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善良な愚民

作者: Rhea

 食品スーパーの近くの宝くじ売り場は大盛況だった。居並ぶお客たちは皆一様に、今年の宝くじへの期待に胸を膨らませていた。一等賞が当たったらどうしようかと、皆が口々に話し合っていた。いや、一等でなくともいい、何等でも当たってくれれば嬉しいと言う者もいた。

 その横をたまたま通りがかった男は、心の中で呟いた。

『ふん、どうでもいいことに大騒ぎしやがって、愚民どもめ』

 男は経済学者だった。経済学の世界で宝くじは『愚民税』などと言われる。支払う金額に対して、得られる金額の期待値が低すぎるからだ。得られる報酬の期待値だけで言えば、競馬のほうが遥かにマシだ。もっとも、それだって長い目で見れば損をするのだけれど。

 この経済学者の男は未来がすべて見通された状態での理論を扱っている。彼が扱っている経済モデルによれば、人々は物理学から変分法という道具を借りてきて、効用関数を未来に渡って最適化するのだ。つまり彼ら経済人間は最高の効率で得をするよう行動する。しかし、現実の人間は宝くじなどという愚かなものに群がり、猿のようにはしゃいでいる。まったくもって理解不能だ。

 そして経済学者の男には、さらに愚民を憎む理由があった。つい最近まで、彼は自らが練り上げた完璧な理論に基づいて資産を運用しており、それゆえに理論上は資産も倍々ゲームで増えて行くはずだったのだが、結果的にはそうはならなかった。むしろ大損だった。本当にぎりぎりのところで破産を免れたが、そうでなかったら二度と立ち直れなかっただろう。しかもどちらにせよ、もう運用できるだけの資産は残っていない。

 彼の理論通りに行かなかった理由は、はっきりしている。愚か者たちのためだ。愚か者は最適・合理的な行動をしない。自らの首を自らで絞めるようなことを平気でやってのける。愚民とは、自分たちの首を自分たちで絞めている集団と定義できるかもしれない。

 彼はあまりに愚民を憎んだため、それについて論文を書こうかと思ってしまったほどだった。昨晩、寝る前に『衆愚経済』という言葉まで考え出し、暗い笑いを浮かべたりもした。衆愚経済では経済活動は合理的には進まない。人々は周りの人間に追従し、小さな動きが大きな動きとなって社会構造を書き換えてしまう。そのような現象が起きた後には、ゲームのルールそのものが変わるので、今までと同じ損得判断の手続きは使えない。新たな基準が必要となる。

 そんな論文の内容を考えながら、経済学者の男は宝くじ売り場から遠く離れ、馴染みの本屋の前にやってきた。彼は店に入ろうかどうか少し迷う。店長とは知り合いだが、経営が大変であることはよく知っている。あまり顔を合わせても楽しく懇談するということにはならなそうだ。

 彼は少しばかりの罪悪感とともに店の前を通り過ぎる。今や彼も電子書籍で本を買っているからだ。店長にはしばらく合わせる顔がない。ちょっとしたらまだ紙の本でも買いに来てやろうか、とは思うが、打ち明けるには少し心の準備が必要だ。

 かつて彼はその本屋の店長に、店で電子書籍を売ったらどうか、という提案をしたことがある。店の棚に置いてある紙の本は、あくまでも見本として使うのだ。もちろんそれを売ってもいいのだが、本を持ってレジに行き、その本のデータを電子書籍に入れてもらって金を払うという形にしてもいいんじゃないか、などと言ったのだ。しかし店長は、苦々しげに首を振った。『俺は紙の本が好きなんだよ』と店長は言った。『これからも紙の本を売れるだけ売っていくよ。本当に売れなくなったら店じまいだ』

 店長もどこかで店を畳みたいという想いがあるのかもしれない。歳は五十代。今までの売り上げによってそれなりに財産もある。店がなくなっても最後まで細々と生きて行くことはできるのだ。

 経済学者の男が勤める大学も、大学生が減っているので教員の数が相対的に多くなっている。かと言ってすぐに首を切るわけにはいかないので、採用を少し抑えるということになるのだが、それだって一時しのぎでしかない上に、むしろ後継者が育たないことによって長い目で見れば損ということになるかもしれない。どこの大学も難しい梶取りを迫られているに違いない。

 本屋に対してのように、他人の仕事にはアイディアを出すことができるが、自分のいる大学のこととなるとさっぱりだ。おそらく他の大学との差別化のためにいろいろ手を打つべきなのだろうけれど、人員が同じままで、いったいどうしろというのか。『こういうときこそ経済学者の出番じゃないんですか』などと言ってくる同僚もいるが、経済学は客引きに使えるものではない。どんなことに需要があるかを調べるのは学者の仕事ではなく、企業の仕事だ。

 彼は学生たちやその親が大きな勘違いをしていることを、二十年の大学勤めで知っている。学歴を魔術的な力を持つ何かのように考えている人がとても多い。実際には、本人が何を為すかが重要なのであって、ある決められた場所にある決められた期間だけ在籍すれば大きな力が得られる、などというものではない。それではまるで非常に高価な宝くじを買うようなものではないか。有名大学というのは、さながら当たりの出やすい売り場とでも言おうか。善良な愚民たちの力添えによって、大学を初めとして様々な機関が生き延びている。

 彼は歩いて家に辿り着く頃、先程まで考えていた論文を書くのは止めることにした。財産が吹き飛んでしまった憎しみのあまり、つい正常な判断力を失っていたことを反省する。善良な愚民たちにはぜひとも長生きしながら散財していただきたい。そうしたら彼は大学を定年退職した後に、今度は愚民批判の本でも書いて作家業ができるかもしれない。一粒で二度おいしい。そう、これこそ賢い者のやることだ、と彼はほくそ笑んだ。


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