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「機械人形が犯人なんてありえるのかな?」
研究所からの帰り道、ティスアが呟くように言った。
機械人形。それは今から二十年ほど前に実用化された。人間の意識を機械にアップロードできる技術が開発されてからというもの、その意識データを元にして様々な研究が加速していった。その結果、意識を量子コンピューターによって模倣することが可能となり、機械に疑似的な人格を植え付けることに成功したのだ。
機械人形の登場により、一部の専門職を除いて、これまで人が行っていた労働は彼らに代替されていった。当初は機械人形を危険視する声もあったが、労働から解放されるという利益を享受することに熱狂した人類は、次第にそれを当たり前のように受け入れることになった。
「機械人形が人を殺すなんて、あり得ないと思うよ」
「……だよね。どうしてリウはあんな事言ったんだろ」
リウは家族を殺される予知を見た。その犯人は機械人形だ、とも言っていた。だが、エイトとティスアはその言葉を信じることができなかった。
「機械人形は人に危害を加える事はできない。例え命令したとしても、機械人形は人を殺すことはできない。そういう風に作られているはずなのに……」
ティスアの言う通り、機械人形は人に危害を加える事ができない。過去にはロボット工学三原則というルールに従って機械人形が作成されていたが、それでは矛盾が生じてしまうため、現在では別の方法がとられていた。
「道徳を機械人形にインプットさせるんだっけ?」
「そう。たしか、多くの人の意識モデルから道徳的な考え方を集めて、それを機械人形の無意識にインプットする? とかなんとか。まあ、私もそこは難しくてよく分からないんだけど」
エイトもそれをビルから聞いた事があった。あまり理解できなかったが、要は機械人形はその社会の道徳規範を最優先とする、という内容であった。そのため、機械人形に人を殺す命令をしても、彼ら自身がそれを忌避するのだ。そしてまた、機械人形はAIが統合しているネットワークに常時接続し、音声や映像データが記録されるため、その命令を下した人間は通報されて殺人未遂で捕まってしまう。
「予知を見た後だったから、リウも混乱してたのかも」
あの時のリウはかなり取り乱していた。子細を聞いてみると、実は彼は犯人の顔を直接見たわけではなかった。犯行の現場を後ろから見ていたのだと言う。そして機械人形である絶対の証拠を見たわけでもなく、ただその無機質な犯行から、犯人が機械人形であるという思いに執拗に囚われている様だった。
「やっぱりエイトもそう思う? ていうかそもそも、リウの予知が当たるかどうかも分からないし、犯人は人間かもしれないし、事件自体起こらないかもしれないもんね」
ティスアが指摘している通り、予知は絶対ではない。それは予知能力の実験をしている二人からすれば当たり前の感覚だった。精度が高いと言われていたエイトでさえ、予知をした事件や災害が起きない事もよくあるのだ。それだけ、予知という能力は不安定なものだった。
「ビルさんが言ってたんだけど、僕が予知の時に見る扉は、僕のイメージかもしれないって。だから、もしかしたら、僕らが見る予知は、見る人のイメージで変わったりするんじゃないかな……」
「そうなの? ってことは、リウが見た犯人はリウのイメージの可能性があるってこと? 機械人形が犯人であって欲しい、みたいな願望ってことなのかな?」
精神的な不調で精度が変わるのなら、願望やイメージで内容が変わってくるのもあり得ない話ではないだろうとエイトは思った。
「……かもしれないけど、分からない」
「うーん。リウが機械人形が嫌い、なんて聞いたことないけど……」
ティスアは肩掛け鞄の紐を握りしめて、考え込むように黙ってしまった。
もし予知を見る人のイメージ次第で内容が変わるなら、この研究自体、意味が無いものになってしまうのではないか。そう思うと、エイトは暗い気持ちになった。
エイトにとって予知は人に役立つ事ができる唯一の特技だった。ただでさえ何もできないと言うのに、予知まで意味が無いとすると、もはやエイトの存在理由も無くなってしまう。
「そうだ!」
とぼとぼと気落ちした足取りで歩いていたエイトは、突然立ち止まったティスアの背中にぶつかりそうになった。ティスアはぱっと振り返ると、明るい表情でこう言った。
「私たちで事件のこと調べてみない?」
「え?」
「だって、警察も起きる前の事件なんて対応できないでしょ? 私たちは予知があるから、犯人だって特定できるかも! そしたらリウの家族を助けられるし、解決できたら、リウより私の方が優秀だって証明できそうだし!」
嬉しそうに喋るティスアだったが、エイトは彼女の言に軽く眩暈を覚えた。
「……どうやって?」
「予知で犯人が分かったら、私たちで捕まえるの!」
「だから、どうやって? 相手は大人なのに」
「……おとな? 何で知ってるの?」
「あ」
エイトは言ってから慌てて片手で口を塞いだ。
「もしかして、エイトももう見てたの?」
基本的に予知で見た内容は、ワタナベ博士やビルにしか話してはいけない決まりになっていた。特にリウやティスアなどの被験者には伝えてはならなかった。事前に知っていると予知にどんな影響があるかも分からない。被験者が嘘の報告をする可能性もある。可能な限り予知への影響を排除するための措置だった。
そのため、ビルからは常日頃から他人に話さない様に、口を酸っぱくして言われていた。以前、エイトがティスアに話してしまった時はこっぴどく叱られてしまった。今日のリウの件はそれどころじゃなかったのか、特に二人とも怒られたりはしなかったのだが、それ以来、エイトは予知で見た内容を言ったり聞いたりしないよう気を付けている。
「……予知の内容は言っちゃダメだって、ビルさんが」
「そんなこと分かってる! あーもう、また先を越されるなんてむかつく! 私まだ見てないのに!」
ティスアが悔しそうに地団太を踏んでそう言った。
「……見ない方が良いよ」
「予知できるのに、見ない方が良いなんてあり得ない! 一つでも多く予知して、当てて、研究に役立てる方が良いに決まってるでしょ!」
ティスアの声が道端に大きく響いた。周りの人が怪訝そうな顔でこちらを伺っている。
「わ、分かったから。こ、声が大きいよティスア」
声の調子を落とすように慌てて手振りでティスアに示す。研究のことを漏らしでもしたらまた博士に怒られてしまう。こういう時になぜか怒られるのはエイトなのだ。
ふんと鼻を鳴らして、ティスアが振り返って歩き始めた。エイトも小走りで後を追う。
「……それで? 犯人は誰だったの?」
「予知の内容は言っちゃダメだって……」
「またそれ? どうせ、エイトも見てないんでしょ? 博士もビルさんも知らないみたいだったもんね」
「……」
エイトは予知の最後の時、たしかに犯人の顔を見た気がした。だが今となってはその人物の顔に靄がかかった様に、思い出すことができなかった。
「ま、良いけど。どうせ私も予知で見るだろうし。それで犯人を捕まえれば解決でしょ。もちろんエイトも手伝わないとダメだからね」
何でもかんでも首を突っ込むのはティスアの悪い癖だ。こうなった彼女には何を言っても無駄なので、エイトは黙っていることにした。