ランとの出会い
その小犬は、じっとこっちを見ていた。
その小犬は、町外れの居酒屋の店内の隅にある、小さな犬小屋の中にいた。
その、小さな犬小屋の中から、じっとこっちを見つめていた。
僕は病気だった。
病気のせいで学校に通うこともままならなかった。
だから、僕には友達がひとりもいなかった。
だけど僕は学校に通うことが大好きだった。友達はいないけど一緒に給食を食べてくれる優しい先生がいたからだ。しかし、学校に行くとすぐに熱を出したり倒れたりして早退することが多く、給食もあまり食べることができなかった。
お父さんはとても優しく、よく仕事が終わると僕を居酒屋に誘ってくれた。
その日も、仕事から帰ってきたお父さんが、
「あきら、飲みに行くぞ」
と、いつもの居酒屋に誘ってくれた。
「おい、お前もこい」
と、お母さんにも声をかける。
お父さんとお母さんはとても優しかった。
僕が熱を出して寝ている時も、いつもそばで手を握って微笑み続けてくれた。
お父さんは僕の病気のことに触れるのを避け、熱が出て学校で倒れた時も、何も言わなかった。
そのかわり、僕の病名も、病気が治るのか治らないのかも、いっさい教えてくれなかったけど…
僕が病気のことを尋ねると、
「大丈夫だ、心配するな」
と、それしか言わなかった。
そばで聞いているお母さんは、いつも、悲しそうな顔をしていた。
居酒屋は、お父さんの長年の友達がやっているお店で、僕が行くと、
「おっ!呑んべぇが来たかっ!」
と、大きな体を揺すって、コーラを持ってきてくれる。
僕は、コーラを飲みながら、お父さん達の何がなんたわか分からない会話にじっと耳を傾けて、つまんなくなると、いつもきょろきょろと店の中を見回していた。
その時、店の隅にある犬小屋に気がついた。
「ねえ、お父さん、犬がいるよ。こっち見てる」
お父さんは、
「イヌ?おい、松っつぁん、お宅、犬を飼い始めたのかい」
と、大将に尋ねた。
「ああ、一昨日ね、知り合いが亡くなってさあ…それでね」
大将の話によると、身寄りのない老人が家で亡くなって、犬の引き取り手がないから、うちの店で取り敢えず預かったという。
「近所の人に頼まれてね。しかし、いつまでも置いとけないしなぁ。ほら、うちも飲食店だからね…」
お父さんが千鳥足で小犬に近寄っていった。
「ほう、可愛いな…」
「おい、ちょっと来てみなさい」
と、お母さんを呼んだ。
その犬を見たお母さんも、
「まぁ、可愛いワンちゃんね。じっと見つめているわよ」
お父さんが、
「おい、松っつぁん!この小犬は何犬だいっ」
と、勢いよく尋ねた。
「なんだっけかなぁ、確か、マルチーズと何かが混じってるって、言ってたなぁ。なんでも、いっさい吠えず、まあ、大人しい犬だってさ。歳は10歳だって言ってたなぁ」
焼き鳥を炙りながら大将が答える。
「そうか…そういうことなら、うちで引き取るか。どうだい、母さん」
「いいわよ。大人しそうだし」
僕は、そんな両親の会話を聞きながら、小犬を見ていた。
小犬も僕をじっと見つめていた。