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エイトはとある研究所に被検体として通っていた。そこは国立の研究所で、様々な研究が行われているらしい。説明があったわけでは無いので、エイトも詳しくは知らなかった。
その研究所の一室では超能力に関する研究が行われており、能力検査でエイトの予知能力が認められて以来、その研究に協力することになった。
研究の目的は単純だ。超能力の可能性を探求し、社会や人類、世界平和のためにその力を寄与する事だ。
人間の多くの労働が機械人形に代行されるようになり、AIが全てを支配して人類にあらゆる利益を供与しようとも、未だ科学は万能とは言えなかった。とりわけ、地震などの災害や殺人事件などは科学の範疇を超えており、どうしても後手に回らざるを得ない。そういった事件や事故を未然に防ぐために、予知能力の研究が行われている。
人のために役に立つことができる。そう聞いて、始めのうちはエイトは嬉しかったものの、実験を重ねるごとに悲惨な予知を見るようになり、当初の気持ちはすっかりどこかにいってしまった。今ではもう実験などやめてしまいたいとも考えるようになっていた。
実験が終わった後のこと。研究室内の談話スペースにあるソファーに座ったまま、エイトは小さくため息をついた。
「エイト君、調子はどうだい?」
「あ、ビルさん」
心配そうな声色で近づいてきたのは研究助手のビルという男だった。
「また同じ予知を見たんだって?」
ビルはそう言って、ココアの入ったマグカップをエイトに差し出した。チョコレートの甘い匂いが漂ってくる。
「はい……ありがとうございます」
「どういたしまして。それで、調子はどう? もう体調はよくなった?」
吐き気はもうおさまっていた。だが、少しでも意識するとあの光景が頭のなかで繰り返されるため、気分は良くなかった。エイトは無理して笑顔を作り、ビルに向き直る。
「はい、大丈夫です」
「本当に? 君はあまり気持ちを表に出さないからな。じつはもう実験をやめたい、とか思ってない?」
「いえ、そんなことは……」
図星だった。ビルが言った通り、エイトはいつ実験を辞退しようかと思いながら、結局そのタイミングを逸して言い出せずにいた。
「ホントかなぁ? 博士の事が嫌で辞めたくなってやしないか心配なんだけど、そこは大丈夫なの?」
エイトはそれには答えずに、マグカップに視線を落として黙ってしまった。やがて、周りにビル以外誰もいないことを確認してから、おずおずと口を開いた。
「あの、博士は、なんでいつも、僕にあんなに怒るんでしょうか……」
「あー、やっぱりそうだよね。僕もいつも怒られるけど、エイト君には特に風当りが強いよね。子供に対して、博士も大人気ないよねぇ」
いつもビルや他の被験者に怒っているが、最近は特に、エイトだけが博士から怒鳴られることが多くなっていた。
「僕の予知がうまくできないから、だから怒られても仕方ない、と思うんです。だけど、もう予知で怖い場面を見たくないんです……」
「そりゃあ、怖い事件の予知を何度も見たくないよね。僕なら耐えられないかもしれない。エイト君は頑張ってるよ」
自分のことを認められたような気がして、エイトはなんだか首元がむず痒くなった。
「博士があんなに怒る理由はよく分からないけど、いつも、この研究だけは絶対にやり遂げなければ、って言ってるよ。もう失敗できないんだろうね」
ビルが少しだけワタナベ博士の真似をして茶化しながら、そう言った。元気づけようとしてくれているのかと思うと、エイトの顔に自然に笑みが浮かぶ。
「まあ、エイト君の気持ちはどうあれ、最近はかなり予知の精度が高くなってるから、研究には助かってるよ」
でもどうして当たるようになったんだろう。とビルが顎に手をあてて考え込み始めた。
「それは、僕も分からないです」
「ふむ」
ビルはポケットから携帯型の端末を取り出した。手早く操作をしてみせると、すぐに空中に実験データのグラフが投影された。
「見て。以前よりも、予知の精度が段々とあがってきてる。最近は特にすごくて、八割近くも的中してる。他の二人と比べてもかなり高い数値だ」
ビルはグラフを手振りで拡大したり広げて見せたりして、エイトにそう言った。
「何か思い当たる節はない?」
「……分からないです。でも最近は意識しても、同じ事件の扉しか現れなくて、前は他にも見れたのに」
思い出すようにエイトがそう言った。
「……扉?」
「え?」
エイトは一瞬何を言われたのか分からず、ぱっと顔をあげてビルを見た。
「さっき言ってたじゃない。同じ事件の扉、って」
「あ、その」
エイトはこれまで予知の内容を報告するのみで、どうやって予知を見ているかの説明をしていなかったことに始めて気が付いた。
「えっと、予知をしている時は、宇宙みたいな所にいるんです。それで、星みたいに扉が一杯あって。集中すると扉の前にいて、それを開けると、その……予知の場面が見えるんです」
予知をしている時の情景を一つひとつ思い起こしながら、エイトはたどたどしく説明した。
「ほー、それは興味深いね」
「そ、そうでしょうか……?」
「その扉は、もしかしたらエイト君の未来に対するイメージかもしれないね」
「未来のイメージ?」
「そう。無数にある扉は未来に起こりうる可能性や分岐を表しているのかもしれない」
エイトは今までそんな風に考えたことが無かった。予知をしている時は、自分の意識がどこか宇宙の変なところに飛んで行っているのだと思っていた。
「……この話、ワタナベ博士に言った?」
「い、いえ。言ってなかったです」
「なるほど。それじゃあ僕の方から博士には報告しておくね。何かしら研究の助けになるかもしれないからね」
「あ、はい……」
ビルにそう言われて、エイトはまた気持ちが沈んでいった。そういう研究に大事なことを言わずにいたという事実は、ワタナベ博士を不機嫌にさせるに違いない。そう思うと、エイトは明日の実験がひどく陰鬱に感じられるのだった。