若さ故
数式の羅列に飽き飽きして教室を後にした。
廊下は、日が長くなってくると節約に伝統が落とされることになっているので薄暗い。
連綿と続いていく、無駄な努力。
「無駄な、ね」
言ってしまった途端に、顔の筋肉が表情を維持するのを次々と放棄し出した。自分だけに向ける顔なんて、どうつくって良いのか判らない。
抱え込んだ気分にお構いなしに、窓から明るい光が差し込んでくる。糸で引かれるように歩み寄って仰いだ空には、ご丁寧に虹までかかっていた。
ひどく自分には不似合いで、それでいて、義妹が笑っているにはうってつけの光景で。
はあっ
すぐ傍から聞こえた音に、肩先がわずかに揺れる。五十センチほどの壁を挟んで隣り合った窓に目を向けると、糊の利いた白衣が映った。
「ため息なんてついてると、幸せが逃げますよ」
俯く保健医の頬にさらりと掛った黒髪の簾が払われる前に、素早く笑みを固定する。
誰かが隣に居さえすれば。まだ何がしかの笑顔を浮かべていられる。
「逃げられて困るような幸せなんて、持ち合わせてないわ」
だから、構わないの。
吹いてきた風に乗せるように呟いて、振り向いた瞳がこちらを覗きこむ。その風は、いつでも彼女がまとっていた香りを運んでは来なかった。
「香水の贈り主にでも逃げられました?」
曖昧に微笑んで逸らされた視線の先に回りこむと、
「先生、ベッド貸して下さい」
指輪が嵌められたままの手を引き寄せた。
文藝越人六〇〇第60回お題「若さ故」投稿作品。