傘がない
「ごめんね」
有無を言わさぬ笑みで、成は女生徒に踵を返させた。先に差し掛けられたペールブルーの傘が、彼女ひとりを伴って校門をくぐってゆく。
昼過ぎに振りだした雨は、一向に止む気などないようだった。だからこうして足止めをくらっているのだが、原因を突きつめるなら自業自得と言えないこともない。
こんな日には、一割増し空気が重く感じられる。ただひとつ、痛いほど鮮やかに白いあじさいだけが、自らの属する一角を軽やかにしていた。滴で飾られて上機嫌な花びら。
「今の子で何人目?」
ふわりと背後から立ち上った匂いに目を細めて、先生、と呟く。振り返らなくとも判る。毎日のように通っている保健室の主だ。
「8人。物好きだよね、皆」
「で、その物好きな女の子たちを袖にしてあなたが待ってるのは、妹さん?」
「傘、なかったから」
ふうん、と意味ありげに応えた声を搔き消すように、玄関に降りてくる靴音が聞こえてきた。そして、聞き慣れた名を呼ぶ声。
「じゃあね、未也子ちゃん」
「ん、ばいばぁい」
いくぶん幼い喋り方は、甘えられる人物を見つけた時期が遅すぎたことに起因するのを知っている。
「さて」
しゃがみこんでいた態勢を立て直すと、成は改めて保健医を振り返った。
「僕、これで帰りますから」
目に映った意外そうな表情に満足する。ひとを驚かすのは好きだ。
成は、幼なじみ兼義妹のネームプレートが貼り付けられている靴箱に傘を立てかけると、降り続く雨の中へ踏み出した。
文藝越人六〇〇第56回お題「傘がない」投稿作品。
600字での投稿が原則のため、基本一場面600時前後で進みます。