八話
踏み出した先でエンリータが目にしたのは思っていたよりも広い空間だった。最初に聞いた通り1層よりも障害物になりそうな家具などは少なく、まるで闘技場か、それとも見たことは無いが舞踏会場の様だと感じる。そして部屋には5匹のメンディクスが散らばる様に動き回っており、自分たちのテリトリーに踏み入って来たエンリータに気付くとすぐさま毛を逆立て威嚇してきた。
(正面手前に2匹、その奥に1匹。左右に1匹ずつかぁ。囲まれたらワタシじゃ押し切られちゃうかな。取りあえず右から!!)
エンリータは壁を背にすることで背後を取られないように戦うことを決め、力強く地面を踏みつけながら右のメンディクスに向かって駆け出す。一歩進むごとに足元から風が吹き抜けるような感覚と共に周囲の風景がいつもより速く流れる。まるで自分が風そのものになったかのような気分で飛ぶようにして一気に敵との距離を詰める。
狙ったメンディクスはその速度に面食らったのか、咄嗟に回避しようと横に跳ぼうとする。しかしそれよりも早くエンリータがダガーの射程圏内に詰め寄り一閃。刃は逃げようとしたメンディクスの横腹を深々と切り裂き、致命傷を与える。切られたメンディクスは「ギュウゥゥゥゥ!!」と悲痛な叫び声をあげながら血を噴出させ、床を魚のように跳ね飛んだ。
(まずは1匹!)
エンリータは確かな手ごたえに口角を僅かに上げる。回復手段を持たないメンディクスならばこれで間違いなく終わりであり、エンリータは他の4匹に視界を戻す。他のメンディクス達も最初こそ敵が想像以上の速度で移動したため呆気に取られていたようだが仲間の一匹がやられたことにより、殺意をエンリータに向け、既にこちらに向けて駆け始めている。
(右からは2匹、正面の1匹は左に回り込みながら、一番後ろにいたのが正面に回って来てる!相変わらず面倒な動きだなぁ!取りあえず魔術が切れるまでは何とか1対1の状況を作り続けなきゃ)
頭は昨日よりもはっきりと動いており、彼らの動きを正確につかみながら動けている。いまだ焦りもなく、コンディションは最高と言ってもよい状態。全身から戦意を漲らせながらエンリータはすぐさま足を動かし、左に回ってきているメンディクスに向かって駆け出す。今度は敵もエンリータの速度に慌てることなく、近づいてきたエンリータに向かって跳びつきながら噛みつこうと口を大きく開け、前歯を向けて来る。それを見ながらエンリータは足をもう一度強く踏み込み、急ブレーキをかけながら鋭角に横に移動する。すると跳びついたメンディクスは空中では姿勢を変えられずエンリータの前を無防備なまま通り過ぎ去ってしまう。
(ここ!)
エンリータはそこにダガーを流れに沿う様に目の前を通り過ぎていくメンディクスの身体に刃を振り抜いた。
1匹目と同じようにすんなりと肉を引き裂く感覚がダガーを通して手に伝わる。そのまま切り裂かれたメンディクスは宙に浮いたまま血を散らし、力なく床に落ちて行った。
(よし、これで後は3匹!)
そう、エンリータが思った瞬間だった。視界の左から急接近してくるメンディクスが目に映る。
「えっ」という驚きの声と突然現れた敵の姿がエンリータの思考に空白を作る。敵はもうすでに攻撃の体勢に移っており、回避は間に合いそうにない。
初め、エンリータは敵が5匹だと思っていたがそれは大きな間違いだった。もう1匹が周囲にある残骸の影に隠れており、5匹では無く6匹いたのだ。もし、エンリータが目に映ったメンディクスだけでなく部屋全体に気を回せていれば気付けていたかも知れない敵。もしくは油断しなければ想定出来たかもしれない事態。しかし、昨日の勝利もあり、本人も自覚できていなかったその油断が今になってエンリータに襲い掛かって来たのだった。
咄嗟にダガーを前にし、腕をクロスさせて防御の姿勢を何とか取る。その瞬間メンディクスの振り抜かれた爪がダガーとぶつかり、キィンと高い音を立てる。無理やり守ったせいか体勢が安定しておらず身体が後ろに流される。倒れる事こそ無かったもののさっきまでの余裕は既に失われ、焦りがジワリと頭から身体に流れ込む。弾かれた一匹はそのまま空中で体勢を立て直し、すでに後ろに引き直している。おまけとばかりに視界の右側からは3匹のメンディクスがこちらに迫っているのがハッキリと見える。
(しまった・・・完全に油断してた!・・・仕方ない、一か八か、魔術が効いているうちに3匹の後ろに回って仕切り直す!)
そう決意すると身体を少しだけ無理やりに半回転させてもう目の前まで来ている3匹の方を向く。それと同時に3匹のメンディクスが跳び上がり、エンリータを仕留めんと襲い掛かる。それに対してエンリータは屈み、手が思わず地面に触れるくらい前傾姿勢を取って、頭を守るように手で守りながら跳びかかるメンディクス達の下を駆け抜ける、と言うよりも跳びこむように前に出る。一瞬、背中を鋭い爪が引っかかる様な感触こそしたが目論見通り、彼らの後ろに抜け出すことに成功した。
ややつんのめり、床を転がる。一転、二転し、その勢いのまま立ち上がり、振り返る。
(痛ッたいなぁ!でも何とか逃げられた!)
そうして視界に映るメンディクス達は今の連携攻撃で仕留めるつもりだったのだろう。攻撃が外れた後、こちらと同様に仕切り直す為か、その場に一旦固まり、こちらをつり上がった目で睨み付けて来る。だがそのお蔭で僅かながら隙が生まれ、エンリータは体勢を整える時間が出来た。
今、エンリータの目には右側に1匹、正面に再び攻撃を仕掛けようとしている3匹の敵が見える。そこで足元でずっと感じられていた魔力が消える。
(どうする?魔術は切れた、唱える時間は作れるけど何が正解?)
そう頭で考えるエンリータだったがそんなことは知らないとばかりにメンディクス達は動き出す。今度は全員でエンリータを軸にして円を描く様に走り、囲みに来る。
(本当に嫌な動きばっかり!取りあえず速度で負けていたら話にならない!)『風精よ、願うは天駆ける靴!』
再びエンリータの足に魔力が集まりだす。それに反応したのか囲みに来ていたメンディクス達が一斉にエンリータを目掛けて走り出し、それを見たエンリータは唱え終わったと同時にちょうど自分の正面から来る敵に向かって駆け出す。左右のメンディクス達は飛び出したエンリータをさらに囲むように迫っており、正面のメンディクスも今度はエンリータの腹の辺りを目掛けて跳びかかる。
「ハァァァ!!」
それを見たエンリータは気合を込めて声を出しながら左足を強く踏み込むと右足を前に振り抜いた。ゴキッと言う骨が砕ける音がメンディクスの顔から聴こえ、鼻の部分から血が漏れ出す。魔術によって加速された右足から振り抜かれた一撃は小柄なエンリータであったとしても更に小柄なメンディクスにとっては十分に脅威であり、彼女にとっては幸運な事に急所である鼻の先端から当たったことも相まって即死には至らなかったが行動不能と呼ぶには十分なほどの威力を持っていた。
蹴られたメンディクスはそのまま宙を舞い、痙攣しながら床を転がる。それを後目に前に駆け、すぐに振り向く。当然、回って来た3匹は迫ってきており、あまり猶予はない。
(やることは変わらない!なんとかこのまま動き回って1対1に持ち込み続ける!)
再び横に思い切り跳ぶ。いつもの倍以上の跳躍により、着地の際、少し足が床を滑る。メンディクス達も当然それに追従する様にこちらへ曲がって来るが、少しだけ彼らの間に空間が出来る。今度もエンリータから前に出て仕掛ける。敵は直角に曲がった影響か囲むようにでは無く、横並びでやや直線状になってこちらに向かってきている。先頭のメンディクスが大きく跳び上がり、やや離れた2匹目が出来た下のスペースを埋めるように突進の構えを見せている。
エンリータはそれを気にすることなく跳び上がった1匹にこの短期間で手慣れ始めたダガーを構え、その横を走り抜ける。その際、右手を左手で抑えてダガーを相手の横っ腹に魚でもさばく様に押し込む。すると跳びこんできたメンディクスの勢いと押し込まれたダガーで勢いよく腹が裂けていく。それを確認しながら更に敵に向かう様にして走り続ける。下を駆けていたメンディクスが手を伸ばし、エンリータの足を少し切り裂く。
(痛ッ!でもまだ!)
切られた痛みに顔を歪ませるが歯を食いしばり、床を蹴って横に距離を取る。こうして4匹のメンディクスを片付け、最後の2匹と距離を離すことに成功する。
エンリータは既に肩で息をしており、足も震えが出始めていた。額や背中には汗が噴き出すように流れており、特に背中と右脹脛の爪で引き裂かれただろう部分が熱い。それでもダガーを腰の付近で構えジッと残りの2匹を見る。敵も立て続けに味方がやられて相当に気が立っているのか今までで一番殺気立っており、目は見開き、毛が膨らみ身体全体で怒りを表現しているようだった。
(ここが正念場・・・不思議な感覚、間違いなく危機的状況で少し間違えれば死んでしまうかも知れない。でも心が、身体が熱した鉄を入れたみたいに熱い。あぁワタシは今、間違いなく冒険してる!)
知らず知らずのうちに口が弓の様に上に弧を描く。目に力が籠り、他者から見れば爛々とした獣の様に見えるだろう。
(さぁ勝負!)
足を前に踏み出す。同時に2匹のメンディクスも勝負所と感じたのかエンリータを目掛けて左右に分かれながら駆け出す。一歩、二歩と近づき、お互いの射程圏内まで後一歩の所で右側のメンディクスが跳び上がり、左のメンディクスは地を駆けたままエンリータの足を狙う。エンリータはそれを見た瞬間、極限の集中力により見ている景色が引き伸ばされたように見えた。跳びかかり、こちらの顔を目掛けて爪を出してくるメンディクスを通り過ぎ、ギリギリの所で爪を躱しながら反転、ダガーを下から掬い上げる様に振るう。すんなりと腹を刃が通り、血を撒き散らしながら力なく落ちていくメンディクス。その更に下から同じように切りかえしてきた最後の1匹が口を大きく開きながら噛みつこうと跳んでくる姿が目に映る。
エンリータは手中のダガーを指で回し、刃を下に向け、振り下ろす。後、ほんの少しでその歯がエンリータの身体を食いちぎるだろうと言う瞬間、刃はメンディクスの頭に刺さり、そのまま最後のメンディクスは床に叩きつけられ、刃は頭を貫通して床にまで届き、磔の様に刺さっていた。
ドンッという音を最後に部屋に静寂が戻る。ただ勝者の荒い息遣いだけが部屋に響いており、他の音は聞こえない。エンリータは目を大きく開き、全身の至る所から汗を流しながら未だにメンディクスが刺さったままのダガーを力強く押し込んでいる。魔術も切れ、足は支えを無くしたかのように膝を床につき、恐らく魔術の反動と疲れからだろう小刻みに震えている。もしかしたら足は爪で切られた影響もあるかもしれない。エンリータの耳には今更になって自分の心臓が大きな音を立てているのが聴こえ、いまだに冷めない戦いの熱が全身を覆っていた。
「ハァハァ・・・か、勝ったんだよね・・・」
エンリータが呆然と疑問を漏らすとそこへパチパチと手を叩く音が耳に聴こえる。入口の方をゆっくりと見やるとアーロンが顔に微笑を浮かべながら手を叩いているのが見えた。
「はは・・・これで終わりかな?」
そう力なく問いかける。
「あぁ、よくやった。反省する部分は多いだろうが、今のお前にしては上出来じゃぁないか?」
「厳しいなぁ・・・」
そう呟くとようやく緊張も解けたのか身体から力が抜けてしまう。後ろにゴロンと倒れて天井を見るが遺跡の中であるが故に空の1つも見えず、ただ面白みのない景色が映る。しかし、エンリータは自分が間違いなく戦いをやり切った充足感に包まれていた。アーロンが自分に近づいてくる足音がする。その音に不思議と安心を感じ、目を閉じると強烈な眠気が身を襲う。
(まぁ、頑張ったしいいかぁ)
エンリータはそのまま眠気に身を任せ、意識を手放した。遠くなる意識の中で仕方ないとばかりにつかれたため息が聴こえた様な気がする。そして微睡みの中、自身の身体が浮く感覚がした。
(なんだが父さんに背負われたみたいな感覚・・・)
そんな事を思いながらエンリータは完全に意識を手放した。