正月企画「夢」
「なに……ここ……」
「良く言えば狩猟小屋だな。しかし、あばら家と言った方が正しいか……」
「いえ、そういうことではなくて……っていうか、あなたは誰ですか?」
「実に良い質問だが、知らん」
「ちょっと、知らないってどういうこと? 意地悪言ってないで、ちゃんと名乗って下さい」
「本当に知らんのだ。どうにも思い出せない」
「ええ? それって……記憶がないってこと?」
「おそらく。それで、お前は誰だ? ここはどこだ?」
「だから、ここがどこなんて私が知りたいわよ。あ、でも自分のことはちゃんと覚えているわ。私はミレーネ。ミレーネ・モレト。父はモレト男爵よ」
「モレト……知らんな」
「まあ、あなたに記憶があったとしても知らないと思うわ。うちは領地もすごくすごく小さい貧乏貴族だし、父もあまり人前には出ないから。でもきっと、あなたはかなり良いお家の出身なんじゃないかしら?」
「そうなのか?」
「そうよ、だってすごく……立派な身なりをしているもの。それがなぜここにいるのか疑問よね。外はすごい大雪なのに。しかもこの小屋の周りには……他に家もなさそう。木ばっかりだわ」
「……ああ、まったくだな。それにしても、私が覚えていることと言えば……朝、目覚めてから……雪が積もっていることに気付いて、庭に出たんだ……嬉しくて。それで滑って……今も後頭部が痛むな」
「ええ? 大丈夫なの? それにしても、ずいぶんマヌケね」
「マヌケとは失礼だな。それならお前はどうしてここにいるんだ?」
「私は……玄関前の雪かきをしようと思って、外に出たら……滑って転んだのよ。それで気が付いたら、ここにいたの」
「なんだ、お前も十分マヌケではないか」
「違うわよ! 私は働こうとしてたんだから。子供みたいにはしゃいでたわけじゃないもの。それにお前じゃないわ、さっき名乗ったでしょ? ミレーネって名前があるんだから」
「ではミレーネ、私は……」
「そうね、名前を思い出せないなら、ナンシーでいいんじゃない?」
「ちょっと待て。ナンシーは女の名ではないか。しかも、なぜナンシーなんだ?」
「名無しだからナンシーよ。いいじゃない、女性みたいに綺麗な顔してるんだから。腹の立つ」
「なぜ腹を立てる?」
「私より美人だから。私もナンシーくらい綺麗だったら、さっさとお金持ちと結婚して、両親や妹たちに楽をさせてあげられるのに……」
「美人と言われても、ちっとも嬉しくないぞ。というか、ナンシーは決定か」
「ええ、決定。それよりも、お腹がすいたわね」
「確かに」
「ここって、人が住んでる気配はないわよねえ。薪は十分にあるし、どうにか火もおこせたけど、食料は……。この雪じゃあ、外にも出られないし……今はいったい何時かしら? お天気が悪くて見当もつかないわ」
「今は……正午を回ったところだな……」
「ちょっと! ナンシーってば、懐中時計持ってるの!? すごいわね……」
「だが、時計では腹は満たされんぞ」
「そりゃそうだけど……。とにかく、あちらが調理場みたいだから、何か食べるものがないか、見てくるわ」
「人の家の物を勝手に頂くつもりか?」
「だって、背に腹はかえられないもの。少なくとも、雪が止むまでは外にも出られそうにないし」
「そうか……。では、後で家主には礼をせなばならんな」
「……そうね。無事にここから脱出できればね」
◇ ◇ ◇
「もう……三日になるか……」
「ええ。かろうじて見つけた保存食ももう……」
「この小屋の所在位置がわからないから、うかつには動けないしな……」
「そうよね――あら? やっぱり! ウサギだわ!」
「え?」
「ほら、見て! 窓の外! あそこにウサギがいるの!」
「ああ、本当だ。可愛い――」
「罠を仕掛けましょう!」
「え?」
「奥に道具があったもの! 上手くいけば、今日の夕飯になるわ!」
「え?」
「シチューは無理だけど、ドライハーブで香草焼きに出来るわね!」
「……まさか、ウサギを食べるつもりか?」
「それ以外に何があるの? ウサギに頼んでも助けを呼んで来てはくれないわよ」
「まあ、それはそうだが……って、ウサギだぞ? あんなに愛らしくふわふわとした」
「そうね、上等な毛皮になるわ!」
「毛皮……」
「……もしかして、ナンシーってば、ウサギを食べたことないの? 鶏肉みたいで美味しいのよ」
「そうか……」
◇ ◇ ◇
「よし、これでいいわ。じゃあ、今は幸い雪も止んでいるし、ちょっと罠を仕掛けてくるわね」
「待て。それなら私が行く。女性にそんな危険なことをさせられるか」
「その騎士道精神はありがたいけど、罠を仕掛けた経験はあるの? それに、ナンシーは雪の中を歩ける格好じゃないし、無理よ。私は雪かき用に準備万端、厚手の皮手袋だって完備してるもの……古いけど」
「しかし、料理から何から、全部してもらってばかりだ」
「いいのよ。慣れているし、好きなことだから気にしないで。田舎育ちの貧乏貴族はたくましいの」
「……わかった。では、せめて玄関先まで見送らせてくれ。無事に戻って来られるよう、祈りを捧げよう」
「もう、大げさね。でも、ありがとう」
「……ああ」
「あら、ここまででいいわよ」
「いや、ちゃんと外まで送る」
「そう? でも、足元も悪いし――きゃっ!」
「ミレーネ!!」
◇ ◇ ◇
「――ミレーネ。……ミレーネ?……ミレーネ!」
「は、はい。何でしょう、お母様?」
「あなた、この頃少し変よ。この前の冬に、玄関先で気を失っていた時から。幸い怪我もないようだと安心していたけれど……」
「心配しないで。わたしは大丈夫よ、お母様。ただ……ほら、手袋を片方失くしてしまったでしょ? 次の冬までには、どうにか用意しておかないとって考えていたの。もう片方だけで雪かきするのはつらいもの」
「それにしたって、あれからあなたは……ぼうっとすることが増えたわ。どこか遠くを見て、誰かを想っているような……」
「まさか! そんなことないわ!」
「そうかしら? 現に先ほどだって――」
「お母さま! お姉さま! 大変よ!!」
「エミリ、そのように大声を上げて走るなど、はしたないですよ。まあ、マギーまで」
「でも、お母さま! お外にすごく立派な馬車が止まったの! 四頭も馬がいるのよ!」
「それにお付きの人もたくさん! まるでお姉さまがいつもお話してくれる物語みたい!」
「ひょっとして、本当に王子さまかも!」
「誰が来たのかトマスに聞いて来ていい!?」
「だめよ。自分から執事に用件を聞きに行ったりはしないの。ちゃんとトマスが取り次いでくれるまで待ちなさい」
「えー!!」
「そんなのつまんない!!」
「ほら、トマスが来たわ」
「失礼いたします。ミレーネ様にお客様がいらしておりますが……」
「私に? いったいどなた?」
「それが、ナンシー様と……。しかし、それ以上は名乗って頂けないのです」
「ナンシーですって!?」
「ミレーネ、お知り合いなの? どのような方?」
「い、いいえ、その……とにかく……トマス、居間にお客様をお通しして」
「しかし、旦那様の御留守に……」
「大丈夫よ。お母様に同席してもらうから」
◇ ◇ ◇
「ようこそ、我が家へ……あら?」
「初めまして、モレト男爵夫人。突然の訪問をどうかお許し下さい」
「い、いいえ……あの……お一人?」
「ナンシー、どうして……」
「やあ、ミレーネ。久しぶりだね? やっと見つけた」
「ナンシーって……。ミレーネ、どういうことなの? こちらの紳士はどなたなの?」
「お母様……わたし……」
「正式に名乗りもせずに大変失礼いたしました。私はこのフロメシア王国の南に隣接するアキルスエ王国のヴロウィン公爵クレオ・コーウェンと申します」
「ヴロウィン公爵……」
「……アルキスエの公爵様が、いったいなぜミレーネと?」
「お嬢様には以前、大変お世話になったのです。ただその時に、うっかり私が手袋を片方お預かりしたまま別れてしまったので、それを届けに参りました」
「……手袋?」
「ええ。片方だけでは、雪かきが大変でしょうから」
「……あれは……わたしは、てっきり夢だと……」
「ああ、私も少しの間だけそう思ったよ。あの後、目を開けた時には庭で転んでからそれほどの時間は経っていなかった。この手袋を握っていなければ、そう思い続けていたかも知れない。でも現実に手の中にあった」
「ナンシー……じゃない、公爵様――」
「かしこまるのはやめてくれ。ナンシーでいい。でなければ、クレオと」
「ですが……」
「あれからずっと、ミレーネが無事か心配だった。すぐに捜し始めたが、頭のこぶが邪魔をしてどうしてもお父上の名前が思い出せずに難航したしね。しかし、ある時ふと気付いたんだ。我が国では雪は滅多に降らないのに、ミレーネは慣れた様子だった。しかも、ウサギを食べる習慣のある地域はそうあるものではないと」
「……ウサギって、みんな食べないの?」
「少なくとも、我が国では希少種で保護されているな。……とにかく、この数カ月、ミレーネを見つけたら、しようと思っていたことがある」
「……なに?」
「プロポーズだ」
「なにを――」
「まあ! ミレーネに!? 公爵様が!?」
「はい。男爵夫人、ご夫君がお戻りになられたら、ご長女に求婚する許可を頂きたいと思っています。よろしければ、それまで待たせて頂けますか?」
「ええ! もちろんです!」
「で、でも、お母様――」
「なんてロマンチックなの!!」
「お姉さま、おめでとう!!」
「こら! エミリ、マギー! 盗み聞きだなんて、お行儀の悪い!」
「だって、こんな素敵な場面を見逃すなんて出来ないもの!」
「そうよ! もちろんお受けするのよね、お姉さま!?」
「あなたたち……」
「受けてくれるかな、ミレーネ? でないと、この手袋は返さないよ」
「……それじゃ、プロポーズじゃなくて脅迫だわ」
「必死なんだ。また幻として消えてしまわないように、しっかりミレーネをつかまえておきたい。あの三日間が何だったのか今でもわからないが、きっとおせっかいな妖精か魔法使いの仕業だと思う事にした。運命の相手に出会わせてくれるようにと」
「ナンシー……」
「ガラスの靴ではないが、どうかこの手袋を受け取ってくれ」
「お姉さま、早く受け取って!」
「そうよ! この前、お話してくれた夢の中の素敵な王子さまって、公爵さまのことでしょう!?」
「私の夢の中でも、ミレーネは素敵な姫君だった。しかも、たくましくて料理上手だ。そして今、そんな姫君が現実に目の前にいるんだから、逃すつもりはないよ」
「たくましいって……褒め言葉じゃないわよ」
「魅力的だと思うが?」
「ナンシーはきっと……頭を打って、どうにかしちゃったのね。でも当然の権利として、その手袋は返してもらうわ。わたしにとってその手袋はとても大切だから。夢のような三日間の思い出が詰まってて、この先も必要なの」
「だが、返す前にひとつだけ約束してほしい」
「なに?」
「もう二度と、雪かきはしないでくれ。というより、雪が積もった時には家から出ないと約束してくれ。他にも運命の相手がいたら困るからな」
「わかったわ。でも、それはナンシーもよ?」
「もちろん、約束する。その証として、この指輪を贈らせてくれ」
「……ありがとう。まるでウサギの瞳のように綺麗な紅玉ね!」
「まあ、腹は満たされないがな」
「じゃあ、お返しに裏庭にいるウサギを贈りましょうか?」
「ウサギを飼っているのか?」
「飼っているっていうか、非常食用なの」
「そうか……」