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「火のないところに煙は立たない」と言われて、私、リュエラ公爵令嬢は、噂だけで婚約破棄されました!けど、ひっくり返してやりましたよ。噂に乗せられたバカの末路がどうなろうと、知ったこっちゃありません。

作者: 大濠泉

 暖かい、春の兆しが見え始めた頃ーー。


 私、リュエラ・パードン公爵令嬢が、自宅に帰って来たのは久しぶりのことだった。

 この半月ほど、外で泊まりっきりだったからーー。


 私の家、パードン公爵邸は、王都の中央貴族街にある。

 私が幼い頃から仕えている老執事が、私を出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、お嬢様。

 相変わらず、銀色の髪も、蒼い瞳もお美しい」


「ありがとう。そして、ただいま。

 貴方こそ、相変わらずお元気そうで嬉しいわ。

 家族の様子はどう?」


「いつも通り、平穏な日々を送ってございます」


「そう。それは何より」


 そうは言っても、今の自宅は、私にとっては、ちょっと居心地が悪い。

 父のパードン公爵は後妻を娶ってから、私に対して、よそよそしくなった。

 年が離れた弟も出来てしまった。

 先妻の子である私は、正直、ちょっと家庭内で浮いている。

 でも、お父様からはもちろん、年の離れていない後妻からも、礼は尽くされていた。

 私がレムル王太子の婚約者だから。


 帰宅早々、お父様のパードン公爵から執務室へと呼ばれる。


「リュエラ。もうじき輿入れだが、準備は整っているのか」


 灰色の髪を綺麗に分け、蒼く瞳を輝かせるお父様は、割と渋いハンサム顔だ。

 それでも、私を見るときは、いつも不機嫌そうに眉を(ひそ)めている気がする。

 私は軽くお辞儀をして、愛想笑いを浮かべた。


「ええ。でも、まだあと一ヶ月ほど先ではないか、と」


 すでに執事と侍女に命じて、私の持ち物を整理させている。

 輿入れの際、私物を王宮に搬入できるけど、その数量と種類が限られているからだ。

 でも、まだ結婚の儀式も、王太子が国王に即位するのも、ちょっと先の話だ。

 お父様も日程はご存知なはず。

 

(どうして、今頃、私をわざわざ呼びつけたのかしら?)


 小首を傾げる私を見て、お父様は眉間に皺を寄せる。


「すまんな。

 三日前、王宮から使いが来たんだ。

 三日後ーーつまりは今日、宵の口に王宮へと参上するように、と。

 婚約者のレムル王太子殿下がお呼びなのだ」


 なるほど。

 私も忙しい身の上なのに、わざわざ帰宅するよう連絡してきたのは、レムル王太子が王宮へと私を呼びつけたせいなのか。

 私は、ふぅと溜息をついた。



 王宮から派遣されてきた護衛騎士をお供にして、馬車を走らせる。

 私が住む邸宅から王宮は割と近い。

 程なくして到着した。


「ようこそ、おいでくださいました」


 白髪の老紳士が頭を下げる。

 王家の侍従長だ。

 すっかり顔馴染みだ。

 私は、彼に近づき、尋ねた。

 今回、自分がレムル殿下から呼びつけられた理由を。


「いったい、何のご用件なのでしょう。

 すでに婚儀の衣装合わせは済ましておりますのに。

 それとも、春になりましたので、王妃様ご臨席のお茶会についてでしょうか?」


「いえ、今日は別件でして。

 新春の舞踏会でございます」


「え? 少々、お早くございませんか?」


「特別にレムル殿下が主催なされた会でして、同世代の方々ばかりを招待したものだとか」


「このまますぐに、舞踏会場へ?

 エスコートもなしで?

 あまりに急なお話ではありませんか。

 そうと伺っておりましたら、パーティー用のドレスを着て参りましたのに」


「この度の衣装は、レムル殿下が特別に用意しておいでだと」


 後ろを振り返れば、見慣れた顔の侍女が控えている。


「ああ、殿下専属の侍女さんね。

 サプライズか何かかしら?」


「ええ……そうとも言えます」


「?」


 侍女さんはうつむき、身体を小刻みに震わせている。

 どうしたのかしら?

 彼女、緊張してる?

 まあ、いいや。


 仕方なく、侍女の指示に従って、私はドレスを着る。


(ん? 随分と毒々しいデザインね)


 真っ黒な生地に、金銀のラメが入ったドレスだ。

 胸元が下まではだけており、背中などは、ほとんど腰まで布地がない。

 夜職の女性が身にまとうような、扇情的なデザインだ。


(殿下の趣味が変わったのかしら。

 それとも、独身最後の舞踏会になるだろうから、ハメを外せ、という気遣いなの?)


 不思議に思いながらも、私は着替えを終えた。

 そして、黒い扇子を手に、会場へと向かう。


 廊下を歩く途上、侍従長が待ち受けていて、パーティー慣れした侍従をつけようとする。

 たしかに王宮内とはいえ、舞踏会に出席するわけだから、同伴者無しというのも不自然だ。

 が、私は断った。


「婚約者がいる身ですから」


 レムル王太子以外の若い男性から、エスコートを受けるのも、付き従われるのも(はばか)られる。


 では、と侍従長は、侍女を一人、つけてくれた。

 先程の王太子殿下の専属侍女だ。

 彼女はチラッとこちらの顔色を窺う。


「何かおかしな点でも?」


「いえ……」


(なによ、思わせぶりな態度ね。

 なんだか申し訳なさそうな顔をして。

 言いたいことがあるなら、ハッキリ口にしたら良いのに……。

 ああ、そうか。

 あのレムル殿下の言いつけとあれば、仕方ない、か)


 私の婚約者、レムル王太子は、悪気はないのだろうが、権力者特有の横暴さがある。

 下の者の意向をよく確かめもせず、命令を下す。

 専属の侍女だからこそ、言いたいこともあるのだろうけど、うっかり主人に対して批判がましい口を利いたら、すぐに不機嫌になられて更迭されかねない。


(私は、そんな主人にならないよう注意しないと!)


 私、リュエラ・パードンは気を引き締めて、渡り廊下を進む。

 こうして私は、舞踏会場に、一人の侍女だけを(ともな)って入り込んだ。



 会場では、すでに十数人もの、同世代の貴族令嬢と令息が、ダンスを踊っていた。

 その周りで、待機する格好で、さらに大勢の人々が居並ぶ。

 成人してから三、四年経っているから、私たち高位貴族の子女はみな、婚約者がいて、男女でカップリングされている。

 そんな人々ばかり。


 私、リュエラ・パードン公爵令嬢が会場に顔を見せた途端、音楽が鳴り止む。

 楽団が演奏を控えたのだ。


 みなの視線が、私に向けられる。

 ヒソヒソと(ささや)き声が漏れ聞こえてきた。


「ようやくリュエラ嬢がご来場だ」


「婚約者のレムル殿下を、ずっと待たせて。呆れたものだ」


「ご覧なさいな。なんと破廉恥なドレスを」


「あの胸の露出具合ーーまるで娼婦のようではないか」


「リュエラ嬢の性格が変わられた、という噂は本当だったのか……」


 ざわついた雰囲気に包まれる。

 私は納得した。


(ああ、なるほど。

 こういう噂を立てさせるために、レムル殿下は、こんなドレスを私に着させたのか……)


 最近、(ちまた)では、私について悪い噂が広まっていた。

 私が夜毎、街に繰り出してはオトコ遊びをしている、という根も葉も無い噂だ。

 私自身は忙しくてやることが多かったので、噂の出所を確かめるつもりもなかったけど、まさか、私の悪評を演出するヒトが、婚約者である王太子殿下だとは思わなかった。


 ダンダンと、乱暴に靴音鳴らして壇上に登る男がいた。

 金髪に褐色の瞳をしていて、肩幅が広く、長身の男ーー。

 私の婚約者、レムル・ゼクト王太子殿下だ。

 そして彼の傍らに、青い髪に金色の瞳をした、タルト・テーラ子爵令嬢がいた。


 子爵令嬢タルト・テーラは、学園時代のクラスメイトだ。

 世論を操るのが巧みで、男性相手にも取り入るのが上手い。

 私が密かにつけた渾名は「相談女」。

 男性と見るや、すぐにしなだれかかり、「私、困っておりますの。相談に乗ってくださる?」と言う女だからだ。

 そして、相談に乗った男性は、利用された挙句にポイッと捨てられる。

 つくづく現金な女性なのだ。

 そんなタルト嬢は、学園時代から、「王太子狙い」を公言していた。

 幼い頃から、私、リュエラがレムル王太子と婚約しているのを承知のうえで、である。

 かなり図太い神経をしている。

 それなのに、タルトには、男女ともに取り巻きが大勢いるから不思議だ。


 で、私はというと、彼女の存在はとりあえず無視。

 何か言いたそうにしている、壇上のレムル王太子に、用件を聞いた。


「わざわざご招待くださり、感謝いたします、王太子殿下。

 でも、随分と変わった趣向ですわね。

 エスコートもなしに、婚約者を舞踏会に呼びつけるだなんて。

 しかも、このようなドレスをお選びになって」


「俺は悪いとは思わん。

 これは、言ってみれば、意趣返しだ」


「意趣返しーー?

 私、殿下に何か無礼を働きましたか?」


「しらばっくれおって。

 俺の誕生日がいつか、知っておろうが」


「はい。存じ上げております。

 たしか三月三日ーー今日から五日ほど前でございましたね」


「ほう。知っていて無視したのか。

 より悪質だな。

 なぜ、誕生日パーティーに、俺と付き合わなかったのだ!

 婚約者として許されることではないぞ」


 私は拍子抜けした。


「まさか、殿下は、私が誕生祝いに出席しなかったことで、ご立腹なされたのですか?」


「そうだ。悪いか!

 独身最後の誕生祝いとなるゆえ、俺が方々に手配して、大勢の者どもを集めたんだぞ。

 今、この場にいる者たちよりも、数倍の規模だ。

 貴族のみならず、官邸の文官や騎士、さらには平民の大商人までが集まってくれた。

 おかげで、最も盛大な誕生会となって、贈り物もたっぷりといただいた。

 だが、俺の心は満たされなかった。

 婚約者だというのに、おまえが欠席したからだ。

 わざわざ使者をおまえの屋敷に送りつけたのに、おまえは不在だというではないか!

 おまえのお父上も、申し訳なさそうな顔をしていたと、使者から聞いておる。

 俺の母上ーー王妃殿下も、おまえが俺の誕生日を祝ってくれなかったと訴えると、哀しげな表情をなされていた。

 それでも、『事情があるのよ……』と、おまえを(かば)って、言葉を濁しておられた。

 つまり、おまえは、俺のみならず、母上にまで恥をかかせたのだ。

 ただでさえ、父王がお亡くなりになって以来、母上は王権代理を務めなさってお忙しいというのに、要らぬ気遣いをさせてしまった……」


「では、本日の舞踏会は、王妃様には内緒でお開きに?」


「当然だ!

 母上は、殊の外、おまえに目をかけておられた。

 それなのに、婚約者としての不出来を見せたくはない。

 それに、おまえについては、悪い噂が立っている」


「悪い噂……?」


「婚約者である俺を(ないがし)ろにして、男と密会している。

 何日も外泊して、家族にも不安がられている。

 実際、自宅にも居場所がないありさまだ、と」


「王太子殿下。それは誤解です。

 決して、殿下を(ないがし)ろになど。

 むしろ、殿下のために、少しでも役に立とうとーー」


「俺の誕生祝いにも来なくて、か!」


「……」


「『火のないところに煙は立たない』という言葉を知っておるだろう。

 理由無く、そのような悪い噂は立たぬものだ」


「『根が無くとも花は咲く』とも言いますわね」


「でも、こいつは明らかに『根』がある話なのだ。

 目撃者がいるのだよ」


 ふん、とレムル王太子は、鼻息を荒くする。


「おまえは一ヶ月以上、外泊しているそうだな」


「ええ。そうですけど、ちゃんと理由がーー」


「うるさい!

 言い訳なんぞ、聞きたくない。

 イエスかノーかで答えろ!

 そのとき、男といた。

 そうだな!」


「男ーーそうね。

 男性といえば、たしかに男性ですわね」


「おまえとその男との逢瀬を、目撃した者がいるのだ。

 おまえは見慣れない白い衣をまとって、その男に(ひざまず)き、器を掲げ、一緒に食事をいただいていた、と。

 そして、それを他人に見られたと感づいたら、慌てて建物の中へと逃げ込んだーー」


「ああ!」


 ポンと手を打つ。


「たしかに、大樹の陰に隠れた、見慣れぬ馬車から覗いていた者がおりました。

 オペラグラスと思われるレンズが陽光に反射して……あれはーー?」


 レムル王太子は、胸元に「相談女」タルト子爵令嬢を抱き寄せる。


「ここにおられるタルト・テーラ子爵令嬢だ!

 彼女がじかに見て、確かめてくれたんだ。

 よくも俺を裏切ってくれたな!

 結婚を間近に控えた婚約者だというのに、人里離れた森の中で男と密会し、あろうことか何日も外泊しているだなんて!」


 これは、明らかな言いがかりだ。

 現に、「相談女」は、王太子の胸元で、ほくそ笑んでいる。


 私は扇子をパチンと閉じて、レムル王太子に寄り添う女、タルト嬢を指し示す。


「そちらこそ。

 婚約者よりも、別の女性を贔屓なさっては、悪い噂が立ちますわよ」


 現に、今、壇上にあって、レムル王太子は、婚約者以外の女性を抱き寄せている。

 そのさまを、大勢の貴族令息と令嬢に見られている。

 それでも、私の婚約者は堂々と胸を張っていた。


「構うものか!

 俺の誕生日パーティーに、おまえが来なかったのを嘆いていたら、彼女が俺に寄り添ってくれたのだ。

『私でしたら、なにを差し置いても参りますのに。嫌がらせかしら?』と」


「はぁ……」


 私は溜息をついた。

 私の婚約者は、「王太子狙い」を公言していた「相談女」に、案の定、まんまと引っかかってしまったようだ。

 レムル王太子はタルト嬢を抱き寄せながら、私を指さして罵倒した。


「リュエラ・パードン公爵令嬢!

 おまえには失望した。

 俺は騙されたのだ。

 残念だよ。俺は、祝福の中で結婚したかった。

 だが、これでは、みなに祝福される婚姻は望めない。

 祝福を汚されたのだ。

 しかも、おまえはこれから国母たる王妃になろうというのに、未来の国王に隠れて、人里離れた森の中で男と逢引きするーーまったくもって言語道断!

 今も反省する色をまるで見せない。

 上に立つものとして失格だ」


 王太子殿下は身をそり返して、大きく息を吸い込んでから、一気に大声を吐き出した。


「王太子として、俺、レムル・ゼクトは宣言する。

 リュエラ・パードン公爵令嬢との婚約を破棄する!

 そして、彼女ーータルト・テーラ子爵令嬢を新たな婚約者とする!」


 舞踏会場に、緊迫した空気が張り詰める。

 居並ぶ貴族令息も令嬢も、声を発しない。

 レムル王太子と私、リュエラ公爵令嬢の婚約は、幼い頃からの取り決めとして、貴族社会で周知されていた。

 それが破られるとなると、ゼクト王家とパードン公爵家との関係悪化だけでは済まない。

 大人たちの政局が動き始めるだろう。

 それほど、王太子の婚約破棄は意味が重いのだ。


「それにしても、どうして、急に?

 事を急ぎすぎですわね。

 ーーああ……」


 私は気がついた。

 タルト子爵令嬢の靴底が極端に浅いうえに、お腹に気遣うように手を当て、ゆったりとしたドレスを身にまとっていることに。


「まさかーー妊娠でもしているの?」


 私の問いかけに、「相談女」タルトは、肯定も否定もしない。


「それは言えません。王太子殿下に恥をかかせては……」


 と、思わせぶりな態度を取る。


 ざわざわと、喧騒が広がっていく。


 人々は噂し始めた。


「まさか、おめでた? 婚前に?」


「リュエラ嬢という婚約者がいながら、別の女性と関係を持ったとしたら、それはむしろレムル王太子に非があるんじゃーー?」


「そんな話、聞いてないぞ……」


「いつも取り澄ましたリュエラ嬢が糾弾されると聞いたから、顔を出したのに……」


 タルト子爵令嬢は、勝ち誇って目を細める。

 その一方で、王太子の方は、顔を真っ赤にさせていた。


「うるさい、うるさい!

 今、問題とすべきは、リュエラ公爵令嬢の裏切りだ!

 俺は裏切られた。

 もうリュエラ嬢は、信用できない。

 よって、婚約破棄を宣言する。

 それだけだ!」


 私は扇子を広げて、口許を隠した。

 思わず笑ってしまったからだ。

 壇上で(わめ)いているレムル殿下から見れば、衣装のせいもあって、さぞ悪役令嬢に見えることだろう。


「なんとも、締まらない話ですわね。

 まさに、『火のないところに煙は立たない』ではありませんこと?」


「おまえこそ!

 目撃証言まであるのだぞ!」


「では、私にかけられた濡れ衣を一枚一枚、剥がしていくとしましょう」


 私は扇子をパチンと閉じた。


「まず外泊についてですが、私は王妃様のご命令で、神殿に出向いていたのです。

 さすがにご存知ですわよね?

 王都郊外に広がる森の奥に、王家の祖先をお祀りする神殿があることを」


「な、なんだと!? 神殿?」


 レムル王太子は、胸元にしなだれかかる女性の顔を見る。

 タルト子爵令嬢は、慌てて首を横に振る。

 そんなこと、知らないわ、という意思表示だろう。


 そりゃそうだ。

 森の奥にある王家の祖廟については、王族と公爵家の一部しか知らされていない。

 彼女は子爵家の令嬢だ。

 王家の祖先を祀る重要な神殿が秘されている場所を、知らなくても不思議はない。

 知らないのがおかしいのは、むしろレムル・ゼクト王太子の方だ。


 私、リュエラ・パードン公爵令嬢は再度、扇子を広げて口許を隠した。


「一ヶ月以上前、王妃様からの使者をお迎えして、私が神殿に(おもむ)いたのは、祭主を担うための作法を学ぶためでした。

 殿下と結ばれて、私が王妃となる前に、是非とも習得しなければならなかったのです。

 王家の祖先神を崇拝する儀式を経ずして、殿下も本来は、王に即位できません。

 レムル殿下はお忘れかもしれませんが、我がゼクト王国の国王は祭祀王なのです」


 祭りを主催する際、ゼクト王国の国王がやることは、結構、多い。

 まず、家系図を見て暗記し、歴代の王様の系譜(けいふ)を暗唱しなければならない。

 様々な祭具(さいぐ)の取り扱いを覚えて、国民の平安や五穀豊穣のお祈りを捧げなければならない。

 春には、新年を祝うお祭りがあるし、秋には、豊穣を感謝するお祭りがある。

 それから、年に一度は、国家を代表して大祭を催さねばならない。


 私は扇子を壇上に向けて、声を高めた。


「レムル王太子殿下!

 これは、殿下ご自身が、とくとわきまえておかねばならないことですよ。

 特に王位を継ぐにあたっては、神霊を神殿から王宮へと(うつ)(たてまつ)る祭祀も必要です。

 神霊の御前で、王冠を(いただ)かねばならないのですから。

 こういった祭祀においての作法が、それはそれは細かく規定されているのです。

 そして、これは本来、祭祀王である国王が即位すると同時に行うべきこと。

 それなのに、次代の国王であるはずのレムル殿下が、

『そのような細かいことに興味はない。誰か別の者にやらせればよいではないか』

 と仰せになって、学ぼうとなさらない。

 ですから、唯一、国王代理を務める権限がある、王妃となる私、リュエラが、一ヶ月近くも連泊して祭祀修行に励むことになったのです」


 それまで私、リュエラに向けられていた視線が、いっせいに向きを変える。

 今度は壇上にあるレムル王太子が、みなから白い目で見られる番であった。

 レムル王太子は呆然と立ち尽くして、口をパクパクさせているのみ。

 いつの間にか、タルト子爵令嬢は、彼の胸元から離れていた。

 私は、その女、タルト・テーラ嬢にターゲットを変え、扇子を振り向けた。


「そうそう。

 殿下に『目撃者』として密告した者がいたそうですわね。

 修行中の私が、何者かに監視されていると知って、神殿に身を潜めたことが怪しい、と。

 でも、少し考えてみれば、わかることですわ。

 森の中で馬車から覗く者がいたら、別に(やま)しいことなんかなくとも、誰であっても不審に思って、身を隠すのが当然でありませんこと?

 それに、何ですか、その告げ口の、お粗末な内容は。

『殿下に隠れて、リュエラ嬢がお逢いしている男性がいる』と。

 随分と、想像を逞しくさせる、扇情的な物言いですが、残念ですわね。

 その男性は、こうした祭祀にまつわる作法を指導してくださる老師ドメイン翁です。

 白い顎髭を伸ばした神殿長で、八十歳を超えるご老人ですよ。

 彼を王家の祖先神に見立てて神座にお迎えし、私は(みそぎ)をしてから神衣をまとって対面し、お酒を共にいただくーーそういう儀式の練習をしていたのです。

 言っておきますが、これは本来、新王に即位なされるレムル殿下がなさねばならぬ、最初の儀式なのですよ。

 それを、殿下の代わりに、私、リュエラが学んでいたのです。

 それから、国中から集められた供物を火にくべる『お焚き』という派手な儀式もございますのよ。

 これは結構、大変で、危険でした。

 自分の周囲に供物をぐるっと並べて、火を放つのです。

 自分は円の中心に座して、天にまします神に向かって祈りを捧げるのです。

 この時の火力の配分や、供物の量の取り決め、さらに祈りの座との距離の測りようが大切で、神経を使いました。

 他にも覚えるべき作法がたくさんございます。

 そして、当然、そうした修行をする期間中は、外部との接触を禁じられておりました。

 ですから、レムル殿下のお誕生日など、まるで念頭にございませんでした。

 ましてや、誕生祝いに来なかったからと罵倒されるなどとは想像もしておりませんでした」


 会場は沈黙。

 レムル王太子も、タルト子爵家令嬢も、青褪める。


 私、リュエラはさらに訴えようと口を開いた、そのときーー。


 バン!


 大きな音とともに扉が開き、ラーナ・ゼクト王妃殿下が、白衣に亜麻色の髪をなびかせて登場した。


「なにをしているのよ、レムル!

 侍従長から聞いたわよ」


「母上!?」


 ラーナ王妃は、手にする扇子を震わせるほど、怒っていた。


「勝手に誕生会を開いたかと思ったら、今度はリュエラ嬢に対して、糾弾イベント!?

 どうして、一言も私に言ってくれなかったの!?

 侍従長も、侍女たちも、みな、

『レムル殿下のご命令ですから、仕方なく従っておりました。が、何の罪もないリュエラ公爵令嬢を(おとし)める策謀に加担させられましたこと、大変心苦しく思っております』

 と、苦情を吐露していたわ。

 ついに辞表まで提出する者まで出ているのよ!」


「そ、そんな……。

 母上は、父上亡き後、政務に忙しそうでしたので、お手を(わずら)わせるつもりは……」


 じつは、このたびの婚約破棄騒ぎは、母親のラーナ王妃に黙って、レムル王太子が行動した結果であった。

「リュエラ嬢との婚約を破棄したい」などと言えば、母親から反対されるに決まっているからだ。

 ラーナ王妃は、今は亡き、リュエラの実母パール公爵夫人と無二の親友で、彼女たち同士で積極的に婚約を取り決めた経緯があった。


 ラーナ王妃は、足を踏み鳴らした。


「リュエラ嬢との婚約を破棄する、ですって!?

 冗談じゃない!

 次代の王権を担えるよう、貴方に代わって修行してくださっていたのに。

 彼女は、貴方との結婚を間近に控え、誕生祝いになんか、付き合っている暇はございませんのよ。

 ですから、私は、

『彼女には事情がある。貴方のために祭祀修行をしているのよ』

 と言っておいたじゃない!

 聞いてなかったの!?

 今年中にでも、結婚するはずだったでしょ!?

 これでは台無しじゃないの!」


「てっきり、母上はリュエラ嬢について、お嘆きになっておられるものかと……」


「馬鹿おっしゃい!

 私は、貴方について、嘆いてるのよ!

 祭事の継承は、王族なら誰でも知っている。

 やろうとも、知ろうともしない貴方を、母として、王権代理として、どれだけ恥ずかしく思っていたか!」


 王妃は涙目になって、喉を詰まらせる。


 そんなラーナ王妃に代わって、私、リュエラは扇子を突き立て、


「この際ですから、全部、吐き出させてください!」


 と言って、改めてレムル王太子を糾弾した。


「そもそも、レムル殿下が、サボり過ぎなんですよ!

 将来、国を担う者になる、という自覚に欠けているんです。

 祭祀王としての務めを果たそうとなさらない。

 そればかりか、帝王学をも無視なされておられる。

 そのことは、王宮に勤務する者なら、誰もが承知していて、今や我が国最大の懸念事項になっているほどですよ。

 今現在、王妃様が王権代理としてなされておられる政務をご存知ですか?

 領主貴族に封土を認可して武装を促したり、農民に賦役を課して耕作を行ってもらうーーそのための施策がいろいろとございますのよ。

 ほかにも、税金を徴収しつつ各地を巡回する家令から、王国内の農作業の管理や、街道整備の具合なども尋ねて、報告を受けなければなりません。

 そうそう。貴族間の婚姻の許可も、最終的には、国王陛下がなすものの一つです。

 評議会にも臨席せねばなりません。

 ああ、そうだ。

 森林地帯も、国家の管理下にあるのをご存知ですか?

 騎士を派遣して樹木管理を行い、密猟を取り締まるんです。

 海についても、いろいろと人材を割かねばなりません。

 遠洋漁業に従事する船乗りたちに法令を遵守してもらわなければ、うっかりすると外交問題を引き起こしかねませんから、海上保安のための専門家も派遣するんですよ。

 さらに、国王夫妻が直接、行わなければならない外交案件は多岐に渡ります。

 外国の王族や貴族にも、親類縁者が多くおられますから。

 それなのに殿下は、それぞれの部署に属する重要職の方々にも、面通しもしていない。

 即位後、すぐに手をつけなければならない政治案件についても、王権代理の王妃様に伺おうとすら、なされない。

 いつまで経っても、学生気分で、お茶会だ、狩猟大会だ、舞踏会だ、誕生会だ、と交遊ばかり。これでは、王家の直轄地経営すらままならないでしょう?

 私は、ここ最近、ヤキモキして仕方ありませんでした。

 ーーでも、これで終わり。

 ようやく肩の荷がおりました。

 もはや、私が殿下の肩代わりをする必要がなくなったんですね!

 正直、嬉しいです。

『将来、王家に嫁ぐのだから』と、今は亡き国王陛下や、そこにおられる王妃様、そして私の両親からも請われて、私は数々の王妃修行ーーいえ、国王修行をこなして参りました。

 ですが、肝心のレムル殿下がこの体たらくで、加えて、婚約すら破棄されました。

 でしたら、私は晴れてお役御免です。

 あとはご自分でなさいませ。

 私と結婚できれば、国王として立ててもらえたものを。

 残念でしたね。では、ご機嫌よう!」


 扇子を胸元に仕舞い、私はスカートを(ひるがえ)す。

 そして、そのまま舞踏会場から立ち去ろうとした。

 が、声をかけられる。


「待ってくれ、リュエラ嬢!」


 レムル王太子が背後から駆け寄って、肩をガシッと掴むと、強引に私を振り向かせる。

 無作法なこと、この上ない。

 珍しく、レムル殿下が必死の形相をしていた。


「貴方が、そのように苦労しているとは、知らなかったのだ。

 悪かった。

 な、だから、婚約破棄はなかったことにーー」


 すぐに言葉を被せて、断固拒否する。


「それはできません。

 王太子なんですから、発言に責任をお持ちください」


「では、新たに婚約をーー」


「それも、できません。

 私がお断りいたします。

 あの女ーータルト子爵令嬢と付き合ってるでしょう?」


「つ、付き合ってなどいない! 実実無根だ!」


「あら、『火のないところには煙が立たない』のでは?」


 私が顎を上げると、王太子殿下は不愉快げに頬を膨らませた。


「むう……仕方ない。認めよう。

 酒の席で、一夜の過ちがあったのだ。

 彼女ーータルト嬢が『妊娠した』と言うのでな。

 男らしく責任を取ってやろう、と思ったまでだ。

 でも、このように王家としての重要な任務を、リュエラ嬢が習得中とは思わなかった。

 だから、もう一度、婚約して、王妃になってくれ。

 ああ、タルト嬢には子供を産んでもらうが、側室にすれば良いのだからーー」


 ここで甲高い声で、横槍が入った。


「いやッ!

 私、王妃になれないなら、結婚、やめる!

 側室なんて、いやよ!」


 王太子から距離を取った位置で、タルト子爵令嬢は絶叫した。

 レムル王太子は呆れ返った。


「お、おまえ、妊娠してるって……お腹の子供はどうするつもりだ!?」


「妊娠なんか、してません!

 ご心配なさらず。

 駆け引きを打たせてもらっただけですわ」


「な、なんだと!?

 貴様、俺を(たばか)ったのかっ!?」


 つい先程まで、一緒になって寄り添いながら、私を攻撃していたのに、今では仲間割れをして、生唾を飛ばし合いながら(ののし)りあっている。


 私は、二人に軽蔑の眼差しを向けた後、くるりと背を向けた。


「痴話喧嘩になんか興味ありません。さようなら」


「お待ちなさい!」


 今度、声をかけてきたのはラーナ王妃だった。

 仕方なく、再び足を止め、私は、王妃に向かってお辞儀をする。

 頭を下げる私に、王妃様は凛とした声をあげる。


「リュエラ・パードン公爵令嬢。貴女は神殿での祭祀修行にお戻りなさい。

 あともう少しで修行を終えるところと、ドメイン翁から伺っております。

 そして、祭祀修行を終えましたら、すぐにでも私の補佐として働いてもらいます。

 心配要りません。

 実務を通じて、国王としての務めを立派に果たせると内外に明らかとなれば、貴女と結婚したいと思う王族はいくらでも出てくるでしょう。

 なにしろ、貴女のお相手となる男性は、頭上に王冠を(いただ)くことができるのですから」


 おおおお!


 人々は歓声をあげる。


 王位は王族の者が継承する。

 これは決まりで動かせない。

 でも、今現在、国王としての実務をこなせる人材が王族には見受けられない。

 レムル王太子が次代の国王になると誰もが思っていたから、祭祀作法も帝王学もおさめた者がいなかったのだ。

 そして、これまた、リュエラ公爵令嬢が次代の王妃になるものと誰もが思っていたので、レムル王太子の肩代わりをやらされていた彼女だけが、祭祀作法や帝王学をおさめていたのだ。

 リュエラ嬢は高位貴族とはいえ、王族でも男性でもないから、新王に即位することはできない。

 が、それでも彼女を射止めた者が王族ならば、その者が新王に即位することに誰も反対できないであろう。


 ラーナ王妃は宣言する。


「王権代理として、私、ラーナ・ゼクトは宣言します。

 レムルを王太子から外し、王位継承権を剥奪します。

 これからは王族の一人として、生きてもらいます」


 母の言葉を耳にして、息子であるレムル王太子は驚愕して身を震わせる。

 そして、彼は拳を振り上げ、怒りを露わにした。


「母上! 納得できません!」


 文句を言う息子に、母親は諭す。


「どうしてですか?

 王族の一人になった方が、貴方も今まで通り、気儘に過ごせるのですよ?」


「だからといって、俺より年下の弟や従兄弟に頭を下げるなんて、できるものか!」


「今さら、ワガママ言うんじゃありません」


「なにが祭祀だ。

 女のリュエラ嬢にだって出来たんだ。

 俺にだって、出来る!

 俺も祭祀修行とやらを、こなせば良い。

 それだけじゃないか!」


 私は横合いから口を挟む。


「王国を担うためには、帝王学や政務実修も必要ですよ」


 レムル元王太子は、ムッとする。


「わかっている。

 たしかに、俺は今まで、このまま何もせずとも国王になれると思って、怠けていた。

 だが、祭祀だろうと、国事行為だろうと、リュエラ嬢が新たな相手を見つける前に、俺が出来るようになれば、問題なかろう!」


 実母としては、複雑な感情が渦巻いていた。

 が、王権代理として、ラーナ王妃は決心した。


「わかりました、レムル。

 貴方が祭祀修行を終えたら、王太子に復帰するのを認め、王位継承権を復活させましょう。

 ただし、リュエラ嬢との婚約は解消されたままですよ。

 それで良いですね」


 王妃様が、私相手に目を向けて確認する。

 私はもちろん、(うなず)く。


「異存ございません。

 ただし、私が王権代理の補佐をする、という件は、しばらく猶予をいただけませんか。

 レムル殿下が王太子に復帰なされば、私などがでしゃばる必要など、ございませんもの」


 レムル殿下はこちらを睨みつけ、指を突き立てる。


「おうよ、リュエラ嬢!

 貴様には今後、一切、王権には触れさせぬ!

 見ていろ。

 おまえなんか、必要ないってことを証明してやる!」


 私はドレスの裾をたくし上げて、深々とお辞儀をした。


「どうぞ、お好きなように。殿下のご健闘をお祈り申し上げます」


◇◇◇


 それから半月後ーー。


 私、リュエラ・パードン公爵令嬢は祭祀修行を終えて、自宅でのんびり過ごしていた。


 レムル殿下との婚約を解消して以降、生活にゆとりができ、家族との関係も良好になっていた。


 訊けば、お父様パードン公爵は、もとよりレムル殿下の気性を嫌っており、私が彼と婚約すること自体、内心、反対だったそうだ。

 それでも、亡き妻パールとラーナ王妃との友愛を重んじて、黙っていたらしい。

 ところが、案の定、レムル殿下は遊び呆けて、王家の務めを娘のリュエラに押し付けてばかり。

 さらには、「リュエラ嬢が街に繰り出して、オトコ遊びを繰り広げている」などといった事実に反する噂が、(ちまた)に流れ出す始末だった。

 噂の出所をレムル殿下と見立て、お父様は、何とか娘が殿下と結婚しないで済む方法はないか、と他の貴族らと相談するなどして、苦慮していたという。

 また、私の継母や異母弟も、私、リュエラの悪評を信じた貴族夫人やその子息や令嬢からいじめを受け、黙って耐えていたそうだ。

 それでも、私が祭祀修行などに明け暮れている事実を知っているので、困惑し、私に対して、どのように接したら良いのか悩んでいた、とのこと。


 正直、ちっとも知らなかった。

 私自身、目の前の課題に取り組んでばかりで、視野が狭くなっていたようだ。

 それでも、レムル殿下との婚約解消によって、わだかまりが解け、徐々に家族間の間柄が暖かいものへと変化していた。


(ほんと、レムル殿下と手が切れて、良かったわ)


 私は朝食後、自室でゆっくりとお茶を飲んでいた。


 ふと、窓の外に目を遣れば、もうもうと立ち込める黒い影が見受けられた。


「あれは……?」


 王都外壁の向こう側で、盛大に黒煙が上がっていた。


 見渡せば、騎士団が白い消防衣をまとって、壁の外へと出撃する様子が窺えた。


 郊外にある森林地帯で、大規模な火災が発生したのだ。


 幸い、近隣に民家はなかったので、人的被害はほとんどなかった。

 火元は、王家の祖廟でもある神殿だった。

 出火原因は、レムル殿下の無茶な修行の強行によるものであった。


 彼は、「ゆっくり作法を習得せよ」という、ドメイン老師の教えを聞かなかった。

 急いで祭祀作法を習得しようと、焦っていた。

 強引に「お焚き」修行を始めて、その最中に、炎に飲まれて焼けてしまった。

 自分の周りに配する練習用供物の量が多かったのか、自分との距離が短かったのか。

 とにかく、円陣中央で、黒焦げになった元王太子の焼死体が発見された。



 結果、新王の即位式の予定が立たなくなってしまった。

 なにより、祖先神を祀る儀式の修行中に、後継者候補が亡くなるというのは、史上例を見ない珍事であった。

 諸外国のみならず、国民に対しても恥ずかしいこと。

 なので、公的には、別件の事故で、レムル王太子は亡くなったとされた。



 そして、半年後ーー。


 結局、王国民の動揺を抑えるためもあって、私、リュエラ・パードン公爵令嬢は、ラーナ王権代理の強い意向で、さる王族と結婚し、ゼクト王国の王妃となってしまった。


 私の夫となったのは、タップ・ゼクトという先代王の弟の令息だ。

 もちろん、彼が真面目に帝王学を学び始めたのは、国王に即位してからのこと。

 祭事も政治も、当面の間は、私が中心になって行うしかないから、実質的には、私が「女王」といえた。

 実際、世間的にも、そうした事情は認知されていて、私は「リュエラ女王陛下」と、敬愛(少し皮肉混じり?)を込めた渾名で、人々から呼ばれていた。


 私はかなり気恥ずかしい思いをしていたが、夫のタップは王冠を被りながらも、あたかも王配のように、私のサポート役に徹してくれている。

 タップは私より二歳年下で、幼い頃からの顔見知りだった。

 いつも先輩である私を立ててくれていた。

 私を将来の王妃と看做して接してきたから、その態度のまま、現在に至っている。

 ほんとうに、助かる。


 そうして、ラーナ元王権代理の補佐を受けながら、政務をこなす日々が始まって、さらに半月ほど経った頃ーー。


 今度は、王宮に火の手があがった。

 パーティーが開かれた直後の火付けだった。


 衛兵が取り押さえた犯人は、タルト・テーラ子爵令嬢だった。

 なんでも、私の夫になったタップを、彼女も狙っていて、


「レムル元王太子に捨てられた私、可哀想!」


 と被害者アピールをし続けていたらしい。

 あんな婚約破棄騒ぎあったのに、よくぞ相手を変えて求愛活動を再開できたものだ。

 さすがは「相談女」である。

 ところが、タップからは、国王に即位する以前から、相手にされていなかったという。

 そこで、「狙った獲物をまた、リュエラに奪われた!」と腹を立て、私、リュエラを焼死させれば、レムル元王太子も浮かばれる、と思い詰めていたらしい。


 迷惑な話だ。

 そもそも、最近の私は忙しく、そのパーティーには出席すらできなかったのだから、まったく見当違いな嫌がらせになっていたが、それもまた彼女らしい、といえようか。

 でも、その嫌がらせの代償は大きく、タルト・テーラ子爵令嬢は王妃暗殺未遂犯として死罪を(たまわ)り、実家のテーラ子爵家にも類が及び、爵位を剥奪されてしまった。


 さっそく王妃として、私は、新しい神殿で、盛大に厄除けをすることにした。

 実際、あの婚約破棄騒ぎからこのかた、ゼクト王国では不祥事続きだった。


 おかげで、新たな噂が煙のように立ち昇っていた。


 曰くーー。

 王家の祖廟たる神殿が焼けたこと自体、凶兆のあらわれである。

 現在の王統は改められるべきではないのか。

 そもそも、不自然な形で王権を維持しようとしているから無理が(たた)るのだ。

 このままリュエラ王妃殿下に、王冠を被ってもらって、女王陛下として君臨していただいたらどうかーー。


 という声が、最近、有力貴族の間で持ち上がっているらしい。

 なんでも、そうした動きの水面下では、私の父親であるパードン公爵が動いており、これに呼応する形で、他の有力貴族や、神殿勢力、隣国の王族までが動き出し、ラーナ元王権代理が苦慮しているとのこと。



 様々な噂話を耳にしながら、私は溜息をついた。


(火のないところに煙は立たない、か……)


 単なることわざに過ぎないのに、ここまでくると、ほとんど呪いの言葉になっている。


 とはいえ、実際の火付けなんかなくたって、方々で煙が立ち昇ってるのも事実だ。

 ほんと、嫉妬をはじめとした、人々の感情の炎はおそろしい。

 事実であろうとなかろうと、噂のタネは尽きない。


 私、リュエラの人生は、これから先、成り行き次第で、どうなるかわからない。

 けれども、こうした「噂」という煙が立ち込めた世界に、より深く踏み込んでいくことになるのは確かだろうーー。


(はぁ。なんだか(わずら)わしい。

 前途多難だわ……)


 私がテーブルに肘を付きながら、物思いに(ふけ)っていた。

 すると、


「どうしたんだい。女王陛下」


 と、夫のタップ王が、冗談混じりに声をかけてくる。

 王族特有の輝くような金髪を掻き分け、碧色の瞳で、私をジッと覗き込む。

 二人で向かい合ってテーブルにつき、朝食を摂っている最中だった。


 私はニンジンドレッシングがたっぷりかかったサラダを口にしつつ、つぶやいた。


「いえ。なんだか、いろいろあったなぁ、と思って」


 夫はパンを齧りながら、肩をすくめる。


「火がなくとも、煙は勝手に立つものだからね。

 いちいち煙たがっていたら、前に進めないさ」


 彼は察しの良い男だ。

 私が気にかけていることを的確に読み取って、思いを汲んでくれる。


 タップは年下だったので、あの舞踏会の現場にはいなかった。

 が、私がレムルから「火のないところに煙は立たない」と言いがかりをつけられたことを知っている。

 そして、そう言って糾弾してきたレムルとタルトが、火と煙に巻かれるようにして、死んでいったことも。

 そのうえで、「自業自得だよ」と彼は笑い飛ばしてくれた。


「『火のないところに煙は立たない』なんていう疑い深い言葉ーー僕は嫌いだ。

 そんなことわざを信じるのは、噂好きなヤツだけだよ。

 僕は断然、『根が無くとも花は咲く』ということわざの方が好きだね。

 くだらない噂話を〈煙〉と思うから(わずら)わしく思うんだ。

 いっそ、彩り豊かな〈花〉とでも思った方が、気軽に散歩できて良いだろ?」


 そう言って、白い歯を見せて笑う。


 結婚してみて初めてわかったことだけど、ほんとうに彼の性格は私に合っている。

 彼の明るい考え方に、幾度、救われたか知れない。

 とかく生真面目で、思い詰めやすい私にとって、彼とのささやかな会話すら貴重だ。

 彼と二人でなら、どんな状況に巻き込まれても、明るく切り抜けて行けるだろう。


「もう。頬にパン屑がついているわよ。

 国王陛下なんだから、しっかりしてよ」


 私は彼の頬からパン屑を摘み取って笑う。

 彼も照れたように頬を掻いて、笑顔を浮かべていた。


 こうして今日も、新しい一日が始まるーー。


(了)


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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【文芸 ヒューマンドラマ 連載版】


『私、エミル公爵令嬢は、〈ニセモノ令嬢〉!?母が亡くなった途端、父の愛人と娘が家に乗り込み、「本当の父親」を名乗る男まで出現!王太子からも婚約破棄!でも、そんなことしたら王国ごと潰されちゃいますよ!?』

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『私、プロミス公爵令嬢は、国中に供給する水を浄化していたのに、家族に裏切られ、王太子に腕を斬り落とされ、隣国に亡命!結局、水が浄化できないので戻ってきてくれ?ざけんな!軍隊を送って国ごと滅ぼしてやる!』

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『私、ミレーユ伯爵令嬢は、王家の毒見役の家に生まれ、修行に明け暮れましたが、ボンクラ弟に家督を奪われました。なので、両親に謀叛の嫌疑をかけて、毒見役を放棄!結果、王家で死者が続出しましたが、それが何か?』

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『芸術発表会に選ばれた私、伯爵令嬢パトリシアと、才気溢れる令嬢たちは、王子様の婚約者候補と告げられました。ところが、王妃の弟のクズオヤジの生贄にされただけでした。許せません!企んだ王妃たちに復讐を!』

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【文芸 ホラー 連載版】


『滅国の悪役令嬢チチェローネーー突然、王太子から婚約破棄を宣言され、断罪イベントを喰らいましたけど、納得できません。こうなったら大悪魔を召喚して、すべてをひっくり返し、国ごと滅ぼしてやります!』

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『同じ境遇で育ったのに、あの女は貴族に引き取られ、私はまさかの下女堕ち!?しかも、老人介護を押し付けられた挙句、恋人まで奪われ、私を裸に剥いて乱交パーティーに放り込むなんて許せない!地獄に堕ちろ!』

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『私、ローズは、毒親の実母に虐げられた挙句、借金を背負わされ、奴隷市場で競りにかけられてしまいました!長年仕えてきたのに、あまりに酷い仕打ち。私はどうなってしまうの!?』

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『生まれつき口が利けず、下女にされたお姫様、じつは世界を浄化するために龍神様が遣わしたハープの名手でした!ーーなのに、演奏の成果を妹に横取りされ、実母の女王に指を切断されました。許せない!天罰を!』

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『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

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『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

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『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

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『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

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『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

https://ncode.syosetu.com/n1348ji/


『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』

https://ncode.syosetu.com/n1407ji/

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お焚き上げ 天台宗? いくら修行とは言え、自ら火葬とは…ムチャしやがってww
ザマァがセルフバーニングで王子の丸焼きとは、まさに強火 浮気相手も火刑だったら釣り合いとれて来世でも汚付き合いしてそう(笑) 楽しく読めました
王子が八歳くらいの時にやるべきなぐだぐだ感、落ち着きのなさは幼少時の教育係の責任なのか
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