旅は魂を満たす
四月二日。入学式があった翌日、高校生になって最初の授業で、俺たちは先生から腕時計型の装置を受け取った。それを左手首に巻いて、時計盤の側面にあるボタンを押す。
瞬間、体が浮くような感覚。座っていた椅子から体が離れて行って、そして一瞬で目の前が光り輝く道にいた。
教室にいたはずなのに、キラキラと輝く道を飛んでいた。
(うっ、体が熱い……!)
全身がむずむずして、連続した鋭い痛みを感じる。
光の道を飛んでいる最中に、俺の体が光の粒子となってバラバラになる。
でもそれはほんの一瞬だけで、次の瞬間には再形成される。
ただし元の姿とはまるで異なっていた。
「うわ。む、胸が……!」
男だったはずの俺の胸部に、ぷるんと大きな双丘が出来上がっていた。
全身に違和感があって、髪も長くて重い。
「こ、これが異世界での俺の姿……⁉︎」
初日の授業で、俺たちは異世界に転移している。
教室のなんでもない席から、光の道を飛んで行き、俺たちが今まで過ごしてきた世界とはまるで違う世界に向かっている。
そして異世界での姿も、変わる。
「やっぱり女の子になるのか」
学校説明会やオープンキャンパスで説明された通りだった。ウチの学校の方針は、みんな可愛い女の子になること。
覚悟はしていた。
しかし……胸が重い。
「っ! そろそろ着くかな」
光の道の先に青い空が見えてきた。
そのまま出口から体が放り出され、地面に落ちる。人一人分の高さから尻餅をついて落ちてしまう。
「いたっ!」
「いてて……ちゃ、着地失敗した」
「あー、くそ」
周りから次々と人が地面に落ちる重い音と、女の子の痛がる声や不満の声が聞こえてくる。
周りを見れば多種多様の女の子がいた。
赤い髪だったり、青い髪だったり、緑の瞳だったり、黄色い瞳だったりと様々。
「みんなも来たのか」
「あの、君の名前を聞いてもいいかな」
すぐ隣に落ちてきた白髪の女の子から声をかけられる。
みんな姿が変わっていて、ただでさえ初日だから互いに名前を覚えられていないし、誰が誰だかわからない状況だ。
「えっと稲神です」
「稲神君? 私は月城、隣の席の」
「月城さんだったのか」
俺の知る隣の席の月城さんは黒髪で、ショートヘアーだ。
しかし目の前にいる月城さんを名乗る少女は白い髪でロングヘアー。
真反対にガラッと変わっていた。
「全然違っててびっくりした」
「そうなの? 鏡がないから自分ではハッキリわからないのよね。でも私の方が驚いてるよ、稲神君がこんな巨乳の金髪美女になるなんて」
「きょっ⁉︎」
「巨乳だよ。悔しいくらい」
女の子の口から発せられた思いがけない単語に動揺してしまう。
た、確かにさっきからずっと胸が重いと思ってたけど。巨乳なんだ……俺。
それと股がスースーすると思ったらスカートを履いていた。服装も変わっている。元々着ていた学生服が、女子用の服に変わっていてまるで女装している気分だった。
「みんな聞いて!」
聞き覚えのない女の子の声が響く。
見れば大きめの石の上に登って、目立つように両腕を振って自分の方へ注目させようとする小さな女の子がいた。
中学生……いや小学生くらいかな。あれは誰なんだろう。
「私はクラス委員長の王来王家! これからみんなには私についてきてもらいます」
朝のホームルームで決まったクラス委員長の王来王家さんだった。
とても小さな女の子になっていて、トテトテと小さな歩幅で俺たちを先導する。
みんなそれについて行く。
「行こ、稲神君」
「うん」
月城さんが手を引いてくれる。見た目が女同士だからだろうか、中身が男子の俺でも月城さんはためらいなく手を繋いできた。
彼女の手は冷たくて、柔らかかった。
委員長は森の中にいた俺たちを開けた場所まで連れて行った。広大な草原と、遠くの方には高い壁で囲まれた街が見える。
「あそこが最初の街、“WE”。今から草原を抜けてあの街に行くけど、住民の方々には失礼のないようにね」
広い草原、壁で囲まれた街、そして草原を闊歩するツノが生えた大きな体格のモンスター。
元いた世界では絵本や創作世界でしか見られなかったファンタジーの光景が、目の前に広がっている。
「異世界の現地にいる人たちは、私たちが異世界人であり転移してきたことを知っています。とはいえ失礼な態度を取ったり、品性のない行いをすると信頼が失われて街から追い出されるかも知れません。みんな自分の行動には気をつけてね」
「あのー、あそこにいる化け物には注意しなくていいんですか?」
クラスメイトの一人がおずおずと手を挙げて質問する。
彼女が言っているのは近くを歩いている大柄の化け物のことだ。手に棍棒を持って練り歩いている。
「あれはオーガという鬼の一種。まあ確かに油断しないことに越したことはないけど」
トテトテと小さな足取りで近づいて行く委員長。彼女の小さな手の中には、いつのまにかナイフが握られていた。そして近くにいたオーガに向かって一気に走り出し、一瞬で首を切り落とした。
「こんな風に簡単に倒せるモンスターだけだから」
首を切られたオーガの体は、光の粒子となって消えた。
あれが異世界の戦闘……一瞬過ぎて驚きの感情が湧く前に、呆気ないなぁという感想が出た。
委員長が手慣れているのもあるだろう。経験者なのかな。
「それじゃ行きましょう」
道中次々と現れるモンスターに、委員長が倒したり、戦闘の経験のため他のクラスメイトが戦って倒したりもした。危なくなったら委員長が助けてくれる。
念じると手に剣が出現する。それをわけもわからず振り回すと、飛びかかってきたスライムを切り裂き、倒した。
倒した敵は光の粒子となって消えて行く。
「た、倒せた……! 俺がスライムを」
初めての体験。
これが異世界転移カリキュラム。異世界転移の装置を使った授業、“冒険科”。
「はははっ」
襲いかかってくるオーガや、猪頭のオークを倒して行く。
もっと強いモンスターはいないのか、と思い始めたところで委員長の声がした。
「みんなー! そろそろ街に入るよ。入る前に点呼をします」
みんな戦いを経験して気分が高揚していた。頬を赤くして、汗をかいている。委員長から名前を呼ばれると順番に返事をする。
「稲神雷狗君」
「はい」
あいうえおで並んだ出席番号順に呼ばれるため、俺が呼ばれるのは早い。
「月城輝夜さん」
「はい」
月城さんもちゃんと無事だった。
途中はぐれたけど、大丈夫そうで良かった。
「うん、全員いるわね。それじゃあ街に入るわよ」
最初の街WE。実習生はみんな最初はここに来るという。
高い壁に囲まれた街で、正門前には10人単位の門番がいる。安全性を重視しているように思える。
門番達の他に、服装が派手なしゅうだんがいた。その中でも一際存在感を持つ男性が、出迎えてくれた。
「ようこそダブリューイーの街へ。私はこの市長オムニバス・レイツです」
「お久しぶりです。事前研修の際にはお世話になりました」
「オクオカさんでしたね。どうぞ中へ、皆様を歓迎する準備はできております」
ビルよりも大きな正門をくぐり、俺たちクラスメイト達は街の中へと入って行く。
街中は中世ヨーロッパ然とした建物が立ち並んでいて、正門大通りの先には噴水と広場が見える。
噴水の向こう側には瀟洒な屋敷もある。
「ここが異世界の街……」
「すごいね、街行く人たちも色んな格好してる」
月城さんが感嘆している俺の隣に並んでくる。
「あ! 見て、猫耳が生えてる人もいる。獣人ね」
街には異種族の住民もいて、猫みたいな人も、犬みたいな人も、鳥みたいな人も、龍みたいな人もいた。
長い耳の美麗なエルフを見て、クラスの男子から称賛と感嘆のため息が聞こえる。まあ男子と言っても全員今は女の子なのだが。
そう言えば姿が変わったクラスメイトの中に異種族はいないな。
「では、この広場でご説明しましょう。みなさん横に二列に並んでください」
言われた通り並ぶ。
噴水を見上げると、真ん中には美しい女性の銅像が勇ましく立っている。
「彼女はこの街の英雄で、あなた方と同じ転移者です。異世界転移者の方々に対して、我々異世界人が求めるのは“勇気”と“知恵”。代わりにこちらからは様々なサポートをします」
オムニバス市長の横に、数人の住民が並んだ。
「ここに並んだ彼らがこの街でサポートします。戦闘に関することや、服やアイテムなどの売買は彼らを頼ってください」
「はい。質問いいですか」
「どうぞ」
クラスメイトの一人が質問をする。
「我々が戦う上での、目的はなんですか?」
「それは個々人様々ですが、最も多い目的は」
噴水の銅像を指し示す。
「英雄。冒険によって勝利と開拓を目指す方が多いですね」
冒険、と聞いて思わず胸中が湧き上がった。
そうだ、俺は冒険がしたいからこの学校に入った。例え別人に変わっても、女の子になっても、それでも俺は冒険したい気持ちがあった。
旅は魂を満たす。
俺は拳を握って英雄像を仰ぎ見た。
さあ、どこへ行こう。何をしよう。ワクワクが止まらない。