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記録を読んでください

掲載日:2026/06/20

わたくしごとですが投稿日は私の誕生日でした。

この作品は三題噺自主企画として書いたものです。

お題『AI』『記録』『選択』

「おつりはいりません! ありがとうございました!」


 私はそう運転手に伝えると、返事を待たずタクシーのドアを開けた。スマホが一度だけ震えたが、見なかった。

 住んでいる地域唯一の総合病院。ここに来るのは、今日で何度目になるのだろう。そんなことを考える前に、足が勝手に動いていた。

 受付を済ませ、指定された病室に向かう。走りたい気持ちを必死に堪える。


『廊下は走らない! 誰かがケガしたらどうすんの!』


 親友の言葉が脳裏をよぎった。高校時代は生徒会長。社会人になった今でも、彼女の周りには自然と人が集まる。困っている人を放っておけない性格で、誰からも頼りにされていた。

 そんな彼女が、今は何も答えてくれない。

 ひとり用の病室のドアを開けると、包帯を巻かれ痛々しい状態でベッドに横たわっていた。体には点滴、心電図を繋ぐコード。自慢の茶色いロングヘアも、今は伸縮ネット包帯の下に隠れている。「トリートメント変えたんだ」と嬉しそうに話していたのが三日前。それなのに今はその髪を見ることもできない。最悪の事態が頭をよぎる。けれど酸素マスクは規則正しく曇り、胸もゆっくりと上下していた。生きている。それだけで、少しだけ力が抜けた。


「来てくれてありがとう」


 ベッド脇のパイプ椅子に座る彼女の母親が顔を上げた。近所に響きそうな大きな声で笑う人だったのにその面影もない。包帯だらけのあなたより、お母さんの方が今にも倒れてしまいそうだった。私はその考えを振り払うように彼女へ声をかける。


「いえ……あの、なんて言ったらいいのか……」


 あまりにも正直な言葉だ。もっと気遣ったことを言えただろうに。しかし一度口から放たれたものは取り消せない。


「そうよね」


 彼女の母親は疲れ切った顔で口角を上げた。


「私もずっと考えてるの。何を言えばよかったのかって。今日家を出るときは本当に普通だった……」


 その言葉に胸が痛んだ。彼女はしばらくうつむいたあと、ひざに置かれたカバンを手元に引き寄せた。

 カバンの中を探る指先が止まる。取り出したものは封筒だった。コンビニでも買えそうなありふれた茶封筒。彼女はじっとそれを見つめ、決心したように私へと差し出した。

 受け取った手がわずかに震える。考えたくもない単語が頭をよぎった。


『大切な親友へ』


 その文字を見た瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。けれど安心はできない。中に何が入っているのか分からないのだから。


「あの子から『私に何かあったとき渡してほしい』って頼まれたの。そのときは笑いながら言ってたのよ。だから私も深く考えなかった」


 胸の奥がざわつく。彼女は後悔するように唇を嚙み締めた。私はいたたまれなくなり椅子のとなりに膝をつく。


「だけど……もっと深く聞いておけばよかった」

「そうですね……私もそう思います」


 それ以上の言葉が出てこない。気づけば彼女の背中に手を添えていた。慰めたいのか、縋りたいのか自分でもわからなかった。

 彼女は目元を押さえ、一度だけ深呼吸した。


「ゴメンね。こんな話をするつもりじゃなかったのに」

「ううん。私も……何を話したらいいのかわからなくて」


 首を横に振り、病室に沈黙が落ちる。規則的に刻む心電図の電子音が何度鳴ったころだろう。やがて彼女は立ち上がった。


「着替えを取ってくるわ。少しだけ一緒にいてあげて」

「は、はい」


 彼女は身支度を軽く整え、私に一礼すると部屋をあとにした。ドアの締まる音がやけに大きく響く。

 ベッドにいる親友に視線を送る。今は痛みを感じていないのか、麻酔のおかげなのか何ごともないように眠っている。その様子を見守りながら、母親から渡された茶封筒へ目線を落とした。


 ……今ならきっと怒られないよね。


 私は意を決してかわいらしいマスキングテープで留められた封を開いた。そこに書かれていたものは。


 メールアドレスとパスワードらしき文字列だった。


 何度見返しても手紙ではなさそうだ。裏返してみるが、他に紙は入っていない。改めてメモを注視すると、文字列に加えこう書かれていた。


『記録を読んでください』


 短い一文。その下に、見覚えのあるアプリ名の文字。私が彼女に勧めた対話型AIチャットサービスだ。


「これって……」


 彼女に視線を向ける。返事はない。

 私は人の素顔を覗ける背徳感と高揚感を抱きながらスマートフォンを取り出した。

アプリ内にてログアウトし、新たにアカウント情報を入力していく。


 何かの間違いで開かないでほしい……


 私の考えも空しく、見慣れた親友のアイコンが表示された。いくつかあるチャットで『雑談』の見出しをタップする。一番古いログまでスクロールすると、彼女の会話が浮かび上がる。


『今日は雲ひとつない晴天。いいことありそう』


 思わず吹き出しそうになる。


「なにそれ」


 まるで小学生の絵日記だ。親友といえば親友らしい。真面目で、律儀で、何ごとにも一生懸命。AIとの会話すら丁寧に始めるらしい。引き続き画面をスクロールする。


『おはようございます。本日は有給休暇です』

『それはよかったですね。どのように過ごす予定ですか?』

『部屋の掃除と読書です』

『とても充実した一日になりそうですね』


 何だか微笑ましい。私は先程親友の母親が座っていたパイプ椅子に腰かけると、深呼吸ひとつし全身の力を抜いた。きっと彼女も怖かったのだろう。突然の事故と入院。だから私に今まで見せなかった部分を私にさらけ出そうとした。もし彼女の意識が戻ったら、このことを黙っていよう。

 手持ちのカバンからお茶のペットボトルを取り出し、スクロールを再開させた。


『今日も上司にお使いを頼まれた』

『大変でしたね。差し支えなければどのようなお使いか教えてください』

『駅前にあるカフェの新作を買ってきてだって。往復で何分かかると思ってるんだろうね』


 日付を確認すると、確かにその日はお昼休憩に私との食事を断り外出していた。しかもそのあと何度呼びかけても上の空で、あれはお腹が空いていたのだろうか。

 別の日のチャットも見てみる。


『今日は後輩の母と名乗る女性が、電話で本人の欠勤を連絡してきた。この後輩は上司のお気に入りで、すぐに話を通してしまった。私のときは病欠を却下したのに理不尽だ。上司といっても肩書きだけ。早く辞めたい』

『あなたの言っていることは間違っていません。大変な環境であれば、転職を検討してみてはいかがでしょうか』

『そうだね。でも私が辞めると困る人がいるから』


 指が止まった。親友らしい言葉だと思った。彼女は昔からそういう性格だった。困っている人を見ると放っておけない。学級委員も、生徒会長も、職場のまとめ役も全て引き受けていた。だから彼女はそういうことが苦にならない人間だと認識していた。

 また別の日のログを見てみる。


『道端でゴミのポイ捨てをしている青年に注意をした。そうしたら、女のクセにしゃしゃり出るなと吐き捨てられた。性別で人を区別するこの世間は間違っている』

『気持ちわかる。性別が分かれてないと成り立たないからね。ときにはスルーすることも大事だよ』

『わかってる。普段はそうするんだけど、人と一緒にいたからつい……』


 会話はここで途切れていた。私は眉間にシワを寄せた。以前見たとき、このアプリはもっと事務的だったはずだ。友だちのような口調設定に変えたのだろうか。少し安心した。完璧に見えるあなたにも、弱音を吐ける場所があったらしい。

 別の日。


『今日も頼まれごとを断れなかった。母と出かける予定だったのに。でもキャラクターっていうのかな。あの子の顔を見ると、どうしても許しちゃうんだよね。世渡り下手な自分が嫌になる』

『相手を傷つけたくないのかな? お母さんとギクシャクしなければいいんだけど。優しいんだね』

『母とはいつでも会えるから大丈夫。優しさって便利な言葉だよ、本当に』


 スクロールする指を止めた。『あの子』とはめずらしい表現だ。

 あなたは人の話をするとき、名前で呼ぶことが多い。それなのにここではぼかしている。よほど近しい相手なのだろうか。家族か、はたまた親戚か。私は深く考えず、再びスマホ画面へと指を滑らせた。


『今日も同じ話を聞いた。かと思えば、仕事内容の確認をまたしてきた。もう何回目か忘れるくらい。本人は悪気ないんだろうけど』

『大変だったね。そういうモヤモヤはよくあることらしいから大丈夫だよ』

『AIでもそんなこと言うんだ。ただ私は愚痴を聞くくらいしかできない』


 ここまでくると、彼女が現実の人間と会話しているように見えてくる。相手を『AI』とわかっていながらも、順調にキャッチボールを続けていった。私は……どうだったかな。


『最近は顔を合わせるだけで愚痴や相談される。頼りにされているというより依存に近いかもしれない。でもそう思いたくない』

『そこまでつらいなら少し距離取ったらどう? 共依存になりかねないよ』

『いや、お互いの実家が近いし、職場も同じだから……共依存か。私に限ってそれはないよ。ただちょっとしんどいかも』


 心臓が強く脈打った。なぜだろう、この彼女の言動に見覚えがあった。職場が同じ人物はたくさんいる。しかしお互いの実家が近いのって……いや、そんなはずはない。私は己の頭を軽く振り画面を注視した。


『私が勝手に抱え込んでいるだけだ。あの子は何も悪くない』

『いつも話してくれている子だよね。会話のたびにつらそうだよ。でも悪くないって思える理由って何かな』

『頼られるのが嬉しくて、必要とされている気がした。だから断れなかった。でもいいんだ、自分で選んだことだし』


 …………


『もう無理かもしれない。でも誰とも話せない』

『どうして? 私にならいつでも力になるよ』

『あなただったらね。でも根本的な問題は解決できないから。ちょっとコンビニ行ってくる。いつもありがとう』

『いってらっしゃい。無料相談ホットラインもあるから活用してみて』


 以下、ログは途絶えている。日付は……今日の朝。

 画面が滲んだ。何度も瞬きする。違う、泣いている場合じゃない。私は続きを探すように別の場所をタップした。しかし、その他のカテゴリーは空白のままだ。

 ベッドの上のあなたは眠ったままだ。何も知らないで。何も言わないで。

 スマートフォンの側面を強く握り電源を落とした。病室では変わらず心電図の電子音が鳴り続けている。

 あなたは何も悪くないと言った。自分で選んだことだとも言った。だけど、これで終わらせていいはずない。

 私は知らなかった。気づかなかった。気づこうとしなかった。その事実だけは消えない。

 記録はもう読み終えた。だが現実は終わらない。あなたは目を覚ますのか、それともそのままなのか私には選べない。だけど……この先どう生きるかだけは、私が選ばなければならなかった。

 私は眠るあなたの手を握りつぶやく。


「今度は私がちゃんと聞くね」


 自然と笑みがこぼれた。もちろん返事はない。それでも、待つしかなかった。

病室に午後の日差しが降り注いでいる。カーテンを閉めようと窓辺に近付き空を目線を上げる。

 空は雲ひとつない晴天だった。

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