥には不思議と悲しみのような物も感じられた。
(気持ちが悪い)
アーロンは敵の全貌を見て得体の知れない気持ち悪さを全身で感じ取る。恐怖とはまた少しばかり違う異質な雰囲気だ。それこそこれが此処にいるのを受け入れられない、そう言った部類の感情が湧き上がってくる。
(まぁいい。やる事は変わらん)
気持ちは悪いが倒せないとは思わなかった。ならばあとは踏み出すだけだ、そう証明する様にアーロンは抜いたグレートソード構えて一旦、エンリータを守りきれるように立ち位置を調節する。背後にいるエンリータは顔を見ることは出来ないが最悪、さっき解した雰囲気がまた固まってしまっているかもしれない、そう思えば初撃位はアーロンが完全に受けて、ヘイトと距離を稼ぐ必要があるだろう。
暫しの沈黙、奇妙な睨みあいは敵が先に動いた。その長毛に埋もれた体と四肢を震わせながら顔を少しだけ上に向けて体格に一切見合わない小口を天井に向かって開く。一瞬、ブレスの様なものかと判断したアーロンはいつでも直線上から離れられるように腰を落とし、左手をエンリータの方へと伸ばして回避の準備をする。しかし、敵が発したのはこの世のものとは思えないほどに汚い声の呪詛じみた悲鳴だった。まるで忌み子が生まれたくなど無かったと泣きわめく様にも聴こえるそれは思わず耳と目を塞いでしまいそうだ。
(ぐっ、何だ、この声は!?)
眉間に皺が寄り、汚いものを見た様な顔を浮かべる、と同時に無性にムカムカとして来る。兎に角、理由は分からないが精神が、いや、魂そのものを穢された様な気さえする絶叫は終わって尚、耳の奥底にこびり付く。
(ちっ、繰り返されるのは良くないか)
アーロンがそう思った瞬間、背後から焦ったような気配とそれにつられたようにして矢が放たれる音が続く。射線はアーロンの身体ギリギリ、普段ならありえない程に危険な矢はリスクに見合わない精度と威力で敵に向かう。
(不味い、揺らされたか)
さっきの絶叫、アーロンでさえも僅かながらに精神を揺さぶられたそれは成長したとはいえ未完の大器たるエンリータではかなり効いたらしい。特にそう言うものへの感受性が高い部類のミクロス族では特に効果があるだろう。今のエンリータは恐怖に心が逸ってしまっているようだ。
放たれた矢に精彩は無く、ほとんどが的外れの方へ飛び、命中した物も効果なく、毛に弾かれ、小枝のように払われてしまう。
当然、自身で発したもの、敵は絶叫が終わると同時にこちらに狙いを定め、走り出す。その巨躯と細い足に見合わない初速と加速は驚く速度で迫りくる。
「カァァァァ!!」
後ろで更に恐慌に駆られる気配がする。このままでは追い込まれかねない、そう判断したアーロンは自身にも残る不快な音と気配を振り払うように大声を出す。それと同時に伸ばしていた左手でエンリータの身体を引き、抱え込むと同時に敵の進行方向から外れた場所へと跳び去る。その直後、入れ替わるように敵が元々居た場所を通り過ぎ、遅れて風が吹き付ける。これが最高速度とまでは思わないがそれでも馬とは比べものにならない程に速い。アーロンでも構えることなく直撃を受ければ加護による回復でも立ち直るのには時間が掛かるだろう。下手を撃てば即死も十分に考えうる。流石に即死からの復帰は加護があっても難しい。
(兎に角、まずはエンリータを瘴気に戻す)「しっかりしろ!」
敵がこちらに振り返るよりも速く、アーロンは瞳孔が矢や開いているエンリータの額に向かって力を少し込めた指で弾く。
「アタッ!?はっ、ワタシは一体・・・」
そこまで深く正気を失ってなかったお蔭か、運よく一発でエンリータは戻ってくる。だが、長く喋る余裕はない。既に敵はこちらへと体を向けている。
「いいか、心を強く持て!いつも通りのお前を維持しろ!」
そう言うとアーロンは彼女の心の強さを信じて遠い所に向けて投げ飛ばす。流石のアーロンも人1人抱えてこのレベルの敵と戦いたくはない。それゆえ、信じる以外に手立てはない。
グレートソードを構え、再び敵を見据える。敵は予定通りにアーロンに注目してくれているようで今の所、投げ飛ばされたエンリータの方には目を向けていない。
(突進と咆哮、それ以外の攻撃方法が知りたいところだが)
加護によるゴリ押しという選択も無いわけでは無いが先の絶叫のように思いがけない効果で足元をすくわれる可能性がある以上、慎重に事を進めたい。何より変な怪我をしては帰るのにも手間取ってしまう。であればまずは牽制から入るべきかと相も変わらず不気味な瞳で見つめて来る敵を睨み返す。
僅かな小康、しかしそれは直ぐに崩れ、今度はアーロンから仕掛ける。ひとまず全身に魔力を回し、加護による強化を施す。その上で刃に魔力を回して斬撃を飛ばす。4つの黒い三日月は時間差こそあれでも真っ直ぐに、敵対者へと襲い掛かる。それに対する敵の行動は斬撃に対して正面からの突進とシンプルだ。一見、愚かな選択、しかしその選択は最善だった。斬撃達は走りながら振りまわされる角に容易く砕かれ、無に帰してしまう。加えて角には傷1つありはしない。
(流石にこの程度では怯みもしないか)
アーロンに動揺はない。そのまま突進を避けるように動き出す。そうしてこのまま先と同じようにすれ違うかと思えば今度は急ブレーキを敵が掛けて前足を振り上げる。それと同時に角が紫色の光を湛える。何かしらの魔力による攻撃、そう判断したアーロンは自身を守る為に加護による繭で体を覆う。
魔力の繭が全身を覆うと同時に角に蓄えられた魔力はそこを始点に周囲へと無差別に電撃の様な軌跡を描きながらばら撒かれる。幸い、範囲はそこまででもないのか部屋全てを覆うことはなかったが威力は折り紙付きと言えた。轟音と共に放たれる魔力の雷撃は魔力の繭を纏ったアーロンの本体まで確かに貫通して肌を焼く。痺れるような痛みはない、只高威力の衝撃が全身を走り、久方ぶりの痛みに歯噛みする。しかし、その程度で足を止めるわけにもいかない、アーロンは痛みを振り払うようにグレートソードを一度振り、断ち切ると同時にこちらに走りこもうとしている敵に対して先んじて駆け出し、その深淵を湛えた瞳に向けて上段からグレートソードを振り落とす。
今度は敵がアーロンの一撃にたたらを踏む。奇襲じみた一撃であったにもかかわらず反応した敵は間に角をしっかりと挟む。しかし、アーロンが込めた膂力までは想定外だったのだろう、衝突後すぐに後ろへとその巨体を押し込まれる。そして角には僅かながら一本の線が映る。龍鱗すら切るアーロンの一撃でも切れない角を褒めるべきか、下手すれば龍燐よりも硬い可能性がある角に傷をつけた一撃を褒めるべきか評価は別れるが今回の衝突は最後に後方へたたらを踏ませたアーロン優勢で次へと進む。
シュ、スパンスパン、スパン。たたらを踏んだ敵の顔に向けて聞きなれた矢の風切り音たちが聴こえる。角度が悪いか顔もある程度硬さがあるのか薄い傷を作るだけに留まったが明確にいつもの調子を戻した矢が最高のタイミングで飛来する。明確なダメージでなくとも、ほんの僅かな時間でも怯む時間が延びればこの近距離での戦闘では値千金、アーロンは振り下ろしたグレートソードを引き戻して横に一閃、丁度鼻の辺りに向けて切り裂く。
今度は角を間に合わせない。グレートソードは深々と敵の顔を切りつけた。
「■■■■■!!」
不快な絶叫、痛みに悶える、というよりはより強い怒りと殺意が飛んで来る。そして敵の切られた部分からは血でも黒煙でも瘴気でもなく植物の蔦に似た触手の様なものが噴き出す。触手は絶叫に合わせるように踊り、非常に気味が悪い。
(なんだ・・・まさか触手で体が出来ているのか?)
異常な構造、生物では絶対にありえない造りは普段から魔物を相手にしているアーロン達冒険者でも気味が悪いと思う。何より魔物は見た目が常識を超えても中身は只の魔力、このような形にはならない。
(これだと物理だけだと効果が薄いか)「エンリータ、魔術に切り替えろ!」
流石に触手の塊に矢を撃ちこむのは気が遠くなるだろう、であれば魔術で面攻撃する方が幾分マシだ。
アーロンが思考を回し、エンリータに伝えている間に跳び出した触手は徐々に体内に戻っていき、切られた部分が修復される。切った際に飛び散った触手は床の上で既に干からびた様に萎びている。周囲に影響は無さそうだがどんな効果があるか分からないだけにあまり近づきたくはない。
(仕切り直し、まずは敵の弱点、攻撃が明確に通る場所を探すか)
この身体の造りであれば闇雲に攻撃を振っても効果は薄いだろう。何より、触手自体の効果も未だ知りえない以上、踏み込むには情報がまだ足りない。アーロンは先程より強まった殺意を前に目を細めた。
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