世界にたった一つの
当たり前の事が当たり前じゃなくなって、そしてまた当たり前になっていく。
「昨日も東京の感染者は1000人を超えて――」
今日もまた、真面目そうなニュースキャスターがしかめ面で感染者数を発表している。
ここ最近は、毎日コロナの感染者数が決まって最初に伝えられているけど、昔のニュースはどんなだったけ。多分だけど毎日違っていたんじゃないかな。
いや、そもそも朝にニュースを見ることなんてなかったか。朝ごはんのトマトをフォークで弄びながら、対面の空席を見やる。
朝は一人で食事をする。これもまた、今の当たり前。
看護師をしている母は毎日大忙しだ。朝早く病院に向かい、夜遅くまで働く。
看護師長という、立場にいる母は、ほとんど毎日朝から晩まで働き詰めだ。
女手一つで私を育ててくれた母。
以前から忙しく働いていたが、今は比較にならないほど忙しい。
食卓をトントンと指でたたく。前までは、少なくとも、朝も夜も一緒にご飯を食べれないなんてことはなかった。
食事どころか、昼夜を問わず働いている母とは、顔をほとんど合わすことができず、最近はいつ仕事に出かけて、いつ帰ってきているのかも分からないほどだ。
最初は、一人の食卓がたまらなく嫌だった。
それでも毎日こんな状況が続けばさすがに慣れてくる。
「マスクの着用をしっかりとして、密な状況を避けること。一人一人の対策が大切です。国民一丸となって、未曽有の危機に立ち向かいましょう」
当然マスクを着けているし、密は避けるように心がけている。
それでも、内心辟易していた。
いつになったら終わるの? 私だけが気を付かってもどうしようもないんじゃない?
まるで出口のないトンネルのような日々に、うんざりしてしまう。
ため息をつき、トマトを口に放り込む。ぐじゅっとした感触と青臭い味が口腔に広がる。沈んでしまった気分と一緒に、牛乳で喉の奥に無理矢理流し込んだ。
「ご馳走様」
ぽつりとつぶやく。私の声に答えはない。
2
午後の授業ってなんでこんなに気怠いんだろう。
外は木枯らしが吹きすさぶ大寒波だけど、教室内は文明の利器で適温状態。
背もたれに体を預け、ぼんやりと教室を見渡す。
見ると、一人、また一人と睡魔との争いに負け、授業から脱落していく級友達。
無理もない。私ももうそろそろ限界だ。
5時間目の授業は現国。
滝沢先生は温厚で、寝ている生徒を見ても、見て見ぬふりをしてくれる。
とはいえ、流石に指名された時に寝こけていたら怒られるだろう。
太ももをぎゅっ、とつねって睡魔に抗う。私の出席番号まであと3人。
自分の役割が終わるまでは、意識を手放すわけにはいかない。
「―はい、斎藤さんありがとうございました。このように、言葉というものは、使われていく地域、時代、そして使う人によって移り変わっていくものです」
性格を表すような貴重面な文字が黒板に踊る。
滝沢先生は判を押したようにテキストを読み進めるのではなく、適度に雑談を交えて授業してくれる。
普段であれば好きな授業の一つであるが、いかんせん今は眠すぎる。
意識を保つのに必死だ。
「例えば、『役不足』って言葉聞いたことありますか? 」
果たして、今日も先生の授業は脱線する。
役不足――確か、分不相応とか、力量不足みたいな意味じゃなかったっけ?
「ばかもん! お前には役不足だ! 」と、作務衣を着た老人がちゃぶ台をひっくり返すイメージが頭の中に広がる。
ぐるりと教室を見回す先生に、私を含め睡魔との戦いを生き伸びている生徒が頷き返した。
「そうですね、例えば――坂口君。文化祭でこのクラスが演劇をすることになったとしましょう。演目は、桃太郎です。そして、投票の結果、君は、準主役級である鬼の役柄を演じることになりました。ところが、佐藤君から『坂口、お前にはその役は役不足だ』と言われてしまいました。さて、どんな気分ですか?」
坂口君は少し考えるそぶりをして、「何様じゃい!」と隣の席の佐藤君の頭をバシッと叩く。佐藤君は「痛え! 俺そんなこと言ってねえぇ! 」と大げさに頭を押さえる。漫才のようなやり取りに教室からくすくすと笑い声が漏れた。
「はいはい、授業中ですよ。」
含み笑いをしながら、形だけの注意をすると、先生がくるり、と黒板に向き直った。
「今坂口君は、佐藤君が『坂口君には、準主役を務めるだけの力量がない』といった、と感じたわけです。このように、現代において『役不足』という言葉は、力がない、実力が不足している、というネガティブな意味で使われています。ところが――」
書いた文字の上に、大きく×印を書くと、続けて文字を紡ぐ。
「本来的な『役不足』の意味合いは『力量に比べて、役目が分不相応に軽いこと』という意味です。つまり、佐藤君は、『坂口君に準主役の役目なんて、勿体無い! 彼には主役をやらせるべきだ! 』と言っているわけですね。」
綺麗な〇印が黒板に現れる。
「間違った意味で言葉を使うことを誤用と言います。坂口君が佐藤君に腹を立てたのは、『役不足』という言葉を誤用してしまっているから、というわけですね。しかし、大多数の人が分不相応という意味で『役不足』という言葉を用いています。そういう意味では、一概に誤用とも言い切れない側面がありますね」
先生が、×印を△印に書き直す。
「このように、言葉は時代と共に変化する、いわば生き物のようなものです。元々の意味がどうであれ、大衆に広く認識された言葉については、誤用ではなく、変化として受容していくべき、いや、むしろ時代に即した形で積極的に変化していくべきだと私は思います。言葉において大事なのは表現ではなく、中に込めた気持ちなのかもしれないですね」
脱線してしまいましたね、と黒板消しで板書を先生が消す。
積極的に変化していくべき。
その言葉と私の現状がカフェオレのように、混ざり合い沈殿していく。
コロナで変わってしまった世界。いつも感じる閉塞的な空気。
そして、お休みの日ですらほとんど顔を合わせることのなくなってしまったお母さん――。
そんな現状もまた、当たり前の変化として受け入れていくべきなのだろうか。
「それでは、次のページから、志村さん、お願いします。……志村さん? 」
いぶかし気な声に、はっ、と我に返る。
慌てて顔を上げると、滝沢先生が不思議そうな目を向けていた。
どうやら、例に登場した坂口君、佐藤君はお役御免なようで、次の出席番号である私にお鉢が回ってきみたいだ。
「はっ、はい。えっと……」
なんとか規定の分量を読み終わり、安堵の息を吐きながら着席。
外を見やる。真っ黒な雲で覆われた空から、一滴、また一滴と雨が降り始めた。
3
「ただいま」
玄関の電気をつける。数度の点滅の後、光が部屋を満たす。返事の言葉はない。
家の電気がついていない時点で察していたが、案の定母はまだ帰ってきていない。今日もまた遅くまで残業をしているのだろう。
ブレザーを床に投げ捨て、ソファに腰を下ろす。
習慣で、ライン、インスタ、ツイッターの順でSNSををチェックしていくも、すぐに手持ちぶたさになってしまう。
ソファに体を預ける。家の中は静寂に満ちていて、ぽたり、と水道の蛇口から落ちる水音がやけに大きく聞こえた。
なんとなく感じた寂しさを振り払うように、テレビの電気をつける。
何か面白い番組はないか、と期待してチャンネルを回すも、夕方のこの時間は、ほとんどの局がニュース番組を報道しており、興味を惹かれるようなチャンネルはなかった。
仕方なしに、ニュース番組の一つにチャンネルを合わせる。
相も変わらずコロナは猛威を振るっているようで、画面の中ではニュースキャスターが「本日の東京の感染者数は1500人を超えました。これは、月曜日としては最多です」と、深刻そうな顔で伝えている。
1500人。
確か去年は100人行くかどうかで大騒ぎしていたような記憶がある。
不思議なもので、15倍にも膨れ上がった今の方が危機感が薄れている気がした。
多くの人が感染している、その事実が未知のウイルスを既知に変え、恐怖を薄めていく。
仰向けに寝っ転がり、目の上に手をのせる。テレビの音をBGMに聞きながら、いつしか私は眠りについていた。
ザー、と激しい雨が窓を叩く音で目が覚めた。
先程まで明るかった空も気づけば真っ暗になっている。
時計を見ると、時刻は19時を回っていた。3時間も寝てしまったらしい。
ぶるっ、と身震いをする。既に気温は夜に切り替わり、ワイシャツでは少々肌寒い。
立ち上がり暖房のスイッチをオンにする。
寝ぼけた頭で携帯を手に取り――がばっ、起き上る。ポップアップしているのは母からの着信。
10分起きの着信が5件。寝ていて出れない私に業を煮やしたのだろう。
着信とは別にラインが1件残っていた。
『病院でコロナ症状の患者が出ました。検査のため、病院へ泊っていきます。しばらく帰れなくなるかもしれません。2段目の引き出しにある封筒の中に、現金が入っているので、ごはんは買うか出前を取ってください』
しばらく帰れなくなる――。全身からどっと冷や汗が噴き出した。
慌てて私は折り返しの電話をかける。
数度のコール音の後、「おかけになった電話番号は――」という無機質な音声が耳朶を打つ。仕方なく、ラインを起動し、フリック入力で文字を打っていく。
『帰れなくなるってどういうこと!?』『検査!?大丈夫なの!?』
続けざまにラインを送り、画面をじっと見つめるが既読はつかない。
焦燥感にかられ、再度電話をかける。再び流れた無機質な女性の声に、「ああ、もう!」と携帯をソファにたたきつけた。
心臓が、運動した後のような激しい鼓動を刻み、苦しい。暑くもないのに冷汗が止まらない。
病院、検査、帰れない――。言葉がぐるぐると頭の中を旋回する。
足元がすっと、沈み込んでいくような感覚を覚えた。
立っていられなくなり、思わずソファに倒れこむ。なんで電話に出ないのだろうか。ひょっとして、母も感染してしまっているだろうか。下手すれば命に係わることなんじゃないか――。
一度浮かんだネガティブな感情が、泡のように浮かんでは消えていく。
振り払うように首を振っても、後か後から頭の中に浮かんでくる。思わず顔を覆った。
神様、どうか母が無事でありますように。
携帯をぎゅっと強く握りしめ、私は必死に心の中で祈りをささげた。
と、祈りが通じたのだろうか、私の腕の中で、着信音が鳴り響いた。
画面に表示される「母」という文字を見るや否や、間髪入れずに通話ボタンを押す。
「もしもし! お母さん!? 病院へ泊るって何!? 大丈夫なの!?」
「ちょっと、真由美。落ち着きなさいよ」
受話器の向こうから、いつもと変わらない母の声が聞こえてくる。
安堵が全身に広がり、思わずへなへなとへたり込む。
「落ち着いてじゃないよ! 急に帰ってこれなくなったって……私がどれだけ……」
恐怖と安堵がないまぜになり、心がぐちゃぐちゃになった。
嗚咽交じりになった私の言葉に気づいたのだろう。母は優しい口調で、
「心配かけたね。ごめんね。お母さんは大丈夫だから。ねっ?」
幼子に語り掛けるような柔らかな声が携帯から聞こえる。
みっともないと思いながらも、涙が止まらない。
嗚咽交じりの私の言葉に、母が苦笑しているのが、電話越しでも分かった。
「患者さんがコロナ感染していることが分かったから、濃厚接触者の私も今日は病院に泊まって検査を受けないといけないの。別に具合が悪くなったとかコロナに感染した、とかじゃないから心配しないで」
「それならそうと早く言ってよ!」
母は言葉足らずなところがある。
普段は気にならないが、流石にこんな事態の時にすら言葉足らずなのはいかがなものか。
ふつふつと怒りの感情が浮かんでくる。
ごめんごめんと謝る声に、電話の向こうで手を合わせているであろう母の姿が見えた気がした。
「私が帰ってこないからって、あんまり夜更かししないのよ? あと、ちゃんと鍵をかけなさいね。最近世の中は物騒だから」
「わかっている。子供扱いしないで」
憮然とした声で答えながらも、母の優しさに体がじわっと温かくなるような感覚を感じた。
それもそうね、と母はふわっと笑って、
「それじゃあまた明日ね」
「うん。……なるべく早く帰ってきてね」
はいはい、わかっているわよという言葉と共に電話が切れた。
母の声を聴いて安心したからだろうか。ツー、ツーという機械音がなんだか温かく感じる。
4
携帯を机の上に置くと、不意にのどの渇きを感じた。
冷蔵庫を開け、お茶のペットボトルを取り出す。
ぐっ、半分ほど飲み干し、ほうっ、と一息。
テレビを消した家の中は、静寂が満ちており、冷蔵庫のブーンという音がはっきりと聞こえる。
母と会話して少し落ち着いたが、静寂の中にいるとどうにも不安が搔き立てられる。
ぶるっと、身震いをして自分がじっとりと汗ばんでいることに気づいた。
スポーツをした後の心地よい汗ではなく、粘りつくような、じっとりとした汗に不快感を覚える。
汗を洗い流そう、そう思い立ち浴槽に向かう。
普段はシャワーで済ませることが多いが、今日はお湯を張って、ゆっくりしよう。
給湯器のスイッチを入れ、待つこと10分。
「お風呂が沸きました」という機械音に待ってましたと、浴室へ向かう。
体を丁寧に洗い、浴槽に体を沈める。
流れ出ていくお湯と共に、澱のように心に沈んでいた言いようのない不安も一緒に流れ出ていくようだ。はあーと、ため息が漏れる。
浴槽の蓋にのっけた携帯をポチポチといじる。
ラインを開くと、母に送った取り乱した文が思い出され、思わず苦笑してしまった。
そういえば。温かな湯に体を預けながら、考える。
母としっかり会話したのは、いつぶりだろうか。
コロナになってから、すれ違いばかりでまともに会話をしていない。
「洗濯物取り込んでね」とか「ごはんは冷蔵庫にあるから」という事務的な会話を除くと、それこそ一週間ぶりくらいに思える。
ましてや、あんな風に感情を露わにするなんて、それこそ何年ぶりだろう。
思い出すと、頬がカッ、と熱くなる。
心配で泣いてしまうなんて、まるで小学生みたいだ。
決まりの悪さをごまかすように、唇を湯面につけ、ぶくぶくと息を吐く。
それにしても、と身震いする。
さっきは本当に怖かった。
病院といういわばコロナとの戦いの最前線に立つ母。
考えてみると、普通の人達よりコロナに感染するリスクは高い。
現金なもので、母がコロナに感染したかもしれない、と考えるまでは、コロナはどこか遠い国の出来事のように感じていた。
現実味がなく、根拠もなく、自分だけは……自分の身近な人だけは大丈夫。
そんな風に考えていた。
人は身近なこと以外、自分事にはできないのかもしれない。
死に関することなんて尚更だ。
コロナによって……いや、コロナになる前から、別れというものはいつもすぐそばにあるのだろう。
突然大事な人に会えなくなった人なんて星の数ほどいるに違いない。
それでも、死を自分事として捉えている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
もしも今母が死んでしまったら。私は最後の会話すら思い出せない。
いや、会話の内容どころか、いつ言葉を交わしたかさえもすぐには思い出せないのだ。
熱いお湯に入っているはずなのに背筋が寒くなる。
おはよう、そんな当たり前の挨拶すら遠い記憶の彼方。それほどに最近の母と私はすれ違っていた。
放っておくと、考えがどんどんダークサイドに堕ちてしまう。
いかんいかん、何か、他に楽しいことを考えないと。
一日の出来事をなぞって強制的に思考を切り替えていく。
そういえば、今日の国語の授業は面白かったな。
言葉ってあまり深く考えずに、なんとなく使っているけど、調べてみると中々興味深い分野かも。
例えば、おはよう、ってどういう意味なんだろう。
やっぱり、朝早い挨拶だから? ヤフーの検索ボックスに「おはよう 語源」と打ち込んでいく。
【おはよう】
起源は歌舞伎。公演の為に楽屋入りした座長を迎え、「お早いおつきですね」「お早くからご苦労様です」という風に相手を労う時に使用した挨拶。朝に限らず、夕方、夜にも用いる。
「へえ」と独り言が漏れた。相手を労う意味合いか。
こんな意味では、それこそ歌舞伎の人たちしか使っていないんじゃないの。
ほとんどの人が何の気なしに使っているんだろうな。
まさに、「元の意味とは違った意味で定着した言葉じゃん」と一人ごちる。
「大事なのは表現の方法じゃなくて、込める気持ち」
唐突に滝沢先生の言葉が頭に浮かんだ。
「込める気持ち……か」ポツリ、とつぶやいた言葉が浴槽に反響する。
いい加減長湯しすぎた、これ以上のぼせないうちに上がろう。勢いをつけて浴槽から出る。
お風呂に入って疲れが出たのだろう。
重くなった体を引きづって、ベッドに横たわる。
マットレスに沈み込んでいくような感覚を覚えたのもつかの間、にいつしか私は、眠りに落ちていった。
5
聞きなれた目覚まし時計の音が耳朶を打つ。
薄っすらと開けた目に朝日の光がまぶしい。
覚醒しきらない体で枕もとに手を伸ばし、スイッチを切る。
あと5分寝かせて。本能に従い再び目を閉じ私を、鼻腔をくすぐるお味噌汁の匂いが強制覚醒させた。がばッ、と布団から飛び起きる。
勢いよく居間への扉を開くと、朝ごはんの支度をする母の姿が目に飛び込んできた。
「お母さん!」
「あら、起きたの? もう少しで朝ごはん出来るわよ。顔を洗ってきなさい」
髪の毛も直しなさいね、ぼさぼさよ、と笑う母の声に脱力。
へなへなと崩れ落ちてしまった。キッ、と母を睨みつけて声を張り上げる。
「帰ってくるなら連絡してよ!」
「あら、ラインしたじゃない」
携帯を見ると確かに『帰ります』という通知が目に入ってきた。
どうやら寝ていて気づかなかったようだ。
飄々とした母の姿に、怒りと喜びがない交ぜになったような複雑な感情を覚える。
が、バランスの天秤はすぐに喜びの方に傾いた。
もう、と笑顔がこぼれる。
ピー、という炊き上がりを知らせる音が聞こえ、白米のいい匂いが立ち上っていく。
母はお玉で味噌を溶かし入れ、うん、いい味と頷いた。
「ほら、何ぼうっとしてるの。早く準備をしてきなさい」
憎たらしいまでにいつも通りの母の姿に、自然と頬が緩む。
はいはい、とわざとぶっきらぼうな返事をして、私は洗面所に向かう。
いや、その前に。私は息を吸い込んだ。
「おはよう、お母さん。お帰りなさい!」
「なによ改まって。いいから、早く顔を洗ってきなさい」
照れ臭さそうな母にこそばゆい気持ちを感じながらも、自然と私の顔には笑みが浮かんできた。
面はゆい気持ちを抑えながら、洗面台に向かう。
世の中は何が起こるか分からない。
特にコロナが蔓延している今の世界においては、当たり前の明日が来る保証なんてない。
だからこそ大切な人との時間を大切にしたいと思う。
いつか来る別れに備えて。後悔をしないように、素直に気持ちを伝えていきたい。
「おはよう」「おかえり」「ありがとう」「大好き」―
ありふれた言葉に、感謝を、愛情を、気遣いを込めて。
精一杯の感情を込めた、私だけの『言葉』で。