十七話
何事もなく夜が明けて朝日が昇る。万が一に備えて警戒をいつも以上にしていたアーロンであったが激戦の地になった場所へと続く洞窟に近づくものは影すらなかった。一切気にもならなかったのか、まだ残る魔力の残滓に怯えているのかは分からないが夜襲の類が一切なかったのは非常に幸運な事だった。
アーロンは早速エンリータを起こして帰還の準備をはじめる。
「あんなにボロボロだったのにもう動けるのは逆に怖くない?」
ぎこちなさは残るが左程支障を見せないアーロンにエンリータは頬を引きつらせながら苦笑いを浮かべる。
「まぁ、ここで留まるよりはいいだろう。それに万全には程遠い」
そう言いながらアーロンは息を吐く。実際、現状のアーロンは動けるだけだ。いざ、戦闘にでもなればそれなりに下位ランクでもない限り手古摺るのは必然だろう。体内に感じる魔力も全快の状態と比べれば1割もあるかと言った所だ。全身を強化する程の魔力はなく、加護は文字通り命がけだ、つまるところキマイラ1匹でも押し込まれかねない。そう言う意味ではこれからの帰路も命がけの任務と言えるかもしれない。唯一良い事があるとすれば曲がりなりにも魔物と魔獣はほぼ間引いて来た為に運が良ければ遭遇回数を減らせるだろう。
「兎に角、今日はまた森の入り口を目指して進むことになる。場合によってはまた強行だな。少なくとも俺は森中で野営が出来る程余裕が無い」
そう言うと荷物を軽くするために使わないだろう道具などを捨てていく。出来ればしたくない手段だが今は少しでも重りを減らして足を動かす必要がある。そのためには本当に最低限の荷物量にしなければならない。勿論、減らし過ぎれば万が一に対応できなくなるために見極めは非常に大事になるだろう。
「もしあれならワタシも持てるよ?矢もほぼなくなっちゃったし」
捨てるのを見ていたエンリータがそう聞いて来るがアーロンは首を振る。
「いや、お前も少なからず疲労はあるはずだ。なら軽い方が良い。おまけに暫くは斥候に集中してもらう事になる、余計な体力を奪われるのは得策とは言えない。矢も数える程だろう?なら逃げることも視野に入れれば余計に、だ」
そう言えば納得がいった様にエンリータも頷き返す。
そうして一通りの準備が終わったアーロンは荷物を背負い、既に待っていたエンリータに声をかける。
「よし、俺の準備も出来た。行くぞ」
そう言うと2人はエンリータが少し離れて先行する形で森の中に潜っていく。
先を歩くエンリータは森の中が嫌に静かだなぁと警戒を露わに先だけでなく四方に向かって視線を飛ばし続ける。まだ、朝が始まったばかりなこともあって森の中は湿り気を帯びており、頬を撫でる風もどこか重さを含んでいるように感じられる。
(うーん、でも静かすぎるだけなんだよねぇ・・・何でだろう?)
首を傾げてみるが思い当たる節はエンリータには無かった。尚、実際の所森が静かな理由は龍の気配と魔力が嵐の様に吹き荒れた余波が森の中にまで流れ込んだことにより、弱い生物は勿論の事、一度避けたシルヴァルムホーンと言った強い魔獣も含めて巻き込まれない様に息を潜めていると言うのが事実だった。特に森は魔物がほぼおらず、魔獣の比率が高かったこともこの静寂を作った理由だ。魔獣は魔物と比べれば命の危機には敏感だ、魔物と違い、人と同じように生まれたのだから本能が恐れるならそれに従うのは当然と言えた。尤もその事実はエンリータもアーロンも知らないのだから警戒心だけが高まってしまうのは仕方がないだろう。
そんな背景を背負った2人は高まった警戒心とは裏腹にスムーズに森の中を進んでいく。削れる精神力を鑑みて休憩の回数はやや増えはしたものの、そこは足でカバーして結局何もないままに夕方になる頃には森の入り口に辿りついてしまった。
「・・・結局何も無かったね?」
出会わなかったのは幸運だが警戒した分損したような気になったエンリータは立ったまま身体を前に倒して項垂れた様なポーズを取る。
「もしかしたら戦いの余波で隠れちまったのかもな。まぁ、有り難いこった」
額に浮かべた汗を拭きながらアーロンは森を振り返るが森は口を閉ざしたようにこちらを見つめて来るだけだ。
「あぁ、なるほどね・・・ま、変なのに絡まれても困るしね。あぁ~なんか気が抜けたらお腹減っちゃった!今日はぐっすり眠れるところだし、ウン、神様に感謝しとこ!」
そう言って指を組み合わせるとエンリータは大げさな動作で祈りだす。
「馬鹿やってないで早く行くぞ。予定より相当いい結果だが夜もすぐそこまで来てる」
その横を半目で通り過ぎたアーロンは横穴に向かって行く。
横穴に入ってからは早々に入り口を塞ぐと2人は打ち合わせたかのように早々に横になる。アーロンは全体的な疲労から、エンリータは精神的な疲労から完全にとは言えないが一定の安全な場所に辿りついたことで疲労感が一気に出た結果だった。
「あぁ~横になれるのって幸せ。でもお腹も空いたなぁ」
エンリータは愚痴の様に溢しながらゴロゴロと地面に転がる。
「余計な動きは止めろ、鬱陶しい。それと少ししたら食材の廃棄も兼ねて鍋でも作るぞ」
大半は捨ててきたが水や食料は最低限持っている。その中で危ない奴をここで火を通すことで処理して明日の英気を養おうとアーロンは思っていた。実際、この渓谷を抜けさえすれば後は大通りまでは直ぐだ。ならばここが正念場、気合を入れるにも休むにも適した状況ではあった。
それから暫くは怠惰を極めていた2人であったが正直な腹の音を合図に起き出し、渋々と言った顔で料理の準備を始め、食事まで速やかに終えると再び充電が切れた様に眠りこける。どれだけ旅に慣れていても欲求が満たされれば疲れには勝てない、そんな夜だった。
次の日は更に回復速度の上がったアーロンの調子も悪くなく、体も重すぎる筋肉痛の範囲に収まっていた。アーロン達は早々に出立の準備を終えて最後の山場に入る。そして遠目から例の1本道を覗いてみれば幸運な事に魔物の姿はない。流石にあれだけ狩られれば直ぐには湧かないのか閑散とした雰囲気が漂う。とはいえ見晴らしがよい両端崖の道であるがゆえに気を抜くことは出来ない。
「うーん、パッと見は居ないみたいだよ。どうする?一気に抜けちゃう?」
斥候から戻って来たエンリータがそう聞いてくる。
「・・・そうだな、俺の身体も走る位は出来るだろうからな、ここだけでも走るか」
悪くない案だとアーロンは素直に思う。実際此処さえ抜けられれば後はある程度安全に立ち回れる道だ。ならここでリスクを鑑みても十分な見返りが期待できる。
「了解!なら競争だね!先行くよ~」
言うが速いかエンリータはアーロンを置いて駆け出していく。
「おい!ッチ、ガキか!」
まさか無茶をするとは思わないが万が一はある。アーロンは突然阿保の様な事をするエンリータを追いかけるように走り出す。
思ったより全力で走るエンリータは斥候職として敏捷能力は高いが背が低く未だ中堅であるがゆえに追いつけないと言うほどでは無かった。しかし、現状のアーロンにとってはそれなりにハードな速度で追いかける必要があり、1本道を抜ける頃には多少息を乱してしまう。
「ハァ、ッチ、次はないぞ・・・」
そう言って細目で声をかけるが横にいるエンリータは頭の後ろで手を組みながらただ笑う。
「ハハハ、まぁ良いじゃん!どうせ走るなら勝負した方が面白いよ!周りもちゃんと見ているからさ」
それを見て呑気なものだと思う。が、それもまた彼女の良い所でもあるかと思い直し、愚痴を奥に引っ込める。
その後、2人は渓谷の枯れた谷を粛々と出口に向かって歩く。ここの辺りに来ても魔物の姿が無いのは不自然だが常に固定で居るわけでもない、そういう事もあるだろうと思いながら歩いている時だった。
それはもうそろそろ渓谷の出口に辿りつく、いや、もう目の前に見えて来たと思った時だった。前から1人の女らしき姿が歩いてくるのが見えた。しかし、その姿はあまりに奇妙で、一目見た瞬間からアーロンは悪寒が止まらなかった。それはニィスやマルヴァースの比ではない。
女は上下に別れたつやつやしている皮で出来た無地の黒服を着ていた。サイズ的には大き目の下着としか呼べないような服であり、街中であればさぞ奇怪なものを見る目で人々に見られること間違いないだろう。しかし、本人のスタイルの良さからか下品さよりも不思議と優雅さと気品のようなものを感じ、そこに思わず声をかけたくなるような親しみやすさと妖艶さが同居している。肌はかなりの露出度だと言うのにも拘らず、一度も日焼けなどしたこともなさそうなほどに白く透き通っている。顔は小さく、さりとて意志の強そうな瞳に真っ赤な薔薇の様な唇が目を引きつけてやまない。最後に月のない夜空を溶かし込んだような真っ黒な長髪は地面に擦ってしまいそうなほどに長く、不自然なほどに軽やかに風に舞っている。
異常、そうとしか呼べない美女が微笑みながらこちらに歩いてくる。思わず2人は足を止めて、相対する形を取ってしまう。
「あら、かわいい子供たちね。フフフ、そう硬くならないでちょうだい?」
危険域にはギリギリ入らない、その位の位置で女は立ち止まると上品な仕草で嗤い、声をかけて来る。しかし、アーロンはとても返事を返す等、出来そうにもない。それはエンリータも同じであろう。あまりにも重く、ねっとりとした気配と気持ちの悪さが肩にのしかかる。もし、アーロンが全快の状況であればもっとまともに対応できただろうが現状ではそんな事はとてもできそうにもなく、女の雰囲気にも呑まれてしまった。
「クスクス、ねぇ、あなたたち創造の聖杯って知らないかしら?」
女は1歩近づくと道でも尋ねるような軽い口調でそう聞いてくる。しかし、そんなものは知らない。そう言おうとしたがふと頭の中に引っ掛かる物がある。
(創造の聖杯・・・、たしかヘンドリーナが言っていた行方が分からなくなった神器の1つだったか?)
嘗て、名前だけでもと教えられうちの1つにそんな名前の物があった様な記憶をアーロンは思い出す。しかし、その記憶を掘り起こされたのが今、この場に合っては悪手であった。
「あら、知っているのね。じゃぁ破壊神の神器、もしくは使徒にも聞き覚えが有ったりするのかしら」
その美しい顔を美しいままに不気味に歪め、女は近づきながらそう尋ねて来る。聞かれれば冷静ではないアーロンの頭は記憶を勝手に思い出し、それを女は理解して更に笑みを深める。
「フフフフ、何の気なしに寄ったのだけれどこんな出会いがあるなんて、運がいいわ。ねぇ坊や、良かったら知っている事、全部教えてくれないかしら?」
女はもう目と鼻の先にまで寄ってきているにも関わらずアーロンの身体は金縛りにあったかのように動かない。頭の中ではうるさいほどに危険信号が鳴り響いていると言うのに。
「クスクス、体が動かないのね。なら直接見せてもらおうかしら」
そう言って女がアーロンに向かって手を伸ばした時だった。2人の間に何かが飛来して、それに気づいた女が飛び退いたことで周囲に散らばっていた重みが砕けていく。
「そこまでにしてもらおうか魔人カエドーティア。それに死なれては困る」
間に打ち込まれたのは一振りの無機質ながら上質なものであると赤子でも分かるだろうと言う輝きを持った剣だった。そしてその持ち主が喋りながら空から落ちて来る。
「さて、生きておるなアーロン」
落ちてきたのは嘗て浴びた時とは比べものにならないほどに殺気を吹きだたせるヘンドリーナの姿だった。
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