第七章:最愛の妻(9)
「とりあえず、こいつらを留置施設に移動させて、あとは悪鬼を運ぶとするか……」
これからの仕事が重労働だとでも言うかのように、遼真がぼやく。
悪鬼を運ぶ、というのは地味な仕事だ。動かなくなった悪鬼は、焼く。そのままにしておくと、腐って異臭を放つからだ。人間のように見えて人間ではない悪鬼らは、焼却処分する決まりになっている。そしてエントランスに山のようになって倒れている悪鬼。
あれだけの数を焼却炉に運んで焼かねばならない。
「お父様……茉依たちは憑依されていたようです……」
「なるほど。あちらの二人も同じですね」
つまり、雪月子爵も茶月男爵も憑依された状態だった。
「近くに鬼は?」
遼真が尋ねるも、琳は首を横に振る。
「おりませんね。どこか遠くから操っていたのかもしれません」
「となれば、よほど上級の鬼だな」
「あっ」
そこで乃彩はスマートホンの通話が切れていないことを思い出した。慌ててバッグからスマートホンを取り出し、耳に当て「もしもし」と声をかける。
「もしもし、乃彩。無事でよかったよ」
スマートホンから修一の声が聞こえるが、それを当てていないほうの耳からも彼の声が聞こえた。
「あ、修一さん。いらしていたんですね」
「乃彩がわざわざ僕に助けを求めてくれたんだ。すぐに来るに決まっているだろ。あ、おじさん。父が捜していました」
それを聞いた琳は「後は頼みます」と言い、エントランスホールに足を向ける。
琳がいなくなったところで、乃彩はぺこりと頭を下げた。
「修一さん、ありがとうございます」
修一はそんな乃彩をにこやかに見つめてから、遼真に向き直る。
「日夏公爵も、向こう側で他の人が捜しておりましたよ? この状況ですから、すぐに会議に入るのでは?」
「だろうな。おまえたちはさっさとこの悪鬼をなんとかしろ」
遼真の視線は冷たく修一に向けられた。
「乃彩」
「は、はい」
この流れで遼真から名を呼ばれるとは思っていなかった乃彩は、変に身構えてしまう。
「おまえは帰れ。啓介に送らせる」
「日夏公爵、乃彩は僕の親戚ですからね。僕が送っていきますよ」
「乃彩は俺の妻だ。それにおまえたちには、ここの片づけをやってもらう必要がある」
二人からは、目から見えない光線のようなものが出ていて、それがぶつかり合っているような、そんな雰囲気を感じ取った。
「あ、え、と……」
この場をなんとかやり過ごそうと、乃彩も何かしら言おうとしたが、何を言ったらいいのかがまったく思い浮かばない。
「奥様。帰りましょう! お腹、空きましたよね」
啓介がからりと明るい口調で言うものだから、乃彩は味方を見つけたと思い、彼に身体を向けた。しかし、遼真が口を挟む。
「啓介、先生のところによってから帰れ」
「御意に」
啓介がわざとらしいくらいに恭しく礼をしてから「ささ、奥様。帰りましょう」と促したので、素直にそれに従った。
とにかく、ここにはなんとなく居づらかった。
乃彩は啓介と並んで歩き、渡り廊下の手前で軽く息を吐いた。やっと、一息つけた気がする。
すると啓介がくすくすと笑い出す。
「いやぁ、怖かったですよね」
「あ、はい。ですが、遼真様も啓介さんも、悪鬼を倒していたわけですから、わたくしも何かできることをと……」
「違いますよ。雨水家のご子息と張り合おうとしていた遼真様です。あれはね、完全に嫉妬ですね。しかも、本人は気づいていないという、無自覚ジェラシーです」
その言葉になんと応えたらいいかわからない乃彩は、曖昧に微笑んでから尋ねる。
「それよりも、どうして先生のところに向かっているのでしょう? 莉乃のお見舞いでしょうか?」
「違いますよ」
そう言って啓介は、自身の首元をちょんちょんと指差した。
「くび?」
「奥様。怪我をされております。痛くありませんか?」
忘れていた。茉依から刀を突きつけられ、そのときに少し傷つけられた。それを意識してしまうと、首がチリチリと痛み出す。
「緊張していて、すっかりと忘れておりました」
啓介は静かに笑みを浮かべた。
乃彩が啓介と共に邸宅に戻ってきた頃には、外の気温はすっかりと上がっていた。つまり、暑い。だというのに、乃彩の首にはぐるぐると包帯が巻かれている。真夏なのにマフラーを巻いている気分だ。
その姿を見て、百合江が卒倒しそうになったところを啓介と加代子が支えた。
それもあって、お腹を空かせた乃彩が食事にありつけたのは、朝食なのか昼食なのかわからないような中途半端な時間であった。
さっくりとしたクロワッサンに、たっぷりとバターを塗る。爽やかなリンゴジュースを飲み、喉を潤す。
先ほどまでの悪鬼の山が嘘のような、穏やかな時間である。
啓介は乃彩を送り届け、百合江を介抱したらすぐに戻っていった。
「もう、乃彩さん。無茶をしないでちょうだい。寿命が縮むかと思ったわ」
乃彩が食事をとっている間、百合江は心配そうに付き添った。
それを見たら、申し訳ない気持ちになってしまった。