八話
アーロン達が待機し始めてから退屈を感じ始める程の時間が経った頃、ようやく彫刻の様に固まっていたシルヴァルムホーンに動きが見られた。太陽から目線を下げ、台座となっていた切り株からゆったりとした動作で降りる。その姿は夕暮れに迫る日差しを受け、王の様にも感じられるほどに貫禄のあるものだった。
(ようやくか、思ったより時間が掛かったな)
息を殺しながらアーロンはシルヴァルムホーン一挙動にしっかりと注目したまま潜み続ける。そうしていると堂々たる佇まいのままシルヴァルムホーンは恐らく元々居た方へと円を描く様にして森の奥地へと進んでいく。これならばアーロン達の行く先とは被らないと心の中で喜色を浮かべる。そして完全に姿が見えなくなると同時にエンリータに合図を送り、索敵をさせる。合図を確認したエンリータは軽く頷き、低い身長で更に腰を屈めて慎重に開けた部分に近づいて行く。アーロンはそれを眺めながらこれが罠で、奇襲の類ではないか周囲に気を配るが今の所そう言った気配を感じることは出来ない。
暫くすると索敵を終えたエンリータが遠くから手を振る姿が見え、最後にもう一度周囲を見やってからアーロンは小走りに近づいて行く。
先程までシルヴァルムホーンがいた切り株はこれと言った特徴はなく、精々大きい木が生えていた事しか分からない。しいて言うならばこんなに綺麗な切断面は自然には出来ないだろうという事と完全に死んでしまっている事位だ。違和感の残る物ではあるがアーロンの知識には思い当たる事はない。そもそもそこまで調査がされているような区域ではない為にこうゆう事もあるかとやや雑に納得する。
「取りあえず、ここで半分くらいだろう」
頭の中にある地図の記憶と歩いて来た時間などからおおよその場所を算出する。とはいえこの開けた場所はさっさと離れなければならないが。
「そっか、じゃぁ急がないとだね」
差しこむ日差しの角度からあまり時間は無さそうだ。
それから2人はそそくさと切り株から離れて奥地へ速足に向かう。先程と同じようにエンリータが索敵をこなし、アーロンが背後と奇襲に気を配る。森は少しずつ気配を重くさせ、肩に何か圧し掛かっているのではないかと思わせるほどだ。前を歩くエンリータの息は少し上がってきているようで足音に混じる音が大きくなっている。
「ん?ちょっと待って」
そんな時、エンリータが何か見つけたのか足を止める。アーロンは背後に立ち、ファルシオンを構えて周囲を警戒する。足を止めるとなるほど、まだ目には見えないが先から地面の葉っぱなどを踏みしめているような音が聴こえる。
(どうする?)
後ろを振り返ったエンリータが小声で聞いてくる。安全に行くならば避けるべきだが時間からすればもう突き進んだほうが速い可能性がある。何より、昼間に森の敵と接敵するのであればどうとでもなるだろうが夜の森は可能な限り避けたい。
(・・・俺が先に行ってケリを付けて来る。お前は見えるところで隠れてろ。勿論、行けると思ったなら矢を撃つのはいい)
そう言ってエンリータが頷くのを見てからアーロンは一気に駆け出す。まだ見ぬ敵もそれで気付いたのか音が互いに大きくなり、陰から跳び出したアーロンの目に敵が映る。
茶色の短い毛で全身を追われた4足歩行の身体でアーロンの視線と前腕の肩の位置が同じくらいはあるだろう。胴体は太く、大人の男が2人で手を伸ばせば繋がるだろうかと思うほどの太さがある。手足もそんな巨体を支えるためだろう丸太の様な太さの物が地面に根を張る様に伸びており、今はいつでも動けるように少しばかり関節を曲げて構えている。顔はどちらかと言えば丸に近く、体に比べるとやや小ぶりに思える口の部分が少しばかり突き出るような形だ。威嚇のために開かれた口からは大ぶりな牙と鋸のような歯がずらりと並び、真っ赤な舌が振るえているのが見える。
バルバロース、熊に良く似た魔獣で非常に獰猛な性格をしていることで良く知られる森の処刑人である。先に出合ったシルヴァルムホーンとは好敵手の様な存在らしく、時折山や森の深い部分が荒れ果てるのはこの2頭が争ったからだと言われるほどである。そう言う意味では同じ森に2頭存在するのは非常に珍しい。
「グォォォォ!!」
現れた敵に対してバルバロースは低く、底冷えするような音で威嚇の声をあげる。とはいえ、これに怯えるような真似は当然しない。すぐさま踏み込み、先手を仕掛ける。
真上からこちらに振り向くバルバロースの頭部へ向って振り下ろす。魔力も纏っていないただの振り下ろしではあるが牽制には十分な威力は持ち得ている。硬い毛皮こそ切り裂くのは容易ではないだろうが運が良ければ目玉の1つは持って行こうと振るわれたファルシオンは持ち主の意志に従い、流れる様に顔の左半分に向かって行く。しかし獣らしく超反応を返してきたバルバロースは左の巨腕で持って強引にはじき返す。手ごたえからファルシオンでは予想通りダメージを与えるのが難しいと判断し、次いで来る右腕のフックをバックステップで避ける。離れたところをエンリータが矢を同じように目に向けて射るが顔を軽く振るだけで簡単に対処されてしまう。
(ま、魔力も通してなきゃこんなもんだな)
一旦、距離が空いたことで冷静に敵を見つめながらアーロンは体勢を整える。せめてグレートソードでも使えれば楽なのだが森の為に少しばかり使いにくい。勿論、木ごと切ってもいいのだろうがわざわざ危険を増やす真似はしたくない。使うならば敵が暴れて周囲の木が折れて広くなってからにしたい。
(なら今することは、逃げ!)
そう判断するとアーロンはエンリータの方にバルバロースの意識が向きすぎない様に挑発的に行動する。魔力を纏わせずに致命を与えられそうな眼球を意識的に狙いながらも踏み込みすぎないことで軽々と敵の剛腕を避け、突進を周囲の木々に向かわせる。バルバロースは森の暴君らしく地を揺らし、空気を震わせて周囲を嵐の様にかき回す。息を入れるような動作もなく、知性すらも感じられない暴れる赤子のような目の前の有象無象を衝動のままに壊さんとする動きではあるものの、これこそが暴君であるとでも言いたげなほどにバルバロースは破壊の限りを尽くした。
そして暫く暴れ通した後、流石に少しばかり息をつこうと思ったのか、危険は感じられなかったが壊せないアーロンに思う所があるのかバルバロースは苛立たしそうに止まる。周囲を見渡せばあれ程茂っていた森はくり抜かれたかのように拓かれ、見るも無残な状態になってしまった。しかし、アーロンにしてみれば狙い通り。息を同じように1つ吐いてファルシオンをしまうと背のグレートソードを引きぬく。その姿に少しばかり怪訝そうな、警戒するような唸り声を上げるが先程から逃げ回ってばかりのアーロンに対してそこまで警戒心がある様な雰囲気ではない。それでも一回、暴れ回っても倒せなかった相手としては見ているようであった。
(さて、時間はこれ以上かけられん)
心の中でそう独り言を漏らすと魔力をまず体に回し、強化を図る。そこまで回していないが左目にはうっすらと魔力の炎が灯り、体に力が漲る。その勢いのままにアーロンは足を踏み出し、先とははっきりと違う速度で持って迫る。バルバロースからすれば少しばかり不意を突かれた形、とは言っても己の正面、最も自信があり、数多の敵を狩って来た誇りも相まって慌てるようなことはない。息を吸う様に首をもたげ、ブレスを吐く様に咆哮する。それは只の音では無く、確かな破壊力を持ってアーロンに放たれた。音にも拘らず空間が目に見える形で震え、湾曲する。そして中心部は竜巻の様に渦巻いて、周囲を砕き、磨り潰し、割る様に真っすぐと迫る。
放たれて直ぐに目の前に到達する程に速い一撃に対して予備動作で読んでいたアーロンは目前に来るときにちょうど接触する様に既にグレートソードを振り下ろしていた。傍目には空振りの様にも見えた一振りは確かな感触を持って衝突する。風と鉄が擦れ合い、金切音にも似た音が両者の間で発生する。軍配が上がったのはアーロンだった。グレートソードの刃は音の嵐を切り裂き、霧散せしめる。しかし、それで決着など当然つかない。両者とも既に走り始めている。武器を振り下ろした分、アーロンが遅れてはいるが許容範囲と言った所だ。そして何度目かの直接のぶつかり合い。振り下ろした武器を切りかえし、今度は掬い上げる様にはね上げてやればバルバロースの振り下ろした右腕、その先にある鋭利な爪とぶつかる。今度は少しばかりアーロンの状態が悪いかしっかりとかち合い、拮抗する。力負けこそしなかったがやや押され加減だ。瞬間、エンリータの矢が放たれ、バルバロースの意識が矢に行き、空白が生まれる。当然、その隙を見逃すわけもなく力を少しだけ緩めて自身も下がる事で相手のバランスを崩させる。そして左に旋回しながら敵の側面に回り込み、遠心力を持たせたままに振り下ろす。
肉とあばらの辺りの骨が砕ける手ごたえが伝わるが凄まじい反応速度で跳ばれた為に致命傷には遠い事が分かる。すぐさま飛び退き、噴き出した鮮血を避けるとともに仕切り直す。
「グガァァァァァッァアッァ!!」
切られた痛みと怒りでここ一番の咆哮が森を走る。バルバロースの目は血走っており、鋭く、大ぶりな牙がむき出しになる。短い硬質な気も逆立ち、耳も天を突かんばかりに立てられて全身が怒りそのものになってしまったのではないかと思うほどだ。
(今ので仕留められないか。・・・流石はと言った所だな)
アーロンは切る際に、体に回す魔力を一瞬強めて真っ二つにするために振り下ろした。それが精々あばら骨までとなれば不満が残る。とはいえ傷は傷、アーロンにとってかなり有利に働くのは間違いない。そう心を納得させると再びグレートソードをしっかりと構え直す。
今度はバルバロースから攻撃が始まる。長期戦は現状どちらも好ましくはないが待てるのはアーロン達の方、そうなれば敵から攻めざるを得ない。加えてバルバロースはその気性から守るのにはそもそも向いていない。しっかりと4足に力を込めるような動作の後、砲弾の様にして跳び出したバルバロースは前の2足を振り上げ、アーロンの頭から叩きつける様に振り下ろす。受け止められなくもない、しかし受け止めるには魔力が消耗される。昨日とは違い、検証も調整もほぼ要らない現状受けるのは愚策。そう判断したアーロンは直ぐに横へ跳び、振り下ろしを回避する。直後にバルバロースを中心に地が揺れ、土埃が舞い、その巨体を一瞬隠す。そしてそれを利用するかのように土埃を割きながら左腕が追いかける様に振り払われる。少しばかり予想外の連撃に咄嗟にグレートソードを盾に勢いに乗る様に後方へ離れる。しかし、バルバロースの連撃は止まる様子を見せない。すぐさま本体が土埃を割いて追ってきており、もはや前腕が宙に浮いたままに迫りくる。バルバロースは四足歩行に戻ることなく、我武者羅に、しかして嵐の様に丸太の様な両椀を交互に、あるいわハンマーの様に組んで振り下ろす。一切の呼吸も入れないその連撃は森の暴君にふさわしく、生半可な者では一瞬で肉片に変えられてしまうだろう。実際に木はないも同然、地面もクレーターをそこかしこに作り、時には掬い上げられた岩などが隕石の様に飛ばされる。
(流石に荒々しいな。避けられないこともないがいつまで続く?)
冷静に回避に徹しながらアーロンはジッとバルバロースを観察する。連撃は確かに脅威だ。その激しさから紙一重で回避すれば地中の岩や散らばる様々な破片による事故も考えられるためにどうしても大きく避ける事を強いられる。おまけに反撃を一切許さない連打。勿論、無理やりに反撃は出来るだろうがバルバロースに勝つことが主軸でないだけに余計な事をして怪我を負って魔力を更に削る、そんな真似は出来ない。それ故にアーロンは攻めあぐねる。
それから50を超える連打が一瞬止む。流石のバルバロースとは言え、ここで一旦呼吸を入れる動きを見せた。絶好の機会、ここを逃せば再び連撃の嵐を耐えなくてはならないだろう。アーロンはここ一番に出し惜しみすることなく魔力を回し、グレートソードにも魔力を纏わせる。
「ウォォォ!!」
四足歩行に戻り、頭を罪人の様に垂れたバルバロースの脳天を割るべく全力で足を回し、防御を考えない形で踏み込み、振り下ろす。バルバロースも当然その動きに気付きはするものの呼吸のタイミング、どうしても反応が1歩、動きは2歩遅れる。そしてグレートソードはアーロンに導かれるままバルバロースの脳天と上半身を断ち切った。
力を失いその巨体が崩れる。同時に血が津波の様に零れだし、地面に吸い込まれていく。静寂が訪れ、風が一陣吹いて木々が揺れる。
「ふぅ、やっとか」
背にグレートソードをしまい、額の汗をぬぐう。
「お疲れ、アーロン」
少しばかり遠くの陰からエンリータが飛び出して駆け寄ってくる。
「あぁ、お前も問題なかったようだな」
もしかしたら乱入やエンリータに対して奇襲もあるかと思ったが幸いにも近寄ってくるような敵は居なかったらしい。
「うん、何とかね。一回岩が飛んできた時は死ぬかと思ったけど」
そう言いながら苦笑を浮かべる。
「さて、時間がない。悪いが走るぞ。戦闘も終わった以上興味を持って近づいてくるのもいるだろうからな」
そう言いながら荷を背負う。魔獣は魔物と違い身体が残る為に戦闘後その肉を狙いに別の魔獣が寄ってくる事が多い。少なくとも今のアーロン達に問っては避けたいことだ。
「了解!」
そういってエンリータが加速魔術を自身に付与するのを見てからアーロンは目的地に向かって走り始めた。頬を撫でる風は冷たさが混じり、夜がすぐそばまで来ている。足は自然と逃げる様に速くなるのだった。
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