変化
「さあ、出発しよう。さっさと、こんな世界を出ていくんだ。」
そう声に出して言いたいことを、心の中で叫び5番ゲートへ向かう。
私は大学生。今までの人生を振り返っても大きな悩みなどなかった。むしろ悩みがないことが悩みといってもいいくらいだった。特段頭がいいわけでも、スポーツ万能なわけでもなかった。ごく平凡などこにでもいそうな学生だった。変わっていることといえば、周りに流されるに、嫌悪感を抱くところくらいだった。
小学生、中学生では部活動のキャプテンを任されていたが、リーダーシップがあったわけでもない。たまたま他人より経験豊富であったという理由からだ。この物語の主人公について少し話すことにしよう。
物心ついたころから、人を笑わせたり楽しませたりすることが、私にとっても幸せだった。ホームビデオを見返してみると、いつも妹や母親を笑わせるためにいろいろなことをしていた。
また、昆虫にとても興味があり畑を掘っては、次々に湧き出すダンゴムシをバケツ一杯に集めては近所の友達に見せて回った。ミミズ、蝶の幼虫、カブトムシも同様だった。
今思い返してみると、必ず夏の暑い日ばかりが瞼に浮かび上がる。プールにいったり、友達と鬼ごっこ、ケイドロ、探検・・・毎日、たっぷりと汗をかき、服を汚して帰ってくる。
時には、けんかをして互いの髪にガムをひっつけあって、髪を切る羽目になったり。とにかくとても、とても楽しかった。
今から18年前の幼稚園に入園する日、お迎えのバスが家の前までやってきた。それまで、バスというものに乗ったことが無かった私は、バスがとても怖かった。扉が開き先生の導きによって、黙って乗り込んだ私は一番後ろの席に座った。私の住む団地を一周し、それぞれの家の子どもを乗せたバスが再び自宅付近に止まった瞬間を見逃さなかった。私は、一目散にバスの出口を目指し走った。とにかく家に帰りたい。バスから脱出し、家の門にあともう少しで、触れられそうというところで、理不尽な二本の大きな腕が私を抱きかかえた。まるで、脱獄に失敗した奴隷のように。とにかく泣き叫んだ。
「いやだ、いやだ、いやだ。」
しかし二本の鎖はそれを許さない。無理やりバスに引き戻され、幼稚園に強制連行された。幼稚園についても泣き続けた。周りの目など気にならない。おもちゃを勝手と駄々をこねたこともないのに。しかし担任の先生は優しかった。一時間くらいだろうか、なだめられてようやく落ち着きを取り戻した。
それからの記憶はない。気づいたら家に帰っていた。目の前に目を赤らめた母親がいた。私は、この時初めて罪悪感というものを覚えた。泣かせてはいけない人を泣かせてしまった。この出来事は18年たった今でも忘れることができない、しかし思い出したくない出来事だ。
幼稚園では、様々なことがあった。友達もたくさんできたし、いろいろな遊びも覚えた。美人な先生に目をひかれたり、幼稚園に持ってきてはいけないシールや、カードを持ってきては、隠れてみせあったりした。ムカつくという感情も芽生え、理不尽に先生に言いつけたり、言いつけられたり・・・。毎日のように砂遊び、サッカー、お気に入りの三輪車で競争。よくも飽きずに同じことの繰り返し。一番自慢できることは、マラソンで常に一位だったこと。まぁたまに帰国するハーフの子には勝てたことはないけど。彼がいなければ、マラソンは敵なしだった。
給食をこぼしては怒られ、みんなに謝罪。演劇界の練習でおしゃべりしていたら、先生に見つかって、頭を叩かれる日々。でも不思議と嫌な思い出ではない。英会話、夏祭り、毎日の宿題の、平仮名の練習帳、どれもこれもいい思い出。
私の幼稚園時代で覚えていることは、以上だ。今でも、当時の友達とは連絡が取れていることすら、不思議でならない。少なくとも15年以上の友達である。
そんな私は、大学4年生だ。就職はせず進学する道を選んだ。理由は、親の勧めもあるが、就職までの期間を延ばしたいから。周りのみんなもそんな感じだ。私は、今の大学がキライである。レベルとか、他大学に比べての評価とかそんなものを気にしているのではない。単純に、同じ大学の生徒が嫌いなのである。気が合わないとか、話が合わないとかそんなことじゃなく、もっと人間的に合わない。インターネットを見ると、私と同じ思いをしている人はたくさんいた。周りを見下しているつもりはないが、客観的に見ると自分以外を軽蔑しているんだと感じる。
それなのに、なぜほかの大学へ進学しなかったのかというのは、単純な理由だ。
「好きな人がいたからである。」
これについて話すには、話を2年前に遡らなければいけない。
2年前、当時大学2年生。学校生活にも慣れてきたころで、毎日の授業のレポートやアルバイトに追われていた。それはそれで楽しかったし、彼女もいて充実した毎日を過ごしていた。できたばかりの彼女とは、毎晩のように電話をしていた。中間テストや期末テスト前にもかかわらず、要領よく勉強を終わらせて6時間ほど電話。それが幸せの時間だったし、生きがいでもあった。
別れの時は急にやってきた。いつものようにメールを送ると、
「ごめん、風邪ひいたから今日は寝る。」
やけにあっさりした内容だった。それも風邪のせいだろうと、深くは考えずに返事をした。 「そっか、早く治るといいね。」
たしかそんな内容の、メールだった。
ところが一週間しても風邪は治らないらしい。さすがに変だと思ったが、遠距離恋愛であり、どうすることもできなかった。彼女を信じて待つしか。だから私は
「治ったらメールして。」
と言って彼女が元気になるのを待つことにした。それから10日ほどたっても、連絡は来ない。これはおかしいと思い、電話をかけてみた。
「お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません。」
掛け間違えたかと思ったが、あっている。再びかけてみても同じ反応。
「ああ、なるほど、携帯が故障してしまったから、携帯を変えたのか。」
完全なるポジティブ思考。幸せなやつである。それなら、メールはどうかと思い、送ってみると
「アドレスが間違っています。」
というサーバーからの返事が来た。完全に意味が解らない。こんなこと経験したことない。そこで、彼女のSNSを見てみた。思えば最初からそうしておけばよかったのだが、そこには新しくできた彼氏らしき男の子とのキスプリがアップされていた。ハンマーで頭を打たれるショックとはこういうことを言うのでしょうか。頭が真っ白になって思考停止。
不思議と吐いたり、泣いたりすることはなかったけれども、ショックが大きすぎた。
人生、誰でも人から裏切られることはあるだろう。そうやって、人は成長していくものだと思う。
私が、たまたま20歳まで人に裏切られたことはなかっただけで。世の中の人は、本気でいい人ばかりだと思っていた。
小学生のころお小遣いが500円だったにもかかわらず、赤い羽根共同募金に200円も募金するほどの正直者。このときは誇らしく、両親に報告すると、怒られた。この時ばかりは、両親は間違っている、私のほうが正しいのだ。とずっと心の中で思っていたが、この瞬間その考えが180度変わった。
「ああ、人は裏切るんだ。」
単なる絶望ではなく、信じていた人から裏切られるのは、身を切られるほどに辛かった。
私の人生は、この出来事を境に変わったといってもいい。考え方が卑屈、卑怯になった。
人を蹴落とす、差をつけるにはどうしたらいいか、騙されないためには人は信用しない。
こう心に決めた。
けれども、20年間生きてきた考えを簡単に変えるのは容易ではない。とても苦しんだ、この出来事から半年間は、人間不信になってしまい大学での交友を断ち切った。テストも最低限の点数だけとり、バイトに明け暮れた。「生きがいが何もない。どうやって生きていけばいいのだろうか。」
そんなことばかりが、頭の中をぐるぐると回り回っていた。
気分を変えるために本を読んだりしてみたが、全然効果がない。音楽、DVDも同様。とにかく生きがいがなかった。3年生になってからも、多少の人付き合いはするまで回復したが、一向に楽しくない。
このころから、生きがいもないしいっそのこと自殺でもしようかと考え始めていた。今までは、自殺する人の考えなんてわからない、どうして、そんなもったいないことをするのか、と疑問に思っていたが気持ちがよくわかる。
でも心のブレーキがかかって、衝動的に自殺をすることはなかった。最終手段として、少しは信じられるバイト仲間に助けを求めようと、相談してみたが、結局は表面的に受け流されてしまった。後に当時のことを聞いてみたら、大丈夫か心配していたと言われたときには、腹が立った。
「結局は、みんな自分が大切なんだ。」
自分を犠牲にしてまで、他人を助けようとする人はいないのか。ここでも、信じていた人に裏切られた感じがしてしまった。
それから、さらに半年間同じ悩みで苦しむことになるが、最終的には自力で自殺したいという気持ちを抑えた。
ある日、とても早く目が覚めた。外はまだ薄暗く、少し肌寒かった。寝起きであまり考えることができない。ふらふらしながら、台所に向かった。何を考えていたのかわからないが、急に包丁を取り出して、ぼぅーっと眺めていた。どのくらい時間がたったのかわからないが、はっと我に返ることができた。自分が何をしているのか、理解できなかったが、このままだと私は危ないということだけはわかった。本当に、自殺してしまう。ここから私は、私自身を客観的に眺めているようなことしか覚えていない。何を思ったのか、運動靴を履いて、外に飛び出した。家に近くにとても長い坂道がある。たまにランニングでも使っている。その坂を一心不乱に駆け上がった。息が切れるがそんなことは気にならなかった。普段は、坂をしたから上まで走って登り切ったことはなかった。この時の私は、無我夢中。頂上に着くと、すぐさま坂を下る。
そしてまた昇る。また下る。5往復ほどした頃に、日光が照り付けた。日光のエネルギーとは、対照的に私の体は疲弊している。
しかし、このとき太陽を眺めて思った。
「なんて小さなことで悩んでいたんだ。」
と。たかが恋愛、人間の2人や3人に裏切られたぐらいのこと、太陽に比べたら小さい。気が付くと、日光に1時間も当たっていた。
家に帰ると、今まで暗かった部屋は明るく気分爽快だった。さっさとシャワーを浴びて、学校に行く準備をした。これを機に、とりあえず自殺を考えることはなくなった。これをうつ病と言っていいものかどうかわからないが、彼女に裏切られてからこの日までは生きた心地がしなかったし、ほとんど何も覚えていないのも事実である。
それから一ヶ月もしないうちに、突然メールが来た。内容は、小学校のころ隣のクラスだった。今、同じ県にいるということを聞いたから、連絡してみた。というものであった。
正直、こんな胡散臭い話はないと思った。インターネットで「昔の知り合いが急に連絡してくる」と検索してみたところ、「ツボを買わされる、宗教勧誘」など、悪い記事ばかりが目に留まった。もう二度と騙されないと思い、無視し続けた。
しかし、メールは送られてくる。しつこいから、適当に返事をすると
「一緒に、ごはんでもどうですか。」
と言われた。明らかに、ツボを買わせるのかと、あきれてバイトを言い訳になかなか誘いに乗らなかった。約一ヶ月もの間、誘ってきた。まだあきらめないのかと感心したほどだった。しかし、一ヶ月もツボを買わせるために連絡するかと疑問にも思った。ほかの人にターゲットを変えるはず。
結局、一ヶ月経過しても誘ってくるので、申し訳なさから一度だけ行ってみることにした。もちろん、店も迎えも相手にさせた。
行ってみると、何となく見たことのある顔。しかし話したことはなく、簡単なあいさつを済ませてお店に連れて行ってもらった。驚くことに、高級感のあるお店。わざわざ小学校のアルバムまで持ってきていて、一人ひとり、昔の思い出や、今は何をしているのか話してくれた。ツボの話はいつするのかと構えていたが、結局その日は2時間程度思い出話をして、帰った。
それからも、何度か誘われたが、適当に言い訳をして断り続けた。
ある日、遠出して知り合いに会いに行くから来ないかという誘いを受けた。集団で勧誘するつもりかとも思ったが、一緒に行ってみることにした。
ついた先は、シェアハウス。いろいろな人が住んでいて、外国人や学生などが住んでいた。そのまま夜は、パーティをして、様々な業種の方と話ができた。
帰りは、私自身が運転をした。今日一日の疲れが出たのか、助手席で寝ている姿を見てこの人なら信用できるかもしれないと思った。疑り深く、そっけない態度だったのに、しつこく声をかけてくれた。もちろん私が悩んでいたなんてことは、話していない。普通冷たくされたら、離れていくものだろう。その相手が、顔見知り程度ならなおさらだ。
この日から、信用できる相手が一人増えた。仕事をしているせいでなかなか時間が取れないらしいが、たまにドライブを楽しんだりもした。さすがに、実家に行ったりしたことはないが、信用できる友達を紹介してくれたこともあった。私は、そんなこと何もしてないのに。
私が自殺を思いとどまった日から、約一年がたち、ようやく元の心の状態に戻りつつあるいま、私は卒論に追われている。彼は、仕事が忙しく時間が取れないらしい。
そんなとき、彼は高熱や風邪、やけどを負ってしまったという連絡を受けた。時期はクリスマス直前。今まで、お世話になっておきながら大したことも出来なかったが、この時ばかりはキリストからのチャンスをもらったと思い些細なプレゼントをした。もちろん、今までの恩返しには到底見合わない。けれど、少しでもハッピーになってほしかった。結局、プレゼントに喜んでくれたかは不明であるが、少し元気になったようだ。
このような出来事があって、最近彼のことが気になっていると自覚した。だから、同じ大学の進学をするという風に決めたのだ。
もちろん、同じ大学生が嫌だという理由が性格の不一致というものだけではない。いくつもある。同級生だけでなく、先輩や後輩にも嫌気がさしている。他人を信用しなくなったつまり、他人に興味を持たなくなった私がどうして、そこまで嫌なのかというと、とにかく不正が多いのだ。正直すぎる私の性格もどうかと思うのだが、テストになれば過去問、過去問・・・レポートも、先輩のものを後輩が受け継ぎ、丸写し。これじゃあ何のために大学に来たのかわかりゃしない。
しかし、今のこの国ではそんな人が社会では優位に立ちやすい。私は、よっぽど高卒のときのほうが正直で誠実であると思う。大学で、怠けることと不正をして自分に嘘をつくことを学び、口先だけで社会を切り抜けていく。社会が廃っていくわけだ。それなのに、ニュースでは、見当違いなことを議論している。気づいている人もいるが、周りに流されている。私もその一人であると思う。
世界中で同じようなことが起こっていると思う。だからこそ、この世界から脱出してどこかほかの場所に旅立ちたいと思う。
私には、目標がある。私の信じられる人とのコミュニティを築くことだ。出来ればその人たちで、小さな村でも作りたいものだが、それは私のエゴだ。もしかしたら、嫌だと思う人が出てくるかもしれない。けれども、そんな気分だ。
「さあ、出発しよう。さっさと、こんな世界を出ていくんだ。」