ふたりの旅立ち
ランが家に来て、1年が経とうとしていた。
この1年は僕の短い人生の中で忘れることのできない大切な時間だった。
ランと過ごした楽しい時間。
毎日毎日、お喋りをして、体調の良い日はお散歩にも行った。
僕は、ランの優しい瞳に包まれて毎日を送ってきた。
かけがえのないたったひとりの友達。
僕の生涯のたったひとりの友達。
その友達とのお別れも近づいていた…
ある晩、夢を見た。
その夢は、不思議な夢で、ランがお婆ちゃんになっていた。
お婆ちゃんになったランは、僕の手を掴んで空を飛び始める。
「あきら、いいかい、よく聞くんだよ」
ランお婆ちゃんは、下を指さし、
「ここから、お父さんとお母さんをずっとずっと見守っていくんだよ。あきらが、みんなに見守られていたようにね」
「うん」
それからランお婆ちゃんは、馬になって空を走り始めた。
その日以来、あまり、起き上がることができなくなった。
熱も下がらなかったし、此処がどこなのかさえ定かではなかった。
目を開けると、お母さんの顔がうっすらと見えた。
ある時は可奈子さん。ある時はお父さん。ある時は学校の先生の顔が見えた。
だけど、すぐに目を閉じた。
目を閉じると、いつもランがいるからだ。
だから、目を開けることはしなかった。
目を閉じてランとお喋りするんだ。
それ以来目を覚ますことはなかった。
「ああっ、あきらちゃん…」
母が僕の冷たくなっていく体を抱きしめた。
「なんでっ!何でなのっ。この子が一体何をしたっていうのっ。ねぇ、何でなの…何で…」
お母さんはいつまでも泣いていた。
ランは、お母さんをじっと見つめていた。
お父さんがお母さんの肩を抱き部屋を出ていった。
「少し休みなさい」
と、優しい声をかけながら。
ランとふたりきりになった。
ランは僕の顔をペロペロ舐め始め、舐め終わると枕元で丸くなって目を閉じた。
僕のお葬式が終わると、仏壇に遺影が飾られた。
遺影の周りには果物や僕の大好きだったポテトチップスや、コーラが並べてある。
ランは僕の仏壇の前でじっと僕を見ていた。
遺影ではない。仏壇の中の生きている僕をだ。
それから暫くして、ランの後ろ脚が麻痺し始め、感覚がなくなったのか、動かすことができなくなった。
歩けなくなったランは、前脚だけで身体を引きずって移動した。
「ランちゃんこっちよっ。さあ、おいで」
お母さんはなるべくランの身体を動かすことを心掛けた。
後ろ脚も丹念にマッサージしてあげる。
そのうちに前脚も動かなくなった。
ランも寝たきりになった。
お母さんは、ランのベッドを僕の部屋に移動した。
笑っている、僕の遺影の前にだ。
ランは、横たわったまま僕を見つめている。
そのまま、目を開いたまま息を引き取った。