Fall in wOndErlAnd
落ちてぶつかったものだと思った。
だから目を閉じた。
そのはずなのに、まだ落下する感覚が続いている。
痛みも衝撃もなく、ただただ落ち続けているような。
尤も、頭が潰れてしまったならそんなことに疑問を抱く思考すら浮かばないだろう。
ゆっくりと、目を開ける。
「っ!?」
私は石造りの巨大な吹き抜けの螺旋階段の真ん中を落ちていた。
上は光の点になるくらい、下もよくわからないくらいの高さだ。
セーラー服の襟もスカートも長い髪も、全てが重力に逆らって上に向かい、ばさばさとはためく。
学校の屋上の面影すらない、全く知らない場所である。
円周の壁は所々広がったり狭まったりしていて、あたかも私の方が大きくなったり小さくなったりしているかのように錯覚する不思議な作りだ。
…それにしてもこれは、落ち続けて死ねない地獄なのかしら。
とても現実離れした光景である。この世…というのは既に私が「こちら側」なのだから正しくない気がするけれど、とにかく私が生きていた現実であった世界とは、違う世界のよう。
落ち続け、何度か巨大化と縮小を繰り返したのちにようやく地面が見えてきた。
それにしても、目の前の螺旋階段をみていると酔いそうである。
なぜか仕切り直しになってしまったけど、これでようやく…と思いきや、地面に叩きつけられる前にふんわりと勢いが削がれ、お尻から優しく地面に着く。
「な、に…?」
その瞬間、四方八方から大量に何かが飛んでくる。
…それは、トランプ。
どこからともなくひらひらと舞い込んだそれはへたり込む私を取り囲むように飛び始め、あたかも隊列を組んだ兵のように綺麗に並んで円を狭めてくる。
なんとなく、嫌な予感がする。
逃げ道を探して周りを見回すと、トランプの向こうにドアを見つけた。
身を低くしてそこに向かって一目散に駆け出す。
同時、殺到するトランプ。
私の身を守るのはセーラー服のみ。薄いカードで手や脚が浅く切れるけれど、構わず突っ切って扉を開け放ち、その向こうに飛び込んだ。
「きゃ…!」
飛び込んだ瞬間、誰かにぶつかりそうになって身をかわして盛大に転倒する。
扉は開けたままだがトランプは追いかけてくることなく、そのまま部屋で舞い続けている。
「……」
黒と臙脂色の長いコートを着た青年が私を見下ろす。
驚いたことに、私と同じ白い髪に…赤い、瞳。
彼はコートに提げられた剣が鞘から抜き放つ。
その切っ先は、床に転がったままの私に向けられている。
「え…」
「双子の予言通りだな」
青年は忌々しげにそう呟き、剣を振り上げる。
何のことだかさっぱりわからないけれど、私は今、殺されようとしている。
自分で死ぬのは構わないと思っていたけれど、こうして殺意を向けられるのは存外に怖い。
なにより斬られるのはとても痛そうだ。
…飛び降りも十分に痛そうじゃないか、とかそんな無粋なことは言わなくてよろしい。
しかしその剣は、私と青年の間に飛び込んで来た何者かによって防がれた。
さっきから死にそうになるたびに何かに妨害されるのだけれど、神様はそんなにまでして私を死なせたくないのかしら。
「ギリギリセーフ。あっぶねー」
声と見た目の限り、私と同年代の少年のようだ。両手に持った拳銃を交差して剣を受け止めている。
「邪魔をしてくれるな、『帽子屋』の」
少年はそれに答えず、銃身で剣を押し返して青年の脇腹に蹴りを浴びせ、吹っ飛ばす。
そして彼は私を抱えると、叫んだ。
「アリス!マーチ!回収ワイヤー頼む!」
…はて、なんとなく聞き覚えのあるような名前が続くものですね?
そう思った瞬間、凄まじい勢いで横っ飛びに飛んでいく。
またか。また飛ぶのか。
少年にがっちりと掴まれているから落ちたりはしなそうだが、苦しい。
急降下するジェットコースターのようなスピードで迷路みたいな建物の中を曲がりくねって飛んで行く。
こういうの、苦手である。
曲がる時のお腹がきゅーっとなる感覚はどうも好きになれない。
しかしいくら絶叫マシーンが好きな人でも支えるものが人の腕一本だったら嫌であろう。たとえ物理的に安全でも、精神的にくるものがある。
しかし、激烈なスピードの逃亡はあっけなくすぐに終わる。
建物の出入り口から二人して勢い良く飛び出した私たちは、柔らかい土の上をごろごろと転がって行く。
「あらら、まるで釣りみたいね。おばかなヘタレで可愛い女の子が釣れたわ」
「というかさ、これ引き戻したあとのこと特になんにも考えてなかったんだね二人とも…」
転がった私と少年は細い紐のようなものでがんじがらめになっていた。
ちなみに、少年の方は私を守って木に頭をぶつけたようで、気を失っている。が、息はしてるし命に別条はないだろう。確証はないけど。
絡まった紐は彼の腰あたりから伸び、反対の端は小柄な栗色の髪の少女の手に握られている。
それは彼女かなにかをすると、ふわっと光の粒になって消えてしまった。
「ほら、起きろヘタレ。置いてくぞ」
その少女が少年に蹴りをいれて起こしている横で、もう一人の少女が私を抱き起こしてくれた。
黒髪に黒い瞳。愛らしい、人形のような顔立ちの優しそうな子だ。
「歩ける?とりあえず車で拠点まで戻るから、一緒に来て。色々説明しないといけないし」
彼女は私よりも背が低いのに、腰が抜けてフラフラする私に肩を貸してくれた。
蹴られて起きた少年が運転席に、蹴ってた子が助手席に、私と黒髪の女の子が後部座席に座る。
って、一瞬とはいえ頭打って気絶してた人間が運転していいものなのか?…まあ、いいけど。
「怪我はない?」
「え、ええ…さっきいろいろあってちょっと切り傷になったけど、それくらい」
少女は私の手足をさっとみる。
「女の子の身体に傷つけるなんて、やっぱり『女王』の派は野蛮でいやね」
そう言って手元に何かを取り出す。青地に黒の模様が描かれた裏面のトランプだ。
私を襲ったのはたしか、赤地に白の模様が描かれていた気がする。
「ハートの3、癒しの光よ」
彼女がそう唱えると、淡い青の光が私を包む。
そしてあっという間に私の傷を治してしまった。
「ふふ、トランプは得意なの」
そういう問題なのだろうか。
とりあえず、お礼は言う。
「あ、それはそうと自己紹介がまだだよね。私はアリス。で、その微妙に頼りないのがビリーで、そっちの子がマーチっていうの」
少女、アリスの説明に、少年が文句を付ける。
「おいおい微妙とか頼りないとか本人の前で言うなよ」
「でもカッコつけたくせに頭打って伸びてたじゃない」
「ぐぬ…」
返す言葉もないようだ。
アリスに視線で促されたので、私も自己紹介をする。
「私は月乃。だけど…なんていうかその」
「違う世界から来たんでしょう?」
アリスが単純明快に答えを用意する。
確証はないし、私にもよくわからなかったが、多分そうなのであろう。
この世界は、私のいたところとは違う。よくみれば窓の外の景色も変だし、車の仕組みもなんか私の知っているものと違うし。
だけど言葉は通じる…不思議だ。
「トランプ占いから貴女が異世界からあの塔にやってくることが予測されたの。多分『女王』の方も私たちと同じように何かでそれを知って貴女を捕らえに来るだろうから、ってことで三人で助けにきたの」
トランプ、本当に得意なんだ。
「でも、なんで異世界からきた私を狙って?」
「ま、あいつらのことだしろくな目的じゃないと思う」
「っていうと…?」
「よくわかんないけど実験動物とか?とりあえず、絶対しくじるなって言われた」
アリスの代わりに微妙なビリーが答える。
さらっとおぞましいことを…。
それからは私の緊張をほぐすためか、取り留めもない会話をして、車を走らせていた。
それから結構な距離を走って、ようやく目的地についたようだ。
車をガレージに停め、三人に連れられて建物に入る。
「ここが私たちの隠れ家。これからはここで一緒に過ごすことになるわ」
先導していたビリーが扉を開けている間に女の子三人が先に入る。
中は古い喫茶店のような内装だ。
カウンターの奥に、うつらうつらしている女の子と、タバコをふかす男性がいた。
この世界のタバコは香ばしいビターチョコレートの匂いがするのね。これならちょっと歓迎。
女の子はウトウトしたままだが、男性は私たちに気付くとタバコを消し、カウンターを出てこちらにやって来た。
「そいつが例の娘か。お前ら良くやったな」
「なんとか無事に。二人が無茶な作戦立てるから一時はどうなるかと思いましたけどね」
そう報告するアリスにビリーとマーチが食ってかかる
「止めなかったアリスもアリスだろ」
「最悪死ななければアリスが治癒すればなんとでもなるんだしそれでいいじゃない」
!?
…なんかマーチさんがすごく物騒なことを仰っているのですが。
私の視線に気付いたのか、マーチが少ししまった、と言うような表情をした。
「…ビリーの話よ?」
「どっちにしろ仲間を危険に晒す作戦は感心しないな」
男性が二人の頭に手を載せる。
「もちろんアリスが止めなかったのもアレだが…アリス一人でこの二人のブレーキ役はちと無理があるか」
軽くため息をつくと、一拍おいて笑みを浮かべた。
「まあ、全員無事で帰ってきて、こうして作戦も成功したんだしお説教はこの辺だな。とりあえず飯にするか。今日は人も増えると思ってたから少し奮発したぞ」
彼はカウンターに戻ってしまった。
「えっと…あの人は?」
「帽子屋さん。私たちは彼の下で女王の派に対するレジスタンスをやってるの」
レジスタンス?
「そこいらのことも含めて食べながら説明しよう。何より俺はお前らが心配で朝からなにも食ってないから腹ペコなんだ」
カウンター席に左から、ビリー、アリス、私、マーチの順に座る。
アリスは席確保すると、カウンター内に入って冷蔵庫から飲み物とコップを持ち出しみんなに配る。
「その子は起こさなくていいの?」
「ああ、こいつはいつも寝てるからな。起きた時に適当に何かしら食ってるし、ほっといて平気だ」
私がカウンター奥の女の子を指して尋ねると、鍋からビーフシチューのようなものをよそいながら帽子屋さんが答える。
彼はカウンターの向こうで食べるようだ。
「改めて。俺は帽子屋。赤の女王の派に対するレジスタンスのリーダーだ」
「えっと、私は月乃です。まだいまいち把握できてないけれど、異世界から来たみたいです」
ふむ、と帽子屋さんが頷く。
「まあ、お前さんの方のことはとりあえずおいといてだ。とりあえず、こっちの事情から説明するか。食べながら聞いてくれ」
と、言われても、食べながら話を聞いていたらおそらく全く耳に入らないと思うので先にきちんと聞いておくことにした。
この手の話はあとで聞きなおすと面倒くさそうだし。
曰く、元々この国は白の女王が統治していた。しかし、今統治している赤の女王は彼女を殺し、統治を奪った。
初めはその体制に多くの民は反発していた。しかし赤の女王はそれを赤の騎士団と呼ばれる親衛隊、つまり武力で押さえつけ、逆らうものを排除した。
しかし赤の女王に反発する人々もいなくなったわけではなく、この国の辺境にある元白の女王の騎士団に守られた地区で過ごしており、膠着状態を保っている。
今いるのはそんな地区の中でも中央に近いところであり、私が落ちて来た塔は国の丁度真ん中あたりに位置するようだ。
白の騎士団に守られているとはいえ、赤の騎士団に対抗出来る力を持つものはなかなかおらず、レジスタンスというものはほとんどなくなってしまったのだが、ほぼ唯一、赤の騎士団の幹部とも張り合えるくらいの力を持った人々が集まるのがここ、帽子屋の派であるらしい。
確かに微妙なビリーですら女王の部下であるらしいあの青年を退けていたし、あながち誇張でもなさそうである。
で、力を持ち、自由を求める帽子屋の派は仲間を集めながら赤の騎士団に対抗して女王の計画を妨げているらしい。
「女王の計画ってなんですか?」
「んー、まあ、目的よくわからん。…よくわからんが、今の所は人体実験やら、合成獣の創造をやってたりする。騎士団の連中はそんな実験の成功例を取り込んだ連中ばっかだ」
「私が小さい頃に、街ごとみんな彼女らの施設に攫われて、誰一人生きて帰ることはなかったって聞いたこともあるよ」
思っていたよりもおぞましいことをしていたらしい。
「ちなみに、今回お前さんを狙っていたのはおそらく異世界の魔力を狙っていたんだろうな」
「そうね、少し違う匂いがするけれどこの世界でもかなり高い方だと思う。何か使えるの?」
…?
よくわからない。のだけれど。
「私は魔法とか使えないよ。というか、今初めて魔法が使えるなんて人と遭遇した」
「「「「え」」」」
何故かみんなガン見している。
この世界では魔法が使えることは割と当然らしい。
「…月乃の世界では、誰も魔法使わないの?」
信じられない、というような顔で私を見つめるアリス。
「ええ。…たまにそういうのを手品とか、嘘で似たようなことをやる人はいるけれど」
「ふーん…?」
「なんか、不便そうだな」
「そうでもないよ、魔法がないかわりに物質文明が栄えてるから」
いよいよみんなの頭に?マークが並び始めたので話題を変える。
「つまり、女王は余所者の私を貴重なサンプルとして実験の素材にしようとしていたかもしれない、ってことかしら」
「んー、まあそんなところだろう。一応今回はうまく逃げられたが、これからもそううまくいくとも限らない。取り敢えず、しばらくは必ず俺らのうちの誰かと一緒にいるんだ。出来れば魔法も使えるようにしておくといいかもしれないな」
「魔法なら私が教えるね。この中では一番得意だし」
「ああ、それはアリスが適任だな。任せた」
アリスに求められるまま握手をかわし、にこにこ顔の彼女に曖昧な笑みを返す。
少し安心してお腹が空いたのでようやくビーフシチューに手をつける。
が、案の定冷めきっていた。
「あ、あっためなおすよ。見ててね」
彼女が手を翳すと、青い光が一瞬輝く。
「魔法が使えると火をつけなくてもあっという間にあっためられるんだよ」
得意げに笑うアリス。ビーフシチューは美味しそうに湯気を立てている。
「ありがとう。いただきます」
そういえばいろいろあって忘れてたけど、飛び降りを遂行したときに飛び散ったら汚いからって理由で一日何も食べてなかった…。
煮込まれたお肉が口の中でとろける。シチューも野菜や肉の旨味がとけていてとても美味しい。
美味しいものは心を動かすもので、なんとなく、生きてて良かったなぁという気分が湧いてくる。
「ふふ」
些細な幸せに浸る私をアリスが見つめ、微笑む。
なんというか…アリスの絡みがさっきから何と無くレズっぽいのだけど。それだけが心配である。
「あれ、なんか人が増えてる。どちら様?」
食べ終えた頃、何処からか猫がやってきた。毛並は真っ白で、青い瞳の猫。しかもしゃべってる。
そろそろ私も理解してきた。
今までの法則的に恐らく不思議の国のアリスの世界観の名前がついてるはずだ。
ならば猫といえば…チェシャ猫でしょう。
「あ、スマン。お前の分の飯を考えてなかった」
「嘘だろ帽子屋…僕に肉を食えというのか…」
「昔はよく食ってたじゃないか、俺のビーフシチュー」
小皿にシチューをよそいながら帽子屋さんは文句を言ってやってくる猫に語りかける。
器用にカウンターに登ってきて、私の前にちょこんと座るチェシャ猫(仮)。
「まあいいや。それより、この子は誰なのさ」
目の前のビーフシチューにがっつきながら…って、いいのか?猫にビーフシチュー出して。
また自己紹介をする。そろそろ異世界から〜のくだりを恥ずかしげもなく言えるようになってきた。
「あんまりそれは事情を知らない人のとこでいうの良くないよ。バカみたいだから」
慣れてきたとはいえやっぱり違和感拭えないんだからやめて。本当に。三味線にするぞ。
「冗談さ。見ず知らずの人間が女王と繋がってないとも限らないだろう?」
そう言われればそうだけど…。
だけど、やっぱりムカつく。皮はいで三味線にしなければ気が済まない。
「そうそう、自己紹介してなかったな。僕はスノウ。スノウドロップだけど、長いからスノウで」
…!!?
思っていたのと違う名前が出てきたので、脳内でアリスのお話からスノウドロップを検索する。
…ああ、「鏡の国のアリス」の方の、鏡の向こうじゃない現実の方で出てくる子猫ね。なるほど。
納得はしたけれどなんかもにょもにょするなこの猫…。
やっぱり、三味線にしないと。