七話
ふう、というエンリータの息を吐く音が静かになったエントランスで響く。既に魔力は切れたのだろう、赤と黒のオーラはもう無くなっていた。最初の一戦よりも初めの状態は悪かったものの危なげな所はなく、見ていて安心できるレベルの戦いだった。幻惑魔術の使い方も良く、纏わせられる時間が極短時間であると言う事を除けば上出来と言えるだろう。また今後の成長で幻をもっと上手く使えればパーティ戦で後衛を選択したとしても最低限の時間稼ぎと援護も出来るようになるかもしれない。今度は余裕があったからかエンリータはエントランスの中央で跳ねながら笑顔でこちらに手を振っている。取りあえず体力と魔力の消費もあり、時間的にも夕刻に差し掛かるだろうと言う時間。今日は予定通りここで終わりだなと心の中で思いながらエンリータに近づく。
「なんだ、意外にも魔術を使えば安定してメンディクスとも戦えるようだな」
アーロンが言うと得意げな顔をしてエンリータは胸を張る。
「ふふ~ん、ワタシだって冒険者ですから。まぁ魔力はこれでスッカラカンだけどね」
恥ずかしそうに頭を掻く。
「何にせよ良くやった。今日はこれで終わりにするぞ」
「はーい。あぁ、なんか安心したらお腹空いてきたよ~」
2人はそう話しながら外に繋がる扉へ向かう。
外に出ると夕方、と言うには少し早いがボヤボヤしていたらすぐに夜になってしまうだろうという時間だった。
横から「うーん」という声を出しながら背筋を伸ばすエンリータ。
「はぁ、そんなに長い時間中にいたわけでもないけど外に出るとやっぱり気持ちいいね。あぁ~疲れたぁ~」
「実際遺跡はどんなところでも安心は出来ないからな。さて、俺は薪を探してくるから休憩でもしていろ」
そう言うとアーロンは荷物とグレートソードを置き、エンリータの元気な返事を背中に受けながらファルシオンだけを腰に佩き、森の中に入っていく。
森の中で枝や太めの薪等を集めて一旦、塔の前まで戻ってくる。戻ってくるとエンリータはたき火をする簡易的な場所と夕飯の準備をして待っていた。アーロンの姿を見つけると手を振り迎え入れてくれる。
木組みをし、魔術で火をつける。安定するまでの間にアーロンも自分の荷物から食事を取りだす。実際、長旅をするならば火も使わず簡単に食べられる保存食と薄めたワインが最適なのだが今回は左程遠くない事と戦闘を目的に来たため、しっかりとした食事の方が良いだろうと思い、個人的に食べる物は用意させたうえで腹に溜まりやすい汁物が出来るように準備をしてきていた。
愛用の片手鍋に革袋から水を入れ、そこへ豆や乾燥させた根菜、干し肉、塩を一緒くたに突っ込み、暫くそのまま待つ。その間にエンリータの戦闘や斥候技術について反省会をする。とは言ってもいずれの技術もすぐに変えることなど出来ない。それゆえに頭の片隅に置く様に留めるよう言い含める。そして明日の2階層の討伐も基本的には今の自分のやり易いようにするよう伝える。アーロンの助言にいつもの明るい表情を真剣な面持ちにしながらエンリータも頷きながら時々、質問を交えて反省会を進める。
そうしていると鍋の中の具材もしっかりと煮込まれ、原型が大分無くなりドロッとしたスープが出来る。特別美味しい訳ではないが素材も肉を除けば非常に安価で日持ちが良い物だけで出来ており、冒険者や一般的な家庭でも毎日のように食べられるスープだ。ただの携帯保存食よりも胃に溜まり、この大陸で生きているならば飽きたなど言えないほど世話になる。それを自分の木皿によそい、エンリータにも分けてやったところで食事を始める。原型が無くなるまで煮込んだお蔭で疲れていても食べやすく、少々塩辛いがエンリータの疲れた体には丁度いいだろう。時折いつもの焼きしめた黒パンをスープに沈めながら口に運ぶ。
エンリータも黙々と食事を進めており、風が木々を揺らす音と薪がはぜる音以外は静かな時間が流れる。陽は既に地平線まで落ち、斜陽が世界を真っ赤に染める。その反対側からは闇が這い上がってきており、幻想的な、しかし見慣れた風景がアーロン達を囲む。
夕飯も食べ終わり、たき火もほとんどが炭になる頃には完全に闇に包まれ、空には細かい光の粒が煌々としていた。ワインを呑みながら空を見上げ、物思いに耽る。アーロンはこの静かな時間が好きだった。どこぞの学者は星を見て占いやら星そのものに何やら意味を付けて高説を垂れ流していたがアーロンは無粋だと思っていた。美しい物もそうで無い物もいちいち言葉にしてしまうのは何処かもったいない。そんなことを頭の片隅で考える。ふと、エンリータの気配が変わったような気がして横を見るとたき火の前で船を漕いでいた。
(はぁ、こいつはまた・・・)
思わず呆れ交じりの苦笑いを浮かべるも仕方ないと思い、たき火で火傷してしまわぬように抱き上げ、少し離れたところで横にして外套を被せてやる。明日もまたエンリータにとっては激戦だろう。1つ頭を撫で、たき火の前に戻り再びワインを口にする。自分もそろそろ寝るかと火を消して、手を頭の下に組み、枕にしながら外套を被り横になる。目を閉じると虫の歌が先程よりもはっきりと、しかし穏やかに耳に届く。それを子守唄の様にしながらアーロンも眠りにつくのだった。
朝、顔に陽の熱を感じ、目を覚ます。周囲の森からは鳥のさえずりが響いてくる。幸運にも深夜に魔物等の襲撃は無く、落ちついた眠りにつくことが出来た。既に頭ははっきりとしており、すぐに身体を起こして背を伸ばす。パキパキと背骨が軽く鳴り、寝ていた時に固まっていた身体が解れていく。近くで寝ていたエンリータも顔に当たる日差しが鬱陶しかったのか外套を顔に被せており、やや寝苦しそうな呻き声をもらしている。これならばどうせすぐに起きるだろうと思い、昨夜のたき火の跡まで行き、先に食事を始める。
朝から火を使うのも馬鹿らしく、焼きしめられた携帯食料をワインに浸しながら黙々と食べる。そうしているとエンリータの目が覚め始めたのか、被っていた外套が大きく揺れ、先程よりも間抜けな呻き声が聴こえてくる。すると突然バッと彼女の身体が跳ね起き、目をパチクリさせる。視線を周囲に彷徨わせてアーロンと視線が合うと一瞬、止まったかと思えば何か納得したかのような顔をして挨拶をしてくる。
「あ、おはよう。もしかして寝すぎた?とゆうかワタシ昨日、自分でちゃんと寝てたっけ?」
どうやら寝落ちしたためか記憶が曖昧らしい。
「いや、寝すぎという時間ではないな。あと昨日はたき火の前で寝落ちしていたからそこに寝かせた。それと目が覚めたのなら早く食事を済ませろ。今日も仕事がある」
「あ、そうだったんだ、ごめんね。でもありがとう!」
そう言うとエンリータは外套を軽く叩き、丸めて鞄に入れ、代わりに自分の食料を持ってアーロンの前に座る。
「今日は2階層だよね?何か注意する事ある?」
「そうだな、地図を見れば分かるかも知れないが1層と違って2層はほぼ一本道だ。恐らく一番広い場所での戦いになるだろうがその分、昨日よりも多くのメンディクスと同時に戦う事になるだろう。後は1層よりも障害物になりそうなものは少ない、せいぜいガラス片や木片位だろう。もし有ったとしても壁際だ」
「そっかぁ・・・じゃぁ何かちゃんと作戦立てないと危なそうだね」
そう言うと食事をしながらエンリータは考えこんでしまう。確かに昨日と同じような戦法だけでは先にエンリータの手が尽きてしまいかねない。連携も厄介、魔術は最後までは持たないだろう。
「一度しっかり考えてみろ、その経験が人を強くする」
アーロンはそう言うと終わっていた食事を片付けてグレートソードを手に取り、たき火跡から離れる。
剣を正眼に構え、両手で確りと握る。呼吸を整え、一歩前に出ると共に剣を上から斜めに振り下ろせば風がゴォという重い音と共に切られる。そこから流れるように半身を引くと共に剣を水平に持ち直し、突き刺す。それから再び剣を引き戻し、正眼に構え直す。それから幾度も型を変えながら大剣を振るう。それは型と呼ぶにはいささか荒々しい雰囲気ではあったが間違いなく何度も行われてきたその動きは効率よく、確実に敵を殺すために磨かれて研究されてきた一流の戦士の動きだった。
暫くそうして剣を振り、体が熱を持って息に乱れが混じり始めた頃にため息と共に剣を地面に突き刺してエンリータの方に顔を向ける。エンリータは既に食べ終えており、少し呆けた様な顔をしながらアーロンの方を見ていた。
「どうした、そんな間抜けな顔をして。準備は終わったのか?」
そう問いかけるとハッとしたような表情を浮かべ、アタフタとするがどうやら準備自体は終わっていたようだ。確認が終わると「うん、大丈夫だよ!いやぁ、なんか凄いなぁって思って思わず見入っちゃったよ!やっぱりランクが7以上の冒険者ってすごいんだなぁ・・・」と口にする。
「お前にもいずれ中堅の5か6位のランクにはなってもらう予定だ。その為にお前も空き時間があればしっかりと様々な知識と経験を身に着けろ。そうすればその位にはなれるはずだ」
冒険者のランクは6まではギルドからの信用と本人が出来る仕事の範囲が大きく関わってくる。いわば本人の基礎の高さと広さが指針になるという事だ。手紙の配達などから始まり、遺跡などからの資源の採取に様々な魔物の討伐。または仕事の達成率や期限が守れるか、依頼主との交渉で問題を起こさないかなども当然関わってくる。それらを完璧にこなし、ギルドが出す一般的な最高ランクの仕事が1人で達成できればランク6になれる。もっとも7からはそれらに加えて純粋な戦力と実績、いわば偉業足りえるものが無ければどれだけ長く冒険者をやっていても至ることが出来ない。しかし努力と生き残る運がありさえすれば誰でもランク6まではなれるのだ。ただそれよりも早く死んでしまうか、安定して出来る仕事しかしないせいで出来ることが専門的になってしまいランクが上がらない者が多いだけで。
「さて、準備が出来ているなら行くぞ。ちなみに何か作戦は考えられたか?」
「ん~とね、取りあえず大丈夫だと思うよ、作戦って呼べるほどじゃないけども昨日感じた強さなら余計な事しなければ大丈夫!なはず・・・」
「・・・不安だな。まぁ見せてもらうとしよう」
そうして会話を終えると2人は再び塔の入り口に向かう。
昨日と同じように中に入る。当然、同じ景色が広がり、不可思議な所は見当たらない。1層には他の生物の気配は感じられず、もともと静謐な雰囲気があったのがより、その静かさを増していた。とはいえ今日用事があるのはここでは無く上だ。2人は真っすぐと2層への転移装置がある階へと向かう。正面の道は潜り抜けるとすぐに部屋になっており、木製の簡素な造りの個室と言った感じであった。部屋の中央部分には銀色の四角い、人1人がちょうど立てる位の大きさの板が埋め込まれている。それ以外には何もなく、本当にここは移動にのみ使う場所なのだろうと確信できる造りだった。
「あれに乗ればいいんだよね?」
エンリータは指差しながら後ろにいるアーロンに聞く。
「あぁ、あれに足を乗せれば勝手に装置が起動して上の階に行ける。物は試しだ、行ってみろ」
アーロンはそう言ってエンリータを促す。エンリータはそれを聞くと一つ頷き、恐る恐る装置に歩き出し、足をかけた。すると板が発光し始め、エンリータの身体を白い光で包み込む。その瞬間に彼女の身体がブレ始め、光と同化して完全にその姿を消してしまった。それを見届けるとアーロン自身も板の上に足を乗せる。そして先程と同じような現象が起こり、体が光に包まれ宙に浮きあがる様な感覚に全身が襲われる。そうして視界と意識が白い光に覆われたと思った瞬間、突然地に足が着く感覚がして視界と意識が完全に戻ってくる。目の前には少し不安げなエンリータがおり、アーロンと目が合うと安心したように息を吐いた。
「転移装置ってすごく不思議な感じがするね、びっくりしちゃった・・・」
「そうだな、人によっては気持ち悪くなる奴もいる。お前は大丈夫そうだな」
「うん、ただビックリしただけだよ。にしてもどうなっているんだろうね、この装置・・・」
そういって不思議そうにアーロンの後ろにある銀板をエンリータは見つめる。
「さぁな、しかしそんな事より今は周囲をしっかり警戒しとけ。ほぼ一本道の上、ここにいなければこの先の開けた所で間違いなく戦闘になるぞ」
そうアーロンが言えばエンリータは顔を真剣なものに戻してダガーを手に持ち、行先をジッと見つめる。
「そうだね、ちょっと浮かれてたよ。っと先に少し魔術を唱えておかなきゃ。もうすぐ、だもんね」
そう言うとエンリータは少し目を閉じ詠唱をする。
『風精よ、願うは天駆ける靴』
するとエンリータの足元に風が集まる。
「よし、これで暫くは大丈夫なはず!」
そう言うと普段よりも軽い足取りで先に進む。どうやら初めに速度強化で挑むらしい。アーロンも良く使う魔術で一時的にだが移動速度に恩恵がある。速く動けると言うのは戦闘時においても利益が多く、跳躍などの距離も伸びる。後はその感覚をどれだけ使いこなせるかがネックになるがここで選択するならば多少なりとも使えるという事だろう。そうして戦意を顔に滲ませながら歩くエンリータの後ろをついて行く。
2層の転移先は一本の廊下で、塔の外周に合わせて作られたようにぐるりと回りながら中央の間に繋がる。中央は円形の広い空間で数十人が同時に活動できるほど広い。部屋の隅には3つの転移装置があり、最悪危なくなればそこに行き、逃げることも可能だ。とはいえ行った先でさらに強い魔物に襲われてしまう可能性も高く、なにより今、それをされてしまうと流石のアーロンも助けられない可能性がある為、今回はエンリータにそれだけはしない様に言い含めてある。
そうして中央の間と廊下を隔てる切れ目まで2人はやって来た。闇の先からは間違いなくメンディクス達の気配が感じられ、鳴き声まで聴こえてくる。それはエンリータにも分かっているようでジッと闇の先に目を凝らすように見ている。
(にしても気配と音は聴こえるのに目では見えないのも可笑しなもんだ。いや、遺跡の謎など考えるだけ無駄か・・・)
アーロンが心中で考え事をしている間にエンリータの覚悟も決まったのか、力強く最初の一歩を踏み出していった。